22
よろりと馬車にもたれかかったクロードに、遠巻きに見ている魔物達が慌て出した。
「魔王様! 魔王様!」
「王、王、大丈夫か! 死なないでくれ、王……っ!」
「泣くな騒ぐなうっとうしい、ただの馬車酔いだろう。おい酔いざましの薬はないか?」
「あーありますよ、はいこれ」
一人冷静なゼームスがリュックから薬を預かり、それから何かを決めたように一歩踏み出した。その様子を見て、アイリーンは初めて気づく。
魔物達は騒ぐわりに誰もクロードに近寄ろうとしない。まるでクロードの拒絶を知っているかのように、固唾を呑んで距離をとっている。
ゼームスだけがゆっくりと前に進み出る。
クロードが人影に気づいたように、顔を上げ――そして目をむいた。
「オ、ウ……王……助ケル……!」
背後で起き上がった魔物に、アイリーンは振り返る。
だがその時にはもう、最後の力を振り絞るように台車を踏み潰して、魔物が駆け出していた。まだ意識が混濁しているのか、目測を誤ってつまづき、倒れる。その衝撃で、魔物の目の前に気絶したリリアが転がった。
さすがに魔物に殺されてはこちらが困る。リリアめがけてその大きな掌を振り下ろそうとしているのを見て、舌打ちしたアイリーンは地面を蹴ったその時だった。
「駄目だ、殺すな!」
クロードの命令に、ぴたりと魔物が動きを止めた。
立ち上がったクロードが駆け寄り、リリアを抱き上げ、魔物をにらむ。そして一歩もひるまずに、命じた。
「人を傷つけるんじゃない。さがれ」
振り上げた手をおずおずと下げた魔物が、困惑したようにクロードを見て、つぶやきを落とす。
「……デハ、誰ダ? イラナイ人間……王ノ望ミ……」
「――なんのことだ?」
一瞬、脅えるようにクロードの瞳が泳いだ。
その視線を追うように、魔物がふと振り向いて、アイリーンを見据えた。
「オ前カ」
真っ向から視線と敵意をぶつけられたアイリーンは、瞠目する。
「王ヲ、ワズラワセル」
――魔物は、魔王の感情をそのまま反映する。
「王ノ、邪魔。消エロ」
だからこの言葉は、そのままクロードの言葉だ。
(わたくしが?)
魔物が突進してくる。両眼を開いたままアイリーンは動けなかった。とるべき行動などいくらでもあるのに。
(わたくしが、いらない女?)
記憶をなくしたから。もう愛していないから。片思いだから。
もうすぐ、婚約破棄をするから。
「アイリ! 何をしている、馬鹿、動け!」
ゼームスの叫びにアイリーンの唇に歪んだ笑みが浮かぶ。
動いて、なんになるのか。
彼はアイリーンの名前さえ呼ばないのに。
「ウォルト、カイル! そいつを殺せ!」
「……駄目よ。殺しては」
それでも、そう言ってしまう。襲い来る魔物でさえ、慈しみたいと思う。
「クロード様が、悲しむわ」
だって愛している人の、大事にしているものだ。愛されていなくても。
「――馬鹿が」
低い声と一緒に、魔物が地面に沈んだのは、その一瞬のちだった。
「王恋しさに、命令を読み違えるとは」
「……ベルゼビュート……」
長い髪をなびかせて、ベルゼビュートが魔王と同じ美貌をのぞかせる。その赤い瞳でアイリーンを見て、それからすぐにそらした。
「こいつは連れて行く。――王」
ベルゼビュートがクロードの方に向き直り、跪いた。
「我らは、あなたの望みのままに。我らがいらぬというのなら、目の前から消える」
クロードがリリアを抱いたまま、なんとも言えない顔で見返す。ベルゼビュートはそのまま立ち上がり、背を向けた。
そのまま魔物達は、今度こそ昏倒した魔物を森へ運ぶ作業へと戻る。
(……ベルゼビュートはすごいわ)
いらないと言われても、嘆きもせず、ただ尽くす。あれが愛だ。
アイリーンには、そんな真似はできない。振り向いて、両手を組み、わざとらしく明るい声を上げる。
「……クロード様ったら。……魔物に始末させようと思うほど、わたくしが気になってしかたないのですね!」
「っ僕はそんな、君を気にして、など……」
さあ、笑え。
いつも通り、セドリックに婚約破棄を突きつけられた時でさえ、自分にはできたのだから。
クロードが息を呑んだことにも気づかず、アイリーンの目がその腕の中に抱かれるリリアを発見する。
片思いだ。わかっている。筋違いだ。なのに――手が上がった。
ぱんと乾いた音が虚空に響く。
叩かれた頬に手を当てて、クロードが呆然としている。何もわかっていないその顔もまた綺麗で、無性に腹立たしい。
「そんなに邪魔ならええ、消えて差し上げます。舞踏会にだって出ませんから!」
――自分は頭に血が上ると猪突猛進になるところがある。
だが言ってしまったものは引っこみがつかず、アイリーンはじりじりクロードをにらみながら後退し、きびすを返した。




