67.神の采配【大樹視点/綾視点】
お盆休みを終えて仕事に戻った大樹は、相変わらず週二、三回大学へ通う日々が始まった。大学で見かける綾も、お盆休み前と変わらず、二人の間で交わした会話はなかった事にされているようだった。
再び声を掛ける隙も無く、もう五年も前の事なのにいつまで拘るつもりだと自分を諌めてみても、どこかスッキリしない大樹だった。
そんなある日、昼食を取ろうと大学近くの蕎麦屋へ入った。一人だったのでカウンター席に座ると、傍の衝立の向こうにも席があるらしく、話し声が聞こえてきた。
普段だったら気にも留めない大樹だが、「綾さん」と彼女の名前が聞こえてきて、ふと耳を止めた。
「綾さんって、美人だよなぁ。頭も良いし」
「そうそう、それでいて気さくだし。以前に彼氏だって言われていた奴は弟だったんだろ」
「そうらしいね。ストーカー対応のために弟に彼氏役してもらっていたって話だよ」
「ストーカーとか、男はこりごりって感じなのかな」
「なんだよ。お前、綾さんの事、好きなのか?」
「あ、憧れだよ。でも、弟に彼氏役頼むぐらいだから、今フリーだって事だよな」
「フリーなら、今度の飲み会の時、アプローチしようかな」
「お前が? それなら俺だって」
三人ほどの会話だが、どうやら同じゼミの仲間のようだった。あの綾の事を話しているのは、その内容で確かだった。
大樹は綾について、昔も同じような話を聞いた事がある。彼女は誰に対しても平等で気さくだから、男女問わず友達も多かった。あの頃からモテていたけれど、しっかりと線を引いて誰にも落ちる事はなかった。
大樹も最初は友達だった。高二の時に同じクラスになり、すぐに意気投合して仲良くなり、どんどん彼女に惹かれていった。それでも誰が告白しても断ると聞いていたから、大樹はなかなか告白する事はできなかった。
しかし、三年生でクラスが別れてしまえば、今までのように気軽に話も出来なくなるかもしれないと危惧した大樹は、二年生の春休みに彼女と二人で遊びに出かけ、告白したのだった。彼女が二人きりでのお出かけを了解した時点で、彼女の覚悟も決まっていたようだった。
大樹は話を盗み聞きしながら、過去へと思いを馳せていた。
(やっぱり綾は何処へ行ってもモテるんだな)
彼女はこの五年間、男性不信に陥って恋愛ができなかったのだろうかと、大樹は自分の五年間を思い返して思う。自分の五年間はある意味褒められたものじゃなかったと、大樹は反省も込めて思った。
そんなある夜、珍しく大樹の父親が電話を掛けてきた。
「大樹、仕事はどうだ?」
「まあまあ忙しいかな」
「そうか、頑張っているな。実は今回電話したのは……」
父親は、Q大保護者会で大学時代の友人と二十七年ぶりに再会した事、その友人が近くに住んでいた事を話した。その運命のような再会に大樹は驚いた。それに以前聞いたマドンナがその友人と結婚していた事も驚いた。
「それで、その友人から八月最後の日曜日にBBQパーティをするから、家族で是非来て欲しいと招待を受けたんだ。大樹も参加しないか?」
「えっ? 俺まで? それに、BBQってだけじゃなくて、パーティってどんな家?」
「まあ、そうだな。パーティって言われると、ちょっとビビるか? なんでも得意先や関係者を毎年招待しているらしい。大樹は知っているかな? 石川酒造って」
「ええっ! 石川酒造? もしかして大凪市の?」
大樹は驚きを通り越して、背筋に冷たい物を感じた。
(大凪市の石川酒造って、綾の実家じゃないか)
大樹は偶然にしては出来過ぎの、ここ数ヶ月間の一連の出来事を思って驚愕した。そして、綾との再会に何かの大きな力を感じて、畏怖の念を抱いた。
しかし、これはチャンスなのではないかと閃いた。大学では取り付く島も無い綾に、話をするチャンスではと。
もしかすると五年前の誤解を解くために綾と再会したのではと、普段運命なんて信じもしない大樹でさえ信じたくなる様な展開が続いている。
それならばこの流れに乗ってしまえとばかりに大樹は決意する。
「そうだよ。やっぱり知っていたか」
父親は少し嬉しそうに声をあげた。
「まあ、地元では大きな会社だからね。それより、咲良は知っているの? 石川酒造って」
咲良だって石川酒造と聞けばそれがあの綾の弟の実家だと言う事は分かるだろうと、大樹は予測する。
(咲良は知ったら、どう思うんだろう?)
「そう言えば、咲良には石川酒造の事言ってなかったな」
父親の言葉で大樹はなぜだかホッとした。けれど、行けば分かる事だ。この不思議なつながりを、妹は運命などと言い出さないかと、大樹は自分の事は棚に上げ、心配になった。
(いやいや、むしろ綾の弟の方が言い出しそうだ)
大樹は一緒に食事をした時の、あの弟の挑戦的な眼差しを思い出した。
『じゃあ、僕と咲良さんの交際に口を出さないでもらえますね? 姉の事はお任せいたしますから』
大樹は、どうにもあの弟が胡散臭く思えてならなかった。
(目的は何なんだ? 本気で咲良の事、思っているのか?)
咲良が高校時代に憧れていた同級生と言うのはあの弟の事だろうと、大樹は時々母親に探りを入れて聞いていた情報から推測する。
向こうが本気なら、咲良の恋を応援するのかと大樹は自問する。しかし、大樹の目からは、咲良はあの弟と付き合っている事に怖気づいているように見えた。
これはまず妹の気持ちの確認からだなと、BBQパーティ前日に話をする事にした。
「だったら、咲良には石川酒造の事言わない方がいいと思うよ。そんなのを聞いたら、咲良はビビるんじゃないかな」
大樹は、咲良にこの情報を当日まで封印しておく事にした。
「ああ、そうだな。咲良には内緒にしておくよ」
父親の賛同も得て、大樹は安心した。
親を巻き込んだ、この不思議な繋がりのキーワードはQ大だ。
父親はQ大で、綾の両親と出会い、再会している。そして、大樹と綾はQ大で再会している。咲良にしても、高校の時には知られていなかった自分の存在を、Q大であの弟に知られ、付き合う事になった。
全ての始まりは父親達の出合ったQ大で、それぞれの関係が次のステージへと向かう切っ掛けになった場もQ大だ。
Q大は運命のパワースポットなのか。
大樹は参加する事を告げ、電話を切った。その後、この神の采配かと疑いたくなる現状に、大樹はしばらく呆然と空を見つめていたのだった。
*****
綾はお盆休みが終わり、大学へ戻ってきていた。
お盆休み前に大樹から話し掛けられた事が、まだ頭の中でモヤモヤとしている。
話も聞かず逃げてしまった事で、大樹はもう五年前の真相について話すのを諦めてしまったかもしれない。
(今更五年前の真相を知らされても、どうしようもないじゃない)
戻れるわけじゃなしと、自分を戒める。それでもきっと、大樹が裏切ったと言うのは間違いだったんだと、心の中では認めている。
大樹が自分の信じたとおりの彼であった事に安堵するが、反対に彼を拒絶した自分の方が悪者だ。
(私、謝った方がいいの?)
もう、時効だよと頭の中で誰かが言う。
(彼の話を聞いて謝ったとして、それでスッキリ出来るの?)
二人で同じキャンパスライフを過ごす夢も、二人で同じ未来を歩む夢も、もう戻らないのに、五年前の誤解を解く事に何の意味があるのかと、頭の中で誰かが反論する。
「ヒロ……もう裏切り者の烙印は消したよ」
綾は、ポツリと声に出して言った。一人ぼっちの部屋に声はこだまする事無く消えていった。
そんなある日、同じ研究室の院生達とお弁当を食べながら女子トークをしていたら、大樹の話題が出た。
「山野さん、今日は来ないのかな?」
一人の女子学生がポツリと言った。
「なに、なに? 山野さんの事、気になるの?」
「山野さんって、カッコいいよね。まだ私と同い年なのに、しっかりしているよ」
「山野さん、彼女いるのかな?」
皆が口々に発言する。綾は笑顔をキープしたまま、お弁当に意識を向ける。
「いないらしいよ」
最初に発言した女子学生が答えた。
「えー、詳しいじゃないの」
「学部のゼミの子達の間で人気あるみたいで、そんな噂していたよ」
「へぇ、そんな所まで人気が広がっているのか。ライバル多しだね」
「ねぇ、綾さん、さっきから何も言わないけど、山野さんは興味なし?」
いきなり話題を振られ、綾はお弁当の手を止めた。
「うーん、あまり考えた事ないから……、まあ、山野さんはカッコイイとは思うよ」
綾は、あまり孤立するような態度はダメだと思い、最後に同調するように付け加えておいた。
「そうだよね。彼女がいないなんて、本当かな。もったいないよね。あんな良い会社に勤めているし」
「なになに? あなたも山野さんねらいなの?」
「山野さんはいつまでこちらにいるんだろうね」
「本当は関西の方で、長期出張でこちらに来ているって言ってたよね」
「そうそう、大学も関西のR大出身なんだってね」
「へぇ、本当に頭良いんだねぇ」
大樹の話題は綾を置いてどんどんと盛り上がる。
(それにしても、皆大樹の個人情報に詳しい事!)
それでも自分が一番彼のことに詳しいと、綾は無意識に優越感に浸っていた。
しかし自分はもう関係ないのだと、自分に言い聞かせた綾は、只皆から浮かないように笑顔で相槌を打ちながら、話を聞いていた。
(やはり大樹は、何処へ行ってもモテるよね)
きっと大学時代だって彼女はいただろう。そして、これからだってできるだろう。そんな事当たり前だと思うのに、綾の胸はモヤモヤする。
これは、最近五年前の事を思い出すせいだ。
もう忘れたいのに、神様は何のために彼と再会させたのか。やはり、五年前の事を解決するための再会だったのだろうかと、綾は研究室の窓からまだ残暑の残る夏の空を見上げた。




