60.追い詰められる王子【王子・石川駿視点】
(やっぱり、今日もやめておこう)
駿は持っていた携帯を枕元へ置くと、ベッドに寝転がった。
合宿式の自動車学校へ来て5日、こちらへ来てから駿は咲良に連絡をしていなかった。
最近自分の態度に咲良が引いているような気がして、少し時間を置こうと決めたのだった。
それでも一人になると、咲良の事を思い出して連絡したくなるのは、自分の中で何かが変化しているのか。
(リハビリのつもりだったのにな)
駿は自分の心情の変化に苦笑する。咲良と一緒にいる事の心地よさや楽しさに、少し先走りしてしまった事も自覚している。咲良の反応が新鮮で嬉しかったのだ。
その時、携帯が鳴り出し、表示された名前を見て驚いた。大学生になってから、すっかりご無沙汰しているその名に、懐かしさを覚えた。
「もしもし、茉莉江? 帰ってきているのか?」
「駿、ご無沙汰。駿と入れ違いに帰って来たの。合宿で免許取るんだって?」
どうやら茉莉江は駿の合宿行きと入れ違いになったらしい。自宅は隣なので、情報が入ったのだろう。
「そう、早く取りたかったからな。茉莉江は免許取らないのか?」
「私も昨日から行っているよ。それより、綾ちゃんに駿が彼女出来たって聞いたんだけど!!」
「あ……」
(姉さんも口が軽い)
どう話そうか思案している内に、せっかちな茉莉江がせかすように言い募る。
「綾ちゃんには、同じ高校の山野さんだって聞いたのに、山野さんは違うって言っていたよ」
「な、何だって? どうして……山野さんが言っていたって、どう言う事?」
駿は驚きすぎて、動揺を隠せなかった。
「自動車学校で会ったから、直接聞いてみたの。そうしたら、サークルの仲間だけど、付き合ってないって。駿、綾ちゃんに嘘吐いたでしょ!」
(あー!!! どうなっているんだ!)
駿の頭の中はパニックになった。
「う、嘘を吐いたわけじゃ……」
(ここで嘘じゃないと言えば、咲良の言う事が嘘になる。姉に嘘を言ったと言う事になると、誤解解除計画もこじれてしまうんじゃ……いや、俺の命の方が危ないかも)
駿は高速で脳内会議を続ける。誰かを犠牲にしないと成り立たない事実に、駿は絶体絶命に陥った。
「あー! もしかして、私と駿の本当の関係を説明していないでしょ。だから、まだ私達が付き合っていると思って、山野さんは嘘を言ったんじゃないかしら? ほら、本妻が愛人に夫と付き合っているでしょと問い詰めるような感じ」
茉莉江が真実を突き止めたように、勢い込んで説明する。駿は確かに咲良に対して茉莉江の事を有耶無耶に誤魔化していた自覚はあったから、茉莉江の説明は確信を突いていると思ったが、最後の例を聞いて、ガックリと呆れた。
「本妻とか、愛人とか……おまえ、不倫系のドラマ見すぎじゃないか?」
「あら、あのドロドロとした人間関係が面白いのよ」
「そんな事はどうでもいいよ。それより、確かに茉莉江との関係については説明してないけど、咲良には付き合っている人はいないって言ったはずなんだけどな」
駿は二人の始まりの時の事を思い返す。
最初は付き合っているフリをして欲しいと言ったけど、演技ができないだろうから本当に付き合おうと言い直した筈だ。
「ふ~ん、咲良、ねぇ」
「なんだよ」
「山野さんみたいなおとなしいタイプは自分に自信が無いから、本当に付き合っているって思っていないんじゃないの?」
「えっ?」
「だから、駿は山野さんにちゃんと付き合ってくださいって言ったの?」
「まあ、一応」
「じゃあ、山野さんは冗談だと思っているんだよ。おそらく山野さんって、高校の時から駿に憧れていたんじゃないのかな。駿は外見が良いからモテモテでしょ。そんな人が私に交際を申し込むはず無いって思っているんじゃないのかな」
茉莉江の推測は妙に的を射ていて、女の感の鋭さを実感させる。けれど駿は、素直に認めるのも癪だった。
「茉莉江、それってマンガかラノベの受け売りか?」
「ふふふ、良くあるのよ。モテモテヒーローと地味系ヒロインのお話」
「もういいよ」
何処かふざけている様な茉莉江の物言いに、駿は不貞腐れた。けれど、茉莉江の言う事も一理ある。
咲良は付き合う事が初めてで戸惑っているのかと思っていたけど、茉莉江の言うように本当に付き合っているとは思ってないのかも知れない。
恋愛事は難しいと駿は心の中で嘆息した。
「ねえ、トラウマは克服できそう?」
茉莉江は、先程までのふざけた雰囲気を引っ込めて尋ねた。
駿はトラウマの言葉で、嫌な記憶が甦ったが、もうそれ程ダメージは受けない。
実際はトラウマと言うほど深刻なものでもないが、駿にとってはダメージが大きかった。
「茉莉江のお陰で、高校三年間でほぼ克服できていると思う。今はリハビリ中」
駿は茉莉江に感謝していた。面と向かってお礼を言うのは何処か照れがあるが、茉莉江のお陰だと思っている事は本心だった。
「そう、良かった。でも、私のお陰って、私にもメリットがあったんだからお互い様でしょ。それより、リハビリ中って、山野さんの事? リハビリで付き合っているの? それって山野さんに失礼じゃないの」
茉莉江の声に怒気が混ざる。
「いや、リハビリって言っても、真面目に付き合っているつもりだし、だんだんと彼女の事がいいなぁって思ってきているところなんだ。彼女は何も知らないから、しばらく温かく見守ってくれないかな? それから姉さんには今話した事、言わないで欲しいんだ」
ここで茉莉江を怒らせてはいけない。味方にしておかないと姉に言いつけられてしまうと警戒した駿は、正直に本音を語った。
「うん、分かった。何となく駿が山野さんを選んだ理由が分かる気がするよ。でもね、綾ちゃんも駿の事心配しているんだよ。ちょっと言い方がきついかもしれないけど。綾ちゃんもね、ちょっと恋愛不信だからね」
駿は茉莉江の『恋愛不信』と言う言葉を聞いて、兄弟揃って恋愛ベタだなぁと、今更ながらに思った。
「茉莉江は姉さんが恋愛不信になった原因を知っているのか?」
「大体は知っているけど……でも、これは誰にも言えない。綾ちゃんにとっては思い出したくも無い事だと思うし、本人にも訊いちゃダメだよ」
昔から綾の事を本当の姉のように慕っている茉莉江は、きっぱりと拒否した。
(あー、もう訊いちゃったよ)
あれは咲良だったから話してくれたのだろうと言う事は、駿にも分かっていた。
それにしても、姉達の誤解解除計画に茉莉江は巻き込まない方がよさそうだと、駿は自分の心の中に記す。これは咲良と二人で進める事に意味があるのだからと、もっともらしい言い訳を自分自身にしていた。
「ねぇ、話は戻るけど、山野さんに私と駿の関係を話さないの?」
茉莉江は再び真面目な声で駿に問いかけた。それは駿にとって大きな問題だった。
「うーん、それを言うと、理由も言わないといけないだろう? 茉莉江の方はこのままだと不都合はある?」
「私は良いのよ。大学には地元の知り合いもいないし、地元には余り友達もいないし、他の人には遠距離でダメになった風に思わせるようにするから。でもね、駿は山野さんとこれからも付き合っていくつもりなら、言わないと余計な誤解を生むよ。すでに誤解されているみたいだし」
茉莉江はすでに、高校三年間の偽りの恋人同士の影響を解く算段は、ついているようだ。そして、駿は何の算段も出来ないままでいた。
真実を話す事が一番だと分かってはいるが、咲良とはまだそこまでの関係ではない。
「茉莉江のように遠距離でダメになったって、もっと早く言っておけばよかったよ。まだ付き合う前に咲良に茉莉江とは遠距離かって訊かれた時、想像に任せるなんて言って誤魔化さなければ良かった」
駿はゴールデンウィークの帰省のために、夜行バスを待っていた時の咲良との会話を思い出した。
確かあの時は、咲良が茉莉江も一緒に帰省すると思っていたんだ。それは、あの時点では茉莉江と付き合っていると思っていたと言う事だ。
「馬鹿だね。自分で墓穴掘っちゃって。でも今更いきなり、遠距離でダメになったなんて話すのも変だよね。何となく山野さんって、私が自動車学校で声をかけた事も駿には言わないと思うよ」
「俺も言ってくれないと思う。だから余計に茉莉江の話題を出せないんだよなぁ」
「それにね、山野さんは一緒に自動車学校へ行っている高校の時の友達に、駿と付き合っている事話していないみたいだよ。私が山野さんに駿の事を訊いた時、山野さんより先にまさかって驚いていたもの」
(はぁー、やっぱりそうか。咲良はやっぱり俺と本当に付き合っていると思っていないのかな)
やっぱり最初に彼女のフリをして欲しいと言ったのが間違いだったと、駿は後悔する。あの時は、咲良からいきなり『入学式の時に初めて見てから、憧れていました』なんて言われてしまって、パニクッたのだ。
高校の同級生だというのに、その存在さえ知らなかった彼女の登場は、驚きと新鮮な興味を掻き立てた。それは長らく避けていた感情だった。
完全にトラウマを克服するため、リハビリも兼ねて、少しずつ自分の中に芽生えたこの感情を育てて行こうと思っていた時、姉と咲良の兄のあの問題を知ってしまった。
第三者からみれば、どう考えても誤解ですれ違っているだけにしか思えないこの問題に、大いに好奇心が沸き、気になっていた咲良を巻き込んで、自分のリハビリも恋も姉の恋愛不振解決も同時にやってしまおうと策を講じ、そんな自分の策に浮かれていた。
そんな時に咲良からの告白で、一瞬頭の中が真っ白になり、出だしを間違えた。その後軌道修正をしているつもりだが、咲良の態度がどんどん離れていくような気がするのだ。
駿がしばらく黙り込んで脳内反省会を繰り広げていると、焦れた茉莉江が新たな提案をした。
「駿、私から山野さんに話そうか? 本当の事を知られたくないのなら、遠距離で別れたって事でもいいから」
茉莉江の提案は有り難いけれど、駿はこれ以上迷惑をかけるのも、弱みを握られるのも避けたいと思った。
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。こっちで何とかするから。茉莉江には悪いけど、出来るだけ自動車学校で咲良に接触しないようにして欲しいな。余計にややこしくなりそうだから。ごめんね。心配してくれているのに」
「本当に大丈夫? まあ、今回は私のせいでややこしくなったみたいだから、これ以上は口を挟まないようにするよ。……あっ! そう言えば山野さんに、駿に彼女が出来たら教えてって連絡先を交換したんだった」
「はぁ?」
思わず声が出た駿は、茉莉江の斜め上を行く話しに、呆れた。
「ごめん、ごめん。駿に彼女が出来たか気になるじゃない? これって、益々本妻認定されているかな? 本当にごめんね。でも山野さんから連絡は無いと思うし、こちらからは連絡しないからね」
(茉莉江は昔からこんな奴だった)
駿は茉莉江の強引さに呆れながらも、その強引さに助けられたのだと、呆れた気持ちを飲み込む。
「分かっているよ。元はと言えば、俺が悪いんだし。まあ、お手柔らかに頼むよ、イトコ殿」
「ふふふ、未来のお義姉さまとお呼び」
「はいはい、お義姉さま、宜しくお願いします」
幼い頃から駿の三つ上の兄に一途に想いを寄せている茉莉江は、その強引さで外堀を埋め、身内の間では婚約者という位置付けだ。
(まあ、研究バカの純兄も時々鼻の下を伸ばしているから、幸せなのだろう)
電話を切った駿は、幸せそうな兄とイトコのカップルを脳内に思い描き、自分の進まない恋愛に溜息を吐いたのだった。




