ろくじゅういっかいめ 彼女は笑う、かな?
ころころと、目の前の少女は笑っている。桃色の髪をツインテールにした紫の瞳を持つ幼女の手に抱えられているのは、彼女の身長の半分ほどのくまの人形だ。
しかしその人形の目はギラギラと輝いていて、それなりの威圧感を与えていた。
最初に声を上げたのはテーラ。聖神の悲劇は文献では語られないが、大賢者との戦いの一部始終は書かれている。
その一部始終のなかのひとつが目の前の少女だったのを覚えているのだ。
「冥王アデル……! なんでこんなところに……」
『面白そうだったからに決まってますわ。英雄に味方するなんてごめんですけど、楽しそうなことは進んでやりますのよ?』
『昔からのお嬢様の好奇心には困らされますね……否定はしませんけど』
地獄ですらも収容できぬほどの罪を積み上げた罪人が向かう世界、冥界。その冥界を統べる王こそが目の前の幼女アデルなのだ。
見た目からは想像できないが、邪神を一振りで滅ぼせる実力を持ち、なお、彼女に死の概念はないため倒すことは不可能。
だからといって逃げるわけではないが、幼い女の子にふさわしくない眼光にルネックスは確かに戦慄していた。カレンもシェリアも、フェンラリアだってそれなりに強いものをみてきたつもりだ。それでも、圧倒的に彼女は違った。
アデルの後ろに立つ冷たい目をした紫髪のメイドが抑揚のない声でそう言った。
『……これは失礼しました。私の名はナタリヤーナ・クロムフォルナです。こちらは我がお嬢様、アデル・シーナヴェスです。彼女が抱えているこちらの人形ですが、シエルと言う名を持っております。何か不満はありますか?』
―――人形と言うでない。我は立派な自律神経を持っている……
その人形、シエルの声は全体に響いていた。何処からともなく声がするという表現が正しく、目の前の人形から声が発せられているとは到底思えない。
ルネックスにとって疑問などいくつもいくつも湧き出てくる。見ると、ヴァルテリアが口をあんぐりと開けて固まっていた。
魔王アステリアならば、圧倒的規格外のアデルの存在を知っているだろう。『魔』の一族の原点である彼女の姿を見たのは一度や二度ではない。
この命さえも彼女に作られた物なのだから、彼女の驚きは皆より多いだろう。
「あ、アデル様……私たちが何をしようとしているのか、分からないわけではありませんよね……? 何故止めるのですか」
『魔界に手を出されたら困るからですわ。残念ながら、あそこにはわたくしの気に入った相手がおりましてよ。ですから、戦争ですわ』
「へぇ、そんなことで戦争なんて起こせるんだ。方法なんてアンタほどの人ならいくらでも思いつくと思うのに」
アデルの言葉にテーラは反論する。アデルはくすくすと笑いながら「できますわ」と答えた。聖神の時とはまた何かが決定的に違う。
彼女は守るために戦っている。彼女の中では全てが正当化されている。原点である自分こそが正しく、覆そうと思うものは容赦なく切り捨てる。
ということで、冥界が神界の味方に付いたことは分かった。アデルの言葉によると、自分が勝てば神界は滅ぼしてくれるらしい。
聖神も反論はない。神界など、彼女にとって無い方が良いと思っていたくらいだ。それに邪神の力は魔界の方が良く発揮できる。
それでも譲れはしない。あれだけ仲間が居なくなってしまったのだ。今のルネックスに引くことなどできるものか。
世界の巡回と言う名の勝利を、誰にだって譲ってなるものか―――!
「世界の巡回は僕がしないと駄目ってわけじゃないと思ってる。……でも少なくとも僕は色んな人に期待されてるから。僕の帰りを待ってくれる人がいるから。何かを成し遂げて、褒めてくれる人だっているから」
ルネックスは目を閉じた。コレムが期待してくれている。ハイレフェアが待ってくれる。ハーライトが、ぺチレイラストが、ウリームが、ミェールが、今まで出会ったすべての人たちが、きっと戻ったら褒めてくれるかもしれない。
その期待が後押ししてくれるからこそ、ルネックスはどこまでも進めるのだ。アデルは顔をしかめた。なにがゆえにそうしたのかは分からない。
『そう言うと思いましたわ。ゼロの二人ですら知らない、世界の原点を知らない者は皆そう言いますの。世界とは使い捨てですのよ? 巡回させて更新するより―――しゃべり過ぎましたわね。さぁ、戦いましょう?』
『お嬢様。僭越ながら申し上げましょう。シエル様が怒っておりますよ。いうなら最後まで喋れと申し上げております』
『そんなの放っておきなさい。わたくしは話すのではなく、自然と口から出てくるかのような状況が欲しいのですわ。そうさせてくださるなら、全てを話しますわよ?』
不敵な微笑みは、幼児とも呼べるほど小さな少女には似合わない。何処からどう見ても原点から存在する冥王には見えない。
ルネックスは頷いた。世界の真実をアデルが持っているというならば、己の全てをもってしてそれを求めよう。
真実が欲しい。知りたい。解りたい。リンダヴァルトでもテーラでもできなかったことを、自分の手で成し遂げてみたいのだ。
自分だけの何かを求める。もっとだ。こんなのではいけない、ルネックスのすることはもう成長ではない。それは成長と言う代物ではない。
無限を求めた英雄は、無限を突き破って上がっていく。目を閉じて集中する。どのスキルを使えばいいのか、鮮明に分かってくる。
「……うん。いいね。頃合いだ。ボクら英雄が冥王の足止めしておくから、集中して聖神と戦ってきなよ。カレンちゃんシェリアちゃん、フェンラリアちゃん。頑張ってね」
「えっでも……テーラ様は、どう、なるんですか」
「もって封印するくらいじゃないかな? ボクにはもう成長なんてないから。あの時のままとは言わないけどね。だからボクが負けるときにはルネックスがステージに上がってこれるようにしておく。―――みんな、負けんなよ!!」
ルネックスの言葉を遮ってにかっと笑って見せたテーラは、ヴァルテリアたちを引き連れて聖神とアデルと対決するグループを分けた。
こうしなければいけないと備わった大賢者としての経験が警鐘を鳴らしている。絶えず、逃げろ、戦うなと叫んでいる。
だが、少年が戦っているのだ。またあのときみたいに魂を失って死んだとしても、テーラはルネックスの補佐をやろうと決めたのだ。
此処に居る全員がそろってアデルを攻略してようやく彼女に負傷させられるくらいだ。だが、テーラには勝つ自信があった。
ゼロの二人がもうすぐ救援に来る。何故なら、ゼロ1は天界より上の世界から離れられないと言っていたが、それをテーラが引きはがした。
約束を守ってくれるのならば、もうすぐで彼らが到着するころだろう。
「……はいっ。ありがとうございます。カレン、シェリア、フェンラリア。カレンとシェリアは魔術で援護を頼むよ。フェンラリアは自由行動。ただ、世界の亀裂にも気を配って欲しい。僕の行動については誰も心配しなくていい、気にかけなくてもいい」
「っで、ですがルネックスさん! また、また無茶をしますよね? やめてくださいよ、私はこれ以上大切な人を失いたくないんで―――」
シェリアの言葉を遮って、大爆発が起きた。後ろを見ると、リーシャの姿がない。シェリアが一瞬目を離したすきに何処かへ行ったのだ。
そしてこの大爆発は彼女が起こしたものだろう。瀕死なうえなのに何をしているのか。見ると、ガレクルの脇腹が負傷している。
フェスタがリーシャを蹴り飛ばし、ロゼスの精霊であるスラインデリアが彼女にとどめを刺した。ルネックスは歯を噛み締めると、彼らの間をくぐってリーシャを抱き上げた。
スラインデリアの速度はすさまじく、とどめを刺す瞬間にルネックスの視界に霧をかけて、フェスタがスラインデリアに向かって彼女を蹴り飛ばしたのも彼らの信頼度を表している。
「リーシャ、分かる? ……ゼウス様、セバスチャンさん、カレンとシェリアと共に頼みました! 僕はリーシャを……!」
「「ああ」」
「―――アデルか? 何をしている?」「本当にアデルなのか」
ルネックスがリーシャを抱えて、回復をするフィリアのところまで行こうと走る。ルネックスのいた場所はゼウスとセバスチャンがカバーした。
そんなルネックスと入れ替えるかのように来たのはゼロの二人だ。世界の原点と呼ばれる二人の重圧で、天界の扉がパァンと音を立てて割れた。
勿論アデルが現れたときもそうだ。しかし彼女の場合世界の亀裂を広げてしまっている。テーラは聖神の時と同じことが起きている事を感づいた。
ゼロの二人に気が付いたアデルは彼女たちに無邪気な笑顔を向けた。
『お久しぶりですわね、ゼロ! ……でも、ごめんなさい、ですわっ』
アデルはゼロ2が何か言う前に、彼女を闇に包んだ。闇が薄れたとき、彼女の眼は虚ろになり、何秒かすると倒れた。
ゼロが目を見張る。ゼロ2と同じ闇の力で、ゼロ2に打ち勝った。ならば光の全能神である自分が―――と思うが、絶対と断言できるほど勝つのは難しい。
確かに、何秒か対抗ならできるだろう。その間に英雄が攻めれば傷のひとつくらいは与えられるかもしれない。
だがそれだけだ。圧倒的上位の相手に、何ができようか。
『……わたくしは、闇の女王ですわ。闇を司るだけではなく、闇をゼロから産み出した真の『零』ですのよ。わたくしは許されますわ。わたくしの面白いと思ったことは続けられるべきですわ。ねぇ、そう思いませんこと?』
『―――お嬢様のいう事ならば、私は全てを肯定してみせましょう』
ナタリヤーナはアデルの全てを知っている。シエルよりもずっと長く彼女と一緒にいたからだ。それは五十万年ほど。
しかしアデルは何百倍でもある五十兆年以上も前から存在しているのだ。宇宙に広がる莫大な闇さえも、彼女が作り出した。
天の池が暴れ狂う。人間界の地震はもはや死人を一秒に十人出すほどには揺れている。天も地も、圧倒的な強さを持つ者を存在させることを許さない。
しかし叶わない。敵わない。ナタリヤーナはこの勝負の先が分かっていた。
誰よりもお嬢様の事を知っている。少し、高飛車かもしれない。ちょっと、自己中心なことを言っているかもしれない。
でも彼女には分からないのだ。どうすれば自分というものが現れるのか分からないのだ。これは、彼女が必死に求めた結果なのだ。
ならば、アデルに命を救われたナタリヤーナは、それを肯定するしかない。
「……闇は、やはり歪んでるね。人を侵食していく。ボクを抜けてから言うんだなッ、ボクに新しい世界をもっと教えてッ!」
『嫌ですわ。求められるなんて知りませんのよ。わたくしは、わたくしは……どうすればいいのか分かりませんのっ。だから、悩ませる者はすべて、排除ですわ!』
混乱はもうしたくない。できないことをやってまた一人になりたくない。アデルの心は幼い少女だ。意識ももうろうとしている、幼児なのだ。
あまりにも単純な考えに、重い経験をしてきた大賢者テーラは顔を歪ませる。様々な教えや説教が頭の中をぐるぐる回る。
これが許されるのなら、自分がやって来たことに果たして意味はあったのか。
―――考える前に、テーラの胸には闇の槍が突き刺さっていたのだった。
「ぅ……ぁ」
『どうですの? まだ続ける覚悟が―――おありで?』
たったの十秒。闇が広がった。次の瞬間には―――ルネックス一行とゼウス以外の全員が地に伏せていたのだった。
くすくすと口に手を当てながら笑う彼女は、圧倒的強者だった。
『さぁ―――貴方はわたくしを楽しませてくれますの?』
アデルの抱える人形であるシエルの口が、三日月のように割けた。
ルネックス一行とゼウスは固まっている。動けない。いや、動いてはいけないという意識が無意識に生まれてしまっているのだ。
こんな戦い嫌だ、帰りたい。
あれだけの覚悟を吹き飛ばしてしまうような力と恐ろしさを、彼らは持っていた。
アデル好きだ愛してる←きもっ。
この話でこの章は終わりですが、これからひとつ幕間を差し込みたいと思っています。
それが終わったら、次の章の始まりです。




