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一生懸命誘惑した時はすげなくて、諦めようとした時になって追いかけてくる。
男は狩る生き物なのだから――そう言われればそうかもしれないが、絶対に許すべきではない。
(そもそも、キース様とウォルトとカイルはあっさりクロード様付きになっているのが解せない! 婚約者のわたくしは拒絶しておいてなんなの、この差!)
悔しさでぎりぎりするアイリーンに「それは攻め方が悪い」と皆が口をそろえて言った。どういうことだろう、解せない。とにかく解せない。
アイリーンの内心とは裏腹に、アーモンドは大喜びだった。何度も何度もアイリーンに舞踏会の出席を確認し、魔王様が喜ぶと大はしゃぎで飛んでいった。魔物がああなのだ、クロードがアイリーンの舞踏会への出席を望んでいるというのは本当なのだろう。
かといってアイリーンにも意地がある。
その意地をレイチェルは察して、身支度を調えてくれた。会場に入るまでエスコート役をしてくれる父親も笑顔で受け入れてくれた。大体この父親が笑顔の時はまずいというのはさておき、アイリーンは意地をくじかれることなく皇城にたどり着いた。
回廊ですれ違った警備中のオーギュストは呆然として剣を落とし、先輩に怒られていた。アイザックとゼームスがきらびやかな会場のすみっこで飲み物を噴き出しむせていたが、自業自得だ。ちゃっかりクロードの背後に陣取ったウォルトとカイルが絶望的な顔をしているが、それが誇らしくさえあった。ただ、セドリックの蔑みに満ちた眼差しとリリアの目に涙を浮かべて笑いをこらえている様が、少々腹立たしい。
それでも譲れないものがある。
(さあ、わたくしを呼んだことを後悔すればいいわ、クロード様!)
大理石の床の上でアイリーンは父親のルドルフに手を預けたまま、凜と顔を上げる。
アイリーン・ローレン・ドートリシュと言えば、皇妃になるべく教育を受け、それを体現してきた完璧な公爵令嬢だ。その地位を今、アイリーンはぶん投げる。惜しくなどない。
指揮者が棒を落とし、優雅なバイオリンの音楽も止まる。
「……。君は何故、アヒルなんだ?」
静まりかえった舞踏会で、クロードが限界まで眉を引き絞って、尋ねた。
「ドレスはこれを着ろとご命令でしたが、顔は指定されていませんわよね」
頭部分だけアヒルのかぶり物をかぶったドレス姿で、ふんとアイリーンは胸をはる。
今宵は皇太子が花嫁を見初める優雅な舞踏会。一発退場ものの失態だ。むしろここまでたどり着けたのが奇跡である。
こんな令嬢と踊りたい、まして婚約者にしたい男性はいない。今、周囲の期待にこたえる皇太子であろうとするクロードならばなおさらだ。アヒルの中で得意になっていると、クロードは天井を一度あおいで、嘆息した。
「……ドートリシュ宰相、間違いなくそのアヒルの中身はそちらのご令嬢なんだな?」
「さあ、なにせ顔がわからないので、中身は別人かもしれません」
にやにや笑ってはぐらかすルドルフに、目を細めたクロードがつかつか歩みよってきてアヒルのかぶり物をがしっとつかんだ。アイリーンは脱がされないようそれを押さえる。
「何故抵抗する。そんなにアヒルでいたいのか……!?」
「流行ですから、このアヒルスタイル」
「そんなわけがあるか! 色んな意味で気分が削がれる、脱げ!」
「嫌です! クロード様に会わせる顔なんてわたくしにはありません!」
舌打ちしたクロードが手を放す。ほっとした瞬間、視界がぐるんと反転した。クロードがアイリーンの腰を片腕で抱え、肩に担ぎ上げたのだ。
「ちょっ……クロード様! いくらなんでも非常識です!」
「アヒル頭で舞踏会に現れる女性に言われたくない。道をあけてくれ」
アヒルから目をそらしたいのか、周囲がささっと道をあける。その道をクロードは大股で歩き出した。こうなるともう捨てるものなどなにもない。
「嫌です、放してください! ――ウォルト、カイル!」
ふたりそろって十字を切られた。教会に返品してやりたい。
「ゼームス、アイザック……っ逃げたわね! じゃあ、エレファス!?」
返事がない。誰も彼も逃げ足が速い。悔し紛れにいないとわかっていて名前を呼ぶ。
「オーギュスト! リュック、クォーツ、ドニ、ジャスパー!」
「どれだけいるんだ……」
「これだけしかいませんわよ! 少なくて悪かったですわね!」
「十分多い。……確かめたいことがあるだけだ、おとなしくしてくれ――アイリーン」
名前を呼ばれた。最後に愛していると言われたあの夜以来、初めて。
気づいた瞬間、ぴたりとアイリーンの動きは止まってしまう。
(こんなのずるいわ)
気づいたら明るい会場のテラスから外へと出ていた。うっそうと木々が茂る小道を抜けると、小さな東屋が現れる。恋人達の逢瀬にもってこいの、人目につかない場所だ。そこでやっとクロードが肩から下ろしてくれた。
さすがに頭が冷えたアイリーンは、クロードと距離を取りつつ尋ねる。
「なんですの、確かめたいことって――あっ」
「まずこのアヒルが邪魔だ」
ぽいとアヒルの頭を脱がされ、放り投げられてしまった。そしてアイリーンの頬に指をすべらせる。何かを確かめるみたいに。
「……泣いていないのか?」
「どうしてわたくしが泣かねばなりませんの」
「そうか……残念だ。抱き締めていいか?」
「は?」
応じる前に抱き締められた。瞬間、頭まで血が昇る。
「ふざけるのも大概にしてください、本気で怒りますわよ!?」
突き飛ばそうと力一杯胸を押したがびくともしない。背中に回された腕も、苦しくはないが決してはずせない。こうなったらヒールで足を踏み抜くか膝で急所を狙うかだ。
「……僕は、君を抱き締める力加減を知ってるんだな」
頭上から降ってきたつぶやきに、アイリーンの頬が、今度は別の意味で赤くなる。
「な、なな、なななっ……」
「……キースが言っていた。君に顔を近づけて、名前を呼んでみろと」
「何を吹き込まれてるんですか! そんなことをして一体、何を確かめ――」
顔をのぞきこまれて、息を止めてしまった。アイリーンの緊張をからかうように、クロードがとろりと微笑む――その瞳はまだ、黒いままなのに。
「アイリーン」
覚え立ての名前をなぞる甘い響きに、そのまま腰が砕けた。




