恋とは落ちるものだから
◆9/1『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』3巻発売御礼挿話・第2弾◆
最悪だった。
(アイリーンは逃がさなきゃならない。魔物と人間が戦えば、魔王様が復活したってそのまま泥沼の戦争に突入だ。それだけはさけなきゃいけない)
たとえ魔王が戻っても情勢が詰んでしまっては意味がない。
誰もが魔王の帰還を望むその先を、アイザックは考える。
(犠牲は少数で、効果は最大限)
そして犠牲になってもいいと思ってくれる人間。
駒はそろっている。
「……。囮を出して攪乱させる」
ああ、最悪だ。そして最低だ。
いくら自分だって、好意をよせてくれる女の子に、他の女の子の身代わりになれなんて言うのがどれほどひどいことかわかっている。
でもやらなければならない。
無事に逃がさなければならないのは、アイリーンだ。
それは彼女もわかっている。
「わかりました、私がアイリーン様になりすまします」
頷くだろうと思っていた。自ら志願しかねないともわかっていた。
でも最低だ。
最低すぎる。
だからきっと返ってくるのは、軽蔑とか落胆とか、そんな感情だろうと思っていた。
だって他の女のために死ねと言っているのだ。なのに。
「頼む」
彼女は綺麗に微笑んで、頷く。
誇らしげに、朝日を浴びて、優しく。
瞠目したアイザックは、動揺を悟られないように背を向けた。
(最悪)
拳を握って、歯を食いしばった。最悪だ、本当に最悪だ。アイリーンの時もそうだった。手ひどい婚約破棄をされてそれでも泣かない彼女を見て、好きだなんて言い出せない立場になってから、ようやく気付く。
つまり――いつだって自分が恋に落ちたと自覚するタイミングは、最悪なのだ。
■
「今度のお休みですか? すみません、もう予定が入っていて」
「あ、そ」
断られることは想定していたので、アイザックはおとなしく引き下がった。
どこからどう見ても完全に作りものの笑顔で「また機会があったら」と心にもないことを言い、レイチェルは仕事に戻っていく。
(何が機会だ。五回連続同じセリフで断りやがって)
休日の予定が埋まりまくっているようで、大変けっこうなことである。先日はネタがつきてきたのか、家に一日中閉じこもっていたらしいが、今度はどうするのやら。
こっちがアーモンドたちにそれとなく偵察させて動向を確認していることくらい、わかっているだろうに――つまり完全に腹の探り合いになっている。
仕事に支障はない。そういう私情をはさむことは向こうも望んでいないだろう。
だから表面上は以前と変わらず、円滑に仕事は進んでいる。故に不満はない。
なにせ、自覚して数分後にアイザックが決めた方針は、『現状維持』だった。
「不毛だけどな……」
たとえば、その姿を見つけた瞬間目で追ってしまうこととか。
ぼやいて窓枠に肘を突く。遠目にある庭には、クォーツと何やら相談しているレイチェルの姿があった。その手の籠にどんどん花が増えていく。飾り付けか、花嫁のブーケでも相談しているのだろう。
皇太子の結婚式に追われているエルメイア皇城で上流貴族の方々のお相手にうんざりして逃げてきたところだったアイザックは、ぼんやりその様子を眺める。
窓から会議室に入り込む風はさわやかで、大変眠気を誘う。婚礼準備に追われて疲れていることもあり、ふあっとあくびが出た。手入れもそこそこされているだけのこの部屋は、婚礼の準備に人手が足りないと無理矢理かり出されたアイザックが見つけた格好のサボり場でもある。
相談が終わったのか、レイチェルは今度は荷物を抱えてぱたぱたと走り出した。その姿を目で追いかけてしまう――やっぱり不毛だ。
(進歩ねーなー……俺……)
仕事仲間の関係を維持し続ける。彼女の気持ちに素知らぬふりをしたのと同じように、自分の気持ちも知らぬふりをする。
要はアイリーンの時と同じだ。それが無難で一番いいと判断した。攻めも撤退も判断しかねるのなら現状維持は戦略だ。
大体、アイザックはまだ腑に落ちていない。
(だってぶっちゃけ好みじゃねーし。やっぱりなんかの間違いじゃないか? 緊急時に勘違いを起こしやすいあれだよあれ。吊り橋効果)
じゃあどんな女の子が好みなのかと言われたら大変困るのだけれど、少なくとも――初恋だったアイリーンとレイチェルは、全くタイプが違う。
レイチェルは控えめで、先頭に立つよりあとからついていくタイプだ。かっこいい女になりたいらしいが、なりたいということは現状、違うということである。そして、人を騙すとか裏切るとかそういうことができない。そういうレイチェルを侍女に選んだアイリーンは正しい。
ただ、侍女のレイチェルはたまに驚くほど強くて、アイザックはそれが少し苦手だった。おかげでアイザックに対してだけは、気持ちを悟られまいとやたらと強く出るうえに、ためしてくる傾向がある。
「……あれもかわいくねーしなー……」
「だから、そんなに難しい話じゃないだろう?」
下から聞こえた声に、思考が中断させられた。
「オベロン商会につなぎを作ってくれるだけでいいんだ」
「……なんのことかわかりません」
アイザックが顔を出している建物の壁際からレイチェルが離れようと方向転換する。だが進行方向を男が先回りをしてふさいでしまった。その男の顔に見覚えがあって、目を眇める。
(皇城に出入りしてる商会の奴だな。あんまいい噂きかねーけど)
「顔見知りだろ? 少しくらい話を聞いてくれてもいいじゃないか」
「……仕事がありますので」
「そう言わずに。な、オベロン商会の幹部の誰か、紹介してくれるだけでもいいから。アイリーン様はドートリシュ公爵令嬢だろ? きっとオベロン商会とつながりがあるはずなんだ」
オベロン商会の社長はアイリーンだ。だが、かつて皇太子だったセドリックからつぶされないよう、そして希少価値をあげるために、その正体を隠していた。そしてそのまま今でもオベロン商会の幹部は伏せられ、ドートリシュ公爵家が窓口になっている。
ただ、もうそろそろ顔を出せる代表なり責任者なりを作り、ドートリシュ公爵家から切り離す予定だった。アイリーンはアイザックに代表を任せたいらしいが、まだ検討中だ。
だがこうしてレイチェルがからまれている現実を見ると、急いだ方がよさそうだ。
仕事が増えてうんざりしたところに、耳障りな男の声が響く。
「なあ、頼むよこの通りだ。親父にオベロン商会につなぎがあるって大見得きっちまって」
「そんなこと言われても私はオベロン商会となんの関係もありませんし、皇太子妃になられるアイリーン様にお取り次ぎはできません」
「頼むよ」
男はやたら大げさに下手に出て懇願しているが、格好だけだ。レイチェルは毅然と対応しているつもりなのだろうが、その内逆上させるのが目に見えていた。
(もう少しうまいことかわせっつーのあの馬鹿。強く出たら跳ね返されるのが常だろうが)
かといってここで自分が出て行くのもややこしい。面倒はごめんだ。ため息をはき、窓から身を乗り出し上空を見上げると、綺麗に隊列を組んで定期巡回しているカラスの姿を見つけた。
「おい――おい! 魔物だよな?」
「アイザック! ドウシタ!」
下に気づかれないように小さく、でも届くように呼びかけると、赤い蝶ネクタイをしたカラスが降りてきた。アーモンドだ。
しいっと静かにするように唇の前に人差し指を立てて、手招きする。内緒の話が大好きなアーモンドはこくこく頷いて、窓枠に足を下ろした。
「下。あの男、追っ払えるか」
「……レイチェル?」
「そ。からまれてんだ。助けてやっといて、隊長」
「ワカッタ。フライパン、届ケル」
「なんでだよ。そうじゃなくて――」
「――人が下手に出てやってたらこのアマ!」
案の定、男が突然怒鳴りだした。ああもう、とアイザックは下を見る。
レイチェルは驚いたように身をすくめたが、毅然と顔を上げる。目にはいっぱい怯えをにじませているくせに、まるで――アイリーンのように。
アイリーンみたいになる必要なんて、どこにもないのに。
「何を言われても知らないものは知りませ」
「ああ!? 痛い目みなきゃわかんねーみてーだな――ぐあッ!」
やってしまってからしまったと舌打ちする。
自分で助けるつもりなんてなかったのに。
窓から脳天めがけて落ちてきた本に悶絶したあと、男がこちらを振り仰いで怒鳴る。
「何しやがんだお前か!?」
「あー……わり、落としちまって」
こうなったら誤魔化すしかない。やっとこちらに気づいたレイチェルが見ているが、別に仕事仲間を助けるのは当たり前といえば当たり前だろう。
腹をくくって、アイザックは愛想よく笑う。
「怪我がないみたいでよかった」
「そんなわけあるか! お前、ロンバール商会の三男だな……!? おりてこい!」
「まあそう怒るなよ。オベロン商会よりいいもんやるからさ」
「ああ?」
胸ポケットからすっと封筒を取り出す。いつも念のため持っているものだ。それを窓の外に落としてやると、男は不審そうな顔をしながら右に左にと動いて、封筒を手に取った。
「なんだよ、小切手か何かか? それくらいじゃないと許さ――……こ、この紹介状……本物か!?」
「本物」
真顔で言い切ると、男はごくりと喉を鳴らしたあとで、いそいそと封筒を懐にしまい、じゃあなどと言っていそいそとその場を離れていった。
欲望に忠実で大変助かる。ほっと息を吐き出すと、アーモンドが首をかたむけた。
「何?」
「天国への招待状」
「……あの封筒……高級娼館の紹介状ですよね」
下からレイチェルのつぶやきが妙に大きく聞こえた。
一瞬ぎくりと指先が震えたが、階下からでは見えない。平静を装って、答える。
「ああいう輩を手っ取り早く追っ払うにはちょうどいい交渉材料だろ」
「……お知り合いとか、いらっしゃるんですか」
「それお前に関係ある?」
わざと冷たく言い返すと、レイチェルはむっとしたように唇を尖らせる。怒っているというよりすねているようにも見えた。
それを可愛いなとか、決して面に出してはならない。出したら台無しだ。
「……関係ありません。ええ、アイザックさんが誰とどうお知り合いでも、アイリーン様にご迷惑がないのであれば関係ありません」
「アイリーンは知ってるし」
「――そうですか! では余計な気を回しました。助けてくださって有り難う御座いました、失礼します」
かわいげのかけらもない棒読みで礼をして、レイチェルがきびすを返す。
ほっとして、アイザックは窓枠に突っ伏す格好になる。アーモンドがレイチェルとアイザックに何度か視線を往復させて、言った。
「嫌ワレタ?」
「いーよ、別に」
釈然とはしないけれど、現状維持。目的は果たされた。
らしくもなく、思わず助けたことなど脳内の議題には乗せない。その背中が消えるまで、目が離せないことだって、気づかないふりをするのだ。
■
助けるならもう少しまともな方法で助けてくれたっていいのに。
八つ当たりだとわかっているが、そう思わずにいられなくて、歩調が荒くなる。別にアイザックが誰とどうつきあっていようが、まったく、レイチェルは気にしない。そんなものを豪快に笑い飛ばせる女になるのだ。
少なくとも、アイザックはそういうことが必要な世界にいるのだとわかっているし、それに――。
(……かっこよかったし)
あああ、と声にならないまま悶絶してレイチェルはしゃがみ込む。
なんだかんだ言ってちゃんとその場をおさめてしまったことも、冷静で動じないところも、ちゃんとかっこよかった。
きっとあの人はレイチェルにどんな目で見られようが、歯牙にもかけないに違いない。それが悔しくて、憧れる。
「……誘いを断ってるのも、あんまりこたえてないんだろうなあ……」
断ることを見透かしている節さえある。どうにも手強い相手だ。ため息が出てしまう。
でも、それでもよかった。罪悪感なんて感じなくていい。
少なくともアイザックがあの時、アイリーンの囮にレイチェルを指名したのは正しい。自分が頼めばきくだろうというその思惑に腹は立つが、そういう人だからレイチェルは恋に落ちた。そういう風に頼りにして欲しかった。
せめてそれだけでも伝わればいいのだけれど、できない。
だって告白してふられでもしたら、まだ弱い自分がどうなるか想像もできなくて、怖いのだ。
――だからそれまでは現状維持。
(でも、ちょっとくらい、私のこと気にしてくれてたらいいな)
レイチェルがどうしたって目が離せないように、アイザックもそうなってくれればいいのに。
でも恋とは落ちるものなので、願うよりも落とすしかないのだ。




