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常盤の森へ

 

 

 ラシュリーデンの兵達と別れた一行は、街道を南へとひた走った。

 リッテンにて目と鼻の先まで縮まったマンガスとの距離の差は、同行の荷馬車がいなくなってしまったことで、再びじりじりと(ひら)きつつあった。それまで馬車に預けっぱなしだった荷物をそれぞれの騎馬に積まなければならなくなったせいだが、一番の大荷物は、馬に一人で乗れないウネンの存在だった。


 体重の軽い者がウネンを同乗させたほうが、馬への負担は少なくなる。そういう理由でまずはモウルが、ウネンに自分の(くら)を譲ってその後ろで手綱を握ったのだが、揺れの激しい後部に(くら)無し(あぶみ)無しとなれば、普段以上に筋力が必要になってくる。半日も進まないうちにモウルはあっさりと()を上げ、オーリの馬の荷物とウネンとを交換することとなった。


「やっぱり、ぼくもリッテンで待ってたほうが良かったんじゃ……」


 馬から落ちないよう(くら)前握り(グリップ)を握り締めながら、ウネンが(つぶや)けば、背中からオーリの声が響いてくる。


「気にするな」

「でも、どう考えても足手まといになってるよね……」

「ヴァイゼンの城で俺達の邪魔が入ったから、奴はお前を置いていったが、可能ならばお前を利用したいに決まっている。お前がいてくれたほうが、奴に対する牽制(けんせい)になるだろう。とモウルが言っていた」


 そう言うオーリの声は、少しばかり硬い。実はオーリは、当初ウネンを討伐隊に加えることに反対していたのだ。討伐隊の目的は、マンガスを捕まえる、もしくは殺すことだ。その場にウネンがいる必要は無い。わざわざ自分から危険な目に()いに行くことはないだろう、というのがオーリの意見だった。


 確かに、オーリとモウルならば、ノーツオルスという得体のしれない怪物(マンガス)相手にこれ以上はない戦力になるだろうし、ヘレーは、その知識でマンガスの行動や意図を読むことができる。対してお前は一体何ができるのかと問われれば、ウネンには「おとなしく城で留守番をしています」としか答えようがなかった、はずだった。

 それに異議を唱えたのがモウルだった。彼はルドルフ王に熱心にウネンの有用性を進言し、その結果、十人目の隊員としてウネンに馬車の御者台の席が与えられたのだ。


「彼だって、目的を達成する際に自分の記憶を犠牲にせずに済むならそれにこしたことはない、って思ってるに決まってるって。つまり、ウネンがいてくれることで、彼の攻撃の手を鈍らせることができるんだ。連れて行かない手はないさ」


 耳(ざと)いモウルが、そう言ってウネン達の横に馬を寄せてくる。

 オーリが小さく鼻を鳴らした。


「本当に、それだけか?」

「それだけ、って、他にどんな理由があるって言うのさ?」

「分からないから、()いている」


 いつになく不穏な沈黙が二人の間に降りる。身の置き所を探してウネンがきょろきょろと辺りを見まわした時、先頭を進んでいたヘレーが三人を振り返った。


「次の町が見えてきたが、もう少し進むかい?」

「そうですね。かなり月も丸くなってきましたし、もう一つ次の町まで行ってしまいましょうか」


 モウルが今度はヘレーのほうへ馬を寄せていく。

 ウネンは、背後のオーリを振り仰いだ。


「何か気になることでも?」

「……いや、気のせいだ。たぶん」


 懸念を振り払うように二度ほど頭を振ってから、オーリもまた前を行く二人に追いつくべく馬の歩幅を伸ばした。(あぶみ)も無いのにまるで自分の手足のように馬を扶助するさまは、流石(さすが)の一言だ。

 手綱を握るオーリの腕を視界の端に意識しながら、ウネンは、また今度馬の乗り方を教えてもらおう、と心の中で(つぶや)いていた。


 


 


 日々、月の光を頼りに距離を稼いだおかげで、ウネン達はとうとうロゲンの一つ手前の町でマンガスに追いついた。日が暮れて辿(たど)り着いた町の宿屋で聞き込んだところ、直前にマンガスと思われる人物が部屋をとったことが分かったのだ。


 モウルとヘレーが二人がかりで宿の主人を説得し、ほどなくウネンを除く三人が、マンガスが借りた部屋に踏み込んだ。だが流石(さすが)は〈怪物〉、やはり一筋縄ではいかないようで、部屋は既にもぬけの殻だった。

 しかし、ここまで来ればマンガスの目的地がどこかはもう明らかだ。ウネン達は即座に町を出、そのままロゲンへと向かうことにした。


 ヴァイゼンを発ってから、(わず)か十九日。二箇月近くかかった行き道に比べて、驚くべき速さである。これはルドルフ王から借り受けた馬と、何よりも、道行きを急ぐに足る路銀のおかげだった。

 とっても気前が良い王様だね、と感心するウネンに、モウルは、「信用されてるからね」と一度は(うそぶ)いたものの、すぐに笑みを苦笑に変えて肩をすくめた。


「まァ、僕はマンガスの陰謀を暴いた一番の功労者だからね。信用されていないとは言わないけどさ、どちらかと言えば、姉さんの存在が大きいんだと思うよ」


 ウネンは、ああ、と息を()らした。

 ソリルがいる限りモウル達はヴァイゼンに戻らざるを得ない。ある意味、モウルはルドルフ王に人質をとられているようなものなのだ。


「だから、さっさとマンガスの件を片付けて、姉さんを迎えに行かないとね」


 そう言ってモウルは後方、(はる)か北の遠くをしばし見つめた。


 


 ウネン達がロゲンの町に着いた時には、夜はとっぷりと更けてしまっていた。

 黒鉄(くろがね)色の空に、立待月(たちまちづき)が淡い光を振り()いている。視線を背後に向ければ、月光を映して(ほの)かに浮かび上がる山肌とは対照的に、まったき黒に染まる底知れぬ闇――大樹海が見えた。


 ウネンは、かじかんだ両手を手袋ごと何度もこすり合わせ、ほぅと息を吐いた。三箇月前にこの町を訪れた時には(いだ)かなかった、懐かしさにも似た感慨が、白い息とともに夜陰に染みわたっていった。


 


 終課の鐘(午後九時の鐘)が鳴り響く前に、四人はなんとか宿屋に部屋を一つ確保することができた。


「マンガスはもうこの町にやってきてるのかな……」


 ランプの炎揺らぐ食堂のテーブルにて、ウネンは思わず周囲を見回した。時間が時間だからだろう、ウネン達の他に客は(わず)か二人だけ。互いに離れたテーブルで酒を飲むどちらの客も、マンガスとは似ても似つかぬ体形をしている。


「どうだろう。いくら腕の立つ魔術師だからといって、一人っきりで夜道をゆくのはかなり勇気のいることだからね……」


 モウルが空になった(わん)を脇によけ、干し肉を乗せたパンを口に運んだ。

 宿屋の奥さんの厚意で、残りものだというスープをご馳走(ちそう)になった四人は、そのままテーブルを借りて手持ちの食料で遅い夕食を()っているところだった。


「仮に無理をおして夜間に移動するとしても、僕が奴なら、もう流石(さすが)に町には入らないだろうね。かといって、この暗闇の中、森に入る危険を冒すなんて言語道断だし、どこか郊外の農場の納屋や牛小屋などの屋根の下を拝借して寒さを(しの)いでいる、ってところじゃないかな」

「俺達はどうするんだ?」


 今にも外に飛び出していきかねない、そわそわと落ち着きのないそぶりでオーリが口を開く。「奴を捜してまわるか、それとも、待ち伏せをするか」


「捜すって、僕らは四人しかいないんだよ? 待ち伏せするにしたって、夜の森は危険だ、って僕いま言ったよね。そもそも、明るくならなきゃ森の中で探し物なんてできないでしょうが」


 露骨なあきれ顔でモウルが返答する。

 一瞬だけムッとした表情を浮かべたものの、すぐにオーリはいつもの真顔に戻った。


「つまり、全ては夜明けを待ってから、ということか」

「当然でしょ」


 モウルが、手についたパンの粉を(わん)の上で払いながら言葉を返した。


「繰り返すけど、僕達は四人しかいないんだからね。奴がどこから森に入るかなんて予測のしようがないから、遺跡を目指すのが最善だろう。僕らのほうが先に遺跡を見つけ出せるならそれに越したことはないけど、仮に待ち伏せができなくても、最終的に奴を捕まえられたらそれでいいわけだし」


 そう滔々(とうとう)と語った彼は、次にヘレーに顔を向けて、「その『全てを統制していた船』って、里の神庫(ほくら)と比べてどんな大きさなんですか?」と問う。

 ウネンの向かいの席で、にこにこと若者達のやりとりを見守っていたヘレーだったが、モウルの問いを受けるや「おお」と居住まいを正した。


「確か、司令船は一般の移民船に比べて一回りほど小さかったと聞いている。移民船のほうは、沢山の人々を運ばなければならなかったからね。いくら眠っているといっても、人間を荷物みたいにぎゅうぎゅうには詰められないし。ただ、司令船には、移民船には乗せきれなかった大きな荷物を沢山積んでいたそうだから、そこまで大きさに差はなかったようだね」


 なるほど、と、モウルが満足そうに笑みを浮かべた。


「一回りだけなら、きっと僕らにもすぐに遺跡を見つけられるさ。そもそも、奴だって遺跡を偶然見つけたわけなんだからね」


 異議はあるかとのモウルの声に、残る三人は静かに首を横に振る。


「じゃあ、明朝、空が明るくなる前に森に入り、問題の遺跡を探し、奴を待ち受ける、と。こんな感じで行こうか」


 


 そうと決まれば、さっさと床に入って明日に備えなければ。一同は食事を終えるなり早々に部屋へと引っ込んだ。

 ランプを窓枠の棚に置き、ウネンとヘレーで荷物を部屋の隅に積む。オーリとモウルは三つの寝台を一箇所に集めて、雑魚寝の寝床を作った。寝台の数が足りない時の常用手段である。


「それにしても、マンガスは司令船の遺跡を使って、どうやって神様を滅ぼそうっていうんだろう……」


 全員に順番に毛布を配りながら、ウネンは、つい独りごちた。ヴァイゼンの城でマンガスに連れ去られそうになって以来、ずっと気になっていたことだった。


「遺跡そのものか、遺跡に残っていた何かを使って、源文明の存在を広く人々に知らしめようってんじゃないの? そうやって、神とヒトとの全面対決に持ち込もうって腹なんじゃ」


 早々に毛布を身体に巻きつけたモウルが、そう言って一番壁際の場所に身を横たえる。


「でも、あの時マンガスは『神を真に滅ぼせる』って言ったんだよ」


 ウネンが食い下がるのを聞いて、オーリが欠伸(あくび)を押し殺しつつモウルを振り返った。


「何か使えそうな武器を見つけた、という可能性はないか? ラシュリーデンの軍勢に匹敵するような」

「使える、って、二千年もの歳月を乗り越えてかい?」

「むう」と押し黙るオーリに代わって、ヘレーが「ふむ」と顎に手を当てた。

「もしも……、もしもだよ。彼が言ったという『司令船が残っていた』という言葉が、もしも里の神庫(ほくら)のように今もなお『司令船が生きている』という意味だとしたら……、それなら……」


 眉を寄せてしばし考え込んだのち、ヘレーは肩をすくめて首を横に振った。


「いや、もしもそうなら、ソリルさんが黙っちゃいないだろう。往路だけで何箇月もかかるカフタスの遺跡なんて見に行っている場合じゃない。きっと夢中になって何年もここから離れなかったに違いないからね……」


 壁際から「そうそう」と欠伸(あくび)混じりのモウルの声がする。

 その一瞬、ウネンの脳裏で何かが(きし)んだ。

 ウネンは息を詰めて、違和感の正体を探ろうと意識を内に向ける……。


「ともあれ、今日も疲れただろう、ウネン。明日は早いんだから、もう寝なければ」


 ヘレーが大欠伸(あくび)とともにウネンに声をかけた。

 指の隙間から何かがするりと逃げ去った、そんな気がして、ウネンは思わず()め息をついた。

 気を取り直して周囲を見渡せば、既にオーリも毛布にくるまってモウルのこちら側で寝息をたてている。ウネンもせかせかとその隣に横になった。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 ヘレーがランプの(あか)りを消す。暗闇とともに眠気があっという間に押し寄せてきて、ウネンはそっと(まぶた)を閉じた。


 


 


 瑞々(みずみず)しい風が頬を()でる。

 そこかしこで木々の葉が一斉に(ささや)き、黄金(きん)の光が乱舞する。

 若草、萌黄(もえぎ)常盤(ときわ)に青磁、濃いも薄いも、明も暗も、あらゆる緑が風を紡ぎ、木()れ日を編む。


 ふと、木立の遠くに人影を見たような気がして、ウネンは目陰(まかげ)を差した。

 (かげ)よりも深い影が、風にそよぐ。一切の光を映さない、魔術師の黒。

 雲が出たのか、急激に辺りが暗くなった。緑は灰に、灰は墨に、やがて全てが闇に塗りつぶされてゆく。全ての光を()らい尽くす、まったき黒――


 


 何か――何者か――に肩を揺さぶられて、ウネンの意識は闇色の糸を引きながら浮上した。(あえ)ぐように息を繰り返し、重い(まぶた)を必死で持ち上げる。

 そこは、ロゲンの宿の部屋だった。三つの寝台を寄せた広い寝床の上、ウネンは右肩を下に毛布にくるまっている。目の前にはヘレーの広い背中。背後からは、規則正しいオーリの寝息。


 と、そこでようやく枕元を照らす(ほの)かな(あか)りに気がついて、ウネンは慌てて身を起こした。

 ランプを手にしたモウルが、寝台に膝をついてウネンを(のぞ)き込んでいた。


「どうしたの、モウル……」


 もう起きる時間なのだろうか。しかし頭にのしかかる眠気の重さが、その可能性を否定する。

 (だいだい)の炎がモウルの笑みを揺らした。出会って間もなくの頃に時折目にした、あの冷徹な笑みを。

 怪訝(けげん)に思うウネンの耳元に、モウルが口を寄せる。


「さァ、神々から科学文明を取り返しに行こうか」


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