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「そんなわけでクロード様の髪よ! 大事になさい」
「おお……王……確かにこれは王の髪の毛だ……!」
「魔王様! 魔王様!」
ベルゼビュートが感涙してかかげる黒の毛髪に、魔物達も周囲で涙を流しながらひれ伏している。その光景を見ながら、アイリーンは一息ついてお茶をすすった。クロードの執務室の長椅子は、とても座り心地がよくてほっとする。
「これで魔物達も少しは落ち着くかしら……ゼームス、あなたはあれに加わらないの?」
「断固拒否する。おい、そこまでだ。いい加減やめろ」
眉間にしわを限界まで刻んだゼームスが、髪の毛を囲んで輪になり踊り出す魔物達を追っ払いにかかる。きちんと保管すると言っているあたり、本当は嬉しいのではないだろうか。
「素直じゃないわね。レイチェル、何か甘いものをお願いできる?」
「はい、すぐ用意しますね。紅茶にはレモンをお入れします。お疲れでしょうから」
「そうね……でも安心したわ。あのクロード様は、既成事実さえでっち上げれば落とせる!」
「お前、もう少し魔王様に優しくしてやれよ!」
少し離れた場所から飛んできたアイザックの怒声に、アイリーンはきょとんとした。
「何を言っているの。婚約を維持するのが最優先。捕獲したあとで愛をゆっくりはぐくむわ」
「それ絶対魔王様に言うなよ!? 絶対だぞ!?」
「まーまー、アイザック様。最初からあんな感じでしたよ、ねえベルゼビュートさん」
「王が……王がいるぞキース! ここにちょっと宿っている! お前もたたえるがいい」
「遠慮します。……ま、アイリーン様らしくていいと私めは思いますね」
「いや……らしいとはいえど、普通引くよね……男は案外繊細だよ……?」
横から口をはさんだのはウォルトだ。カイルはなぜか青い顔でうなだれている。
「自分だったらと思うと……落ちるにしても崖から落ちそうな気分だ……」
「失礼ね。わたくしはクロード様に自分の気持ちを伝えただけよ。このまま押して押して押しまくって崖下に突き落とすわ!」
「この際だから言っとくけど、お前、セドリック皇子の時はそれで失敗したんだからな!? 少しは学習しろよ! 追いかけたくなる男心とか計算して少しは引け!」
「わたくしが引く時は、その男がもういらなくなった時だけれど」
しん、と静寂が広まった。レイチェルがぽんと両手を叩いて無邪気に同意する。
「わかります。引いた時になって追いかけられても、気持ち悪いだけですよね」
「でしょう? むしろあれ、どうして追いかけてくるのか謎よ。もうお呼びじゃないのに」
「やめろ、俺達が悪かった……」
アイザックが降参したのを見届けて、アイリーンはエレファスに視線を移す。
「それよりエレファス、あなた盗み聞きしていたの? まさかセドリック様も?」
「盗み聞きというか、大騒ぎだったので聞こえたというか……」
「そう。セドリック様はどんな様子だった?」
「頭痛をこらえてらっしゃいました」
だろうなという視線が集中したが、アイリーンは綺麗に無視した。
「何を考えているのかしらね。わたくしを見逃すなんて……」
「それこそ……追いかけたくなったんじゃねえの。未練あるんだろ、お前に」
がしゃんと音を立ててカップをソーサーに置いたアイリーンは、額に手を当ててつぶやく。
「切り落としてやりたい……!」
「切り落としてやりたいですね……」
「アイリちゃんとレイチェルちゃんの目が本気だ、怖い!」
「そ、それよりこれからのことを考えるべきでは……!?」
おののいたウォルトとカイルが叫ぶ。ふうとアイリーンは気を取り直した。
「つまり、どうやってクロード様にこのクッキーを食べさせるかね」
「普通に口説く気が皆無なんだな、お前……魔王様に同情するわ、俺……」
「いいんですよ、アイザック様。我が主の貞操などあってないようなものです」
「それもひどくないかキース殿!?」
「お、そこそこそろってるな。ちょっといいかね、オジサンから報告」
ウォルトとカイルの後ろの扉から、ひょっこりジャスパーが顔を出した。
皆の注視を受けて、手帳を開き、早速報告を始める。
「近いうちに皇太子殿下が第三層を視察するって話が持ち上がってる」
「視察? ……市民向けへのパフォーマンスかしら、こんな時に?」
「こんな時だからこそだろうなーセドリック皇子とリリア男爵令嬢も一緒って話だから皇族の結束を示すためとオジサンは見た。要は、民衆へのアピールと他国への牽制」
舞踏会の開催予告と一緒に、すでにクロードが魔力を失ったことは公表された。記憶喪失の件も発表されており、皇太子は大丈夫なのかという懸念の声も上がっていると聞く。
(……クロード様が気にされるのも無理ないわね。本当は記憶喪失で不安でしょうに……)
でもあの人は、自身の不安より民の不安を解消しようとするだろう。
キースが首をかしげながら、ジャスパーにお茶を差し出した。
「私めは何も聞いておりませんね。それ、公的な視察ではないんですか?」
「最初、お忍びだったんだよ。リリア様が自分の治める国を見るべきだって勝手に計画したらしくってな」
眉根がよってしまった。視察をするのはいいことだが、手順が思い切り間違っている。
(相変わらず……いえ、違うわね。今の彼女がそれだけで無茶を言うとは思えない)
ゲームにあるのだ、そういうイベントが。そこでなんらかのフラグが立つ。だから決行しようとしている、そう考えるのが妥当だろう。
それがなんなのかはわからないが、予想することはできる。FDのクロードに常に降りかかるのは魔王という記憶の影か、ラスボスであるエレファスの仕掛けだ。
ちらとアイリーンはエレファスを見た。




