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収穫祭の夜

 

 

「ロゲンに向かったって?」


 王都を出発してそろそろ二週間。ハァドという町に投宿したウネン達三人は、夕食と聞き込みを兼ねて町の中心部にある大きな酒場に繰り出していた。


「そうだよ」

「間違いは無いのかい?」


 相席となった赤毛の壮年の男と、またたく間に打ち解けてしまったモウルが、少し大げさに眉を上げて問いを重ねる。

 対する男は、カップに残っていた麦酒を一気に(あお)ってから、ゆったりと(うなず)いた。


「おうよ。枯れ草色の三つ編みのお医者だろ? 流しのお医者なんて珍しいし、何より(おい)っ子がお世話になったからなあ」


 かつてウネンを連れて旅をしていた時、ヘレーは町ごとに医者を名乗ったり薬屋を名乗ったりと、追っ手に足跡(そくせき)辿(たど)られないよう色々と工夫をしていたものだった。路銀を稼ぐには医者のほうが実入りが多くて便利ではあったが、流れの医者はどうしても目立つことから、どちらかといえば薬売りに(ふん)する時のほうが多かったぐらいだ。


 (ひるがえ)って、今回は道行きを急いでいるからだろう、ヘレーにはそういった小細工を弄する余裕がないようだった。王都クージェから真っ直ぐラシュリーデンへ向かう街道と、パヴァルナから伸びてきた街道とが交差する宿場町で、首尾よくヘレーの消息を確認して以来、ウネン達は着実に「医師ヘレー」の足取りを追えていた。


「丁度去年の今頃だったよ。もう少しここでゆっくりしていってくれてもよかったのに、ロゲンの収穫祭へ行くっていう旅芸人の一座の馬車に乗って、あっさりと出ていってしまってなあ」


 そう言って男は、本当に残念そうに息を吐いた。


「旅芸人?」


 口調や表情こそ飄々(ひょうひょう)としているものの、モウルの目の光は鋭さを増す一方だ。

 そんなモウルを横目で見ながら、ウネンとオーリは黙って料理を口に運び続ける。


「ロゲンの祭りはここらでは一番大きくってなあ。辺鄙(へんぴ)な町だけど、結構あちこちから見物客が集まるのさ。俺も若い頃はよく顔を出しに行ったものさ」


 そこで男は、うっとりと視線を宙に彷徨(さまよ)わせた。


「実は、女房とはそこで知り合ってなあ。神庫(ほくら)前の広場で、豊穣(ほうじょう)を祝って皆でダンスをするんだけどよ、ターンするたびに長い髪が、こう、ふわっと揺れてな、笑顔が(かがり)火に照らされてきらきらしててな、死ぬ気でダンスを申し込んだら、『いいよ』って(うなず)いてくれてな、これは夢なんじゃねえかと思ったもんだ」


 と、夢見心地な表情から一転して、男が、にやりと笑ってテーブルをぐるりと見渡す。


「確か、明日と明後日がロゲンの祭りの日だったはずだ。あんたらなら、一緒に踊りたいって娘っこが殺到するんじゃないか? えぇ? よりどりみどりかい、羨ましいねえ」


 そうして、隣に座るオーリの脇腹を思わせぶりに肘で突っつき、斜向かいのウネンには「坊主はもうちょっと大人になってからだな」と目配せだ。


「で、そのお医者は、何だって旅芸人と一緒に?」


 モウルが、口元を(かす)かに引きつらせながら水を向けた。

 男が、おっといけねえ、と、話を戻す。


「確か、一座のちびっ子が熱を出したか何かで、でも、祭りに間に合うように出発せにゃならんとかで、それでお医者先生も一緒に行くとか、そういう話だったんじゃなかったっけな」


 男の言葉を聞き、ウネンは思わず()め息を()らした。

 黙々と食事を続けていたオーリが、向かいの席から「どうした」とウネンに問いかけてくる。


「ヘレーさんらしいな、って思って」


 ロゲンに寄るためには、ラシュリーデンへ至る主街道を外れる必要がある。先を急いでいるにもかかわらず、ヘレーは、病気の子供のために遠回りを選んだのだ。

 そうか、と、オーリが(つぶや)くように返事をした。


 


 


 宿代を払うということは、安全で快適な寝床を買うということに他ならない。

 まだまだ先の長い旅路、出費は可能な限り抑えておきたいところだが、身の安全を軽んじるわけにはいかず、ウネン達はせめてもの節約にと寝床の快適性を諦めることにしていた。具体的には、店構えのしっかりした宿屋の、一番安い二人部屋を三人で使うことにしていたのだ。


 (もっと)も、最初はオーリもモウルも三人で一つの部屋を使うことに反対をしていた。


『鼻水垂らしてその辺を走り回っているような小生意気なガキにしか見えないといっても、一応、君はお年頃の女の子なんだからね』


 しかし、(すずめ)の涙ほどの金銭しか持たないウネンとしては、彼らにかかる負担を少しでも減らしたかったのだ。相部屋が駄目だと言うのならば馬小屋で泊まるか、もしくは一人部屋の代金分だけ食事を控えるか。真剣に代替案を検討し始めたウネンを前に、二人は「まあ、君さえ構わないって言うんだったら」と白旗をあげるに至ったのだ。ちなみに寝床については、二つの寝台を一箇所に寄せて三人で雑魚寝、という塩梅だ。これなら三人とも公平に寝台を三分の二ずつ使うことができる。


 というわけで、食事を終えて「妹を連れた剣士と魔術師」の二人部屋に戻った三人は、早速寝台の上に地図を広げた。主な街道と町の位置が記されただけの簡単なものだが、尋ね人を追って町から町へとさすらう旅にはもってこいの地図だ。


「とりあえず、ヘレーさんがロゲンに行ったのは間違いないと見ていいだろう」


 地図の上、王都から北へと真っ直ぐに伸びる街道をなぞっていたモウルの指が、つい、と(わず)かに西に()れた。その先にあるのは、大樹海と記された緑の塊のすぐ脇にある町。


「ロゲン……」


 あらためてその名を口にした途端、粘性を持った苦いものがウネンの喉をせり上がってきた。ウネンは(あえ)ぐように大きく息を吸い、そのどろどろとしたものを一息に()みくだす。

 ロゲン。それは――


「君と、ヘレーさんが出会った町だ」

「……あ……、そう……か」


 思ってもみなかったモウルの言い回しに、ウネンの肩からほんの少しだけ力が抜けた。


「目的地が分かっているのだから、俺達はこのまま北に進めばいいだろう」


 オーリが、いつも以上に難しい顔でモウルを見やる。

 モウルが即座に反駁(はんばく)した。


「彼が通った道を辿(たど)るほうが、彼を見失う危険性を低く抑えられる」


 何か言いかけたものの、歯()みをするようにして黙り込んだオーリを見て、モウルが小さく息を吐いた。


「君が何を気にしているのか分かるけどさ、決めるのは、君ではなくてウネンだ」


 ウネンは、いつの間にか握り締めていたこぶしを、そっと緩めた。ウネンの、幸せだったとは言い(がた)い幼少期について、彼らが彼らなりに気(づか)ってくれているということを知って、胸の奥がほんのりと温かくなる。

 喉の奥に未だ滞っている何かが、その(ほの)かな熱によってじんわりと融解していくのを感じ、ウネンは心を決めた。深く息を吸い込んで、モウルとオーリを順番に見上げる。


「ぼくも、ヘレーさんの足跡(そくせき)辿(たど)っていったほうがいい、と思う」


 決まりだ、とモウルが(うなず)いた。


「生みのお母さんと顔を合わせるのが気まずいようだったら、聞き込みは僕とオーリに任せて、ウネンは宿に詰めていてくれたらいいから」

「別に平気だよ。ぼくも手伝うよ」

「そう? なら、頼むよ」


 モウルが満足そうに笑みを浮かべる。

 その横でオーリが、ついと視線を()らせた。いつになく硬い表情で。


 


 


 明けて次の日、朝一番に三人はハァドの町を発った。

 夏を名残惜しむかのような日差しの下、道の両側に広がる小麦畑では畑おこしが始まっている。掘り返された土のにおいと()き込まれた草のにおいが漂う中、各々の影を道連れに、三人は一路ロゲンを目指した。


 昼を過ぎる頃には道は農地を外れ、灌木(かんぼく)がまばらに生い茂る原っぱの中を通るようになった。祭りとやらにむかう人々だろうか、ゆく先に、来し方に、幾つもの人の組が見受けられる。皆、一様に足取り軽く、互いに笑いさざめきながら道を急ぐさまは、見ているだけで心が浮き立つようだ。


 左手前方にこんもりとした木立が見えてきたかと思えば、木々は次第にその密度を増し、やがて常盤(ときわ)の壁となって道のすぐ脇へと押し寄せてきた。木()れ日のまたたく土の道を更に進み、小高い丘を迂回(うかい)した先、緑に(いだ)かれた小さな町が見えてくる。


 風に乗って、太鼓や笛の音が(かす)かに聞こえてきた。過ぎ去りし一年の恵みを感謝して、来るべき年の実りを祈る、祭囃子(まつりばやし)。あの町が、目的地であるロゲンに違いない。

 燃えるような夕焼けに追い立てられるようにして、ウネン達は町の門をくぐった。


 (ひな)びた田舎町のそこかしこに屋台が並び、客引きの声が雑踏のざわめきと混じり合う。

 天を彩る(あかね)色が森の向こうに吸い取られていくにつれ、家々の軒先に()りさげられた提灯(ちょうちん)が、一つ、また一つと目を覚ましてゆく。


 ウネンは、ほう、と息を吐いた。記憶の中にある情景と、目の前に広がる風景とが、あまりにもかけ離れていたからだ。

 ウネンが住む小屋があったのは町の外れも外れだった。話に聞く「大樹海」も、緩やかな坂を成す畑や果樹園の遠くに山並みと同化して見えるばかりで、農地の合間にまばらに立つ家々といい、畑をぬう小川といい、実に普遍的で無個性な田舎の風景に他ならなかった。


 だが、今、ウネンが目にしているものは、そんなどこでも見られるような景色とは違う。

 家々の屋根の向こう、鬱蒼(うっそう)と立ち(ふさ)がる暗い森。現世(うつしよ)常世(とこよ)を切り分けるがごとく、密と枝葉を絡ませる木々の壁。

 圧倒的な存在感が、そこにあった。

 祭日という非日常的な場面であることを差し引いても、(たぐ)(まれ)なるその威容は、人々の目を、心を、奪うに充分だ。


「どうした」


 いつの間にか足を止めていたウネンに、オーリがぼそりと問うた。

 すぐ前を歩いていたモウルも、怪訝(けげん)そうにウネンを振り返る。


「懐かしさに声も出ない……ってわけではなさそうだね」


 ごくりと唾を()み込んで、ウネンは引きつれる喉をなんとか湿らせた。


「こんな町だったんだ」


 オーリとモウルが、(そろ)って眉をひそめる。


「子供の頃、町の中心部へは(ほとん)ど出てきたことがなかったから……びっくりした」


 そうか、と、二人が静かに嘆息した。

 道の真ん中で立ち止まっているウネン達を、何人もの人が迷惑そうに避けていく。三人は、とりあえず人の流れに従って前へ進むことにした。

 太鼓の音や笛の音が次第に大きくなり、やがて三人は広場に出た。


 そこかしこに()かれた(かがり)火が時折大きく風に揺らぎながら、頭上にのしかかる宵闇(よいやみ)を押しとどめていた。広場の中央に組まれた舞台では、八人の囃子方(はやしかた)が、大小さまざまな大きさの太鼓と笛を、実に楽しげに奏している。

 広場の反対側には、年季の入った木造の神庫(ほくら)が建っていた。二台の花車(だし)がその両脇を固めるようにして置かれているのを見て、ウネン達は誰とはなしにそちらに向かう。


「町の規模の割に、随分と立派な花車(だし)だね」


 イェゼロの町でも、太鼓方(たいこかた)を乗せた花車(だし)が町を練り歩いて祭りを盛り上げたものだが、ここの花車(だし)はそれよりも一回り大きなものだった。麦わらで()かれた屋根を支える柱は、色とりどりの布で飾られ、台車の側面には四季折々の畑を(えが)いた浮き彫りが施されている。

 もう一方、向かって右側の花車(だし)を見に行ったモウルが、「へえ」と感嘆の声を上げた。


「あっちが豊穣(ほうじょう)の神で、こっちのは森の賢者か。二台とも、(わだち)が奥の倉庫に続いてるってことは、一つの神庫(ほくら)に二柱の神を(まつ)っているのか」


 森の賢者、との声を聞き、ウネンもモウルの(そば)へと寄った。なるほど、こちらの花車(だし)の屋根は葉がついたままの(かし)の枝で()かれており、台の浮き彫りも森の四季を(えが)いたものになっている。


「それって珍しいの?」

「複数の神が一つの神庫(ほくら)に同居しているのは、ままあるけれどね。森の賢者の神庫(ほくら)が町なかにあるのは、ちょっと珍しいかも」


 言われてみれば、確かにウネンは今まで、森の賢者の神庫(ほくら)なんて見たことも聞いたこともなかった。そもそもつい最近まで、森の神に「森の賢者」という通称があることすら知らなかったぐらいなのだから。

 神妙に耳を傾けるウネンに対し、モウルが得意げな眼差しで解説を続ける。


「森の賢者っていったら、森の入り口に小さな(ほこら)があったり、(きこり)や猟師とか森を仕事場にしている人々の家に神棚があったり、って、そういうのが(ほとん)どだからね」


 モウルの話を聞くうちに、ウネンは、森の賢者と同じように通称を持つ、もう一柱の神のことを思い起こしていた。かつてウネンが働いていた写本工房に、書物の守り神である「書庫の魔女」を(まつ)った神棚があったことを。クージェの城やパヴァルナ領主の城の図書室にも同様に、「書庫の魔女」の名の入った護符が飾られていたことを。

 ウネンの脳裏に、パヴァルナで聞いた国語教師ナヴィの言葉が(よみがえ)る。


『書庫の魔女も森の賢者も、確固たる存在感があるのよ。人々の心の()り所、って言ったらいいかしら、常に私達の(そば)にあって、見守ってくださっている』


 そしてナヴィは、あくまでも自分の想像だが、と断った上で、こうも言っていた。魔女も賢者も、そう呼ばれた人がずっと昔に存在したのではないか、と。


「まあ、樹海って()われるぐらいに深い森が(そば)にあるんだから、ここロゲンで森の賢者信仰が強いのは当然なのかもね」


 モウルの声に物思いを破られ、ウネンは我に返った。途切れた思考の隙間に、ふ、と夜風が吹き込んでくる。


「そんなこと、全然知らなかったよ……」


 仮にも自分が生まれ育った町だっていうのに。そうぼそりとこぼせば、ウネンの視界の端で、オーリが小さく身じろぎをするのが見えた。


「あの頃のぼくは、死んでいるように生きていた。自分の外の世界に、興味なんてひとかけらも持ってなかった……」

「さっさと聞き込みを終わらせよう」


 普段にも増して硬いオーリの声が、力任せに話題を変えようとする。

 それにモウルが苦笑で応じた。


「そうしたいのは山々なんだけどさ、祭事が終わらないことには、ちょっと難しいかもよ」


 モウルの言葉が終わりきらないうちに、一際甲高い笛の音が辺りの空気を貫いた。

 楽の音がやみ、ざわめきが広場の周縁へと吸い込まれ、静寂が広場を包み込んだ。

 楽器とともに舞台をおりる囃子手(はやして)達と入れ替わりに、年配の女性が舞台上にあがった。墨染めの衣服に、黒い石の玉で作られた首飾り。祈祷(きとう)師だ。


 集まった人々が息を詰めて見守る中、祈祷(きとう)師は両手をゆっくりと天に掲げた。首飾りと同じ意匠の腕輪が、じゃらり、と、音をたてる。

 やがて祈祷(きとう)師は、豊穣(ほうじょう)の神への祝詞(のりと)を朗々と吟じ始めた。


 高く、低く。抑揚をつけた張りのある声が、広場の空気を、(かがり)火を、揺らす。

 風に乗ってウネンのもとへと到達した声は、砂地に降り注ぐ雨粒のように、あっという間に彼女の中へと染み通った。


 ウネンの内部で、何かが(かす)かに波打った。水面をつたってゆくさざ波のごとく、胸から手足へと抜けてゆく、(かす)かな(かす)かな、〈(ささや)き〉。モウルが魔術を使う時よりもずっとか細い、今にも意識の隙間をすり抜けていってしまいそうなその気配に、ウネンは覚えがあった。


祈祷(きとう)師って、精霊使いと何か関係があるの?」


 ウネンは、そっと傍らのモウルに問いかけた。

 モウルが怪訝(けげん)そうに首をかしげる。


祈祷(きとう)師ねえ。限りなく普通の人だと、僕は認識してるけど。ただひたすら神に祈って、(たま)さか神の恩恵を(たまわ)ることができるかも、って感じなんじゃないの? 正直なところ、僕達魔術師とはあまり接点が無いんで、よく知らないんだよ」


 神庫(ほくら)の管理人、ぐらいにしか思っていなかったよ、と肩をすくめてから、モウルは更に話を継いだ。


「で、精霊使いは精霊と交信できる人のことだから、両者に関係はないんじゃないかな」

「それじゃあ、そもそも精霊って何? 神様と関係あるの? あるならどういう関係?」

「そんなの、僕のほうが知りたいよ」


 ウネンの質問攻勢に、モウルの声音があからさまに低くなった。彼は、眉間に(しわ)を刻み、腕組みをして、ウネンをじっと(にら)みつける。


「なんでそんなことを()くわけ?」


 ウネンは、下腹に力を込めた。これまでヘレー以外に明かしたことのないこの秘密を、今こそ彼らに告げんとして。


「〈(ささや)き〉が聞こえるんだ」

「ささやき?」


 モウルばかりかオーリまでもが、おうむ返しに(つぶや)いた。


「パヴァルナで、リボルが水を呼んだ時に聞こえたのと同じような〈(ささや)き〉が、さっき祈祷(きとう)師が祝詞(のりと)を詠んだ時に聞こえた」

「いや、だから、ささやきって何?」

「分からない。声みたいな、声じゃないみたいな、〈(ささや)き〉としか言いようのない音……、音じゃないのかもしれないけど、そんなよく分からないものが聞こえる……感じられるんだ」


 どこから説明すればよいのか、さっぱり分からないままに、ウネンは話し続ける。


「モウルが魔術を使うたびに必ず〈(ささや)き〉がしたから、魔術に関係があるのかと思ってたんだけど、リボルが精霊を動かした時も同じような〈(ささや)き〉を感じたんだ。そして、今、祈祷(きとう)師が祈っている時も」


 と、その瞬間、先刻のよりもずっとちからの籠もった〈(ささや)き〉が、ウネンの中を吹き渡っていった。


「今、何か魔術を使ったんじゃない?」


 ウネンがモウルに問うたのに一拍遅れて、上空から空気が塊となって降ってきた。

 ごぅ、と風の巻く音とともに砂粒や木の葉が一斉に舞い立ち、一番近い(かがり)火が吹き消される。

 (すご)い風だ、突風だ、とざわめく人々を一顧だにせず、モウルが静かな声でウネンに問いかけた。


「今も聞こえたってことかい。その〈(ささや)き〉が」


 ウネンは大きく(うなず)いた。

 モウルが「オーリ」と傍らに目をやる。

 オーリが、「俺には何も聞こえなかった」と首を横に振った。


「詳しく聞こうか。その〈(ささや)き〉とやらは、いつも同じ調子なわけ?」

「術によって、ちょっと違うみたい」

「聞こえるのは、僕の術の時だけ? 呪符は? あと、他の魔術師の場合は?」

「モウルの術も、呪符の時も、パヴァルナのノルさんの時も聞こえた、っていうか、感じた」


 ふむ、と、右手を顎にやって、モウルはなおも質問を重ねていく。


「同じように〈(ささや)き〉を感じる、って奴は、他に誰かいる?」

「いない。そもそも、ヘレーさん以外にはこのことを言ったことない」

「で、その〈(ささや)き〉が、精霊使いが技を使った時や、祈祷(きとう)師が祝詞(のりと)を言っている時にも感じられた、と」


 間断なく繰り出される問いの果て、ようやく話題が出発地点へと戻ってきた。ウネンは深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、一言一言を()み締めるようにして答える。


「リボルの時もさっきの祈祷(きとう)師の時も、どちらも、感じ取れるか取れないかぎりぎりの、本当に(かす)かな響きだったけどね。魔術の場合は、もっと存在感がある感じ。どちらも、内容まではまったく分からないけど」

「〈(ささや)き〉か……」


 モウルが再度顎をさすった、その時。


「……ウネン?」


 どこかで聞いたことのある女の声が、おずおずとウネンの名を呼んだ。


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