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サクラ、サク  作者: 宙埜ハルカ
第四章:夏休みは修羅場
63/80

63.悔いの無い人生を歩むには【石川綾視点】

 短い夏休みの帰省のために、綾は夜行バスに乗った。

 今日、突然大樹に声を掛けられたが、綾は逃げ出した。結局、あれっきりになってしまった。

 綾はあれからずっと大樹の言った言葉を思い返していた。


 『俺は綾の中で、裏切り者の烙印を押されたままなのは嫌なんだ』


 裏切り者の烙印。


 (私は彼にそんな烙印を押していた事になるのか)


 綾はもう大樹を裏切り者だと思っていない自分に気づいた。結局彼の言葉は真実だと信じているのだ。


 (あの時、彼に確かめてさえいれば……)


 今更、タラレバを言った所で、どうにもならない事は綾が一番分かっている。


 (私から、謝るべき?)

 (大樹は、どうしたいと思っているのかな?)


 彼から話を聞くチャンスを、綾は自分から逃してしまった。けれど、今度はこちらから歩み寄る事が出来る程、素直にもなれない。


 (もう五年も前の事だから、無視しちゃえば?)


 今更話をして誤解が解けたところで、過去へ戻れるわけじゃなし。だったら、もう蒸し返す必要はない。

 綾の中の強気な自分が、もう過去の事に関わるなと主張する。

 でも、それでいいの? と、別の自分が問いかける。

 綾は夜の高速を走り続けるバスに揺られ、なかなか眠れそうに無かった。



 綾が帰省すると、必ず従姉妹の茉莉江が遊びに来る。茉莉江は綾の母の妹の娘で、自宅も近い。


「綾ちゃん、お帰り。いつまでこっちに居るの?」


「今度の日曜日まで。純は帰って来るの?」

 綾のすぐ下の弟である純と茉莉江は、家族間では婚約者と言う位置づけだ。物心ついた頃から茉莉江は一途に純を想い、研究バカで草食系の純は茉莉江がいなかったら結婚も出来ないであろうタイプだ。

 実の姉より、茉莉江の方が純の予定は詳しいので、夏休みなのにまだ帰って来ていない純の帰省予定を訊いたのだった。


「え? 一週間で帰っちゃうの? 純君はお盆の時期は帰ってこないけど、8月の終わりのBBQパーティは出席予定だよ。綾ちゃんもBBQパーティに出るでしょ?」

 綾はそうだったと、すっかり忘れていたBBQパーティの事を思い出した。いつもなら二ヶ月間の夏休みのほとんどを実家に帰省しているが、今年は共同研究があって忙しい。

 毎年8月の終わりに得意先や親戚を集めて、自宅の庭でBBQパーティをしている。子供の頃から、綾達兄弟や従姉妹も出席して、手伝いや挨拶をさせられている。招く側なので結構こき使われるのだ。


「BBQパーティの事、すっかり忘れていた。出ないとダメだよね」

 忙しいのにと心の中でぼやきながら、綾は頭の中の予定表にBBQパーティを書き込む。今度は新幹線で帰ろうと、あまり眠れなかった夜行バスを思い出した。 



「ね、茉莉江、もしも知らない女の人が純の恋人ですって現れたら、どうする?」

 綾はふと思いついて茉莉江に尋ねてみた。五年前の事は、茉莉江には恋人に二股掛けられて裏切られたとしか話していない。それでも聡い茉莉江は何かを感じたのか、怪訝な顔をした後、ニッコリと笑って口を開いた。


「純君に限ってありえない事だけど、目の前で警察を呼ぶかな」


「え? 警察?」


「そんなの嘘に決まっているんだから、名誉毀損か詐欺か……とにかく悪意があるでしょ」

 嘘に決まっていると言い切れる茉莉江の強さが羨ましかった。


「茉莉江は凄いね。まったく動揺しないんだ?」


「あの純君だよ? おそらく周りにいる女性を女性として認識していないと思う」


「純にとって女性は、この世に茉莉江だけなんだね」

 綾は酷く納得して、そして可笑しくなって笑った。茉莉江も「そうそう」と笑いながら頷いている。

 これが二人で築き上げた絆なんだろう。何があっても揺るがない信頼。

 綾は笑う茉莉江を眩しそうに目を細めて見つめていた。



 実家の会社もお盆休みに入り、綾は久しぶりに両親と一緒に夕食の席につく。弟二人は、大学と合宿式の自動車学校で今は居ない。

 母親が社長をしているため、食事の用意は昔から居るお手伝いさんに任せている。綾が帰ってくると、いつも綾の好物を出してくれるのが嬉しかった。

 父親は昨日から一泊で大学時代の友人達と27年ぶりに集まったらしい。なんでもQ大の保護者会で友人と再会したらしいのだ。

 そんな事もあるんだと、上機嫌に話す父親の話を聞いていた綾は、ふと疑問に思った事を尋ねてみた。


「お父さん、今まで大学時代の友人と交流無かったの?」


「ああ、実は友人達との約束を破って顔向けができなくて、卒業後はこちらから連絡を断っていたんだよ」


「約束を破ったって……顔向けできなくなるくらい酷い事をしたの?」


「まあ、そうだな……酷い事と言うわけじゃないけど……この話は向こうで話そうか」

 父親はそう言うと、リビングのソファーへと移動した。これは話が長くなると綾は覚悟を決める。そうして、父親の後を付いて、向かい側のソファーに座った。母親はお手伝いさんの用意したお酒とおつまみをもって、長い会話に参戦した。



「以前に百合子は大学時代、マドンナって呼ばれていたって話をした事があるだろう?」

 百合子は母の名前だ。いつもは子供達に対して母親の事を『お母さん』と言う父親だが、名前がでるとこを見ると、自分語りが始まったのか。昔の友人達と会って、すっかり青春脳になっているのか。

 結局綾が尋ねた事が切っ掛けだったと、素直に父親の青春時代に思いを馳せる事にした。


 マドンナ……そう言えば男子達の間でそう呼ばれていたと、綾は聞いた事があったので、コクリと頷いた。母親は激しく否定していたが、子供から見ても、綺麗な母だと思う。父も昔はかなりイケメンだっただろう面影はある。だからと言ってその子供達が美男美女とは限らないけれど……と綾は心の中で苦笑する。 


「俺と百合子はね、学生時代学生寮に入っていて、女子寮と男子寮の交流があったんだ。お花見やハイキングや寮祭なんてイベントをしていたな。その頃男子寮の同級生達とマドンナの純潔を守る会なんて言うのを面白半分に結成して、抜け駆けしない協定を結んでいたんだ」

 ここまで聞いて、綾はその先の見当がついた。


「その協定を破って、お父さんは抜け駆けした訳だ」


「まあ、そう言う事になるな」


「あれは抜け駆けと言うより、偶然のような奇跡のような出会いだったと思うんだけど……」

 母親は居た堪れないような顔をして、控えめに反論する。


 (うん。女性は運命の出会いの方が好きだよね)


「うちの会社を継ぐ予定だった百合子の兄が亡くなったのは大学四年のクリスマス前で、慌てて実家へ帰った百合子は、その後大学へは戻らなかった。もちろん単位は取れていたし、卒論も自宅で仕上げて郵送されて受理され、卒業はできた。卒業式も出なかった百合子は、たった一度だけ寮に戻ってきていたんだ」

 ここまで聞いて綾は、母親の顔を見た。母親はどうにも情けない表情のまま、苦笑している。そして綾は、先を催促するように父親に視線を戻した。


「冬休み中の1月3日、俺は自宅に居ても退屈だったから、早々と寮へ戻ってきたんだ。駅に着いて偶然見かけた百合子に声をかけた。その時は、自分と同じで早々と寮へ戻ってきたのかと思ったんだよ」


「あの時は、兄の喪中でお正月もひっそりとしていて、居た堪れなくなって、どうしても寮の荷物を引き上げに行きたいからって実家を出てきたの。本当はそれも他の人に行かせるってお祖父様がなかなか許してくださらなくて。でも、女子寮は本人じゃないとは入れないとか言って、強引に出てきたの」

 父親の話に、母親も昔に気持ちが戻ったのか、話を補足していく。綾から見ると曽祖父は綾が生まれてすぐに亡くなったので記憶に無いが、厳格で頑固な人だったと聞いている。


「その時、偶然に出会った百合子が、とても思い詰めたような顔をしていてね。気になって少し喫茶店でも入ろうと強引に誘ったんだ。話を聞くと、跡取りの長男が亡くなったから、長女である百合子が後を継ぐためにすぐに見合いをさせるとお祖父様に言われたらしいんだ。逃げるのを心配してか、大学へも戻るなって言われたらしくてね。その時、俺は後から自分でも驚いたけど、百合子にプロポーズをしたんだ。俺がマドンナを助けなきゃって思ったのか、本当に突然口から出たんだ」


 (うわぁー、両親のプロポーズのエピソードとか……恥ずかしすぎる)


 綾は内心照れて母親を見たら、母親も恥ずかしいのか頬を染めて俯いている。


 (うわぁー、銀婚式も過ぎたのに、この初々しさ……)


「そんなに詳しく話さなくても……」

 母親は照れながら小さな声で文句を言った。父親も自分の世界に浸りきっていたのか、目の前に居るのが娘だと思い出し、コホンと咳払いをすると、再び綾に視線を向けた。


「まあ、とにかく、それからすぐに百合子の家へ行って、頭を下げて……なかなか認めてもらえなかったけどな。それでも、就職先の内定も捨てる覚悟をして、頭を下げ続けたよ。ようやく認められて結婚できるようになっても、友人達との協定を破った俺は、誰にも連絡ができなかった。あの頃は携帯電話なんて無かったし、たまたま実家も引っ越したばかりで連絡先を誰にも教えていなかったから、すっかり繋がりが切れてしまった。友人達より百合子を取った事は後悔していなかったけど、やっぱり心の中にしこりがあったんだな」

 ここで父親は大きく息を吐き出した。母親は相変わらず恥ずかしそうに俯いている。

 携帯のない青春時代って、簡単に繋がりが切れてしまうんだと綾は感慨にふけっていると、現在だって、携帯電話があっても、番号を変えてしまえば簡単に切れてしまうじゃないかと思い至った。


「正直な所、Q大にお前達が入るまで、昔の事はあまり思い出さなかったんだ。Q大の保護者会も懐かしくて百合子と参加したけど、まさか昔の友人に会うなんて思いもしなかった。向こうから声を掛けてきて、焦ったよ。どんな顔して会えばいいのか。それに百合子も一緒だったしな。やっぱり連絡しなかった事を責められて、俺達を見くびるなって怒られたよ。皆友達の幸せを喜べない奴らじゃないって言われて、俺は本当に大切な友達を失う所だったって気づいたよ。本当にこの再会は嬉しかった。昨日はあの頃の友人全員が集まって、皆に怒られたけど、それ以上に喜んでくれたんだよ」


「いい友達だね」

 綾がポツリと言うと、父親は嬉しそうに笑った。母親も心から安堵したように微笑んでいる。きっと自分のせいで夫の友人関係を切ってしまったと責任を感じていたに違いない。


「ずっと友人達を裏切った事が心残りだったよ。今回皆に謝る事ができて、やっと心のしこりが消えたんだ。だから綾も、この学生時代の出会いを大切にして、心残りの無いよう過ごしてほしい」

 父親の話を聞いて、綾は「そうだね」と微笑んだ。要は『悔いの無い人生を歩め』と言う事なのだろう。


 今の綾は、後悔だらけだと心の中で自嘲する。

 父親のように27年も経ってから謝るぐらいなら、5年経った今、謝る方がいいのだろう。

 綾にはもう分かっていた。あの時、拒絶して逃げ出した事が全ての原因だと言う事に。確かにあんな電話をしてきた彼女の罪の方が重いだろうけれど、信じ切れなかった自分にも罪がある。


 (今からでも謝ったら、父のように心のしこりは取れるのかな)


 今更どう謝ればいいのか、綾は途方に暮れるばかりだった。


 

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