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決算報告書をめくり、アイリーンはオベロン商会の幹部にあたる面々を見た。
「化粧品関係の売り上げは順調ね。問題は庶民向けの商品かしら。ハンドクリームの試作の評判はいいのよね?」
「ええ、女中や主婦層、手荒れが気になる職業の方々に試していただいたところ、是非商品化をと言われました。ただ、値段が高いんじゃないかと……」
リュックの懸念に頷く。
「確かに常備してもらうには高いわね……クォーツ、材料費はこれ以上さがらない?」
「……精一杯やってこれだな」
「ならパッケージの予算は? ドニ」
「高級感を出すってアイリーン様の注文だと、これ以上はなあ……」
「高級感いらねーだろ、これ。常備狙うなら優先すべきは利便性だ」
「でも女性が使うのよ、アイザック。無骨なものは駄目。ねえ、レイチェル」
会議室でお茶を配っているレイチェルが、そうですねと頷く。うーんと天井を仰いでいたドニが、鉛筆を持った。
「なら、持ち歩ける可愛いサイズにするのはどうですか? こういう、可愛い感じの」
「量を少なくして値段を下げるか。悪くねーと思うけど。大量に使う客にはそっちのサイズを用意すればいいし……」
「……じゃあ容器も使い回せるようにするのはどう? 容器を持ってきたお客さんには、次にお店でクリームのみを詰め替えて、安くするの」
アイリーンの提案に、真っ先にドニが目を輝かせた。
「いいですね、それ! じゃあ僕は何種類も集めたくなる容器をデザインします!」
「そもそもそんなに保存期間が長くないクリームですし、いいと思います」
「……俺もいいと思うが」
「んーじゃあドニはもっぺん予算出して。リュックとクォーツは発売日までにどれくらいの量がいくらで作れるか再計算頼むわ」
「そうね。今日はこんなところかしら?」
「お前、舞踏会マジで出ねーつもりか?」
無事に締めたつもりが、アイザックから奇襲をくらってしまった。ちらりと全員が自分の様子をうかがっている。ふうっとアイリーンは嘆息した。
「切り落とされたいのね?」
「そのレベルまでいったのかよ……」
「別に、もう気にしてないわ。舞踏会に出ず婚約破棄を受け入れれば処刑されずにすむし、ドートリシュ公爵家から勘当されても問題ないもの。わたくしは仕事に生きるの!」
ふんと胸を張ると、リュックが下を向いてつぶやく。
「……確か、今なら人間」
「……そうだな、今なら」
「えーでもベルさんとか魔物になんとかしてくれってボク言われてるし……うーん……アイザックさんはどう思います?」
「無駄な時間費やしてんなあと思う。そもそもこの会議室を動かしてない時点で負け」
「し、しかたないでしょう、アーモンド達に泣きつかれたんだもの……! 出て行かないでダンスとか見せられたのよ!?」
「そうやって延々引き止められるんだろ。そもそもお前、魔物を見捨てられるわけ?」
「どうしようもなくなったらわたくしが魔王になるつもりよ!」
胸に手を当てて宣言すると全員から微妙な顔をされた。だがアイリーンは本気だ。
「ベルゼビュートかゼームスと結婚すればいけるんじゃないかと思うの」
「これ以上事態をややこしくするな。魔王様の記憶が戻った時、世界が滅ぶ」
「でも、いつまでも過去を引きずってもしかたないでしょう」
アイリーンはもう愛されていない。一度受け入れられたのだから、二度目だってきっと大丈夫。きちんと受け止められるはずだ。
「きちんと今後のことは考えるわ。……クロード様が、舞踏会で他の女性を選んだら」
その期限まであと二日は長いのか、短いのか。
「……今なら苦しみ悶えて死ぬ、ひとさじでいい。今なら」
「……だが今は皇太子だ、そう簡単に仕込めるか? 今」
「あーそれならボクなんとかできるかも?」
「なんとかするな、ドニ。ほっとけ、その内暗殺されるだろ、皇太子殿下は」
ばっと顔を上げてしまった。それを見たアイザックに冷めた目で見られた。
「ま、いいんじゃねーの、忘れれば。それだけの男だったんだろ」
「そ、それだけの男って、クロード様は」
「お嬢様! アイリーンお嬢様いるか!?」
廊下が騒がしいと思ったら、息を切らしたジャスパーが会議室に飛びこんできた。
ただたらぬ様子に、アイリーンは眉をひそめる。
「落ち着きなさい。レイチェル、水を」
「いいから! 魔王様が、毒殺で、従者を! 護衛にっ……!」
さっぱりわからない。だがクロードに何かあったと察して腰を浮かせた時、明るい声がジャスパーのうしろから響いた。
「さすがですね、ジャスパーさん。情報がお早い」
「キース様。ベルゼビュートも……なにがあったの? 舞踏会の話なら聞かないわよ」
念のため釘を刺して話を促すと、キースがにこやかに持っている箱を差し出した。
「アイリーン様。お届け物です」
怪訝に思いつつレイチェルに目配せすると、優秀な侍女はそれを受け取り、会議室の長机に置いた。長方形の細長い箱の形に嫌な予感がする。中身について説明を待つが、キースはにこにこしているだけだ。仕方なく、アイリーンはレイチェルに命じた。
「あけてちょうだい」
頷いたレイチェルが、そっとふたを開ける。
中から出てきたのはドレスだった。赤と黒の、およそ可憐な淑女とは真逆の胸元の大きくあいたドレス。だが細かいレースや優美な刺繍が織り込まれており、大輪の薔薇が咲いたような気品を漂わせていた。絹の光沢は、うっとりとするほど美しい。
だが今ここでドレスが贈られてくる意味はなんなのか。アイリーンは眉をつりあげる。
「一体なんのためのドレスなの?」
「もちろん、明後日の舞踏会用ですよ」
「わたくしは舞踏会の話なら聞かないと言ったわ。返品してちょうだい」
「そうはいきませんよ。そのドレスはクロード様からの贈り物で、ご命令ですから」
振り向いた。キースはいつも通りの笑顔だ。クロードがいた頃とこの従者は少しも変わらない。やっと呼吸が落ち着いたらしいジャスパーが身を乗り出す。
「おい従者さん、どういうことなんだよ! 魔王様が毒殺されかけて新しく護衛がつくことになるのはわかる、でもそれがウォルトとカイルで、従者はあんたって……!」
「――どういうことなの!? まさかクロード様、記憶が……」
「いいえ、残念ながら。ですが、そのドレスを着たアイリーン様を舞踏会に連れてこいと我が主は仰せです」
記憶がないのにどういうことだ。混乱するアイリーンを、いつの間にか現れた魔物達が並んで見つめていた。ベルゼビュートもただアイリーンを見ている。
本当にクロードが命じたのだ。魔物の反応から悟って、アイリーンは叫ぶ。
「わ、わたくしは行かないわよ!」
「すみません、泣こうがわめこうが連れてこいとの命令でして、アイリーン様に拒否権はないですね」
「ちょ、ちょっと待ちなさい、今のクロード様はそういう性格ではないでしょう!」
記憶がある頃のクロードと違って純情可憐で、こちらが引けばそのまま引いてしまうくらいの奥手のはず。アイリーンの言いたいことを察したキースが苦笑いを浮かべる。
「残念ながら記憶があろうがなかろうが我が主は変わりません。ただ、人見知りが激しいだけですよ。そして、お気に召したものは死んでも離さない」
まさか、アイリーンはあのクロードのお気に入りに入ったとでも言うのか。
(いつ!? どこで!? ひっぱたいたのに!?)
動揺するアイリーンの前に、リュックとクォーツが立つ。
「いくらなんでも横暴です。これじゃ毒殺されてもしかたないですよ?」
「……詫びもなく、このやりようは俺も賛同しかねる」
「非礼はいずれ主が直々に詫びますよ。格好だけでしょうけど」
最初から中身がともなってない。ドニが両手を頭の後ろで組んだ。
「ボクはいいと思うけどなあ。魔王様、アイリーン様をまた好きになったんでしょ」
「今更そんなこと信じられるわけが……っわ、わたくし絶対行かないわ!」
「まあ、そう言わず」
一歩下がったアイリーンにキースが一歩詰め寄る。しっかりせねばと思うのに声が震えた。
「も、もしまたクロード様に会ったら――わたくし、切り落とすかもしれないわよ!」
「どうぞどうぞ。その前にあの顔にやられずにすむなら」
「アイリーン、クル。魔王様、呼ンデルダンス!」
アーモンドのかけ声でアイリーンに詰め寄る魔物達が踊り始めた。懸命にアイリーンの気を変えようとするその姿にどうして心打たれずにいられるだろう。
最後の頼みの綱でアイリーンはアイザックに振り向く。
「アイザック!」
「諦めたら?」
あっさり裏切られた。両手で顔を覆ったアイリーンに、アイザックは無情にも「時間の無駄遣い」と告げ、肩をすくめた。




