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迷える羊

 

「土を司る精霊か……」


 カンテラの光を頬に映して、ノルがぼそりと(つぶや)く。


「少年の祈りに応えたのが水の眷属(けんぞく)ならば、あなたも正確に状況を把握できたんでしょうけどね。ともあれ、あなたは農地に残された魔術の痕跡に気がつくと同時に、少年に(まと)わりつく術の気配にも気がついた。そして、何らかの方法で呪符を手に入れた少年が、偶然術を発動してしまった、と考えた」


 ああ、と、ノルが深く()め息をついた。


「そのとおりだよ。どうやら本人は気がついていないようだったが、あの子が術を使ったのは間違いなかった。あの子がどうやって呪符を手に入れたかは想像もつかなかったが、責任の一端は私にある、と思った。私と出会わなければ、あの子にとって魔術なんてものはただの憧れで終わってしまっていたはずなんだ」

「もしくは、きちんと一から魔術について教授しておれば」


 容赦のないモウルの指摘を、ノルは静かに首肯(しゅこう)した。


「そうだ。私が中途半端にあの子を構ってしまったせいで、あの子はこんな大ごとを引き起こすはめになってしまったんだ……」


 ノルのこぶしが固く握り締められる。

 二人の魔術師のやり取りを心配そうに見守っていたエドムントが、「ええと、つまり」と話をまとめにかかった。


「その少年は、精霊使いということなのかい?」

「はい。(もっと)も、本人は気がついていないようでしたが」


 (うつむ)くノルに代わって、モウルが答えた。


「ですから、この先、むやみやたらに精霊を動かさないよう、わざの使い方を教える必要があるでしょうね」


 と、そこでノルをチラリと見やり「さて、どうします? ()()」と口角を上げる。

 解っている、と、一言、ノルもまた口元に笑みを浮かべた。(わず)かに苦笑が混じった、だが、とても優しい笑みだった。


 


 モウルとノル達の話が一段落ついたのを見計らって、ウネンはモウルの(そば)に寄った。


「今朝、精霊使いのわざと魔術の気配が似てる、って言ってたよね」


 リボルが水を呼んだあの時、ウネンも確かにあの〈(ささや)き〉を感じていた。モウルが魔術を使う時に比べると非常に微弱なものではあったが、おそらくは同属の、今まで何度も耳にしている声ならぬ声であった。

 モウルが、あっけらかんと「そうだよ」と(うなず)いた。


「それで、質問なんだけど、精霊と神様って何が違うの?」

「精霊のことは僕にはよく解んないから、何とも言えないなあ。神とは似た存在みたいだけど、精霊が使えるようになったからって髪の色は変わんないし、精霊と真名(まな)を交わすなんてことも聞かないし、わざの程度も精度も、魔術よりもずっとゆるいし」

「……でも、それって、『精霊と神様の違い』っていうよりも、『精霊使いと魔術師の違い』だよね?」


 ウネンがおずおずと問えば、モウルがハッと息を()んだ。

 そうして訪れる、しばしの沈黙。


「もしかしてこれも、『考えるな、感じろ』ってやつ?」

「君は細かいことをよく覚えているね……」と、モウルが()め息を吐き出した。「そして、細かいことによく気がつきもする」


 少し向こうでエドムントがモウルの名を呼ぶ声がした。モウルが、「すぐまいります」と返事をしてから、苦笑とともにもう一度ウネンを振り返る。


「君のお陰で、自分がいかに先入観念に縛られているか、思い知らされてばかりだよ」


 心なしか愉快そうに、「あァ腹が立つ」と言い置いて、モウルはウネンに背を向けた。


 


 諸々の続きは夜が明けてから。仮眠をとったのち朝食後にあらためて城に集まり、町の水利組合も交えて今回の件について話し合おう。そうエドムントが宣言したところで、さて、とノルが坂の上に向かって両手をかざした。


「とりあえず、上の畑からこちらに流れ込んでいる地中の水脈を絞っておきます」

「そんなこともできるのかい」


 感嘆の声を上げるエドムントを一瞥(いちべつ)したのち、ノルはついと目を伏せた。


「今回の件、私が疑われても仕方がないな、と思っておりました」

「君を疑えたら楽だろうな、とは思っていたよ」


 穏やかな笑みを浮かべて、エドムントが言った。

 ノルが、虚を突かれたような顔でエドムントを見やる。そうして彼は、二度ほどわざとらしい(せき)払いをした。


「そ、それにしても、領主様が直々に水車舎に押しかけてくるなど、何事かと思いましたよ」

「無理に起こしてしまったようで、すまなかったね」


 屈託のないエドムントの笑顔を前に、ノルの眉間に(しわ)が寄る。


「……仮に徹夜明けだったとしても、流石(さすが)にあの時間には起きてますよ」

「そうかい? いや、その……」


 エドムントが、覿面(てきめん)に視線を彷徨(さまよ)わせ始めた。


「? なんですか?」

「あ、いや、ほら」

「はっきり(おっしゃ)ってください」


 明らかに不機嫌さを増したノルの表情に押されて、エドムントが躊躇(ためら)いがちに口を開く。


「いや、その……、見事な寝癖が……」

「外出の予定が無かったから、そのままにしていただけです」

「ああ、そうだったのか。失礼した」


 ノルがきまりが悪そうに(かす)かに頬を赤らめる向こうで、モウルがにやにやと笑っている。

 ウネンは、心からノルに同情した。自分の部屋で(くつろ)いでいる時ぐらい、どんな格好をしていてもいいじゃないか、と。モウルも一度寝込みを(たた)き起こされる経験をしてみればいい。そう胸の内でぼやいた、その時。ウネンの脳裏を、一条の光が走り抜けた。


 


 


 


 朝食を()るのもそこそこに城を出たウネンは、〈不在の神の教会〉の前に、たった一人で立っていた。夜中に用水路の(そば)で、エドムントとノルの会話を聞いていた時に気がついたことを、一刻も早く確認したくてたまらなかったからだ。


 モウルの予言どおり、エドムントはモウル達に、水利組合との話し合いに同席してくれと頼んできた。ノルには灌漑(かんがい)に関する現状説明を、モウルとオーリにはリボルの畑をめぐる一件についての証言を頼む、とのことだった。


 ウネンが指名されなかったのは、()()の意見は信用に(あた)わず、と組合の面々が考えると思ったからか、エドムント自身がそう考えているからか、それともその両方か。もしかしたら、この騒動についてハラバルへの詳しい報告書を書かれたくないだけかもしれない。何しろここから先の話は、エドムントの領地経営の手腕に直接関わってくる。ハラバルのことを「怒らせると怖い」と評していた彼のことだ、怖い目に()わぬようハラバルの名代を話し合いから遠ざけておこうとする可能性も充分にあるだろう。


 そんなわけで、今回ばかりは、口の上手いモウルの手助けは望めなかった。(もっと)も、相手は大の魔術師嫌いということだから、モウルがいないほうが平和に事が運ぶかもしれない。

 方位盤を外した(つえ)を持ってきたのは、万が一の荒事を思い設けてというよりも、気持ちを落ち着かせるためのお守りのつもりだった。何も心配することはない、と自分に言い聞かせながら、ウネンは呼び鈴の(ひも)を引いた。


 


 ウネンの顔を見るなり、修道士が破顔した。「ヘレーさんと同郷と言っておられた方ですね」と中へ招き入れようとしてくれる。


「少しお伺いしたいことがあるだけなので、ここでいいです」

「そうですか? 見晴らしが良すぎて落ち着かないことはありませんか?」


 大丈夫です、と(うなず)いて、そうしてウネンは修道士の青白い顔を見上げた。


「ヘレーさんの弟子にしてほしかったのは、講談師のタセイさんではなくて、あなただったのではありませんか?」


 修道士の表情は、笑顔のままピクリとも動かなかった。


「何故、そのように思われるのですか?」


 ウネンは、腹の底に()めた力に言葉を乗せた。


「一昨日、あなたは言いましたよね。弟子にしてくれと迫るタセイさんに対して、『あまりのしつこさに、ヘレーさんはあの長い髪をはたきのように振り乱して』拒絶した、と」


 修道士が小さく(うなず)いた。笑顔を顔に貼りつけたまま。


「ヘレーさんは、普段髪を一つにまとめて編んでいます。長い髪が頬にかかるのを嫌って、家にいるときも(ほとん)どずっと、それこそ寝る時ぐらいしか髪をほどきません。はたきのように髪を振り乱す姿を見られるのは、同じ家に住む者だけなんです」


 なるほど、と(つぶや)いた修道士の顔からは、いつの間にか一切の表情が消えてしまっていた。


「ええ。私がどんなに頼んでも、ヘレーさんは取り合ってくださいませんでした。弟子は間に合っている、と(おっしゃ)ってね」


 穏やかな、いや、やけに平坦(へいたん)な声で、修道士は話し続けた。


「でも、ヘレーさんは一人でここに来られました。行くあてのない自由な旅だと口では(おっしゃ)っていましたが……、実際は何かから逃げておられたのではないですか? たった独りで。家族や弟子達も置いて」


 修道士の視線が虚空へと投げられた。


「師の苦境に随伴もしない、何の役にも立たない弟子など意味は無い。私なら、万難を排してでもあなたをお守りする。何度もそう申し上げたにもかかわらず、あの方は頑として私を受け入れてはくださらない。そればかりか、あんな、与太話ばかりを吹聴する講談師にあっさりと懐柔されてしまって……」


 どこか遠くを見つめる修道士の眼差しに、すうっと影が差した。


「物語りが上手いなどと言われているが、子供(だま)しのお伽噺(とぎばなし)で人心を惑わしているだけでしょう。人から聞いた話を得意げに(しゃべ)るだけなら、誰にだってできます。彼本人が一体何を()しているというのでしょうか。口先だけで巧みに他人に取り入り、他人の好意に胡坐(あぐら)をかいて。どうせあそこで喝采している者どもも、仕方なく周りに調子を合わせているだけに決まっているのに……」


 と、修道士が、勢いよくウネンと目を合わせてきた。右腕を振り開いたかと思えば、大きな動作で自分の胸を押さえる。


「あんな奴よりも私のほうが、ずっと、あの方のことを理解しているんだ。この町で、誰よりも長い時間を共有してきたのだから。あの方の知識は、もっと崇高な目的のために使われるべきなのだ。あれだけの叡智(えいち)があれば、人々を正しい方向へと導くことだってできるのに。そう、今や忘れ去られつつある我が神のご威光を、再び(よみがえ)らせることだって!」


 真ん丸に見開かれたまなこが、陽光を映してぎらぎらと光っている。青白かった頬はすっかり紅潮し、まさに口角から泡を飛ばしながら、早口でまくしたててくる。

 もう引いたほうがいいと思いつつも、ウネンの足は地面に根を張ってしまったかのように微動だにしなかった。そっとしておいたほうがいいと頭では解っているのに、ウネンの口はそれを問わずにはおられない。


「正しい方向?」


 修道士が、ウネンに覆いかぶさるように身を乗り出してきた。


「解るかい? 迷える羊には牧人が必要なのだよ。ああ、まさに、知識はちからだ。()らない者は、()る者の足元に(ぬか)ずき、自らの不明を()び、導きを乞い願うしかないのだから!」


 その瞬間、ウネンの中で不快感が恐怖を上回った。

 オーリ達の言うとおり、確かに、知識はちからなのだ。よく()る者は、そうでない者よりも多くのものを手にすることができる。それは便利な道具だったり、効き目のよい薬だったり、豊かな実りだったり、と様々だ。


 だが、それらは他人を支配するためのものではない。支配されないための、より多くの選択肢を手に入れるためのもの。それをウネンに教えてくれたのは、他ならぬヘレーなのだ。

 ウネンの耳元に、懐かしい声がこだまする。いいかい、ウネン、と。世界は、君の前に開かれている、と。

 ウネンは奥歯を思いっきり()み締めた。狂気すら(にじ)ませる修道士の目を、真っ直ぐ正面から(にら)みつけた。


「そんなことを言っている間は、ヘレーさんは絶対にあなたを弟子になんてしない」

「なんだと?」

「ちから持てる者には、それ相応の義務が生じる。でも、その『義務』っていうのは、そんな独りよがりで一方通行なものじゃなくて、もっと……」

「お前、なぜ、その言葉を!」


 ウネンの話を遮って、修道士が上ずった声を上げた。

 愕然(がくぜん)とした表情が、ほどなく怒りに塗り替えられる。


「まさかお前が! お前のような小僧が! あの方の弟子だというのか!」


 言葉にならない叫び声とともに、修道士がウネンに(つか)みかかってきた。

 ウネンは、咄嗟(とっさ)(つえ)を身体の前に構えた。

 修道士の長い腕が、ウネンの襟元を(つか)む。必死で腕を突っ張るウネンの手元で、(つえ)(きし)む音がする。


 ウネンの手の中で(つえ)が砕けた。

 衝撃で尻もちをついたウネンは、修道士の(うめ)き声を聞き顔を上げた。

 オーリに右手をねじりあげられて大地に(ぬか)ずく修道士の姿が目に飛び込んできた。


「ありがとう」


 ズボンの砂をはらいながら、ウネンはよいしょと立ち上がった。


「すまない。少し出遅れた」


 オーリが言い訳を口にしないのは、ウネンが状況をきちんと理解していると思っているからなのだろう。ウネン一人だけで応対したほうが修道士の口が緩むに違いない、と、オーリには物陰で待機してもらう作戦だったのだが、教会の玄関口周辺に遮蔽物は無く、オーリはウネンから五、六メートル離れた、教会の建物の角を回り込んだところに身を隠さねばならなかったのだ。


「ううん。ありがとう。オーリが一緒に来てくれて本当に助かった」

「お偉方と話をするのは、モウルにまかせておけばいい」


 清々(すがすが)しいほどに見事な丸投げ宣言を口にしてから、オーリは、修道士の腕を固めたまま(わず)かに身を沈めた。

 途端に「痛たたたたた」と悲鳴が上がる。


「さて、もう少し詳しい話を教えてもらおうか」


 (すご)みを増したオーリの声に、涙声が「解りました」と「ごめんなさい」を何度も繰り返した。


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