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「……どうして、聖剣を消した」
聖剣でねじ伏せるのは簡単だ。だがそれでは魔物を殺し尽くすことでしか、止まらない。
だからアイリーンはベルゼビュートの目をまっすぐ見て、告げる。
「――ベル。さがりなさい」
「どうして聖剣を消したと聞いている!」
「さがりなさいと言っているのよ。あなたは、王の妃に何を突きつけているの!」
キースも、やっと追いついたアイザックも、そばにいるエレファスも、固唾を呑んでその様子をうかがっている。背後の魔物達も静まりかえっていた。
「クロード様は助けに行くわ、わたくしが。だからあなたは魔物達を守って」
目をそらせば殺されるだろう。魔物は理屈も駆け引きもしない、ごまかしがきかない。
むしろ今までよくもった方なのだ。魔王ではない、アイリーン達を信じて耐えてくれていた。
「……あと少しなの、ベルゼビュート。エレファスがクロード様の記憶と魔力を取り戻す方法を教えてくれたわ」
「ほんとですか、アイリーン様!」
「だから、ベルゼビュート」
無言でベルゼビュートが引いた。ただ、その目はまだ冷たいまま、端的に告げる。
「あと一時間だ」
そう言ってベルゼビュートが懐中時計を取り出し、アイリーンの眼前にぶら下げた。
「それ以上は待たない。王の悲鳴を聞いてやってくる奴らと一緒に、王を助けにいく。――もし王に何かあれば、お前らもろとも人間をなぶり殺してやる」
「わかったわ、一時間ね」
「おい、一時間ってここから皇都に向かうだけで終わるだろ! もう少し」
「知ったことか。俺達はもう、お前らを信じて十分に待った」
アイザックが気圧されて口を閉ざす。そのままついと背を向け、ベルゼビュートは魔物達の群れに戻っていってしまった。
キースが肩から息を吐き出す。
「ここにきて……代行権の使いどころ間違えましたかね」
「いえ、そんなことないわ。皇都から離れていたから時間があったとも言えるもの。――アイザック。言っておくけれど魔物達を切り捨てる策は許さないわよ」
先に釘を刺されたアイザックががしがしと頭をかく。
「っつっても、一時間だぞ……あいつらが皇都に移動する時間も含めてせいぜい二時間だ」
「……一人なら、俺が皇都まで転移できると思いますが」
ばっとエレファスを見た。エレファスは口元に指を当てて考えこむ。
「ですが問題はそこからです。――クロード様を戻すには、皇太后の持っている魔法具に俺が用意した例の水晶を埋め込む必要があります。ですがまずその魔法具がどこにあるか、場所がわかりません」
「あなた知らないの?」
「見たことはありますが、保管場所は知りません。あれは皇太后にとっては最大の弱みですからね。定期的に保管場所も変えているようですし……一見ではちょっと凝ったデザインの大きな柱時計なので、目立つとは思うんですが」
「……魔物を止めるってだけに手段をしぼるなら別の手段もある。魔王様の身柄だけでも確保して戻す。悲鳴とやらが止まらなくても、一時的にはそれでしのげるだろ」
だが皇都にすぐたどり着けるのはエレファスと一人。しかもエレファスは強制転移で再度魔力を消費するため、あまりあてにもできない。つまり二手にわかれることはできない。
「だいぶ集めたつもりだけれど、まだまだ人手が足りないのね……」
「いやこれ以上集めるのはやめろ。さすがに魔王様も限界だろ」
「どちらか勝算の高い方にしぼった方がよさそうですね。主の体を奪還する方が簡単そうではありますが……ああでも、それもどこにいるかわからないわけですよねえ」
「――そういやゼームス達はどうしてるんだろうな。俺が考えるあいつの性格が正しけりゃ、皇都にいそうなんだが。けど連絡つける方法がねーし……俺も魔物に頼りすぎてたな」
「そうね、今まで魔物が呼べば出てくる環境だったから――」
ふとアイリーンは真上に昇った日に作られた、足下の影を見る。
「……ねえ、エレファス。クロード様の魔力って戻っているの?」
「え? ええ。微量ですが、おそらくは。だから魔物達に悲鳴が届いているのかと」
「わたくしとしたことがっ……ゼームス! ゼームス、聞こえるなら返事をなさい!」
ゼームスは半魔だ。この影を通ることはできないが、声くらいなら届いてもおかしくない。
それに今、この状況でも理性を保っている可能性が高い魔物だ。
(お願いだから……クロード様!)
アイリーンの行動の意味を理解した全員が影を凝視している。だが変化はない。
駄目かと肩を落としかけたその時だった。
『……アイリーンか?』
「ゼームス!」
さすが2のラスボス、素晴らしい受信具合だ。
地面に這いつくばって、影を見下ろした。意味があるのかどうかわからないが、大声でしゃべる。
「今どこにいるの!? 皇都!?」
『そうだが取り込み中だ! しかもクロード様の悲鳴でうまく聞き取れないっ……』
「あなたそれが聞こえるってことはクロード様の居場所がわかったりしない!? もう魔物達を止められないの、どうにかクロード様を助けないと……っ」
『クロード様なら今、ここにいる! だが魔香漬けにされていて目を覚まさない』
クロード様、とキースもしゃがんで影を見つめた。
『私達自身も囲まれてしまって建物から出るに出られない。それもこれも、オーギュストがあんな女を信じるから……っうるさい、言い訳はいい! とにかく王の悲鳴は魔香のせいだ。魔香に侵されて体が悲鳴を上げている』
「……どうすればいいの? 魔香を抜く方法なんて」
『王の魔力を元に戻せばいい。そうすれば魔香など一気に霧散する』
やるべきことは決まった。顔を上げたアイリーンに、アイザックがつぶやく。
「あとは皇太后様の魔法具の在処だな」
「ゼームス。さっき言っていた女ってセレナのことでしょう」
『ああ。クロード様の居場所を教えると言われて見つけたはいいが、あの女はさっさと警報を鳴らして逃げた! 囮に使われるわ敵に囲まれるわ散々だ……!』
「何か他に情報はない? 皇太后の大事なものを隠していそうな場所とか」
『いや、クロード様の居場所しか……なんだ、うるさいオーギュスト! お前に発言権は……皇城の北の塔? ……そこに向かうと言っていたと馬鹿が言っているが』
「でかしたわオーギュスト! あなたずっとセレナにだまされていなさい!」
「いやそれはひでーだろ」
「あなた達もレイチェルも無事ね?」
びくっとアイザックが不自然に動きを止めた。
ゼームスが嘆息と共に告げる。
『無事だ。……もうそろそろいいか、こっちもあまり手を離していられない』
「ええ、大丈夫よありがとう。わたくしとエレファスは今から皇都に戻るわ」
『エレファス? あの魔道士が何故』
「調教済みよ」
『……そうか、ならいいが』
「……あの、なんで皆さんその言い方で納得するんです……?」
不気味がるエレファスを全員が無視した。
「どうにか持ちこたえてちょうだい。クロード様の魔力を戻す方法は見つけたから、わたくし達が今から解除に向かうわ」
『……。了解した。ただしお前も無事でいろ。……クロード様が悲しむ』
「わたくしはクロード様を悲しませたりしないわ」
だろうな、と小さいつぶやきを最後に、影は沈黙した。
立ち上がったアイリーンは、くるりとエレファスに向き直る。
「さあいくわよ、エレファス」
「ええ、もちろん」
「……やけに素直だな」
ぎろりとアイザックがにらむ。エレファスは笑顔で応じた。
「俺はライバルが多いと燃える方なんです」
「……あっそ」
「なんだっていいから早くなさい。クロード様を助けるのよ!」
今度こそあの人を、この手で。
プレイヤーとやらの思惑など蹴飛ばして、その胸に飛び込むのだ。




