35
「――アイリーン様って、世界征服でも目指してるんですか」
「そうね……クロード様ができてしまうでしょう。だからわたくしもそれくらいできなければいけないとは、常々思っているわ」
「……実は一番結婚しちゃいけない二人なんじゃ……」
「まあ、わたくしとクロード様の仲をそんな風に言うなんて……落とすわよ」
薄目でにらむと、ぶんぶんとエレファスは首を横に振った。
その背後には遠く山間にレヴィ一族の故郷が見える。いい感じに風に乗ってくれたおかげで、
快適な空の旅。まさかの魔法の気球である。
「これで魔物達がいるところまでどれくらいかしら」
「夜までかかるかもしれません」
「そう。まあ徒歩よりずっと早いわよね」
「そうですね。ただ、アイリーン様が強制転移の魔法陣も吹き飛ばさなければ今頃……」
「あなたの魔力がもっと回復すれば、でしょう。落とされたいの?」
「すみません」
そう言いながら、瓦斯に似た魔力を噴き出す気球の方向をエレファスがいじる。下に絨毯がしかれた籠の中にアイリーンは座った。レヴィ一族の女性達が用意してくれたクッションを背にして、楽な姿勢をとる。
(あそこまで痛めつければ当分、おとなしくするでしょう)
エレファス曰く、実戦経験も何もない、頭でっかちの魔道士達だ。あれならまだ魔物達の方が連携した動きができるのではないだろうか。それくらいお粗末な有様で、一対多数にもかかわらず、アイリーンは完全勝利してしまった。
あとは出兵に反対だった者達に手伝ってもらい、主謀者達を縛り上げ、牢に放りこんで円満解決だ。
魔力のないエレファスは戦闘では役に立たなかったが、比較的アイリーンがあっさり受け入れられたのは彼の人望によるところが大きい。今仕えている主で、レヴィ一族の待遇を改善すべく動いてくれている――とエレファスが説明しただけでこの気球を貸し出してくれた。
「寒いでしょう、アイリーン様。毛布を」
「あら、有り難う」
毛布をかけたあとも、エレファスの手が両肩から離れなかった。なんだとアイリーンは少し近いエレファスの顔を見返す。
しばしの沈黙のあと、エレファスが口を動かした。
「……意外と隙だらけなのに、アイリーン様の臣下はどうして臣下のまま甘んじ――だからゴミを見るみたいなその顔やめてください、傷つきます」
「なら馬鹿なこと言ってないで見張りでもしてなさい。いい、これ以上裏切ったり妙な真似をしたら今度こそ切り落とすわよ」
「わかってます。……ここで俺が裏切ったら心中ですけどね」
「何言ってるの、わたくしは生き残るわ。死ぬならあなただけ死になさい」
「そこは一緒に死のう的な台詞を言って欲しかったというか――アイリーン様、あれ」
アイリーンの命令通り、立って周囲を見渡していたエレファスがある一点を指した。アイリーンも肩に毛布をかけたまま立ち上がる。
そして身を乗り出した。
「――魔物の大群!? どうして……っエレファス、もっと気球を近づけて!」
砂埃を上げて広大な砂原を突き進んでいるのは、魔物達に他ならなかった。まっすぐ一心不乱にどこかを目指している。その方向を見て、顔が青ざめた。
(まさか、皇都に向かってる!?)
「アイリーン様、馬であとを追ってるの、アイザック様達じゃありませんか……!?」
「本当だわ、キース様も……っベルゼビュート!?」
空を飛ぶその姿にアイリーンは瞠目した。
ベルゼビュートは気づいたのか、一瞬だけアイリーンに視線をくれる。だがそのまままっすぐに飛んでいってしまった。
なにかあった、魔物達に。
小さな人間の姿が目視できるところまで高度が落ちる。魔物の軍団を馬で追っているのはアイザックとキースだ。アイリーンは叫んだ。
「アイザック! キース様!」
「アイリーン様!? ああ、やっぱりご無事でしたか」
「ってなんでその魔道士がいるんだよ、誘拐されたんじゃなかったのかよ!」
走る馬にしがみついたアイザックが叫ぶ。アイリーンは風にあおられながら大声で答えた。
「気にしないで調教済みよ!」
「アイリーン様、言い方をもう少し……」
「それより何があったの!? 魔物達は皇都から離れる手はずでしょう」
「クロード様に何かあったらしいんです!」
アイリーンは先を走る魔物の大群に振り返る。
「合流地点にはいったん着いたんだよ、でもそれがいきなり魔王様を助けに行くって逆戻り始めたんだ!」
「我が主の危機となったらもう私めの代行権も何もあったもんじゃないですからね……ベルゼビュートさんまで話を聞いてくれなくなって」
「――止めるわ。エレファス、多少は魔力回復してるでしょう。わたくしを地面に激突させないでよ!」
「ちょっ、アイリーン様!?」
気球の籠に足をかけ、飛び降りる。墜落死も魔物達との激突死も考えなかった。
ただ目の前に聖剣で壁を作る。魔物達が止まるように。
「止まれ!」
その声を張り上げたのはベルゼビュートだった。魔物の軍隊が急停止をかける。
そして立ちふさがるアイリーンを、無言でにらんでいた。
「どけ、アイリーン」
前に出てきたベルゼビュートが言う。いつもとは違う、ひどく冷たい眼差しだ。
「俺達は王を助けに行かねばならない」
「そうはいかないわ。わたくし、クロード様にあなたたちを逃がすよう頼まれたもの」
「御託はいい、どけ! 間に合わなかったらどうする、王が悲鳴を上げている!」
「冷静になりなさい、つまりクロード様はあなた達に助けを求めてはいないんでしょう」
「なら助けるなと言うのか! お前も所詮、王より人間共が大事か!」
吼えたベルゼビュートを中心に、砂嵐が巻き起こった。
赤い瞳が殺気立っている。その後ろの魔物達も敵意を隠そうとしない。聖剣があろうともかまわず突撃してきそうだ。
追いついてきたキースが馬から飛び降りて、両腕を広げた。
「ベルさん、落ち着いて……!」
「キースどけ! ――どうして人間はいつもいつも、王をないがしろにする!」
びしりぴしりと、音を立てて地面にひびが入る。
ベルゼビュートの、魔物の怒りに呼応するように。
「いくらお前達でも邪魔をするなら殺す。聖剣がなんだ、王の命以上に大事なものなど存在しない!」
「ベルさっ……アイリーン様!」
ベルゼビュートが聖剣の壁めがけて突っこんでくる。だから聖剣を消した。
長く伸びたベルゼビュートの爪が、なんの障害もなく迫ってくる――だが視線をそらさなかったアイリーンの喉元で、その爪は止まった。




