61.過去への探索【山野大樹視点】
大学が夏休みになっても、社会人には関係ない。しかし、共同研究しているゼミの院生たちも夏休み返上で協力していた。
そう、大樹はあれからも、仕事で綾と顔を会わす。彼女は素知らぬ顔をして、極力こちらに関わろうとしない事が、大樹を酷くイラつかせた。
まるでこちらが悪者のような雰囲気と、五年も前の事を吹っ切れない自分に、どうしようもなく腹が立つ。
それでも仕事は仕事と割り切って日々を過ごしていた大樹だったが、一度気になりだすと納得できるまで突き詰めたくなる性格を持て余していた。
(やっぱり、一度調べてみよう)
調べると言っても、高校時代の友人達は大学の進学先がバラバラになったせいで、いつの間にか疎遠になっている。何処から、誰から調べればいいか、頭の中に次々と疎遠になった友人達の顔を思い出し、思案する。
(もしも、綾の裏切りが嘘だったとしたら……)
大樹は五年前の封印した記憶を解く。
大学受験真只中の高校三年の三学期、誰もが他人の恋愛ごとに首を突っ込む余裕が無かった頃。冬休みの終わり間近から突然綾との連絡が途絶え、三学期が始まってすぐに会いに行った大樹は、彼女の友人達の鉄壁のガードに阻まれ、近づく事もできなかった。そんな時に聞かされた綾の心変わり。
(あの時、綾の心変わりを教えてくれたのは、あの二人)
一人は関東方面の大学へ進学し、すぐに疎遠になってしまった荒井浩太。もう一人は、大樹と同じ関西の別の大学へ進学した後藤恵。彼女とは、進学後も大学が近かったせいもあって、頻繁に交流が続いた。互いの大学の友達を集めて、アウトドアやBBQや合コン等のイベントを企画して交流する気の合う仲間だった。
そんな恵から告白された大樹は、どこか裏切られた気持ちになり、それ以後徐々に疎遠になって行った。
(あの二人、綾の心変わりをどうやって知ったんだろう?)
大樹は携帯電話のメモリーに残されていた浩太の連絡先に電話をしてみた。案の定、電話番号は変更されていた。それは恵も同じだった。変更後の連絡は二人とも無かった。
(俺は友人枠から切られたのか)
何となく理不尽さを感じながら大樹はこの二人に繋がる友人を思い返していた。
「もしもし、浩太か? 大樹だけど」
友人知人を介して、浩太の連絡先を知った大樹は、すぐに電話を掛けてみた。
「えっ、大樹? 本当に?」
「ああ、久しぶり。元気か? 今電話していて良いか?」
少し戸惑い気味の浩太と近況を報告しあう。どうやら浩太は、現在の大樹と同じく都内で働いているようだ。五年のブランクも少し話しているうちに、以前のように話が弾むのは同級生だからか。
早速に今週の金曜日の夜に飲みに行こうと話がまとまった。
金曜日の夜は、浩太お勧めの居酒屋で、久々の再会を祝ってビールの乾杯から始まった。
「大樹、俺の事覚えていてくれて嬉しいよ。誰かに関西で就職したって聞いたから、こっちにいるなんて驚きだよ」
「ああ、期間限定の長期出張だけどな」
「Q大との共同研究だって? 何だか凄いな」
「別に凄くなんかないよ。お前だって頑張っているんだろう?」
「まあ、まだ社会人二年目で、やっと自分の仕事が見えてきたって感じだよ」
少し照れたように話す浩太の様子を見ながら、大樹はいつ話を切り出そうかとタイミングを伺っていた。
「あの時は浩太と恵がいてくれて良かったよ。急に綾から拒絶されて何が何か分からなくて、受験どころじゃなかったから、浩太達の話でとりあえず気持ちの整理をつけて受験に取り組めたんだ。あの時はありがとう」
大樹は高校時代の思い出話をしばらくした後、高校三年生の三学期に起こったあの出来事について触れた。
「え、いや……そんな大した事していないし……感謝されるようなことじゃないよ。でも、良かったよ。受験に失敗しなくて」
浩太は驚いて謙遜した後、ハハハと乾いた笑いを落とした。大樹はそんな浩太をじっくりと観察する。
「そうだな。今こうしているのも、お前達のお陰だな。……でも、あれ以来女性不信と言うか、恋愛するのも怖くなった所もあるんだ」
「え? 大樹が女性不信? 今彼女はいないのか?」
浩太は本気で驚いた顔して、問いかける。
「いないよ。あれから大勢で遊んだりはしても、一対一で付き合ったりは無いな。そう言う浩太はどうなんだ?」
「俺も今はフリーだよ。でも、大樹は高校の時から人気があったのに、そんなにあの時の事がショックだったのか……」
浩太は大樹の話にショックを受けたように視線をテーブルに落とした。
「俺らしくないって思っているだろ? 自分でもそう思うよ。なぁ、綾はいつ頃から気持ちが変わったのか知っているか? 俺はあの時までまったく疑っていなかったんだ」
「いや、俺は……恵から聞いたんだ。だから詳しい事は知らなくて……」
(浩太は恵から聞いただけなのか。じゃあ、恵は誰から聞いたのか)
「そっか、恵は今どうしているんだろうな。知っているか?」
「恵も確かこっちで就職したって聞いたけど、就職してからは連絡とって無いよ。でも、もう五年も前の事蒸し返さなくても良いんじゃないか? 聞いた所で又ショックを受けるかもしれないだろ? 忘れてしまうのが一番だって」
浩太の言う事はもっともだと思いながらも、大樹の中に芽生えた疑惑のせいで素直に受け取れない。
「そうだな、最近まではそう思っていたんだ。でも、綾側の話を小耳に挟んで……裏切ったのは俺の方だって言うんだよ」
「バ、バカな。向こうは悪者になりたくなくて、嘘の噂を流しているんじゃないのか」
慌てたように反論する浩太の言う事は、以前の大樹なら同意しただろう。
「そうかな。でも、浩太は恵に聞いてすんなりそれを信じたのは、どうしてだ?」
「恵が嘘を言う理由がないだろう?」
「それだけで? 綾が裏切るような奴だと思ったのか?」
「いや、石川さんの事はよく知らないけど、あの時恵が思い詰めたように石川さんが別の奴と二股して大樹を振るらしいって、だから大樹を守りたいって相談してきて……。そうしたら冬休みが終わった途端に石川さんは徹底的に拒絶だろ。それに、志望大学まで変えているし……。あの時の大樹は混乱して見ていられなかったよ。やっぱり裏切ったのは石川さんの方だと思う」
浩太の話を聞いて、大樹は5年前のあの時の気持ちが甦ってきた。
確かに混乱していた大樹は、浩太と恵に綾の心変わりを教えられ、とりあえず状況が分かり、全ては受験が済んでからと受験に挑んだ。そうして、もう一度綾と話すために、卒業後すぐに綾の自宅を訪れたら、もう大学のある街へ行ったと教えられた。
そこまで会いたくないのかと憤った大樹は、未練と言う綾への想いをすっぱりと切り捨て、大学へと進学した。
綾との思い出も、『別れたい』の言葉も無く切り捨てられた悔しさも、全て黒歴史として封印したのだった。
浩太の話は納得できるものだった。
(でも、恵は誰から綾の情報を聞いたんだろう?)
その情報が間違ったものだとしても、突然綾から拒絶されれば、そんな風に思っても仕方ないのかもしれない。
けれど、今回の事で大樹は思い出した。綾と連絡が取れなくなったのは、冬休み中だ。毎日必ず寝る前には電話してお互いに励まし合っていたのに、突然電話が繋がらなくなったのは、冬休みが終わる2、3日前。
(確か綾は俺の携帯から、自称俺の彼女って言う奴から電話があったって……)
そう、その電話をしてきた奴が、綾の心変わりの情報を流したとしたら、辻褄が合う。
綾には大樹が裏切ったと思わせ、大樹には綾が裏切ったと思わせて、二人を離れ離れにする。それがもし、本当に誰かによって企てられたものだとしたら。
(俺、誰かに恨まれていたのか? それとも綾が? 二人ともだろうか?)
「大樹、五年も前の事じゃないか、今更そんな噂を聞いても、誰も気にしないよ」
浩太の言葉に、大樹の理性は納得しているが、心のどこかが『納得できない』と叫ぶ。
「そうだな。でも、ちょっと気になるから、恵が誰から聞いたか訊いてみたいんだ。浩太、恵の携帯番号、知っているか?」
「え? 大樹は恵と連絡取り合っていないのか? 大学が近かったから交流があるって聞いたけど」
「まあ、交流はあったけど、いろいろあっていつの間にか疎遠になってしまったよ。携帯番号が変わったのも知らなかったんだ」
「そうか、なら恵に教えてもいいか訊いてみるよ」
浩太はそう言うと、すぐに携帯から電話を掛け出した。相手はすぐに出たようで、大樹と一緒にいる事を伝えているようだ。しばらく話した後、「恵が近くにいるから今から行くって言っているけど、いいかな?」と携帯を離して大樹に尋ねた。大樹が了承すると、10分ほどでやって来るらしい。




