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 もうそろそろいいだろう。


 クレイグは手近の壁面に触れ、通話アプリを呼び出す。

 ここのことはついぞ忘れたことがない。いくら孤独が深まっても、いや、一人でいればいるほど、それは老人のアイデンティティとしての性格を強めていった。


「こちらイギリス歳入庁」若くはきはきした男の声。きっと、一世紀前に応対した担当と同一ではないだろう。

 未来ある青年ははたしてどんな反応をするか、とささやかな期待とともに、老人は用件を告げる。


カスクオーナーのクレイグさんですね。いやはや、ずいぶんと長く醸成されましたね。なんと二十歳の頃から!クレイグさんのウィスキーはもはやアンティークです。個人でこれだけ樽を保有された方を、他に聞いたことがありません。相当な値段がついたでしょう。これなら、ロンドン、セント・ジェイムズ・スクウェアに家を買うのも夢ではありません」


 ほどなくして、ウィスキーの樽と試飲用の瓶が一本、老人のもとに届く。

 最初に口をつけるのは自分ではない。クレイグは文字通り極上のウィスキーをグラスにつぎ、妻の遺影の前に置いた。


 レティシア、まずは君が飲むんだ。


 妻は笑ってくれるだろうか、それとも、途方もない歳月をかけ一つの約束を果たす夫に呆れるだろうか。


 十分に思える時間ののち、老人は音を立てずグラスを取った。


 やや予想の上をいくアルコールの濃さに、少しむせそうになる。しかし間違いなく、独特のスモーキーな香りと樽から染み込んだ潮の風味に、強がりながらもついに美しいままであった、あの妻がいた頃の空気が溶け込んでいる。

 そんな味がした。

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