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おまもり

 

 

 東門で合流した三人は、モウルの案内でヘレーが住んでいるという家へと向かった。

 職人街の南西、(かぎ)の手の形の広場を中心とした大きな市場(いちば)の外れ。運河から分かれた細い水路を挟んで、北側に皮なめし工房が、南側に肉屋がある一画へと彼らはやってきた。


 食肉処理場の南側には、町ができた頃からあるという古い墓地が、そしてその更に南には、宿の女将(おかみ)に「近寄るな」と警告された貧民街があるという。市場(いちば)の中心部に比べてやや寂れた雰囲気の街路に、何頭もの豚の鳴き声が騒々しく響き渡っていた。


 ヘレーの部屋は、皮なめし工房に隣接する靴屋の二階にあった。三部屋ある下宿のうち一番南側の、水路に面した部屋ということだった。

 靴屋の店主でもある家主は、店舗の奥の物置を兼ねた部屋へとウネン達を招き入れた。三人を頭のてっぺんからつま先まで不躾(ぶしつけ)なほどにねめまわし、最後にもう一度ウネンを()めるように見つめ、それから難しい顔で(うな)り声を()らした。


「確かに先生は、故郷(こきょう)に息子と娘がいるって言ってたけど……」


「娘」はともかく「息子」との発言を聞き、ウネンもモウルも思わずオーリを振り返った。

 当のオーリは、いつもの仏頂面のまま、ぷいと明後日のほうを向く。


「……で、あんたがその息子さん?」


 家主がそう言ってウネンを指差すや否や、オーリとモウルが声を(そろ)えて「娘です」と訂正を入れた。


「あ、ああ、こりゃ失礼した。娘さんかい」


 げほんごほんとわざとらしい(せき)払いを繰り返したのち、家主は大きく息を吐いた。


「実はヘレー先生、かれこれもう半月ほど部屋に帰ってきていないんだよ」

「帰ってきていない、って、それはどういうことですか?」


 ウネンは思わず家主に詰め寄っていた。自分の声が、自分のものとは思えないほど震えているのが分かった。

 家主は、「まあまあ落ち着いて」と両手でウネンを押しとどめると、またも大きな()め息をついた。


「腕の良いお医者だから、どこかお屋敷に呼ばれて重病人の看病にあたっている、なんてこともあるだろうと思って、部屋は手をつけずにおいてあるんだけどね。先生には本当に世話になったから……」


 静まり返った部屋に、再再度家主の()め息が響く。

 せっかく住んでいる部屋まで分かったというのに、事態はまた振り出しに戻ってしまった。ウネンは唇を()んで足元に視線を落とす。

 と、ウネンの肩がポンと軽く(たた)かれ、モウルがウネンの横へと進み出た。


「それなら、ヘレーさんの部屋を見せていただけませんか?」


 モウルが問うた途端、再び家主の目に懐疑的な色が差した。


「しかしねえ、勝手に他人を中に入れるわけにはねえ……。だって、娘だ、って、あんたらが言ってるだけだし……。先生に()いてみないことには、勝手にはねえ……」

「ええと、あの、親子の証明まではできないけど、一緒に暮らしていたしるしみたいなものがあれば、信じてもらえますか?」


 ウネンは(かばん)の一番底から、一巻きの羊皮紙を取り出した。


「これ、ぼくが子供の頃に、父から文字を教わった時の書きつけなんです」


 麻(ひも)をほどくのももどかしく、ウネンは羊皮紙の巻きを伸ばしていった。

 一番上、几帳面(きちょうめん)な文字で「ウネン」と書いてあるのが、まず見えた。そのすぐ下には、お手本を真似たたどたどしい子供の字。

 三行目、一行目と同じ筆跡で「ヘレー」と記されているのを見て、家主が色めき立った。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」


 そう言い置いて、家主は奥の扉へと引っ込んだ。帳面を手に戻ってくるや、ウネンの手元の紙と見比べる。


「ああ! 本当だ! ヘレーさんの字だ! ここの端っこがくるんってなっているところとか、そっくりだ!」


 そういうことなら、と、家主は鼻息も荒く奥の部屋へと走っていった。ヘレーの部屋の鍵を取ってきてくれるらしい。

 ありがとうございます! と家主を見送るウネンの手元を、モウルとオーリが(のぞ)き込んできた。


「捨てずにずっと持ってたんだ」


 モウルがそっと目を細める。

 ウネンは少し照れ臭くなって、書きつけに目を落とした。


「迷子札代わりになるから、って言われてたし」


 更に少し巻きをほどけば、五行目に「イェゼロ」と町の名前があった。続けて「バボラーク領、チェルナ王国」。勿論(もちろん)その下には、練習した幼いウネンの筆跡が並んでいる。


「あれ? まだ続きに何か書いてあるみたいだけど?」

「あ、いや、それは」


 ウネンは慌てて羊皮紙を仕舞おうとした。が、横から伸びてきたモウルの手が、強引にウネンの手ごと羊皮紙の巻を伸ばしていく。


「ええと、その、あの、これは、(つづ)り方を間違えないように、って思って」


 住所の下には人名が並んでいた。ヘレーの字ではなく、随分と上達したウネンの字で。一行ずつ、丁寧に。「ミロシュ」「ゾラ」「シモン」「イレナ」。ふるさとでウネンを待つ、養父母と友人達の名が。

 そして、更にその下、少し隙間が空いて、まだ色()せていないインクで「オーリ」「モウル」と……。


「だからぁ! (つづ)りを間違えないように、って!」


 あまりの気恥ずかしさに、ウネンの声が大きくなる。

 モウルが、ふう、と息を吐いた。


「……いや、まいったね、こりゃ」


 そう言ってモウルは傍らのオーリを振り仰いだ。

 オーリは、右手で口元を覆ってただひたすら立ち尽くしている。指の隙間から見える頬が、心なしか赤い。


「緊張とか気負いとか、なんかもう、今ので全部どっかへ飛んでったなァ」

「……まあな」


 オーリが辛うじて一言を返した時、家主が鍵を持って戻ってきた。「こちらへどうぞ」と表の階段へ一同を先導する。


「さーて、やる気も出たところで、さっさと親父さん見つけようか。なあ、兄さん」

「お前のほうが俺よりも年上だろう」


 二人の軽口を背中で聞きながら、ウネンは、手のひらと手の甲とを交互に頬に押し当てて、上気した顔を冷まそうとするのだった。


 


「いやあ、正直、ヘレー先生がこのまま帰ってこなかったらどうしよう、って困ってたんですよ」


 そう言って家主が鍵を回す。錠のはずれる小さな音を聞き、ウネンは思わず両のこぶしを握り締めた。


流石(さすが)に『今日明日に』とはまいりませんが、でも、僕達が必ずヘレーさんを捜し出してみせますよ」

「頼みましたぞ、魔術師様」


 よそゆき顔で微笑(ほほえ)むモウルに、家主はすがるような眼差しを向けた。「私にできることがあれば、遠慮なく言ってください」

 木の(きし)む音とともに、扉が開かれた。

 柔らかな日の光差し込む、居心地の良さそうな部屋がそこにあった。

 広さは、今ウネン達が泊まっている部屋と同じぐらいだろうか。木製の寝台に、衣装棚、窓の下には小ぶりではあるが書きもの机まである。


「いい部屋ですね」


 モウルの言葉を聞くなり、家主は「そうでしょうとも」と破顔した。


「ここらは町の外れですからね。あそこの肉屋の豚の鳴き声もうるさいですし、そういったことの埋め合わせに、部屋の中では快適に過ごしていただこうと思いまして……」


 家主は、まるでお客を相手にしているかのように、よどみなく語り続ける。

 ウネンはその横をすり抜けて、部屋の中へと足を踏み入れた。

 机の上には、何も記されていない草木紙が数枚と、インク(つぼ)と羽根ペンがあった。ペン先のインクは一応拭われてはいたが、裏側に拭き取り損ねた黒色がこびりついている。きっと、またすぐに使うつもりでいたのだろう。


 寝台の手前の床には、部屋の中で使っていたと思われる木の皮のサンダルが、ぞんざいに置かれていた。壁のフックには、火の消えたランプ。ざっと部屋を見まわしても、他に私物は見当たらない。

 (かす)かな躊躇(ためら)いののち、オーリが衣装棚の扉を引きあけた。

 ウネンもオーリの脇からおずおずと中を(のぞ)き込む。


 がらんとした衣装棚には一着の外套(がいとう)がかけられ、床面には大きな背負い(かばん)が置いてあった。見間違えるはずもない、三年前にヘレーがイェゼロの町を出た時に着ていた外套(がいとう)と、その時背負っていた(かばん)だった。


 ああ、と、深い()め息がウネンの喉からこぼれた。

 三年前のあの日、別れ際にヘレーが見せた少し寂しそうな微笑(ほほえ)みが、(まぶた)の裏にまざまざと(よみがえ)った。

 あの時ウネンは、ただ茫然(ぼうぜん)と彼を見送ることしかできなかった。ついて行くこともできず、引き留めることもできず、そればかりか「今までありがとう」と礼をいうことすらできないままに。


 ふと我に返って、ウネンは傍らを見上げた。

 オーリもまた、感慨深そうにヘレーの外套(がいとう)を見つめていた。唇こそ固く引き結ばれていたが、その(あお)い瞳は――ヘレーと同じ青碧(せいへき)の瞳は思いのほか穏やかで、まるで夜明け前の空のように澄み渡っていた。


 ほどなくオーリがウネンの視線に気がついた。(わず)かに首をかしげ、怪訝(けげん)そうに眉を寄せる。

 ウネンは胸一杯に息を吸い込んだ。


「やっと、追いついた」


 一言一言を()み締めるように言うウネンに、オーリはそっと目を細めて「ああ」と(うなず)いた。


 


 部屋のどこを探しても、ヘレーの診療(かばん)は見つからなかった。おそらくは、診察に出かけたまま帰ってきていない、ということなのだろう。

 寝具は起き抜けの状態で残されていた。机の上のペンといい、ヘレーは長期間部屋をあけるつもりではなかったようだった。


 幸い家主は、ヘレーが勤めていた診療所を知っていた。雇い主の医者の名前と診療所までの道順を、彼は快く教えてくれた。

 連絡先としてウネン達が滞在している宿の名前を家主に渡して、そうして三人はヘレーの部屋をあとにした。


 


 


 ヘレーが働いていたという診療所は、東門から西へと伸びる大通りの北側、脇道を入って少し行った先にあった。

 雇い主である年輩の医者は、多忙を理由に門前払いをくらわそうとしたが、気のいい患者が順番を譲ってくれたことで、数分の面会を取りつけることができた。


「私のほうこそ、彼がどこにいるのか教えてほしいぐらいだよ。連絡も何も無く勝手に辞められて、いや、休まれて、困っているんだ」


 白髪交じりの頭を(いら)立たしげに振ってから、医者はこれ見よがしに()め息をついた。


「いつからヘレーさんは来なくなったのですか?」

「丁度二週間前だ。それまでは、こちらが心配するほど働き詰めだったから、体調でも崩したかと思って下宿まで見に行ったのだがね。既に彼はいなくなってしまっていてな……」

「ヘレーさんは、診療(かばん)を持ったままいなくなったようなのですが、つまり、こちらに向かう途中か帰り道のどちらかで何かあった、ということでしょうか」


 モウルの質問に、医者は(いか)めしい顔を更にしかめてみせた。


「いや、それはない」

「何故断言できるんです?」


 医者はまた深い()め息を吐き出した。


「彼にはここに週に四日ほど来てもらっていたのだが、彼がいなくなった日の前日は、彼の休みの日だったんでね」

「では、ここに来る途中に……」

「話を最後まで聞きたまえ」


 容赦のない一言を(たた)きつけられ、モウルが鼻白む。

 医者は不機嫌さを隠そうともせずに、(おもむろ)に口を開いた。


「いつも彼は午後から診察に入ることになっていたのだよ。午前中は、貧民街の子供達を()に行く、と言っていた」


 モウルの少し後ろに立っていたウネンは、貧民街という単語を聞いて、思わず息を()んだ。


「その日もいつもどおりに朝のうちに下宿を出たということだったから、彼は貧民街へと向かったのだろう。きっと、そこで何か災厄に巻き込まれたに違いない。貧しい子供達を助けようという志は大したものだがね、あんな所に行かなければ、こんなことにもならなかったんだろうに、残念で仕方がないよ」


 何か、言葉に言い表せない違和感を覚えて、ウネンは身じろいだ。何か……、何かが、すっきりしないのだ。ちらりと横を見上げれば、オーリも小さく首をひねっている。


「すみませんが、正確な情報をお願いします。後ろめたさを勝手に転嫁して話を(ゆが)めないでいただきたい」


 モウルが、ここぞとばかりに反撃を開始した。


「ヘレーさんはヘレーさん、あなたはあなた、人それぞれだ。ヘレーさんが恵まれない子供達に対して慈愛(あふ)れる行動をとっていたからといって、そのことであなたが負い目を感じる必要は無い」

「負い目など、感じていない」


 医者が憮然(ぶぜん)と言葉を返す。

 だがモウルは追及の手を緩めるつもりはないようだった。


「あなたの口ぶりでは、ヘレーさんが貧民街に行っていたのは一度や二度のことじゃないんですよね? じゃあ、どうして止めなかったんです? 本当に危ないと思っていたなら、ヘレーさんが貧民街へ行くのを止めたんじゃないですか? それとも、実は彼が危険な目に()うことを望んでいた、とか?」

「まさか!」


 声を(あら)らげた次の瞬間、医者は自分がモウルの手のひらの上にいることに気がついたようだった。忌々しそうに唇を()んだのち、観念した表情で肩を落とす。


「……貧民街の連中は、典型的な『持たざる者』だ。『持てる者』が単身で不用意に迷い込めば、身ぐるみ()がされて殺されてもおかしくはない。だが、彼らは自分達に利益をもたらす者は大切にする。彼が医者として彼らに施しを行う限りは、あそこに住む連中が彼に危害を加えることはない、と思う」

「つまり、ヘレーさんが行方不明になった理由も場所も、あなたには分からない、と?」


 淡々と結論づけるモウルをひとしきり(にら)みつけて、そうして医者は「そうだ」と声を絞り出した。


 


「負い目だとかなんとかあの医者を(あお)りはしたけれど、実のところ僕は、ヘレーさんが単に博愛精神を発揮するためだけに貧民街に(かよ)っていたとは思っていない」


 大通りまで戻ってきたところで、モウルが涼しい顔でウネンとオーリを振り返った。(そろ)って眉間に(しわ)を刻む二人を見て、しっかりしておくれよ、と()め息を()らす。


「だってさ、考えてもみてごらんよ。里の追っ手ばかりか、『怪物』という名の怪しい魔術師までもを警戒した上で、『変な形の矢尻』なんて得体のしれない物の出どころについて調べなきゃならないんだよ。奉仕活動している余裕なんてあるわけないだろ」


 モウルの話が終わりきる前に、ウネンとオーリは同時に「それだ」と両手を打った。先刻、医者の話を聞いている時に何か収まりが悪いような気がしたのは、まさにこの「何故今この時にヘレーはわざわざ慈善を施しに行ったのか」という点だったのだ。


「奴が貧民街へ行っていたのには、別に理由があるというわけか」

「たぶんね」


 ちらっと貧民街のある南の方角に視線をやってから、モウルは再度二人に向き直った。


「とりあえずお昼にしようか。貧民街へ行くのはそのあとだ」


 


 


 大通り沿いの屋台で腹ごしらえをしたあと、オーリとモウルはウネンに宿で待つよう言った。状況によっては多少荒っぽいことになるかもしれないから、ということだったが、彼らが、ウネンの幼少期のつらい記憶を(おもんぱか)ってくれているのは明らかだった。


 二人に心からの礼を言って、ウネンは宿に戻った。

 モウルは「何かあったら声を飛ばすから」と言ってくれていたから、風の通る戸外にいるほうがいいだろう。女将(おかみ)に一言断って、ウネンが宿の裏庭で鶏を見ながらぼんやりと時間をつぶしていると、厨房(ちゅうぼう)の扉が(ひら)いて女将(おかみ)が顔を出した。


「ウネンちゃん、悪いんだけど、ちょっとだけ手伝ってくれないかな?」

「何をですか?」

「急に大口の夕食の予約が入ってね、今ちょっと大わらわなのよ。魔術師の兄さんは、ウネンちゃんに外にいるように、って言ってたんだよね? じゃあ、この子の代わりに井戸まで野菜を洗いに行ってくれないかしら」


 女将(おかみ)さんが振り返った先では、下働きの娘が、籠にいっぱいの青菜と芋の入った麻袋を持って立っていた。


「いいですよ。この(かばん)(つえ)を預かってもらえますか」

勿論(もちろん)よ。それじゃあ、お願いしちゃうわね」


 


 (ほこり)っぽい裏道を二角(ふたかど)行った先、小さな広場の真ん中に井戸はあった。

 夕げの支度にはまだ少し早い時間だからだろう、洗い場に人の姿は無く、どこか遠くのほうから子供の騒ぐ声が聞こえてくるほかは静かなものだ。


 ウネンは、洗い場にまず芋を転がした。次いで籠から青菜も出してそっと脇へ置く。

 いざ、と袖まくりをしたウネンは、あ、と気がついて胸元のポケットから連絡用の呪符を取り出した。うっかり井戸に落とすようなことがあっては大変だ、と、芋の入っていた麻袋に入れて傍らの木の枝に引っかける。


 準備万端、あらためてウネンは井戸の水を()み上げた。乾いた泥がこびりついた芋を一つ一つ綺麗(きれい)に洗っては、籠の中へと放り込んでいく。

 さて次は青菜だ。一旦立ち上がって思いっきり伸びをした時、そよ風が(かす)かな〈(ささや)き〉を連れてきた。


 ウネンは驚いて周囲を見まわした。

 人影が一つ、広場に入ってくるのが見えた。


「君、ヘレーさんを捜しているんだってね」


 それは、二日前にガラス工房で会った(まじな)い師だった。あの時と同じ暗い灰色のマントを風になびかせながら、落ち着いた足取りでウネンのほうへ近づいてくる。

 手が()れているのにも構わず、ウネンは服の胸元を握り締めた。胸の奥がざわめいて仕方がなかったからだ。何故、今、〈(ささや)き〉が聞こえたのか。術を使うどころか、彼は今、呪符を持ってすらいないというのに。


「ヘレーさんを捜しているんだって?」


 (まじな)い師が、同じ問いを繰り返した。

 ウネンはおずおずと「はい」と(うなず)いた。


「息子だっていうのは、本当かい?」

「娘です」


 ウネンが訂正を入れれば、(まじな)い師は少し狼狽(うろた)えて「ああ失礼」と(せき)払いをした。


「こんな歳のお子さんがいるなんて、思ってもいなかったな……」


 ほんの刹那、彼の声音に(とげ)を感じたのは、気のせいだろうか。ウネンは警戒しつつ(まじな)い師に問うた。


「父をご存じなのですか?」

「ああ。実は妻が病気でね、ヘレーさんには無理を言って、我が屋敷に逗留(とうりゅう)して治療にあたってもらっているところなんだよ」


 そう言って(まじな)い師は、穏やかに微笑(ほほえ)んだ。


「父が、あなたの家に?」


 驚き上ずる声を聞き、(まじな)い師が申し訳なさそうに頭をかく。


「もしやと思っていたんだけれど、どうやら連絡が上手くいってなかったみたいだね。あとで彼の下宿にもう一度人をやらなければ……」


 ウネンは、しばし言葉も無く(まじな)い師の顔をじっと見つめた。考えもしていなかった事態に、思考が追いついてきてくれなかったのだ。

 やがて、驚きで固着してしまっていた頭に、じわりと喜びが湧き上がってきた。とうとうヘレーの居場所が判明した、という喜びが。


 彼が無事で良かったと安堵(あんど)すると同時に、長かったここまでの道のりが、ウネンの脳裏に次から次へと浮かび上がってきた。どうしよう、何と言って会えばいいんだろう。ああ、その前に、一刻も早くオーリ達にこのことを教えなきゃ。


「どうする? 今から屋敷に来るかい?」


 (まじな)い師の申し出に、ウネンは一も二も無く(うなず)いた。


「あ、はい! 実は、友達も父のことを心配してて、ここまでついてきてくれたんです。すぐに戻ってくると思うので、少し待っててもらえますか?」

「構わないよ」

「あ、あと、この青菜も洗わなきゃ……」

「ごゆっくり、どうぞ」

「ありがとうございます!」


 洗い場へと(きびす)を返したウネンは、モウルに連絡するべく呪符の入った麻袋に手を伸ばした――伸ばそうとした。

 ウネンの指先が麻袋に触れたその瞬間、ぐらり、と地面が揺れた。


「あれ……?」


 眩暈(めまい)がする、と、思った時には、ウネンは(まじな)い師の胸元に背中から倒れ込んでしまっていた。


「あ、すみま……せ……」


 慌てて身を起こそうとするも、上手く身体に力が入らない。


「大丈夫かい」


 (まじな)い師が、笑みを浮かべてウネンの顔を(のぞ)き込んでくる。その一瞬、彼の表情が、いや、顔が、まるで水面に映った像のように()()()

 また〈(ささや)き〉が聞こえた。(かす)かな(かす)かな、魔術の気配。


 ウネンの肩が強い力で(つか)まれた。そのままウネンは、問答無用にマントの中に抱き込まれる。

 ウネンは必死でその手を払いのけようとした。だが、腕はおろか、指の一本すら満足に動かせない。助けを呼ぼうとしても、喉に穴でもあいてしまったかのように、ただ息だけがヒューヒュー音を立てるのみ。


 ほどなく、視界ばかりか思考にまでぼんやりと(かすみ)がかかってくる。なすすべもないまま、ウネンの意識は暗黒に()み込まれた。

 

 

 


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