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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
第三部

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28


 爆風が巻き起こる。

 テーブルクロスがめくり上げられ、銀の食器が飛び交った。椅子がへしゃげ、窓硝子が吹き飛ぶ。

 悲鳴すら上がらない中で、やけに大きくその声は響いた。


「……アーモン、ド……?」


 クロードが呆然と虚空を眺めたまま、そうつぶやいた。

 だがその次の瞬間、苦痛に顔をゆがめてその顔を覆う。


「あ……ああ、あ、アアァァァァ!!」


 その絶叫と一緒にますます風が荒れ狂う。

 飛ばされないよう必死で床に這いつくばりながらアイリーンは声を上げた。


「クロード様!」


 ぴたりと嘘のように風がやんだ。こちらを向いたクロードの顔に、アイリーンは息を呑む。

 右目は黒いままだ。でも、左目が――赤い。


「……アイリーン?」


 それはいつも通り、何かあったのかと問うような呼びかけ。

 アイリーンは呆然と返す。


「……クロード様。記憶が……?」

「――今すぐその娘を殺せ! 息子を魔王に戻す反逆者だ!!」


 誰よりも早く、脅えた顔をした皇帝が立ち上がって叫ぶ。


「森の魔物達も討伐しろ、今すぐに!! 聖騎士団を呼べ、軍を動かせ!」


 クロードが何かを言いかけて、すぐに体を折り曲げた。その顔が苦痛に歪んでいる。アイリーンは駆け寄ろうとして、うしろから引き止められた。


「放しなさいアイザック! クロード様が……!」

「駄目だ皇帝の命令聞いただろ、今は逃げるんだよ!」

「でも……っ」

「逃げろ……アイリーン……魔物達を……! 僕は……っキース、ウォルト、カイル!」


 右手で顔を覆ったまま、クロードが懇願するような声を上げた。


「魔物達とアイリーンを、早く……! 僕が戻るまで……!」

「エレファス、皇帝命令です! 今すぐその小娘の息の根を止めなさい!」


 甲高い声で皇太后が叫ぶ。エレファスが無表情でこちらを振り向いた。

 その掌から飛んできた魔力の前にゼームスが立ちはだかり、相殺する。我に返ったように動き始めた衛兵を、飛んできたウォルトとカイルが蹴り飛ばした。短剣を取り出したキースと一緒に、先陣切って道を切り開く。アイザックに無理矢理引きずられたアイリーンは振り向こうとした。


「クロード様っ……!」


 その瞬間、景色が変わった。


「アイリーン!」


 我に返ったのはベルゼビュートに呼ばれてからだった。森の城のクロードの執務室だ。見回すと、舞踏会に参加していた全員がいる。

 強制転移させられたのだ、クロードに。

 呆然とアイリーンは床に手をつく。

 アーモンドが血だまりに沈んでいた床はもうない。


「さっき! さっき一瞬だけ王の気配がしたぞ! だがおかしい。アーモンドの気配が消えたんだ。何かあったのか?」


 ベルゼビュートがへたり込んだままのアイリーンと視線を合わせてしゃがむ。

 とてもその顔を正面から見られなかった。

 助けられなかった、なんて言えなかった。


「アーモンドは今、主のそばにいますよ」


 キースが穏やかに答えた。視線を上げたアイリーンに教えるように、一つ頷く。


「だから大丈夫です。それよりやることがありますよ。ね、アイリーン様?」

「――おい、ぼさぼさしてると聖騎士団がくる」


 真っ先にテラスに出て城の周囲を確認してきたアイザックが、ずぶ濡れになった頭を振りながらそう告げる。レイチェルが慌ててタオルを差し出していた。ゼームスが嘆息する。


「雨か。足止めになるといいが」

「おい、しっかりしろ。お前、魔王の妻になるんだろ」


 ――その一言で、前を向くしかなくなった。唇を噛みしめたアイリーンは立ち上がる。

 クロードに魔物達のことを頼まれたのだ。


「……アイザック。全員で逃げる手段はある?」

「一応、今日を納期にしてたんだけど、それが間に合えば使える」

「あ、アイザックさんいた! 完成しましたよ!」


 空気を読まずばんと扉を開いてやってきたのはドニだった。泥だらけだが、目がきらきら輝いている。興奮しているのか、尋ねる前にしゃべりだした。


「これでこの城から皇都の外まで自由自在に出入りできますよ! ちゃんと物資も運び込みましたし、半年は籠城できるんじゃないかな~あと城の周りもぐるっと考えつく限りの罠をしかけました! あとでテストしないとだめですけど」

「あー安心しろ、多分今から親切な聖騎士団がテストに協力してくれる」

「おお、ドニ! ついに完成か! 大モグラ達も喜んでいるだろう……!」

「はい! ベルさんの注文通りまがまがしい感じにしましたよ! せっかくだしお披露目がてらみんなで乾杯しようと思ってきたんですけど……」


 喋りまくって少し冷静になったのか、周囲を見回してドニは首をかしげる。


「……あれっ? そういえば皆さん、舞踏会じゃなかったですっけ? 魔王様は?」

「……その前にドニ。あなた一体、何を作ったの?」

「何って、地下迷宮です!」


 ――まさかの魔王様の最終ダンジョンだ。

 頬を引きつらせたあとで、アイリーンは不敵に笑う。本当に自分の臣下は優秀だ。


「それはもう使えるのね?」

「はい! あ、今すぐ見に行きます?」

「ええ、案内してちょうだい。――皇都にいる魔物達を外へ逃がすわよ!」



 介抱しようとする手をすべて振り払い、広い回廊でクロードは膝を突いていた。代々の皇帝の姿絵が並ぶ、皇族の住居区画だ。ここまでくれば追ってくる者も限られる。

 舞踏会はお開きになった。しかも突然の豪雨のせいで、客人達は足止めされているらしい。聖騎士団や軍もなかなか動き出せないだろう。少しでも時間を稼げればいい。その願いがこの突然の天候の変化なのだろうか。

 大きな窓硝子に滝のように水が流れている。そこに左目だけ赤く変わった自分の顔があった。

 魔王の証だ。かろうじて理解はしていたが、それだけだ。垣間見た記憶も一瞬だけで、何も戻っていない。ただ、腕の中でぴくりとも動かないカラスの魔物を抱き締める。


(アイリーン)


 無事だろうか。考えた瞬間、黒い右目がうずいて顔を覆う。右目を手で覆い隠した瞬間、回廊の床が違うものに変わった。


「……なんだ、これは」


 薄暗い地下をアイリーン達が走っている。魔力で見えているのだ。そう理解するのに時間はかからなかった。


(よかった、無事……)


 よく見たらアイリーン達は丸く巨大な岩に追いかけられていた。道を間違えたとか、ジャスパーさんが勝手に押すからとか、聞こえてくる会話は幻聴だろうか。無事なのか不安になったが、ベルゼビュートが拳で岩を砕いたのが見えてほっと目を閉じる。

 そしてもう一度開くと、今度は発狂したように暴れ回る祖母の姿が見えた。


『妾の肌が、顔が醜くなったらどうする!』

『この役立たず、誰のおかげでお前の一族が生き長らえていられると思って』

『今すぐあの娘だけでもつかまえてこい。でなければ人質を全員、殺す――!!』

「だめよぉ、クロード様。のぞき見なんて」


 ぶちんと回線が切られたように、視界が現実に戻った。回廊の奥からこつこつと音を立ててやってくるのは、異母弟の婚約者。

 元、聖剣の乙女。一度自分に秋波を送ってきて、そして――頭がずきんと痛んだ。

 苦悶に顔をゆがめたクロードに、優しくリリアが話しかける。


「苦しいんでしょう? 無理しない方がいいわ、ただでさえ大量に魔力を奪われているのに、その流れを力業で変えるなんて。それに反則は駄目。だって主役はアイリーン様よ? あなたは脇役。今、魔王に戻るなんて手違いにもほどがあるでしょ」


 何の話だ。壁に背を預けて、クロードは少女を見る。


「でも、驚いたわ。ちゃんとフラグは踏んだはずなのに、アイリーン様を選ぶなんて」


 未来の可愛い義妹の姿はもうなかった。見えるのは、虫を一つ一つつぶして遊ぶような、無邪気さ。あるいは駒を盤の上で使い切って捨てる、勝者の残酷さだ。


「クロード様のこと、ちょっと見直しちゃった。さすがアイリーン様が選んだだけあるわ。乙女ゲームなんだし、ご都合主義だろうがなんだろうが、愛の力ってものがなきゃね。――だから、クロード様」


 雷鳴と一緒に、かっと一筋の光が天から落ちた。

 逆光で三日月の笑みを浮かべた少女の手に光るのは、――聖剣。


「あなたをヒロインにしてあげる」


 咄嗟にクロードは腕の中にいるカラスの魔物を消す。同時に、肩を聖剣で貫かれた。

 クロードの全身から魔力が急速に失われていく。壁と肩が聖剣に縫い付けられているせいで、倒れることもできない。


「心配しないで、クロード様。魔香がききやすいよう魔力を奪うだけよ、殺さない。だってアイリーン様に助けにきてもらわなきゃいけないんだもの。魔香でじわじわ命を奪われるヒロインを助けにくる主人公、かっこいいと思わない?」


 この少女とは絶対に価値観が合わない。

 それだけは確信して、クロードは少女が持つ小瓶を見上げる。自分が今から何をされるのか、そして何をさせられるのかわかった。


「……僕の記憶を奪ったのは、君か?」

「ふふ、内緒。謎は主人公が暴いて、そして成敗しなきゃ」

「――君はセドリックを、愛していないのか?」


 唐突な問いに、きょとんと少女がクロードを見返した。それだけで回答がわかった。


(だからセドリックは、あがいているのか)


 馬鹿で可愛い異母弟。劣等感を刺激する優秀な婚約者を捨ててやっと得たのは、その劣等感につけこまれた愛のない駒役。それがお似合いの人生だと、呑みこむのはつらかっただろう。


「……覚えておくといい。僕は――僕らは、君の駒ではない」

「そういうの、負け惜しみって言うのよ?」

「そうだろうか? どうせ愛の力には勝てないのに」


 不愉快そうな顔でリリアが小瓶の蓋をあける。

 クロードはゆっくりとまぶたを下ろした。




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