7
「リリア。まあ、セドリックまで、どうしたの」
「アイリーン様がいらっしゃってるって聞いて、私、いてもたってもいられなくて……!」
「御前、失礼いたします皇帝陛下、お祖母様。――リリアがどうしてもと言うので」
リリアはセドリックを置いて、無邪気に玉座を駆け上がる。
ルドルフはそれを冷ややかに見ていたが、何の苦情も上がらないので沈黙を選んだようだった。アイリーンも、ここで無礼だなんだと騒ぎ立てるようなことはしない。
皇帝だけが眉をひそめる。
「リリア・レインワーズ。ひかえよ。そなたがここに上がることはならぬ」
「いいえ、黙っていられません。お祖母様。アイリーン様はクロードお義兄様の婚約者だったんです。それをいきなり別れさせるなんて、可哀想だわ。ねえ、会わせてあげて」
アイリーンは限界まで眉をしかめた。
(何を考えてるの、この女……!)
リリアにすがられたララが、小首をかしげる。
「なりませんよ」
「そんなことおっしゃらないで。ねえ、一目だけでも」
「そうですよ、お祖母様」
横にきてセドリックがそう言った。驚いてアイリーンはその横顔をまじまじと見る。
「記憶を失った途端の婚約破棄は、こちらの痛くもない腹を探られます。この女と兄上は仲睦まじいことで有名でしたから」
「そうよ! せめて舞踏会には招待してあげて。私達がアイリーン様を仲間はずれにしていると思われてしまうわ」
思われてしまうもなにもまったくもってそのとおりなのだが、まず皇帝が考えこむ。そのあとでララが目を細めて、決断した。
「わかりました。では、舞踏会には招待してあげましょう。ですがそれだけよ。もしそれ以外でクロードに会おうものならば、皇帝陛下の勅命に背いた罰でその娘の首をはねます。魔物に与する人間の敵としてね。もちろん、管理不行き届きでドートリシュ公爵家もただではすませませんよ」
ララの瞳に、罠にかかる獲物を待つような笑みが浮かぶ。
「たった一度の舞踏会で何ができるかしら。みっともないことにならないといいけれど」
「あら大丈夫よ、お祖母様」
ララにすがりつくようにしていたリリアがこちらに振り向いた。
唇をゆがめて笑う。アイリーンを見下ろして、楽しそうに。
「アイリーン様は、主人公なの。こんな設定なんかに負けないわ。ねえ?」
――私はプレイヤー。薔薇の香りが噎せ返る夜の言葉がよみがえる。
(……そう。そういうことね)
思わず、笑みが浮かんだ。
1のFDで、死んだはずの魔王クロードは攻略キャラクターとして再登場する。実は生きていたのだが魔力も記憶もすべて失っており、一人の人間としてヒロインの前に現れるのだ。
かつて魔王であったことを知っているヒロインはクロードを気にかけ、自分の名前すら思い出せないクロードはヒロインに助けられ、やがて恋に落ちていく。その恋は再度魔王に堕ちそうになるクロードを救う――というのがFDの大まかなクロードルートだった。
そう、FDは1でラスボスだったクロードを何のルート解放条件もなく攻略できる。
そしてヒロインはもちろん、1のヒロインだったリリア・レインワーズ。
アイリーンと同じ前世の記憶を持った少女――今、玉座からアイリーンを見下ろすこの少女だ。
立ち上がったアイリーンは、まっすぐにリリアを見返した。
ゲームはもう始まっている。腹は決まった。いっそ礼を言いたいくらいだ。
「ええ、リリア様。二度目はないと、申し上げておきますわ」
「ふふ、そうよね。そうこなくちゃ、アイリーン様。尻尾を巻いて逃げるなんてだめよ」
新しいおもちゃを手に入れたような瞳で、リリアが口端を持ち上げる。
アイリーンは瞳を一度伏せてから、公爵令嬢らしい微笑を作った。
「舞踏会への招待、喜んでお受けいたします。心配なさらないでください、皇太后陛下のお手を煩わせるようなことは致しませんわ」
「だといいのだけれど」
「それと一言、申し上げたいことが御座います。皇帝陛下」
あえてそちらに呼びかけた。胸に手を当てて美しく微笑む。
「クロード様がご無事である限り、魔物達はわたくしが押さえておきます」
「……何が言いたいのだ?」
「クロード様の記憶が戻った時、お怒りを買わないための当然の措置です。気に病まれることはありませんわ。魔王の妻の仕事ですから」
魔物に手を出すな。自分を無碍にすることなど許されない。クロードに記憶が戻り、魔王に戻った時のことを畏れろ。
脅しは伝わったらしい。苦々しい声が返ってくる。
「そなたはまだ息子の妻ではない」
「あら、そうですわね。気が早いことを申し上げましたわ」
「生意気だこと。妾にひねりつぶして欲しいのかしら」
無邪気な少女の皮を剥いで、ララが微笑んだ。それに可憐に微笑み返す。
「社交界の華と名高い皇太后陛下直々に? 光栄ですわ。それでは御前、失礼いたします」
「アイリーン様」
小鳥のようにかわいらしい声で、リリアが最後に呼びかけてきた。
たのしませてね。
唇だけをそう動かしたリリアと視線を交差させて、アイリーンはきびすを返した。
■
足取りが軽い。機嫌も気分もとてもさわやかだった。
(ふふ。ここが現実だっていうなら、なんて残酷なのかしら? アイリーン様、可哀想)
愛し合っていた恋人に忘れられて、二度目の婚約破棄も目前。それもゲームの設定だからそうなったなんてばかげた理由だ。
それでも立ち向かってくる彼女を、リリアはとても素敵だと思う。どんな逆転劇を見せてくれるのかと思うと、ぞくぞくする。
多分、これが生きているという実感だ。
「いいのか、リリア。アイリーンを追放してしまわなくて」
謁見の間の外で待っていたマークスが眉をひそめて尋ねた。リリアは眉をよせる。
「クロード様と婚約していたのに、こんな展開はあんまりだわ。クロード様を魔王に戻すわけにはいかないってみんなの不安はもっともだけど、せめて会わせてあげたいの」
「……リリアは優しいな。だがドートリシュ公爵家を孤立させる機会を逃したんだ。レスターはきっと怒るぞ」
怒りっぽい参謀キャラの名前に、リリアは困った顔を作った。
「どうしよう。でもマークスも共犯よ? ここまで連れてきてくれたもの」
「それは……まあ、そうなる……か」
「ふふ、みんなで一緒に怒られましょ。ね、セドリック」
反応が一拍遅れた。
リリアが言うままにアイリーンが舞踏会に出席できるよう進言した婚約者が、慌てて笑顔を見せる。
「あ――ああ、そう……だな。……」
「どうしたの、セドリック。何か心配ごと?」
「――ああ。あの兄上を襲ったのは誰かが気になってな……」
歯切れの悪い回答に、ああとリリアは内心で納得した。
(優秀な兄に私を取られてしまわないか、不安だというわけね? ほんと、器の小さい男)
だが、セドリックの婚約者でいることはとても大事だ。
彼のルートは皇妃になる都合上、ハーレムルートに一番近い構成になっている。それに第二皇子の婚約者の地位は、遊ぶためにはとても大事なものだった。
「そうね……でも平気よ。私にはセドリックもみんなもいるもの」
一瞬で最適解を叩き出すと、マークスは苦笑いを浮かべ、セドリックも口元を緩めた。
はりつけた笑顔の裏で嘆息する。アイリーンにくらべてなんてつまらないキャラ達だろう。
(やっぱりアイリーン様が今、一番の推しキャラだわ。ああ素敵)
「……リリア。戻ってきたのか」
手元の本を閉じ、寝台で上半身だけを起こしたキャラが振り向く。
自然とリリアの頬に笑みが浮かぶ。多分、心から。
「クロード様。起きていて大丈夫ですか?」
「ああ。セドリックは……?」
「あ、他の皆さんと話があるって。あとでくると思いますよ。心配してましたし」
窓を開け、外の風を取りこむ。白いカーテンと黒髪が揺れた。
「気分はどうですか。何か思い出したりしました?」
クロードは、そっと長い睫を伏せた。その瞳の色は、黒。もう赤ではない。
「……すまない。何も……わからないんだ。思い出せない……迷惑をかける」
「いいんですよ、クロード様。私達は家族です。急ぐことはないんですよ」
「……家族……」
「私がクロード様を守ります。もう絶対、魔王になんてさせません」
ぎゅっとその頭を抱き締めると、クロードがためらいがちに背中に指で触れる――フラグどおりに。
「ありがとう、リリア……記憶を失いはしたが、君たちに出会えた僕は、運がいい」
高笑いしたい気分をこらえ、リリアはクロードの頭を抱いたまま唇だけで笑う。
だが油断などしない。的確に正確に丁寧にフラグを立て、心をこめて恋に落とそう。
(アイリーン様は主人公だもの。ちゃんと追い詰められて、苦しまなくっちゃ)
魔王クロードと結婚した悪役令嬢は幸せに暮らしました。めでたしめでたし。――それでおしまいだなんてつまらなくて、誰も望んでいないのだから。




