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「ということですの! ですからクロード様、来週の視察でわたくしを見かけてもあれはアイリーンではないとかばってくださいませね?」
「断る! というかテラスから乗り込んでくるな! 僕に会っているとばれたら処刑だと本当にわかっているのか、君は……!?」
わかっているが、アイリーンがテラスに現れるなり、大慌てで部屋に入れてくれるクロードの優しさがくすぐったくて、思わず飛びついてしまう。
「わかっておりましてよ、クロード様。三日ぶりです、もう起きていて平気ですのね」
「だっ、だから、抱きつくなと……ッなんなんだ君は本当に!」
「あなたの婚約者です」
「破棄する予定だ!」
「まあ、それまでにわたくしなしでは生きていけない体にしてやりましてよ」
にっこり笑いかけたら、ばりっと体を引き剥がされた。そのままクロードは眉間にしわを深く刻んだしかめ面で、遠く離れた長椅子に腰かけて何やら書類をめくり出す。
どうやらアイリーンを無視することにしたらしい。それに胸がときめく自分はおかしいだろうか、いやおかしくない。素っ気ない横顔も愛しい宝物だ。
「クロード様、今日はアップルパイを持ってまいりました」
「いらない、何が入っているかわかったものではない」
「何を読んでらっしゃいますの?」
「君に関係ない」
「お仕事ですか? ならアップルパイに合うお茶を淹れますわ」
「めげないのか、君は……!」
「クロード様が舞踏会でわたくしを婚約者に選んでくださると言うまでめげませんわよ?」
先にめげたクロードが額に手を当ててうなだれる。アップルパイの入った籠を小さなサイドテーブルの上に置き、アイリーンはクロードの横に腰かけた。
するとクロードが距離を置いて座り直したので、すかさず詰め寄る。さらにクロードが一人がけのソファに移動したので、その肘置きに腰を下ろした。クロードが両手で顔を覆って諦めたのを見て、にんまり笑う。
「うふふ、楽しいですわね。昔を思い出しますわ」
「僕はちっとも楽しくないんだが……!?」
「わたくし片思いって初めてですのよ。悪くないですわね」
クロードが微妙な顔でこちらを見たが、すぐに持っていた書類に目を落としてしまう。
なのでアイリーンも一緒にそれをのぞきこんだ。
「――クロード様の字ですわね。これは……司法改革案ですか?」
「わかるのか?」
「ええ。……面白いこと考えますのね、クロード様。たとえ手続きが適正であっても内容が適正ではない法律をはじく……狙いは税制ですか?」
目を丸くしたその顔から、あたりだとわかった。根負けしたようにクロードが口を開く。
「……祖母や父が皇太子の勉強にと持ってきてくれたこの国の資料を読み込んだんだが……租税の徴収は法律で規制されることになっているが、その法律があまりに不平等だ。各領地の裁量に任せすぎているし、経済が悪い時も豊かな時も額が同じだったり、基準も雑すぎる」
「それはその通りですけれど、これは貴族の反発を買いますわよ。特に皇帝についてらっしゃる大物貴族は自分たちが不利になると、きっと怒りますわね」
だから法律がこうなっているのだと暗に口にする。だがクロードは意に介さなかった。
「だからまず司法改革から始める。順番が大切だ。領地の資料もざっと目を通したが、あまりに貧富の格差が激しすぎる。放置すればいずれ問題になるだろう」
まったくもってその通りなのだが、皇帝達はクロードにこんなことを考えて欲しくて資料をわたしたわけではないだろう。見込み違いに内心で失笑した。
(魔王だからと、頭ごなしにクロード様の優秀さを見なかったツケですわ。でも……)
あまりに優秀な者ははじかれる。それは世の常だ。ましてクロードは今、本人に自覚はなくとも籠の中の鳥で、あまりに力がない。
「……クロード様。これを皇帝たちに見せるのはいつ頃ですの?」
「何故そんなことを気にする? ドートリシュ公爵家にやましいところでもあるのか。確か長兄が領主代行をしているな」
「あら、お兄様はそんな間抜けではありませんわ。そうではなくて」
「そもそも君に意見を求めていない。いつこの案を出そうが、僕の自由だ」
そう言ってクロードはアイリーンからその書類を一式隠してしまった。
(……しょうがないわ。お父様がうまくかばってくれると……)
思いたいがあまり期待できない。むしろ突き落としかねない。なぜなら、あの父親はクロードをとても気に入っている。皇帝に危険だと吹き込み内部分裂を煽ってクロードを孤立させ、ドートリシュ公爵家が手を差し伸べるところまで想像できた。
「……クロード様。できるだけわたくしのお父様に近づかないでくださいませね……」
「なんだ、唐突に。言われなくとも、君と婚約破棄するつもりなのにそんな無神経なことはしない。それより君は帰っ――」
ぱたん、と扉の向こうで聞こえた開閉音にクロードが固まった。と思いきやアイリーンの腕をとって素早く周囲を見回し、扉の上半分が硝子窓になっているワードローブを開く。そしてそこにアイリーンを問答無用で押し込めた。
「出てくるんじゃない」
有無を言わせない強い瞳に、アイリーンはおとなしくこくんと頷き返す。すぐにワードローブの扉は閉められ、中は真っ暗になった。




