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二人の少女

 

 

 灰色の空が真っ二つに割れた。

 少し遅れて、雷鳴と、ドォンと低い地響きが、雨音を押しのけるようにして響いてくる。

「落ちたな」

「結構近いね」


 吹けば飛びそうな板()きの小屋の軒下に立ち、ウネンとオーリは稲妻が(ひらめ)いた方角を見つめていた。遠雷に追い立てられながら街道を進んでいた三人は、本降りになる前に、なんとかこの廃屋に駆け込むことができたのだ。

 閃光(せんこう)がまた空を切り裂いた。二拍あとに雷鼓が続く。先ほどより少しだけ遠い。


「もう十月なのに……」

「気象条件さえ(そろ)えば、いつでもどこでも雷は鳴るさ」


 ウネンのぼやきに、(かす)れた声が応える。

 地面から一段高くなっている小屋の入り口のところに、モウルが腰をかけていた。背からおろした荷物に寄りかかり、雨粒の踊る水たまりをぼんやりと見つめている。ついさっきまで歩きに(しゃべ)りにと絶好調だったモウルの、突然の変わりように、ウネンは少し心配になった。


「どうしたの?」

「ちょっと疲れただけだよ」


 と、その瞬間、再び雷鳴が大気を震わせた。

 途端に、モウルの眉間に深い(しわ)が寄る。


「もしかして、雷が苦手だとか」


 ウネンが問うや、即座に「まさか」と否定の言葉が返ってきた。


「僕は君らと違って繊細だからね、気圧の変化に敏感なのさ」

「でも、この間の嵐の時は元気だったよね」


 不機嫌そうに黙り込むモウルに、オーリが容赦のない一言を投げる。


「お前が不調を訴える時は、だいたい雷が鳴っているな」

「つまり、やっぱり雷が苦手ってこと?」

「もう勝手にして」


 投げやりな口調でそう言って、モウルががっくりとうなだれた。反撃をしてこないということは、どうやら本当に調子が良くないのかもしれない。


「苦手かどうかは置いておいて、雷の日は調子が悪いってことなのなら、モウルの契約の神様が雷神様じゃなくて良かったね」


 ウネンが慰めてみるも、モウルは何も言わず、ただじっと(うつむ)いたままだ。

 ごろごろごろ、と、遠くの空が(うな)り声を()らす。

 やがて、モウルがのそりと顔を上げた。


「神が、息をひそめている……」

「え?」


 ウネンばかりかオーリまでもが、気(づか)わしげにモウルの顔を見やる。

 モウルが、苦笑とともに肩をすくめた。


「どうやら神も雷が苦手みたいだ」


 しばし待つも、モウルはそれ以上何も語ろうとしない。

 ウネンとオーリは互いに顔を見合わせ、それから同時に嘆息した。


「神()、ってことは」

「お前()雷が苦手なんだな」

「もう好きにしてくれていいよ……」


 モウルの()め息を、また雷鳴がかき消した。


 


 天蓋(てんがい)を覆っていた雷雲もようやく散り、陽光が金色の光の筋となって地上に降り注ぐ。日の高さを見るに、ここで二時間ほど足止めを()らったようだ。


「今からでも、急げば日が暮れる前に、次の次の町まで行けそうだね」


 畳んだ地図を懐に仕舞ったモウルが、元気よく荷物を背に担いだ。どうやら体調はすっかり良くなったらしい。

 再び道ゆく人となった三人は、街道を一路北へと歩き続けた。


 次の町の神庫(ほくら)だろうか、野原の遠くに鐘楼と思しき尖塔(せんとう)が小さく見えてきた時、道の左側の茂みが、突然がさがさと音をたてた。

 間髪を入れず、オーリが腰の剣を抜いて前に出た。

 ウネンは(つえ)を身体の前に構え、モウルは右手を懐に入れ、ゆっくりと退(しさ)って間合いを取る。

 茂みの中から、「むー」というくぐもった鳴き声が聞こえてきたかと思えば、泥に汚れた毛の塊が、のっそりと表に顔を出した。


「羊?」


 ウネンが()頓狂(とんきょう)な声を上げるのとほぼ同時に、「待ってー!」と甲高い叫び声が聞こえてきた。


「その羊、持ち主がいるの! 捜してたの!」


 羊が出てきた茂みの向こう側、緩やかな坂を一人の少女が全速力で駆けおりていた。歳の頃、十五、六だろうか、蜂蜜色の髪を日の光に(きら)めかせ、「だから食べないでー!」と叫んでいる。


「食べる前に、まず毛を売るかな」

「ああ」


 モウルとオーリが小声で無駄口を(たた)く横で、羊が向きを変えた。坂を駆けくだってくる少女に驚いたか、予想外に素早い動きで街道をトコトコと走り出す。


「あっ、こら待て!」


 ウネンは慌てて羊のあとを追った。追いかけながら、羊ってどうやって捕まえればいいんだろう、と眉を寄せる。

 と、突然、何か白い大きなものが、左手の(やぶ)から道へと勢いよく飛び出してきた。

 羊の足が見事に止まる。その行く手を塞ぐのは、羊よりも一回り以上大きい巨大な白犬。

 綿毛を思わせる被毛がふわりと風にそよいだ。濡羽色(ぬればいろ)のつぶらな瞳からは、敵意や害意は感じられなかったが、何しろこの巨体だ。本能的な恐怖を必死で()みくだして、ウネンはそろりとあとずさる。


「マフ、よくやった」


 涼やかな声が、ウネンの左後方から聞こえてきた。マフ、というのが犬の名なのだろう、ふさふさの尻尾が物(すご)い勢いでパタパタと振られる。

 振り返ったウネンの視線の先で、先刻とは別な少女が(やぶ)を抜けて街道に立った。背よりも高い木の(つえ)に、首からさげた牧笛(ぼくてき)。彼女こそが羊の持ち主に違いない。


「うちの羊が、迷惑をかけた」


 羊飼いの少女が、ぶっきらぼうな口調で()びる。魔術師の黒と見紛うばかりの黒髪が、風を受けて揺れた瞬間、有るか無きかの〈(ささや)き〉がウネンの耳元を舞った。


 


 


 突然の雨と雷で羊達を避難させている途中に、一匹が迷子になってしまったんだ、と羊飼いの少女は言った。丘の向こう、三本並んで立っている(くすのき)の下にて雷雲が去るのを待って、羊を捜しに街道沿いまでやってきたらしい。

 主人と牧羊犬の居ぬ間に再び散り散りになりつつあった羊達を集めるのを、ウネン達も手伝った。行きがかり上なんとなく捨て置けなかったというのも確かだが、ウネンが〈(ささや)き〉を聞いたことをモウルに耳打ちしたことによる、当然の成り行きでもあった。


 全ての羊が無事にマフの統制下に収まったところで、一同は、三本(ぐす)の下で荷物の番をしていたモウルのもとに集まった。

 羊飼いの友人だという、先刻「食べないで」と突進してきた蜂蜜色の髪の少女が、木の枝に引っかけてあった手提げ籠をおろす。亜麻布の覆いが外された途端、香ばしいパンの匂いがふわりと辺りに広がった。


「ロミと一緒に食べようと思って、配達分とは別に、余分に二つパンを持ってきたの。良かったら皆さんもどうぞ」


 どうやら羊飼いの少女はロミという名前らしい。

 二つあるパンのうち若干(じゃっかん)大きいほうを差し出されたウネンは、「ありがとう」と素直に受け取った。その横からモウルが、「配達?」と問いかける。

 問われた少女は、大きな(あお)い瞳をぐるりと巡らせたのち、まだ自己紹介していなかったね、とはにかんだ。


「私は、ワタカ。うちは、ペリテの町でパンを焼いているの。今日はロミの家にパンを配達したついでに、ロミに会いにここまで来たんだけど、さっきの雷でそれどころじゃなくなっちゃって、迷子の羊捜しを手伝ってたのよ」


 ロミの家にはパン焼き用の(かまど)が無いのだろう。イェゼロの町でも、パン屋がそういった家々から生地を預かっては、大きな(かまど)でパンを焼き、配達してまわっていたものだった。


「それで、彼女がロミ。ロミの家は、ここから少し行ったところにあるのよ。このへんで一番広い畑と、一番沢山の羊を持っているんだよね」


 うん、と、ロミが小さく(うなず)いた。胸元で揺れる髪に木()れ日が踊る。一見黒色かと思われた彼女の頭髪だったが、よく見ると少しだけ赤みがかっていた。瞳と同じ、摘んだばかりのブラックベリーの実のような、深い黒紅色。


 二人のあとを受けて、ウネンも簡単に自己紹介をした。十五歳、と、年齢を言うなり、ワタカが「ロミと同い年だね!」と顔をほころばせた。そうして「私は、先月に十六になったばかりなの」と付け加える。

 ウネンに次いでオーリが簡潔に名のみを告げ、最後にモウルが口を開いた。


「僕はモウル。見てのとおり魔術師さ。契約の神は、風」


 その瞬間、ウネンの耳が〈(ささや)き〉を(とら)えた。

 同時に、ロミが周囲に素早く視線を巡らせる。

 モウルが満足そうに微笑(ほほえ)んだ。


「ひょっとして、君、精霊使いなんじゃないの?」


 ロミが、ぐ、と口元に力を込めた。


「精霊使いがわざを使った時に、僕達魔術師が魔術と似たような気配を感じることがあるんでね。ならば、逆もまたありえるんじゃないかな、って思ったんだけど」


 得意げに語るモウルの傍らで、ウネンは、高原の町パヴァルナでの出来事を思い出していた。干からびた畑を前にリボル少年が精霊を動かしたあの時、〈(ささや)き〉を聞いたウネンとは別に、モウルもヒトならざるもののちからを感じ取っていたということを。

 モウルは、すまし顔で更に話し続ける。


「もしかしたら、祈祷(きとう)師、って可能性も無くは無いけど、そういう雰囲気ではなさそうだし……」

「……精霊使いだよ」


 渋々といった様子でロミが口を開いた。

 モウルが、「やっぱりね」と、これ以上は無いというぐらいに見事な笑みを浮かべる。


「使役するのは何の精霊?」

「……風」

「へえー。僕とお(そろ)いだねえ」


 愛想よく相槌(あいづち)を打つモウルとは対照的に、ロミの表情は浮かないままだ。

 それでもめげずに、モウルが尚も話しかけようとした途端、ロミがふいと顔を丘へと向けた。


「そろそろ羊を連れて帰らないと。ワタカ、パンご馳走(ちそう)さま。皆さんも、羊を集めるの手伝ってくれてありがとう」


 背を向けたロミの周囲で、木の葉が舞う。

 (かす)かな、そして(かる)らかな〈(ささや)き〉が、ウネンの中を吹き渡っていった。


 


 


「うちの店は昔からロミの農場から小麦を買ってて、それで、小さい頃からよく一緒に遊んでたのよ」


 家へ帰るというワタカとともに、ウネン達もペリテの町へ向かうことになった。そろそろ西の空が赤く色づき始めており、当初モウルが言っていた「(ペリテ)の次の町」には、日が沈むまでに到底たどり着けそうになかったからだ。


「精霊使い、って、僕は今まであまり縁が無くってね。その神秘のわざについて、色々話を聞きたかったんだけどなあ……」


 モウルが弱々しい笑みを浮かべるや、ワタカが申し訳なさそうに首をすくめた。


「精霊使いになる前は、ロミももっと沢山お(しゃべ)りしてくれたんだけど……」

「それは、いつのこと?」


 モウルは、着実に欲しい情報へと会話を誘導していく。その傍らには、役割分担とばかりに無言を貫くオーリ。ウネンも、なんとなくおさまりの悪い心地を抱えつつも、他に何ができるでもなく、会話の行方をただ黙って見守るのみだ。


「半年前よ。いつもの時間を過ぎてもロミが帰ってこなくて、おばさん達が心配して捜してたら、日が暮れてからやっとマフが羊たちを連れて戻ってきたんだけど、ロミはマフの背中で気を失ってて、髪の毛も黒っぽくなっちゃってて……」

「髪の色が!?」


 その刹那、モウルの素の顔が()き出しになる。

 だが、ワタカが怪訝(けげん)そうにモウルを見やった時には、モウルはいつものよそゆきの仮面をかぶり直し、「髪の色が変わるなど、まるで魔術師みたいですね」としみじみと(うなず)いていた。


「ええ、そうなの」


 ワタカの声は、思いのほか沈んで聞こえた。


「とうとうこの町の人間からも魔術師が出たか、って、町の皆がすっごく期待して、大騒ぎして。でも、どうやら魔術師ではないみたい、って分かって、できることも、風が読めたり、ちょっと風を呼ぶことができたりするぐらいだ、って知って……」

「そもそも、彼女の髪の色は、魔術師の漆黒とは違うんだけどねえ」


 言外に町の人間への嘲りを含ませて、モウルが嘆息する。

 ワタカが「そうなの!」と力一杯(うなず)いた。


「それにね、いくらがっかりしたからって、(ひど)いのよ。ロミに直接『期待外れだ』なんて言ったり、『役に立たないくせに得意になるな』って言ったり、果ては『羊の世話だけしていればいいのに』とか、そんなの他人が口を出すことじゃないでしょ?」

「うわ、根性悪」


 我慢できずに、ウネンもつい口を挟む。

 モウルが、静かな声で「田舎のほうでは、そう珍しい話でもないけどね」とウネンを振り返った。「魔術師でも、その能力や腕前によっては、不遇な目に()うことだってあるんだ。そうやって世間から脱落してしまった術師を、僕は何人か知っているよ」


「でもね、普段はそんな悪い人達じゃないのよ……。それだけに、本当に、皆どうしちゃったんだろう、って……」


 ワタカが、視線を行く手に向けた。灌木(かんぼく)の向こう、石積みの塀が、土地の起伏に合わせて緩やかに波打ちながら町を取り囲んでいる。ところどころ顔を出す家々の屋根に、神庫(ほくら)の鐘楼。主街道沿いにあるにしては少々小ぢんまりとして見える、絵に()いたような「田舎の町」だ。


「それで、ロミも最近はあまり町に出て来なくなっちゃって……。本当にかわいそう。だから、私だけでもロミの(そば)にいてあげなきゃ、って思って……」

「かわいそう?」


 モウルの声が、一段低くなった。

 ワタカが(いぶか)しげに小首をかしげる。

 不穏な空気を感じてウネンが息を詰める、その視線の先で、モウルが冷笑を口元に刻んだ。


(そば)にいて()()()()()? それはどういう義務感なわけ? 私は他の人間とは違って思いやりがあるのよ、っていう優越感?」


 モウルの声音も、話し方も、あくまでも穏やかだった。ただ、その眼差しだけが、多分に毒を含んでいる。

 呆然(ぼうぜん)と足を止めたワタカの頬に、みるみる朱が差した。彼女は、震えるほどにこぶしを握り締め、絞り出すようにして言葉を吐き出した。


「何も……、何も知らないくせに、勝手なことを、言わないで」

「何も知らないから、()いたんだけど?」


 人を食ったようなモウルの答えに、ワタカは固く唇を引き結んだ。眉を()り上げてモウルを(にら)みつけ、そうして、何も言わずに、あとも見ずに、町に向かって走り去っていった。


「モウル! 今の言い方は、あまりにも」


 (ひど)い、と続けようとしたウネンを、オーリが右手で遮った。

 オーリはウネンを目線でなだめてから、モウルに静かに語りかける。


「お前も随分お節介焼きになったな」


 ウネンは、驚きに目を()いて、オーリとモウルを交互に見比べた。


「人の持つ情報には固執しても、人そのものには全く関心を示さなかったくせに」


 淡々と語り続けるオーリの視線の先で、モウルが深い()め息をついた。


「まったく、我ながら、どうかしてると思うよ」


 そう言って、モウルは、どこか思わせぶりにウネンを見やる。

 一連の発言の意味を問うべくウネンが口を開きかけた時、モウルが「それにしても」と話の矛先を変えた。


「それにしても、気になるなあ」

「……何が」


 ウネンが渋々聞き(ただ)せば、モウルが極上の笑みを返してきた。


「さっきの精霊使いの、髪の色だよ。気にならない?」


 次々と変わる話題に振り回されるのは不本意ではあったが、ウネンは小さく(うなず)いた。


「君の住んでいた町には精霊使いが一人いたんだっけ。髪の色はどうだった?」

「茶色だったよ。色が変わったって話も聞いたことない」

「だよな。パヴァルナのあの少年も、外見に変化は無かったみたいだったし」


 ふぅむ、と顎をさすりながら、モウルは来た道を振り返った。


「精霊とどんなやり取りをしているのか、そもそも精霊ってどういう存在なのか、そういったことを教えてもらおうと思ってただけだったんだけど……、どうやら彼女からは、もっと詳しい話を聞かねばならないようだね」


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