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「――あそこね」
うっそうと茂る木々の間に隠れている屋敷を確認したアイリーンは、双眼鏡をぽいと隣のエレファスに投げた。上手に受け取ったエレファスが今度は双眼鏡をのぞきこむ。
「ああ……確かに聖なる結界で守られていますね、あの屋敷。よく見つけましたね」
「うちの空軍は優秀なのよ」
皇城のはずれにある谷間の隠れ屋敷が突然、聖なる力で包まれた。アーモンド達が皇都を飛び回って見つけてきた、明らかな異変だ。
見た目も質素で周囲の木々に隠れているのは、有事の際の皇族達の隠れ場所として建設されたからだ。おそらく皇城のどこかからつながっているのだろう。すぐそばの洞窟には小さな桟橋もある。見えないが奥には船もあるのかもしれない。
「確かに、魔物達を近寄らせたくないなら確実な方法よね。でも聖なる力は人間にはきかないのよ? 皇城からの入り口を見つけるのは不可能でも、外からいくらでも侵入できるわ。わたくしをなめているのかしら」
「……普通、こんな崖を飛び降りようと考える人間はいないからでは?」
双眼鏡から目を離したエレファスが、目下の断崖絶壁を見て微笑む。びゅうびゅうと谷間からは風を吹き上がっていた。落ちれば確実に死ねる高さだ。
「さらに言うなら、男装してくるというのも向こうの想定外かと」
真顔で進言したエレファスに、アイリーンは自分の姿を見下ろした。髪はかつらで隠し、衣服は皇城で見かける見習いの騎士服だ。軽装だが帯剣もしている。
「だって今、クロード様の警護に騎士が大勢配備されてるという話じゃない。なら、紛れ込むならこの格好が一番ではなくて? あ、わたくしのことはアイリと呼んで」
「そういう問題ではなく……そもそも会ったことがばれれば処刑されるとわかっていて、まったくそれを躊躇しないというあたりにも問題があります」
「何度も言ってるでしょう。このまま手をこまねいていれば一緒よ。クロード様は舞踏会でちょっと綺麗に着飾ればころっと転ぶチョロい御方ではないの!」
「その発言は禁止だとアイザック様に言われていたような」
「ゼームス達の前ではでしょう。今ここにはあなたしかいないじゃないの」
おいやめてやれ、アヒル戦隊が死ぬ――とアイザックに言われた意味はよく分からないが、そのせいで別のことを思い出した。
皇帝との謁見内容を聞いたベルゼビュートは憤り、悲しみ、泣き出した。ゼームスはまだ冷静に見えたが、内心の動揺を隠せておらずうろうろしていた。完全な情緒不安定だ。それでも魔物達がまだおとなしくしているのは、必ずクロードを見つけると約束したからだ。
しかしそれもいつまでもつかわからない。現に行方知れずになっている魔物達がいる。特に気性の荒い魔物は何をするかわからない。クロードを取り返そうと人間を襲ったら、こちらに攻め込む口実を与えてしまう。その前になんとかしなければいけない。
「じゃあ行くわよ、風の魔法をお願い。結界はわたくしが聖剣を壁に変えて通り抜けるわ」
「本当にいいんですか? 飛び降りるのに失敗したら死んでもおかしくないですし、何より見つかったら皇帝の勅命違反で処刑されるんでしょう。それはアイリーン様だけじゃない、おそらくアイリーン様に味方する全員が――」
「まさかクロード様がいなくなって、わたくし達についたことに尻込みしているの?」
ベルゼビュートとゼームスには魔物達をおさえてもらい、ウォルトとカイルは異変があった場合にすぐ対処できるよう森の城の警備にあたってもらっている。ジャスパーとキースはそれぞれの方面から情報収集を、オーギュストはいつも通り聖騎士団に勤務することで魔物達が暴れ出したらすぐさま情報が回るようにした。他の面々はアイザックの頼みをこなしているようなので、任せておけばいい。
その中でたった一人、アイリーンはエレファスを連れに選んだ。まだ新参者で周囲になじめないだろうという配慮だけではない。
(きちんとエレファスを味方につけないといけないわ。FDのラスボスはクロード様を魔王に戻そうとする。記憶喪失に関して何かヒントを持っているかもしれないし……)
それにエレファスはとても疑わしい。現にアイザックとゼームスは疑っている。エレファスが現れたその直後にクロードが記憶喪失になったのは、本当にただの偶然なのかと――エレファスは皇帝側、あるいは敵対する勢力の間諜なのではないかと。
つまりアイリーンは記憶を失った1のラスボスであるクロードと、FDのラスボスであるエレファス。厄介なこのラスボス二人を、恋愛的にあるいは忠誠心的に攻略せねばならないのである。
もちろん恋愛攻略対象はクロードなので、エレファスには君主の妻として振る舞う。
「さっさと腹をくくりなさい。わたくしはあなたを信じているのよ」
「新参者の俺をですか?」
「そうよ。クロード様が信じると決めたのだもの、当然でしょう」
エレファスが微妙な表情を浮かべた。しかめ面でも、笑顔でもない。その顔の前に人差し指を立てて、アイリーンはにっこり笑う。
「今更、逃がさないわよ。処刑される時はわたくしと一緒に首を落とされなさい」
エレファスは無言だ。その内心をアイリーンは読めない。だが、上に立つ人間がぶれてはいけない。
(クロード様ならエレファスが裏切っていようがそばに置いたわ)
クロードがいないなら、アイリーンがそれをやってのけなければならないのだ。
やがてエレファスが、ゆっくりと頭を下げた。
「ご随意に」
「じゃあ行くわよ」
屋敷の方だけを見て、崖の先へ踏み出した。
エレファスが小さく何か呪文らしきものを唱え、風が落下速度を和らげる。
屋敷はあっという間に近づいてきた。アイリーンは胸の内に呼びかける。
(聖剣)
わずかに胸の辺りが熱くなる。聖剣はそのままアイリーンの望みどおり、手をつないだエレファスとアイリーンを薄い膜で包んだ。隠れ屋敷を守っている結界と同じ濃度の膜は、はじかれることも反発することもなく、するんと抜けてしまう。
「さすがですね。奪ったものとは思えないほど、使いこなしていらっしゃる」
「そうでもないわ。言うことをきかない時は、折ってやろうかと――あ」
役目は果たしたとばかりにいきなり聖剣の護りが消えた。地面が近いからとエレファスが術の力を緩めたのもタイミングとして悪かった。
「ちょっと聖剣ーッ!」
「アイリーン様!」
木の枝に引っかかったアイリーンのマントが体重に引っ張られてびりびりと音を立てる。
咄嗟にかつらをかばって受け身をとれなくなったアイリーンを、背中からエレファスが抱き留め、そのまま地面に尻餅をついた。
「い、たたた……エレファス、無事?」
「は、はい。アイリーン様こそ大丈夫ですか、どこかお怪我は」
「平気よ。な、なんか最近聖剣が意思を持ってきてる気がするわ……聖剣が勝手に出てきてヒロインの身を護るとかそういう展開は見たことあるけれど……!」
まさか魔剣呼ばわりされるから、性格がひねてきたのか。それとも持ち主がリリアではないことが不満なのか。いずれにせよ、生意気である。
「ヒロイン?」
「気にしないで。それより、早く屋敷に入りましょう」
「……何の騒ぎだ?」
その声に、芝生に手をついたばかりのアイリーンは頬を引きつらせた。
(セ、セ、セ、セドリック様!)
金髪の髪をゆらした元婚約者は、ちょうど庭に出てきたところだった。慌てて跪くと、エレファスもそれにならう。
(男装しているから見破られないとして、うまく言い訳しないと――)
「何をしにきたんだ、アイリーン」
一瞬呆けたあとで、ひっくり返った声を出した。
「な、なんのことでしょう?」
「お前のことだ。また男のまねごとか。それでもお前、公爵令嬢か」
完全にばれている。しかも一発で見破られるとは、まさかの幼なじみ補正か。
(大丈夫、まだ事態収拾は可能よ……セドリック様の口を封じればそれで終わる!)
容赦など一切する気はない。元婚約者に血も涙もないことを考えたその時だった。
「どうせ兄上に会いにきたんだろう。ついてこい」
「へっ?」
殴るための拳を握っていたアイリーンは顔を上げる。セドリックは馬鹿にしたようにアイリーンを一瞥して、きびすを返した。そのまますたすたと歩き出す。
「どうされますか?」
「……行くしかないでしょう。もしセドリック様が騒いだら容赦なく昏倒させてちょうだい」
エレファスが小さく頷き返す。
立ち上がったアイリーンは破れたマントを取り、適切な距離を保ってセドリックのあとに続く。愛していた元婚約者が何を考えているのか、興味がないと言えば嘘だ。
でもそれより今は、一瞬でもいい。クロードの顔が見たかった。




