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サクラ、サク  作者: 宙埜ハルカ
第四章:夏休みは修羅場
76/80

76.もう一度初めから【咲良視点】

「そうだね。高校三年間で乗り越えられたと思う。大学まで茉莉江のお世話になれないから、最初は言い寄られるのを断るのが精一杯だったけど、今はやんわりと上手く断る事ができるようになったよ。なかなか恋愛とか誰かと付き合うとか考えられなかったけど、咲良の事がだんだん気になるようになったんだ。本当はあんな風に彼女のフリをして欲しいなんて言うつもりじゃなかったんだ。でも、経験値の低い僕は上手く言えず、咲良を誤解させてばかりだったよね。本当にごめん」


 (え? どうしたの?)


 いつも自信と余裕有り気な雰囲気だった駿とは思えない言動で、咲良は戸惑った。この外見と人当たりの良さと、頭脳や運動神経も良いオールマイティで王子様な駿が、経験値が低いからと言うのは、経験さえ積めば恋愛さえもオールマイティになれると言う事で、咲良には到底敵わないレベルだ。


「ううん、私も経験値が低いから、良く分かっていなかったの。私の方こそごめんなさい」

 駿の謝罪に首を横に振ると、咲良も同じ様に頭を下げた。すると駿がニッコリ笑った。


「じゃあ、お互い様と言う事で、姉達の問題も解決したし、これまでの事は水に流して、もう一度仕切りなおしたいんだ」

 仕切りなおし? と咲良は頭の中で繰り返すと、訳が分からず首を傾げる。そして駿は、大きく深呼吸をした。


「山野咲良さん、僕と付き合ってください」 


 目の前で頭を下げている駿を見て、咲良は驚きと共にきょろきょろと周りを見回す。こう言う事が自分に起こるはず無いと思っている咲良は、無意識に他の誰かを探してしまった。

 もちろん誰も居るはずが無く、咲良はもう一度駿を見て、目をぱちくりと瞬いた。どんなに瞬いても消える事が無いのを見て、今度は自分の頬を(つね)ってみる。地味に痛い。咲良は益々困惑した。


「い、石川君、もしかして、私に言ったの?」


「もちろん。咲良しかいないだろ?」


「でも、でも、石川君なら、経験値を上げればもっと素敵な彼女が出来ると思うよ」


 (そうそう、私なんて、経験値を上げるための踏み台にしかならないよ)


「僕は咲良がいいんだ」

 えっ? と音にならない驚きの声を上げ、咲良は固まった。


 (これって、イケメン彼氏と愛されヒロインの王道物か)


 咲良の脳内では現実逃避の妄想が過ぎった。



「咲良は僕の事憧れているだけ? 付き合いたいと思う程好きじゃない?」

 駿は身を乗り出すと、咲良の顔を覗き込むように問いかけて、首を傾げる。


「いや、あ、あ、あ、あの……」

 咲良は駿の顔が近づいて来るのに驚いて仰け反り、頭の中はすでにパニック状態だった。


「お兄さんのためなら付き合えるのに、本当に付き合うのはダメ?」

 駿は追い討ちを掛けるように、又一つ顔を近づけ問いかける。


「いや、で、でも……ど、どうして、私なの、かな?」

 咲良は憧れの王子にそんな事を言ってもらえる理由が分からなかった。


「咲良はこうと決めたら一生懸命だろう? 一番驚いたのはQ大に一般入試で入った事かな。好きな作家の講義を受けたいって思いだけでは、なかなかそこまで努力できないと思うよ。それに、姉達の誤解を解くために、咲良は凄くがんばってくれたよね。アルバイトでもそうだし、サークル活動でもそうだと思う。それに、僕に対しても、凄く控えめに接しているだろう? そんな所も良いと思うよ。でも、これからは、控えていないでもっと仲良くなりたいけどね」

 駿の話を聞きながら、咲良はドンドン顔が熱くなってくるのを感じていた。


 (こんな事、訊かなきゃ良かったよぉ)


 ついに咲良は俯くと両手で顔を覆った。絶対に今、顔は真っ赤だと思うと、穴があったら入りたいほどだった。


「咲良、大丈夫?」

 いつの間にか咲良の隣に座った駿が、覗き込むように尋ねる。近くから聞こえた声に咲良が驚いて顔を上げると、ニッコリと笑った駿の笑顔がズキュンと胸を貫いた。

 一瞬見惚れた咲良は、すぐに我に返り「だ、大丈夫だから」と答えると、わずかに駿と反対側に身体をずらした。途端に椅子から転げ落ちそうになった咲良は、駿の咄嗟に伸ばした腕に抱き込まれ、事無きを得た。


「これだから咲良は目が離せないな」

 駿は咲良を抱き込んだまま、笑い出した。咲良は恥ずかしさで居た堪れなかったが、駿の腕を振りほどく勇気も無く、身を小さくするしかなかった。

 ようやく駿が腕を解いて、咲良に向き直ると真面目な表情になった。


「咲良、本当に僕は咲良と付き合いたいと思っている。この気持ちをなんて言ったら良いのか分からないけど、恋愛と言う意味で咲良に惹かれていると思う。だから、付き合ってください」

 再び頭を下げる駿を前にして、咲良はここまで言われて、その内に飽きられるだろうと頭のどこかで思っていても、頷くしかないだろうと困惑しながらも自分に突っ込む。

 咲良だって、もう見る事も出来なくなるのが辛くて、あの受験を乗り越えてきたんじゃないか。好きだから、ここまで頑張れたんじゃないかと、自分自身を説得する。


 咲良は心の中で深呼吸すると、「石川君」と呼びかけた。

「本当は、石川君がQ大へ行くって知ってから、Q大のホームページを調べて飯島先生が講義されている事を知ったの。だから、私がQ大へ入れたのは石川君のお陰。それから、高校の三年間、石川君の存在に励まされて、幸せな気持ちに勝手になっていたの。だから、そんな石川君と付き合うなんて恐れ多いって思った。だけど、私の事を認めてくれて、そんな風に言ってくれて、とても嬉しかった。こんな私だけど、宜しくお願いします」

 咲良は頭を下げながら、一生分の幸運を使ってしまったかも知れないと思った。けれど、嬉しさに笑みが込上げる。


「咲良、ありがとう。僕の方こそ宜しく」

 そう言って駿が右手を出す。咲良は握手だと思って右手を出すと、手をつかんで引っ張られ、立ち上がった。


「さあ、そろそろ行こうか」

 駿がそう言って歩き出した時、携帯電話の着信音が鳴った。駿が慌ててポケットから取り出すと、「茉莉江だ。ちょっと待って」と繋いでいた手を離して少し距離を取ると電話に出た。



「茉莉江、どうした?」

「今? 咲良と森林公園にいるんだ」

「ごめん、ごめん。でも、今日本当は咲良もお客さんの予定で、僕が相手をする事になっていたんだよ」

「え? 姉さんが?」

「わかった。すぐに行くよ」


 相手の声は聞こえないが、駿の話す声は聞こえてくるので、咲良は聞くともなしに聞いてしまった。


 (神崎さんに私の事、あんな風に話しているんだ)


 それで自動車学校であんな事訊いてきたんだと、咲良は今になって納得した。



「咲良、今から一緒に自宅へ行こう」


「ええっ、どうして? 」

 ドタキャンしたパーティへ、平気な顔して行ける訳がない。


「僕も詳しい事は分からないけど、姉さんと咲良のお兄さんが大変な事になっているらしい。だから咲良も一緒に行こう」


「でもでも、病気でドタキャンしたのに……」


「大丈夫。僕がちゃんと説明するから」

 久々に聞いた『大丈夫』だったが、駿の真剣な眼差しに、咲良は思わず頷いていた。


       

  *****


 駿の自宅は、咲良が想像していた以上に大きな家だった。何台も停められる駐車場に車を入れると、咲良は駿に手を引かれた。

 緊張のためか早い心臓の鼓動を感じながら、咲良の脳裏は『どうしよう、どうしよう』の言葉で埋め尽くされる。


「咲良、大丈夫だから」

 振り返った駿の笑顔に、咲良はどうにか引きつった笑顔を返した。


 母屋の建物の横を通って裏庭へ行くと、良い匂いが咲良のお腹を刺激する。


「美味しそうな匂いだね」 


「そう言えば、何も食べていなかった。咲良は?」


「私もまだ……」


「じゃあ、先に食べる?」

 咲良は駿の能天気な誘いに驚いた。


「でも、まだ挨拶もしていないし、それより、お兄ちゃん達が大変だって……」


「ああ、そうだった」

 駿はそう言うとクスクス笑っている。しかし、咲良にとってはそれどころじゃない。

 裏庭を見渡せば、テントを張ってバーベキューを焼いているブースがあり、母屋の大きく張り出した庇の下のテーブルでは、複数人のお客と思わしき人々が食事しながら歓談している。ガラス張りの部屋の中では、もう食事を終えたのか、子供達が遊んでいるようだ。

 咲良は兄や両親の姿を求め、キョロキョロと視線を彷徨わせる。


「咲良、こっちだ」

 再び駿に手を引かれ、建物の中へ入って行くと、子供達の中に茉莉江がいた。


「茉莉江、姉さん達はどこ?」


「もぉー、駿遅いよ。もう修羅場は解決しちゃったよ。あ、山野さん、やっぱり駿と付き合っているんだよね?」


「さっき、いろいろ誤解を解いて、改めて付き合うことになったんだ。咲良は恥ずかしがりだから、からかうなよ」


「いやー、駿、おめでとう。これでお姉ちゃんも肩の荷が下りるわ」


「何が肩の荷だよ。でも、まあ、いろいろありがとう」


「ははは、そんなの気にしなくて良いよ。でも、駿は乙女心が分からないから、山野さん、嫌な事があったら、私に言ってね。メールアドレスも交換しているし」


「はぁ? 茉莉江、何を言っているんだ。咲良、茉莉江の言う事なんか聞くこと無いぞ」

 二人のテンポの良い会話に口を挟めず、咲良は只唖然とその様子を見ていた。


 (ああ、高校の時のお似合いの二人のイメージが……)


 咲良は只々、残念であった。




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