69.過去への追想【王子・駿視点】
駿が留美と付き合う事になったのは、中学三年の一学期だった。
彼女は中学二年の時、都会からの転校生で、田舎の中学には居ないような垢抜けた美少女だった。それでもそれを鼻にかける事も無く、すぐに周りに打ち解け、男子にも女子にも好かれていた。
その頃駿は、バスケットボール部で徐々に背が伸び始め、女子に人気が出始めていた。元々外見は良かったが、中身は至って普通の田舎の男子中学生だった駿は、モテ始めて戸惑った。
そんな時に、五つ上の姉と同い年の従姉妹の茉莉江に、モテていい気になるなと諭され、付き合うのなら好きになった子にしろと忠告を受けた。
だからどんなに告白をされても、駿は断ってばかりいたからか、男子からは妬まれたり、嫌味を言われたりしたが、仲の良い友達が居たから気にしなかった。
留美の事は転校してきた時に、皆が騒いでいたから知っていたが、クラスが違ったので話すことも無かった。しかし、中学三年生になり同じクラスになると、出席番号が並んでいる事もあり、良く話をするようになった。
駿にしてみれば、身近に気の強い姉と従姉妹が居るせいで、留美の天然系の明るさに癒されていた。
そんな時に留美から告白された。
「転校してきた頃から、石川君に憧れていたの」
頬を染めながら言う彼女の可愛らしさに、駿の心は一気に引き込まれた。
駿にとっては初めての恋。初めての男女交際。中学生の甘酸っぱい、恥ずかしさの伴うお付き合い。
一緒の登下校、休み時間の会話、ランチタイムのお弁当と二人きりばかりではなかったけれど、駿は充分満足をしていた。
そんな彼女が変わり出した切っ掛けは、高校受験だった。
中学三年生の一学期は、まだクラブもしているからか、受験の事は分かっていてものんびりとした空気が流れていたのは、田舎ゆえだったのか。
それでも夏休み前には、受験する高校の希望調査が行われた。
駿の希望校はすでに決まっていた。姉と兄と同じ県下一番の進学校だ。そして、留美は地元の普通科高校だった。
二学期に入ると、徐々に受験色が濃くなっていった。
中間テストを前にして、瑠璃は駿に一緒に勉強しようと自宅へ誘った。家人のいない自宅に、駿は初め家に上がっていいのだろうかと躊躇したが、家人の了解は得ているからの言葉で、ドギマギしながらお邪魔した。
最初は真面目に勉強をしていたが、休憩しようと彼女が立ち上がろうとした拍子によろけ、駿は彼女を抱きとめた。すると彼女が駿に抱きつき、二人揃ってベッドへ倒れこんでしまった。
慌てて飛び起きる駿と、尚も抱きついてくる彼女。そして駿を見上げた彼女が目を閉じた。
経験の無い駿でも、思春期真っ只中の男子だ。性的な事に興味がない訳じゃない。試験勉強の事が一瞬頭から飛んだ。
それでも真面目な駿は、姉や従姉妹に釘を刺されている事もあって、自分から行動に移せない。もじもじしていると彼女の方が積極的になった。
中間試験が終わり、その結果に駿は落ち込んだ。散々な結果だったのだ。先生まで心配されたが、いつも忙しい両親には話せなかった。
その頃、両親は会社を引き継ぎ本社移転したばかりで、自宅に帰って来られない事も多かった。だから、駿の変化に気付かなかった。
駿にはこの結果の原因は良く分かっていた。試験前のあれやこれで、勉強が手につかなかったのだ。自業自得とはこの事で、駿は大いに反省した。
こんな事では希望校に入れないと思った駿は、自分の未熟な心を惑わす原因からしばらく遠ざかる決心をした。
それでも留美に会ってしまうと決心の鈍る自分が情けなかった。
「駿君、大丈夫だよ。私と同じ高校なら絶対入れるから。一緒に高校へ行こう」
落ち込んでいる駿を慰めるように言った留美の言葉に、駿は驚いた。
「え? 何言って……」
ニコニコ笑いながら言う留美の言葉に、駿は唖然とした。
「私、駿君と同じ高校へ行くの、夢だったんだ」
夢見るようにウットリと言う留美を、駿は信じられない思いで見つめた。
「僕は行きたい大学があるから、諦めたくないんだ。だからどうしても第一希望の高校へ行きたい。だから、頑張るよ」
駿は留美の甘い言葉に流されなかった。留美はきっと自分を慰めるために言ったんだと、駿は思った。頑張る姿を見せれば、応援してくれると信じていた。
「駿君、私の事、好きじゃないの?」
「えっ?」
「だってそうでしょ? 好きなら一緒の高校へ行きたいって思うのが普通でしょう?」
留美は当然のように言うが、駿には分からなかった。それよりも自分の行きたい高校へ行くことが、どうして理解されないか分からなかった。
「留美、君を好きな事と行きたい高校の事は、僕は別物だと思う。だから、僕は第一希望を変えるつもりはないよ」
駿がきっぱりと言うと、留美は泣き出した。
「駿君、どうして分かってくれないの? 私はただ一緒の高校へ行きたいだけなのに」
駿は泣き出した留美をどうしていいか分からなかった。駿の身近な女性達は、男の前で泣くような女がいなかったから、どう慰めればいいか分からなかったのだ。
駿はオロオロしながらも、それなら留美が駿と同じ高校にすればいいじゃないかとの愚痴めいた思いが心を過ぎる。
「ごめん。 留美がその高校へ行きたいように、僕だって自分の希望の高校へ行きたいんだ。それが違うのなら、仕方ないと思う」
駿は正直な気持ちを言った。すると留美はキッと顔を上げた。
「駿君、駿君の希望する高校に一緒に行きたい人がいるんでしょ! だから、私がこんなにお願いしているのに、そんなこと言うんだわ」
強い口調で言う留美はもう泣いていなかった。
「何言っているんだ。そんな人居るわけないだろ。ちょっと落ち着けよ」
留美のきつい眼差しと言葉に、怯んだ駿は慌てた。どうしてそんな思考になるのか、未熟な駿には全く分からなかった。
「でも……駿君」
潤んだ瞳で見上げた留美が、いきなり抱きついてきた。駿は驚きのあまり「うわぁー」と声を上げてしまった。そして、この甘い罠に嵌ったら希望の高校へ行けなくなると、駿は留美の体を押し返した。
「駿君、私の事、嫌になったの?」
「いや、そうじゃないけど……。僕はどうしても第一希望の高校へ行きたいんだ。今は受験の事だけを考えたい。だから、受験が終わるまで離れていよう?」
駿は目の前の甘い罠をあまり視界に入れないよう、顔を逸らした。それが余計に留美を怒らせた。
「駿君の嘘つき! 他の人が好きになったんでしょ。駿君はモテるから、いくらだって彼女が出来るものね。いいわよ。私だって、一緒の高校へ行こうって言ってくれる人は沢山いるんだから」
売り言葉に買い言葉だろうけれど、中学三年の未熟な駿には、相手の心の裏側まで読み取る力は無かった。
また、留美の方も未熟ゆえ、見栄を張って、相手を後悔させてやろうなどと短絡的に考えた。そして駿の反応は、彼女の思惑の真逆だった。
「ごめん。僕には留美の夢を叶えて上げられないよ。本当にごめん。これで終わりにしよう」
駿はそう言いながら立ち上がり、留美の家を後にした。背後から「駿君のバカ」と叫ぶ声が聞こえていたが、駿は振り返らなかった。
駿は言いようのない違和感があった。
(どうして、好きなら一緒の高校へ行きたいと思うのが普通なんだよ!)
心の中で悪態を吐きながら、駿は留美から遠ざかって行った。
しかし、駿の初めての恋は、それだけで終わらなかった。
その翌日からの二人の様子は、周りを騒然とさせた。会話も無い、一緒にもいない、二人の噂は瞬く間に学校中に広まった。
駿は何を訊かれても答えなかった 。いや、答えられなかった。ただ時が過ぎるのを待つ事しか出来なかった。
しかしそれから、それ程日を置かず駿の周りが変化しだした。
ある朝、いつものざわついた教室へ駿が入って行くと、皆のおしゃべりがピタリと止まった。そして駿の様子を伺い見るような眼差しに、不穏な空気を感じながらも挨拶をする駿に、慌てたように挨拶を返すと皆自分の席に戻った。すぐに先生が来て、不穏な空気は霧散したが、駿は心の中で首をひねる。
駿を見てヒソヒソ話す女子達。よそよそしくなった男子達。変わらないのは小学校からの幼馴染と、中学校に入ってから友達になった周りの噂に興味のない友人。
「駿、お前何かやらかしたのか? なんだか噂されているみたいだけど」
幼馴染がそう言うと、もう一人の友人は「駿はいつも噂の的だろ」と素っ気無く言う。
「いやいや、この雰囲気おかしいだろ」
幼馴染が尚も言うのを聞きながら、駿は神妙に頷く。
「なんだか昨日から急に皆がよそよそしくなったんだ。それにヒソヒソ噂しているみたいだし。お前達は何も聞いていないのか?」
「俺は駿と仲が良いと思われているから、誰も言ってこないのかな? でも、ちょっと調べてみるよ」
駿の不安そうな顔を見て、幼馴染は調査を申し出た。すると、もう一人の友人も「僕も何か聞いたら、教えるよ」と協力を申し出た。
そんな二人の言葉をありがたく思いながらも、駿は日に日に教室の居心地の悪さを感じていた。
「駿、わかったぞ。一応聞いたとおりに言うけど、俺は信じていないからな。お前と磯谷の別れた原因が、お前が磯谷に迫って断られたからと言う事らしい」
幼馴染の言葉に、駿は頭の中が真っ白になった。
(迫って断られた?)
「なんで、そんな嘘……」
駿は何がどうなっているのか分からず、頭の中は混乱した。
「それは磯谷がそう言っていたのか?」
「そこまでは分からないけど、磯谷じゃないと分からない事だからな」
駿の問いかけに幼馴染は、当然のように言う。
「僕はそんな事、していない」
どちらかと言うと向こうの方が積極的だったじゃないかと心の中で反論するが、そんな事駿には口が裂けても言えない。
「分かっているさ。俺は信じないって言っただろ。あの強い姉ちゃんに釘を刺されている駿に、そんな大胆な事出来るはず無いものな。でも、世間は女の言い分を信じるんだよ」
幼馴染の冷静な分析にガックリするが、最後の言葉は的を射ていて背筋が寒くなった。
「それでか、皆駿に近寄ってこなくなったのは」
もう一人の友人は今頃になってやっと、この不穏な雰囲気を理解したのか、納得がいったように言う。
「それでお前は駿を信じるのか?」
幼馴染がその友人を問い詰めるように言った。
「駿がしていないって言うんだから本当だろう? 駿って嘘は言わないから」
こんな風に信用してくれる友人の存在が、駿は有り難かった。




