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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
第三部

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「やっ……た……?」


 鐘が鳴り続ける中で、アイリーンは呆然とつぶやく。よろりとよろけて、リリアが壁に背を預けた。エレファスがぼろぼろの回廊から不安そうに空を見上げた。


「これで術は解除されたはずですが……もし、魔香に侵されてしまっていたら……」

「――そこまでだ、アイリーン」


 騒がしい足音が複数、ぞろぞろと回廊の床を鳴らして、整列した。

 先頭に出てきたのはマークスだ。

 ぼろぼろの回廊を見て眉をひそめつつ、だが姿勢を正して告げる。


「皇太后様の命令だ。アイリーン・ローレン・ドートリシュ。お前もお前の仲間も皇帝の勅命違反で捕縛ののち、処刑する!」


 ――そういえばそんな問題が残っていた。

 顔色を変えたエレファスとアーモンドが背中にかばってくれる。それをちらと横目で見てから、マークスはリリアに向き直った。


「……リリアも。これだけの騒ぎだ、尋問は……受けてもらわなければならない」


 壁に背を預けていたリリアが、顔を上げる。そして、ううんとかわいらしく首を振った。


「お仕事でしょう? しかたないわ、ちゃんと話せばわかってもらえるもの。私は皇太后様の大事なものを、守ろうとしただけだから」

「あなた、よくもぬけぬけと……っ」

「だって事実でしょう? ふふ、悲しいわ。まさかアイリーン様の最後が処刑だなんて」


 リリアがマークスの影に隠れる。マークスは眉をひそめたが、騎士団の若きエースらしく、アイリーンを見据えた。


「つかまえろ。……もう魔物も殺してかまわないとの、皇帝命令だ」

「アイリーン様。アーモンドをつれて逃げてください。多少なら俺が足止めできますから」

「だめよ! 今、あの女をなんとかしないと、また聖剣を手に入れてくる……!」

「ですが今のあなたに戦う術は残ってません! 影にかかった魔法も消失してますし、聖剣は人間にはきかないんです」


 エレファスの指摘にアイリーンは拳を握る。リリアの聖剣を消し飛ばしたアイリーンの聖剣を呼び出したとしても、ほとんど力は残っていないだろうしそもそも対人間相手の武器にはならない。影の魔法がなければ他の魔物の力も借りられない。

 アイリーンに向けて騎士団が剣を抜く。ぎらりと光るいくつもの切っ先に、アイリーンは唇を噛んだ。

 このまま逃げるか、玉砕覚悟でつっこむか。


 迷っている間に――騎士団の剣がそろって一閃で切られ、その切っ先が落ちた。


「――誰に剣を向けている?」


 艶のある黒髪をなびかせ、当たり前のように空に浮いている人物が、そう尋ねた。

 胡乱な眼差しは氷のように冷たく、いささか不機嫌そうな眉の形でさえ美しい。太陽の下でも完璧な美貌は損なわれることなく、むしろ輝く。

 見る者を呆けさせる、魔性の王。


「クロード、様……!」


 その両の瞳は赤く、すべてを睥睨する。

 アイリーンに背を向け、その前に足を下ろしたクロードは、静かに告げた。


「僕の婚約者に何をしている。剣を引け」

「……っクロード、皇太子殿下……っですが、皇帝陛下のご命令で」

「僕は今、とても気分が悪い。誰彼構わず八つ当たりしたいんだ」


 ぱりっと音を立ててクロードの背中から魔力めいたものが立ち上る。

 ひいっと震えてアーモンドがしがみついてきた。


「君たちにわかるだろうか? 目が覚めたら色々あったがほぼ解決済みなせいでやり場のないこの怒りが。そこへ君たちは僕の命令をきかないと言う。これは格好の餌食というやつだ。魔王は残虐だと誤解されたくないのだが――全員跡形もなくなれば問題あるまい」

「――き……記憶が、お戻りですか」


 騎士団達がすくみ上がり身を寄せ合っている中、マークスが気丈にも声をかけた。リリアを背にしている手前、みっともない姿は見せたくないのだろう。その姿勢には拍手を送りたい。

 だが記憶という言葉は、クロードの怒りを一層あおり、爆風を呼びよせる。


「記憶? ああそう、記憶。そうだな。よくもまあ散々僕を軽んじたあげく、恥をかかせてくれた。アイリーンに嫌われてしまったらどうするんだ。全員、僕に詫びるべきでは?」


 次の瞬間、回廊に並ぶマークス達騎士団が全員、重いものにでも押しつぶされたように床に伏せた。聖剣のないリリアも抵抗できずにただ這いつくばる。

 全員が床に沈むその光景を見渡して、クロードが若干口調を明るくした。


「なんだ、素直に僕の言うことを聞けるじゃないか。なかなかいい眺めだな。少し心に余裕ができた。君たちはひょっとして僕の味方か」

「ク、クロード様……お気持ちはわかりますが、もうそのへんで……」


 圧倒的な力の差がありすぎて気の毒になってきた。マークス達は皇帝の命令を受けているだけだ。

 床に拳をつき、マークスが必死の形相で顔を上げる。その額には脂汗が浮いていた。


「こ、皇太子殿下……っこ、これは、皇帝の勅命です……我々は、命令を、遂行」

「ああ。皇帝勅命。なるほど、僕も悪かった。やはり心に余裕は必要だ。――いいか全員、体を楽にして聞いてくれ。皇帝勅命は撤回された」

「……な……」

「そうだろう、セドリック」


 呼びかけにマークスが回廊の奥へと振り向く。

 クロードからの圧力はなくなったようで、リリアものろのろと体を起こしていた。

 眉間にしわを刻んで、セドリックがひれ伏している騎士団を見て、ため息まじりに言う。


「……そうですね。そういうわけだ、全員、さがれ」

「……っセドリック! どういうつもりだ、レスター殿の策では」

「レスター? ああ、皇太后の舞踏会に魔物が攻め込んでくるという誤報を信じ、騒ぎを起こした奴のことか?」


 セドリックの胸ぐらをつかもうとしたマークスが、声をつまらせて一歩さがる。

 リリアが立ちあがり、震える声をあげた。


「セ、セドリック。何を言っているの? レスターがそんなこと」

「ユリアン、ギルバート、グレイまで……大なり小なりやらかしているとはな。教会への暗殺依頼、闇オークションや非合法な取引、出所不明の大金は賄賂か」

「ちょ、ちょっとまって。何の話? ねえ、マークス」

「お前は馬鹿正直すぎて、そういった企みには加担しなかったようだが。それでも無実の人間をでっちあげの証拠でとらえてしまっている。いいように使われたな」

「な、ん……」


 そのまま放心したようにマークスは立ち尽くしていた。リリアがその腕を揺さぶりながら訴える。


「マークス! セドリックがおかしいわ。仲間を疑うなんて」

「安心しろ、リリア。全員、お前は関係ないと言っている。全員、お前のためにやっているのにな。……恐ろしい女だ。放置しておけない。そうでしょう、兄上」


 少し体の向きを変えて、セドリックがクロードを見た。クロードは嘆息を返す。


「……そうだな。でも彼女自身は何もしていないのでは?」

「今回のレスター達の暴走は主君である俺の不手際です。どうか処罰を」


 クロードの前に自ら跪いたセドリックに、マークスとリリアが唖然とした顔をする。アイリーンもまばたいてしまった。

 クロードは頭を下げた異母弟を見下ろし、肩をすくめる。


「……それなら婚約者である彼女も同罪で仕方がないな。お前達に相応の処罰を与えよう。ひとまずは幽閉といったところか」

「ええ。俺にはまだ生かす価値があるはずです、兄上。いつかくる兄上の治世に反対する者達をまとめ上げ主謀者として処刑される役に、俺以上にふさわしい人間はいないはずだ」

「なっ……セドリック、嘘でしょどうして!」

「そういうことだ、リリア。俺がふがいないばかりにすまない」


 謝りながら、セドリックは笑っていた。リリアがおびえたように一歩下がる。

 そのおびえは演技ではないと思った。

 紛れもない現実の光景を見て、アイリーンはやっとセドリックの不可解な行動の意味を理解する。 

 彼はリリアを裏切りたかったのだ。思うがままに操れるキャラクターではない。


 生きている人間だと、彼女にわからせるために。


「でも、お前への愛は一生、変わらない」


 昏く愉悦をにじませるセドリックの瞳と同じものをどこかで見た気がするが、それが誰かは気づかないふりをすることにした。




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