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かちこちと進む秒針をベルゼビュートは眺めていた。
苛つきはすっかりなりをひそめていたが、それでも待つのはつらい。
だが約束は約束だ。
「ベルゼビュートさん」
魔物の群れをかき分けて、キースがやってくる。
殺気立つ魔物達の中に平気な顔でよく近づいてくると思ったが、キースは人間の中でも特別枠だ。本人もそれをよくわかっていて、だから魔王の片腕と呼ばれる。
「頭は冷えましたか」
「……。王の悲鳴が消えかけてきているからな」
「それは……いえ、やめておきましょうか。もうアイリーン様達はいっちゃいましたしね」
「――王になにかあれば、お前達を俺は許さない。許すことも、わからなくなる」
そうですね、とキースは穏やかに頷き返した。
「いいですよお、その時はばくっと頭から食べちゃってください。私めも大概悪いことしてきましたしねえ。魔物に殺されるならけっこう、本望です」
「なんだそれは」
「だって私め、あなたたちがうらやましかったですしねえ。……王の悲鳴ってことは、苦しんでるんでしょう、クロード様。私めはそれがわからない」
三角座りするベルゼビュートの横に腰を下ろして、キースが同じ皇都の方向を見る。
「でもね、今はちょっとだけ、わからなくてよかったんだろうなと思いますよ」
「おい、話ができるんなら行こうぜ」
キースが通り抜けてきた間から、もう一人やってきた。
アイザックという、アイリーンが重用している人間だ。
「行くってどこへです?」
「皇都だよ。こんな大群が砂原のど真ん中で立ち往生してたら、いい的だろ」
「俺達にここで待てと言ったのはお前らだろう」
眉をしかめたベルゼビュートに、アイザックが肩をすくめる。
「最悪、アイリーンが負けた時の保険がいる。魔王様の居所はわかってるんだ、だったら魔王様の身柄だけでもお前達にわたす」
思わず立ち上がると、アイザックはおびえたように一歩引いたが、説明は続けた。
「魔王様の体だけでも助けられたら、まだ希望はあるだろ。それにそのどさくさでこっちも動きやすくなるかもしれねーし」
「……いいのか。お前はアイリーンを助けたくないのか」
痛そうな顔をしたあとで、アイザックは続けた。
「……そのアイリーンが言ったんだよ。お前らを切り捨てる策はなしだって。ならしょうがねえだろうが、最善を考えるよ。俺だってお前らにたくさん助けられた」
人間は不思議だ。助けたいものをたくさん持てる。
「でも約束の一時間は守ってもらうからな。それで……できるなら、手伝って欲しい。皇都の城壁をぶちこわして、ゼームス達を助けてやって欲しいんだ」
「……」
「そうすりゃあいつらも逃げてきやすくなる。魔王様を連れてきやすくなるってことでもあるんだ、わかるか?」
「わかってますよ、ねえベルゼビュートさん」
キースに促され、ベルゼビュートはぎこちなく頷く。
アイザックはほっとしたようだった。
「おし、じゃあ」
「アイザックさぁん、ベルゼビュートさん! 追いついた!」
背後からの大声に振り向く。二頭引きの馬車が幌を揺らしながら走ってきた。飛び降りたのはドニだ。
「あーもうびっくりしたあ! みんな目の色変えて走ってくから何かと思いましたよぉ」
「……怪我をした魔物は、いないか」
「で、どういう状況ですか。張り切って色々持ってきたんですけど! ばらまくと一時間は涙が止まらない粉とか幻覚を見たり精神錯乱を起こすガスまで!」
「あとの薬やばくないか!? あー体痛い。年寄りに無茶させんなよもー……」
腰を拳で叩くジャスパーに、アイザックは目をすがめる。
「馬車乗ってただけだろーが、オッサン。俺なんか明日は全身筋肉痛だぞ、絶対」
「はは、馬にしがみついてらっしゃいましたもんねえ」
「うっせ俺は頭脳労働派なんだよ。――で、どうするよ魔物さん達。ここで一時間待ってから何も考えず突撃するか、俺らと一緒に、少しでも全員助けられるよう動くか」
向き直られて、困ってしまう。人間の考えることはよくわからない。
「……お前達が王をなぜ助ける? アイリーンが好きなら、王は邪魔だろう」
空気が音を立てて凍ったことにベルゼビュートは気づかなかった。
「もちろん王に貴様ら脆弱な人間どもが束になったところでかなうわけがない。存在からもはや勝負にならない。しかし今はむぐっ」
「ベルさん、空気読みましょう! 複雑な男心も学びましょう、ね!」
キースに背後から口をふさがれてもがもが言ってると、ジャスパーが笑い出した。
白い目でアイザックがそれを見る。
「何がおかしいんだよ、おっさん」
「いや、ごもっともだと思ってさ。なぜ助けるか。簡単だ魔物達よ。――人間ってのは馬鹿なんだよ、お前さん達よりずっと。自分がその気になれば、誰とでも仲良くなれると思ってる」
「……誰とでも?」
「そう、お前さん達とでも」
ベレー帽を少し浮かせて、ジャスパーがぱちんと片目をつぶった。
毒気を抜かれたベルゼビュートは肩から力を抜く。
「そうか。傲慢な人間らしいな。……わかった」
「ただの点数稼ぎとかっこつけなのでは?」
「リュック……たまには年長者に花を持たせてやれ」
「さ、話し合いが終わったならいきますよ。このままではアイリーン様やゼームス達におくれを取ってしまいます」
ぱんぱんと手を叩いてキースが仕切る。そうするといつもと何も変わらない気がしてくるから不思議だ。
「では魔王軍の侵攻を開始しましょうか。いいですよね、アイザック様」
はあっと大きく息を吐き出した人間が背中を向ける。そして言った。
「じゃあ行くぞ。魔王様を助けに」
――アイリーンを助けに行く、と言わない彼らを、どうしてだかとても強いと思った。




