ラスボスの攻略法
クロード様がおいでです、というレイチェルの言葉に、自室で起きたばかりだったアイリーンは仰天した。
「今!? ちょ、ちょっと待って、着替えと化粧と……っお茶とお菓子を用意して、客間でお待ち頂いて、すぐ準備するから!」
「ですがアイリーン様、まだ微熱がありますし」
「平気よ!」
「と仰って無理をすると思ったので、もうお連れしました」
レイチェルが開けた寝室の扉からひょっこりとクロードが顔を出す。
寝間着姿のアイリーンは真っ赤になって絶叫し、頭から布団をかぶった。
「で、出て行ってくださいませ! マナー違反でしてよ!」
「ならベッドの上で寝間着姿か、僕の膝の上で普段着になるか、どっちがいい?」
「いらっしゃいませクロード様。お見苦しい姿で失礼します、体調がすぐれなくて」
「即断か。僕の膝の上はそんなに嫌か」
すねた口調で、クロードが寝台で上半身を起こしたアイリーンの額に手を伸ばす。
ひんやりとした手が、熱い額に心地いい。
「……ああ、昨日より熱はさがっているな。よかった」
「え、ええ……って昨日?」
「アイリーン様がお休みの時においでになったので、お通ししました」
レイチェルがお茶を用意しながら言った。
寝顔を見られた。いや、クロードの腕の中で気絶してしまったので今更なのだが、本当に寝ている時に見られるのはまた受ける衝撃が違う。
「とても愛らしかった」
だが、そう甘く微笑まれると、膝の上のシーツを指でもんでしまう。
「かわいくてかわいくて、目が離せなかった」
「……べ、別に普通です。それに、お暇だったでしょう、そんな……」
「いや。一時間くらい眺めていた。キースが怒鳴りこんでいなければもっと見ていたと思う」
「一時間!? 何をなさってるんですか、この忙しい時に……!」
皇帝が北の地で皇太后と療養に向かってまだ一週間。
ろくな引き継ぎもない状態で、クロードは皇帝の執務を代行することになっていた。体調がすぐれず療養中のアイリーンだが、父親が帰ってこない時点で現場の混乱と多忙さは想像できる。
皇帝と皇太后の突然の療養から唐突に始まったクロードの治世に反発は大きいはずだ。その中でクロードは毎日欠かさず見舞いにきてくれる。嬉しいが、喜んでいる場合でもない。
なにせ、今のクロードは約一年後に皇帝になることが約束された身なのだ。
どこにどう話をつけてそうなったのかは知らないが、すでに暗黙の了解として政治が動き出している。
そしてそれはアイリーンが一年後に皇妃になるということでもあった。
「……早くわたくしもお手伝いできるようにならないと……キース様が心配です」
「それなら今日から心配しなくてよくなると思うが」
「? 今日、なにかございますの」
「それはあとだ。そもそもそんなに心配することもない。セドリックがセレナ・ジルベールに集めさせていた不正の証拠が役に立っている。思った以上に反発はなかった」
元婚約者の話題に限界まで眉を引き絞ってしまった。
クロードとセドリックが案外仲のいい異母兄弟であることは理解したが、生理的嫌悪がまずくるのでどうしようもない。それにどうしたってリリアのことは警戒せざるを得ない。
今はおとなしくしているようだが、彼女がこのままセドリックの婚約者におさまってくれる保障はない。頼もしいことにセドリックがべっとりはりついて決してリリアから目を離さないらしいが、なにせ主人公補正、聖剣の乙女様々だ。今回もアイリーンを助けてみたり追い詰めてみたり、何を考えているのかさっぱりわからないところも怖い。
(セレナだってどこまで信じていいかわからないところもあるし……まあ、でもオーギュストがいれば平気そうだけれど……)
セドリックは第二皇子として振る舞っているが、監視付きだ。それでも愛妾の座を諦めないセレナを、オーギュストは無視されても罵倒されても説得を続け、ついにこの間「あんたが出世したらやめてもいいわよ」と言われたらしく喜んでいた。気づかぬのは本人ばかりで、ウォルト曰く「朝起きたら横に寝てるやつ」的な未来が待っている可能性が高い。
問題はどこまでも山積みだ。
「そういえば、人事も一新する予定と聞きました。お父様もある程度落ち着いたら、引退なさるという話ですし……」
「アイリーン様、クロード様、お茶です。……あまり無理はなさらないでくださいね」
そう微笑むレイチェルは、この間アイザックにデートらしきものに誘われて丁寧にお断りしたらしい。なんだかこっちも修羅場の予感がする。
(そういえばエレファス、生きてるかしら……裏切りの代償がアーモンド推奨『魔王様スキスキダンス』の会得だと聞いたけど)
まさか即位式で踊ったりする予定なのだろうか。自業自得だが、エレファスの人としての尊厳が心配だ。
「ああ、そういえばエレファスの件だが」
見透かしたようにクロードが話題に出してきてむせかけた。
「安心するといい。個別面談をおこない、君とその周囲の不貞の疑いは完全に晴れた」
「まさか本気で疑ってらっしゃったのクロード様、説明したではありませんか! 個別面談って、またそんなことをこの忙しい時に……!」
「いずれはやらねばならないと思っていたことだ。そう、それで僕も考えたんだが今、聖剣には僕の魔力が付加できるんだろう?」
「は、はい」
話題が唐突に飛んだことに首をかしげつつ、アイリーンは頷く。
アイリーンの聖剣は魔力をまとう形に進化することができるようになった。人間も傷つけることができる、聖と魔をかねそなえた剣だ。その剣に裁けないものはない。
そのかわり、その形を保つには大量の魔力が必要だ。エレファスでためしたところ、その場でぶっ倒れてしまい「これクロード様以外から魔力吸ったらだめです、吸われた相手が死にます」と言われてしまった。
「ならこれを」
そっと寝台脇に座ったクロードが、目の前に手のひらをさしだす。ふわっと風が吹いたと思ったら、その手に小さな銀の指輪が光っていた。
「ドニに作ってもらった。僕の魔力がこめられている」
「……えっ。で、でもあの、これ……」
まさかそれだけの意味ではあるまい。
レイチェルがそっと、部屋から出て行った。扉が閉められたあとで、クロードに左手を取られる。
「結婚指輪と二重に重ねて完成するデザインにしてもらった。だったら一つ目は今わたしてもかまわないだろう」
――婚約指輪だ。
理解が追いついて、息を呑む。するりとあっけないほど簡単に、指輪が左手の薬指におさまった。あとから心臓がばくばく鳴り出す。
交わす言葉のかわりのように、ゆっくりとクロードが指先に口づけて、微笑む。胸がいっぱいになったアイリーンは、左手をにぎりしめて、何度もまばたきを繰り返した。
「あ、ありがとう、ございます、クロード様……。大切にします、なくしたりしないように」
「大丈夫だ。なくす心配はない」
「……そ、それってどういう」
「結婚して欲しい、アイリーン」
なんだか不穏なことを聞いた気がするが、蜜をたっぷりかけたような甘い声でそんなことを言われたら、頭の中が沸騰してしまう。真っ赤になった顔を両手で覆って、小さく頷くのが精一杯だ。
そんなアイリーンをからかうように、クロードが額に、鼻に、まぶたに、頬にと口づけの雨を降らす。恥ずかしくて身をよじり、その胸を押し返した。
「ク、クロード様、やめてくださいませ、まだ結婚前です!」
「そうか、そうだな。あと二ヶ月だ、我慢しよう」
「そうですわ。――ちょっと待って今、なんて仰いました? 二ヶ月?」
間近で見返したクロードが、ぱちんと指を鳴らした。いつもの魔法かと思ったが、どうやら合図らしい。扉が開き、レイチェルを先頭にざっと使用人達が入ってくる。
そしてアイリーンの部屋の荷物を手際よく詰め始めた。
「えっ――え、え?」
「二ヶ月後に結婚式を挙げる」
「え?」
混乱していると、見知った顔がこちらをのぞいていた。遠い目になっているアイザックに両腕を組んだゼームス、居心地が悪そうにしているベルゼビュートににこにこ手を振るドニ。キースにリュックにクォーツ、オーギュストにウォルト、カイル、写真機をかまえたジャスパー、頭の上にアーモンドをのせたエレファス――要は全員だ。
ばさりと翼を広げたアーモンドが叫ぶ。
「引ッ越シ準備、開始!!」
「ど、どういうことですかクロード様! 結婚式は、クロード様が皇帝に即位するときでは」
「結婚しようと今、言っただろう。だから、挙式が二ヶ月後だ。安心してくれ、ドートリシュ公爵家には快く了承をもらった」
ぐらりとめまいが起きそうになった。追い打ちをかけるようにクロードが言う。
「皇帝になるのに妃がいないままでは、色々まずい」
それはわかる。
クロードは次期皇帝としてこれから近隣諸国の王族とも交流を持つことも多くなる。その時に独り身というのは面倒ごとを引き起こしやすい。
「魔王の僕の妻が人間ならば、民も安心するだろう」
それもわかる。
「何より、早く世継ぎを作らなくては」
「それもわかりますが、いくらなんでも性急すぎです!」
普通、貴族の結婚式でも準備には半年はかける。
皇族なら一年はざらだ。それを、たったの二ヶ月。皇太子妃になるにあたっての、いわゆる花嫁修業を差し引いてもあり得ない。
「それに引っ越しってなんですの!?」
「時間がないし一緒に住めば僕はいつでも君に会える」
「そもそも時間がないのは二ヶ月なんて無茶のせいでしょう! 周囲だって納得しません、そうでしょうキース様!?」
「あ、我が主はアイリーン様と結婚させてくれるならで色んな案件押し通してましたので、この一週間」
そんな馬鹿な。
愕然とするアイリーンに、ドニがはいとデザイン画を差し出した。
何枚も描かれているのは、清廉で美しいウェディングドレスだ。
「アイリーン様、もし何かリクエストあったら言ってくださいね。急いで取りかからないと」
「化粧品もとっておきを出します。二ヶ月あれば十分ですよ、アイリーン様なら」
「……。まず体調を戻せ、薬湯だ」
呆然とするままクォーツの差し出す薬湯を受け取ってしまった。
ベルゼビュートが部屋をぐるりと見回す。
「重いものは俺に任せろ。城まで投げる」
「いえ、投げなくて大丈夫ですよ。俺が移動させますから」
人差し指を動かして魔力で家具を勝手に持ち出しているのはエレファスだ。
オーギュストが首をかしげる。
「そうすると俺達、することなくないか?」
「ついてこいと言ったのはクロード様だ。アイリーンを追いつめるためだと思うが」
「えげつないよねーあっははははは」
「ウォルト笑うな、失礼だ。あと役割を間違えるな、俺達は護衛だ」
ゼームス、ウォルトもカイルも思ったより元気そうだ。
ああよかったなあなんて現実逃避していると、ジャスパーが明るく話しかけてくる。
「アイリーンお嬢様。あとで取材頼むわ。明日の一面で結婚式の速報のっけるから! あ、魔王様とのツーショットも頼む」
「……。アイザック」
一応、最後の頼みの綱で名前を呼んでみた。
引っ越しを手伝うでもなく壁に背を預けていたアイザックは、非情に言い切る。
「諦めろ。個別面談のせいだ」
「どんな面談だったの!?」
「さあアイリーン、行こう、僕らの寝室に。そこでゆっくり休めばいい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいそこはまだ駄目な気がします! わたくしまだ心の準備が」
「そうそう、僕だけを見つめる日も決めないとな」
忘れていた。
愛想笑いを引きつらせるアイリーンに、甘くクロードが笑う。アーモンドが「アイリーン、イケナイ妻!」と叫ぶ声が、皇都の空に響いた。
エルメイア皇暦666年。
雲一つない晴天の下でクロード・ジャンヌ・エルメイア皇太子とアイリーン・ローレン・ドートリシュ公爵令嬢の婚礼が執り行われた。魔王の婚礼という前代未聞の式ではあったが、早朝から深夜までお祭り騒ぎが続き、目立った混乱もなかったことから、クロード・ジャンヌ・エルメイア次期皇帝の治世に対する受け皿がすでにできていたことがうかがえる。
現実味を帯びてきた「魔王が皇帝となる」という事態に、周辺諸国が焦り出したのはこの結婚式からであったと言われている。とはいえこの段階では、かつて乙女に聖剣を授けたというかの女王国も表立って声明をあげてはおらず、大きな異変は起こっていない。
結婚式はつつがなく終わり、皇太子夫妻は皆の祝福をうけ、皇帝夫妻となるための道を進んでいくことになる。
異変をしいてあげるならば、深夜に突然の暴風雨が記録されたことだろう。だが被害は出ておらず、詳細は記されていない。
第三部、これにて完結です。ここまで読んでくださって有り難うございました!
感想・レビュー・ブクマ・評価等々、皆様の応援のおかげで完走することができました。このお話もだいぶ長くなって参りましたが、おつきあいくださってる皆様には本当に感謝しております。、
ありがたいことに第三部も書籍化が決まりまして、3巻として角川ビーンズ文庫様から2018/9/1に発売致します。コンプエース様でのコミカライズ連載ともども宜しくお願いいたします。
また、まったく別のお話ですが、明日(2018/7/20)に集英社オレンジ文庫様からいわゆるキャラ文芸の書き下ろし新作が発売されます。
詳細は活動報告やTwitterをご覧頂ければと思います。
そして今後ですが、第四部も書きたいと考えております。
年内には連載再開できるよう頑張りますので、しばしお待ちくださいませ。
コミカライズ、書籍発売、第四部と今後もお付き合い頂けたら嬉しいです。引き続きアイリーン達を宜しくお願いいたします。




