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ぱっと景色が変わったと思ったら、空の上だった。
アイリーンの手をにぎったまま、エレファスが苦笑いを浮かべる。
「すみません、魔力がちょっと尽きて――落ちます」
「ちょっ……」
悲鳴をこらえた自分をえらいと、しげみに落ちたアイリーンは自画自賛する。普通のご令嬢なら絶叫するか気絶しているところだ。
もちろん魔王の妻になる女性が普通であっていいわけがないが。
「ご無事ですか、アイリーン様」
「ええ。あなたこそ怪我はない? エレファス」
頭についた葉っぱを払いつつ、木の枝に引っかかっているエレファスを見上げる。
「怪我はないですが……降りられないです、魔力がなくて」
「たいした高さじゃないでしょう。飛び降りればいいじゃないの」
「俺、実は魔力頼りで運動がてんで駄目なんです」
「真顔で告白することなの? ……両手で木の枝を持つのよ、そう。それで――」
飛び降りる前にばきっと枝が折れてエレファスが落っこちた。受け身をとれずべちゃっと地面に沈んだエレファスを半眼で見下ろす。
(……今までのラスボスの中で最弱ね。まあ人間だし、FDだから仕方ないのかしら)
魔力への造詣が深いとか頭脳派のラスボスなのだろう、多分。
「アイリーン様、呆れてるみたいですけど俺、人間として普通ですからね? アイザック様達だって同じですよ。そもそもアイリーン様の周りに人外が多すぎます」
「今回の件が落ち着いたら護身術を習いなさい。オーギュストかキース様あたりに頼んで」
「……オーギュスト様もキース様もちょっと人外っぽいのでついていけない気が……」
「それを言うならあなただって人外っぽいでしょう。魔力さえあれば――」
途中で口をふさがれ、しげみの中に再度引きこまれた。何がと問う前に、目の前の通路を衛士達が走って行く。
「南の離宮だ、兵士をかき集めろ! 皇太子殿下を人質に立てこもっている……!」
「くそ、たかが四人相手になんてざまだ!」
「聖騎士団の新人もいるぞ、あっちに増援は頼めないのか!?」
交わされる会話から、ゼームス達のことだとわかった。足音が遠ざかったところで、エレファスがふさいでいた口を解放する。
「見張りの兵もいないのはあちらのおかげみたいですね」
「行きましょう、ゼームス達にだって限界はあるわ。――北の塔はあの方角ね」
「アイリーン様。北の塔に入りたければまず皇城に入らないといけません。北の塔は皇城からの四階部分の続き回廊以外、出入り口がないので」
そう言ってエレファスは、通路の向こうにある皇城の裏口の扉を開いた。兵の詰め所らしく、誰もいないそこを素早く通り抜け、階段を上る。
「詳しいのね」
「レヴィ一族にとってはいわくつきの塔ですよ。続き回廊に見張りの魔法具――もうあれは化け物と言った方がいいかな。目につくすべての魔力を食い尽くす厄介なのがいるんです」
「ひょっとしてレヴィ一族の人質がとらえられているのは、北の塔?」
「ええ。何人も犠牲になってます。助けようとした人間も、逃げようとした子どもも」
ひるがえるマントから見えたエレファスの手が、拳を作っていた。眉をひそめたアイリーンに、エレファスが少し振り返ってほほえむ。
「大丈夫ですよ、俺、十五歳くらいの時に勝ちましたので」
「勝ったの!?」
「限界まで魔力をぶち込んで破裂させてやりました。……でも、塔の中にいる皆を助けませんでした。一時的には魔法で逃げられても、魔力が枯渇したら結局押し負けてつかまる。味方の数が少なすぎる。だから俺は、逆戻りしてその能力を皇太后に売ることにした」
自分一人が働くから、それ以外を使ってくれるなと交渉した材料は、それだったのか。
ぽんとアイリーンはその背中を叩く。
「その時のあなたの選択が今、ここにつながっているのよ。誇りなさい」
「……ありがとう、ございます」
「それにその化け物とやらも退治できてるわけでしょう。なら楽勝ね」
「いえ、皇太后に修繕されて復活してます。道具ですからね、直るんですよ」
唇をへの字にしたアイリーンに、エレファスは小さく笑う。
「大丈夫ですよ。所詮魔力です。聖剣の敵ではありません」
「……いったい皇太后はなんなの、魔道士でもないんでしょう?」
「東の国と縁のある方で、色々持ち込んだとか……あちらとこちらでは魔法のあり方もずいぶん違いますから」
右横の通路から爆音と爆風が吹き込んできた。同時に鐘の音に似たけたたましい警戒音が響き渡る。
「まさか見つかったの!?」
「いえ、警報音が北の塔から鳴っています。普段、誰も寄りつかないのに……」
ふと、アイリーンは胸を押さえた。熱い。
(聖剣?)
再度爆音が長い回廊を反響し、煙と一緒に風が頬を叩く。アイリーンは金色の髪を流されるままに、笑った。
「……いるじゃない。わたくしの他にも、化け物を恐れない人間が、もう一人」
「え?」
「行くわよエレファス」
こつりと音を立て、縦にも横にも長い回廊を歩く。どこもかしこも白に塗りつぶされていて、方向感覚が狂いそうだった。そういう錯視的なしかけもほどこされているのだろう。
だが今一番、感覚に訴えてくるのは何かが焦げたような鼻につくにおい。
そして聖剣の呼応に合わせて鳴る、心臓の音だ。
やがて白だらけの廊下の奥に、一つの影が見えた。赤とも緑ともつかぬ不気味な色合いの肉塊に突き刺した剣を引き抜き、少女が振り向く。
アイリーンのうしろについてきたエレファスが息をのんだ。
「リリア様……」
「あら? エレファス、どうしてまだ生きてるの?」
ぱちりと大きな目を無邪気にまたたいて、リリアは可愛く小首をかしげた。
「村で処刑されるはずでしょ? 魔王の復活を止めようとして故郷に裏切り者扱いされる、一番可哀想なルート。私あれ切なくって好きだから、ちゃんと好感度調整したのに」
「……それは、君の予知なのか?」
「予知? ああ、ふふ。気にしないで。キャラに話がつうじるわけないものね。――ねえ、アイリーン様?」
にいと唇を三日月型にして、リリアが向き直る。
「ねえ、今回はどうだった? 私、前回の反省を踏まえて頑張ったの」
「……頑張る方向を完全に間違ってるという感想ね」
「そう? レスタールートで聖剣を出すの、けっこう難しいのよ?」
アイリーンが奪い取ってやった聖剣はセドリックルートの聖剣だ。内心で舌打ちした。
(1のキャラ攻略で聖剣を復活させたってわけね。まさか全員分予備があるってこと?)
内心を見透かしたように、リリアが笑う。
アイリーンは深呼吸した。それに合わせて右手に聖剣が宿る。
「……で、あなたはどうしてそこにいるの?」
「ここには皇太后の魔法具があるんでしょ。FDのクロードルートではね、その魔法具を壊して、クロードは魔王としての過去と決別。人間として生きていくんだけど……アイリーン様だったらその魔法具を使ってクロード様の記憶を戻しちゃいそうじゃない?」
エレファス、とアイリーンは小さく名前を呼んだ。リリアから目をはなさず、耳を近づけたエレファスにささやく。
「わたくしが引きつける。その間にあの扉を開いて、クロード様の術を解除して」
「……リリア様は普通の人間です。聖剣は人間にはききません。俺一人でも」
「あなた、あの女が普通の人間に見えるの」
エレファスが黙る。それが答えだ。
頼んだわよと念を押して、アイリーンは聖剣の切っ先をリリアに向けた。
「だから邪魔をしにきたってこと?」
「だってアイリーン様と勝負になるのって、私しかいないでしょ?」
胸に左手を当てて、リリアが笑う。
「それにここは一番かっこいいアイリーン様が見られる特等席だし」
その右手には、聖剣。
正真正銘の、聖剣の乙女だ。
「無様に負けたりしないでね、アイリーン様。――あなたは主人公なんだから」
片頬だけで笑ったリリアと同時に床を蹴る。
ぶつかり合った二つの聖剣が光を炸裂させ、爆風を巻き起こした。




