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サブロウ

「バーちゃん、サブロウって誰?」


「おとーちゃん(亡くなった夫)の、従兄弟の孫やと、言ってた。名字は忘れた」

「そうか親戚なんだ。加藤さんの、家の前で死んだの?」

 バーちゃんは聖には答えず、

レイに、

「かわいい坊や、……これ、食べて」

と、饅頭を持ってきた。

「気味が悪かったから、それで、来はったんやな。悪かったなあ。新しく家が建ってたから、もう行かないつもりでした。忘れて下さいね」

加藤夫婦に頭を下げる。

「いえ、そんな。……これも何かの縁ですからサブロウさんの事知りたいと思っているだけです」

と、加藤の妻。


「サブロウは、死ぬ二日前に、此処へ来た。それが、後にも先にも、あの子に会った1回きりや。オートバイに乗って、尋ねてきた」

奈良の山奥に遠い親戚が居ると聞いていた。

名字は楠本で酒屋をしていると。

オートバイで一人気ままな旅の途中で

偶然、「楠本酒店」の看板を見つけた。

店に入った。

サブロウはそう言った。

「あの子は、山菜うどんを、注文した。まだ食堂やっていたからな。お代はいらないと言ったけど、払うと言う……でも、財布が無かった。どこかで無くしたのや」

 お金が無くては困るだろうと、

 数万渡した、と言う。

「東京に帰ったら、すぐに現金書留で返しますと言って、ここの住所を聞いた。愛想の良い、いい子やった。大学生で春休みと言ってた……山を越えて和歌山へ行くと話していたのに、死んでしまって可哀想で」


「ばーちゃん、サブロウさんはどうして死んだの?」

「それがな……自殺やねんで」


「……家の前で、ですか?」

加藤が聞いた。

バーちゃんは、首を横に振る。

「そこに、あったのは、オートバイと鞄や。鞄の中に遺書があった。ここの住所を書いたメモもあった。それで駐在さんから連絡があった」

「成る程。それで遺体はどこで見つかったの?」

「山で首つりでもしたかと、捜索したけれど見つからなかった」

どんな事情かは分からないが、

オートバイを加藤家の前辺りで乗り捨てて

バスにでも乗って、移動したと推測された。


「別の場所で自殺したの?」

「さあ、どうかなあ」

「バーチャン、親戚だろう? どうして知らないの?」

「親戚といっても遠いで。おとーちゃんの従兄弟が何人かも知らん。警察が、サブロウがここに来たことは、家族に知らせた筈や。でも何の連絡も無い」


「とにかく、うちの前にあったのは、オートバイ、なんですね」

 加藤は、ほっとしたようだ。


「前か、どうか。あの辺りと聞いただけ。どこで死んだかわからない。花を供えたのは、丁度いい花立てがあったから」

「そうだ、アレの事も聞きたかったんだ。石の花立て、アレ元々は何? 」

「……決まっているやンか、アレや」

 知っているらしい。

 これも問題解決か。

「何?」

「アレは……あかん。知っているのに言葉が出てこない」

「忘れたの?」

「忘れてない。言葉が出てこないだけ……アカン。今度教えてあげる」

 と、解決は先送りになった。


「あの……上の洋館、いつ行っても留守のようで。別荘なんでしょうか?」

 加藤の妻が聞いた。

「ミチルさんが一人で住んでる。水色の軽自動車乗ってはる」


「車があれば在宅なんですね。ではまた主人と訪問してみます」

 と、加藤の妻。

「ミチルさんはね、早くに東京に出て、十五年くらい前に村に戻ってきた。誰とも付き合いは無い。別世界の人やからね。女優さん、やったの」

 聖は<いつも着物のミチルさん>だと、思い出した。


「女優……映画やテレビに出ていた?」

 加藤は聞く。

 好奇心は微塵もなさそう。

 面倒くさそうな隣人だというニュアンス。


「出ていた、らしい。私はこの村に嫁に来た身やから、ミチルさんの若いときの事は知らないけど」

「成る程」

 言った後で、聖は考えた。

 このバーチャンはが嫁に来たのは、60年以上前だ。

 それで、若いときの事を知らないという。

 つまり、ミチルさんは……。


「高齢の女性が、あの大きな家に一人で住んでおられるのですね。ぜひお会いしたいですね。何か役に立てることがあるかもしれない」

 老婆とわかり、加藤は一人暮らしの身を案じたようだ。


「神流さん。感謝します。サブロウさんの事実が分かってスッキリしました。非科学的なモノを恐れていたのが、救われました」

 加藤は、別れ際に頭を下げた。


「加藤さん、もう一件ありますよね。10年前の変死体。事実を調べられるかも。分かったら電話します」

 聖は、結月薫をあてにしていた。

 幼なじみの刑事に聞いてみようと。

 <死の影>が憑いている

 レイが気になって

 心配で

 加藤家とこれっきりには出来なかった。


山田動物霊園に戻ると

シロは嬉しそうに飛びついてきた。

顔を舐められると、バニラの臭い。


「にーちゃん、ケーキ食べて」

 事務所には鈴子と、社員の矢野がいた。

 大きなフワフワしたショートケーキを勧められた。


「途中に牧場あるでしょ。そこで売っていたんです」

 矢野は、言って席を外した(外へ出た)。


「加藤さんとこの、あの子、真っ黒な影、憑いてた」

「真っ黒、なんですか」

「そう。それがな、にーちゃんが、ここに入って来たとたんに、薄くなった」

 

 山田鈴子は死が近づいた人の背後に<黒い影>が視える。


「今まで、こんな事は無かった。一度も無かった」

「あの子は、死ぬ運命だったけど、僕に会ったことで、運命が変わったという事ですか?」

「そう思いたい。影を背負った人は必ず死んでしまった。そっちが偶然で、運命が変わることもあるのなら、どれだけいいやろうと、思う」

「そう、ですね。……僕はあの子を救いたい、ですよ」

 でも、

 自分との出会いが加藤レイの未来を少し変えたとして、

 それは逃れられぬ<死>を、少し先延ばしにする程度の影響力かも知れない。

 鈴子が<死の影>を視た人たちを、結局救えなかった過去は、重い。


「加藤家と接触は続けます」

 楠本酒店を訪問した結果を報告し、また会う事になると話した。

「にーちゃん。ありがとう」

 鈴子は微笑んだ。

 柄にも無く、少女のような柔らかい微笑だった。


鈴子はレイを救うことだけを考えていた。

加藤夫婦の悩みは、比べれば些細な事と捉えていた。

家の前で何人死のうが、実害は無いと。


聖も、この時点では同じように捉えていた。

サブロウの正体は分かった。

家の前で死んだのではない。

謎の洋館の住人も分かった。

もう一件、お参りに来た話も

死体があった場所が、家の前とは限らない。

いや、家の前でも、

<一つの死体>なら、非科学的現象ではない、と

理知的な加藤は解釈するだろう。


聖はレイに心を捕らわれすぎていた。


だから


たかが<一つの死体>だ、と考えた。

<三つ目の死体>を数え忘れていた。

<犬の死>を、忘れていた。

ただの交通事故だと、スルーしてしまったのかも知れない。




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