某県、フルム郡はすたー町五番地からお知らせします。
八月二十日はハワード・フィリップス・ラヴクラフトの誕生日。
という訳で、そういうお話です。
あの時、私は暗く大きな口を見ました
そこは、暗い中をあてもなくうろつき回り
その動きに目をそらす事も出来ず
それを何と呼んでいいのか、頭もボウっとして霞むばかりだったのです
――あるオキツネの手記より
◇
その街は酷く【くたびれていた】。何と言えばよいかそんな言葉が似合う街であった。私がその街へ来たのは仕事の為だったが、それでも長居したいとは思わない空気が古びた家屋や十字路の角から見つめているかの様だった。目指すべき教会を見付けると私は長くなるであろう逗留の為、宿を探しにその空気の中へ舞い戻り、再び彷徨うのだった。
◇
「いやー良かったね。近くに町があってさ」
「ああ」
「うむ」
「うむー」
「それにしても、何だか臭うわね、ここ」
夏休みだから海に行こうという事になり、大体いつもの面々で車で向かっていたのだけど、唐突に停まってしまった車。すぐ近くに町があったから良かったけど、今日はここでお泊りかなぁ。
「これならキタにメタルコャの修理終わるのを急かせば良かったか」
「それならフノコさん呼べば良かったんじゃないかしら?」
流石にキタさんは最近働き過ぎだから無茶させられない。そして先日出会ってしまったフノコさんは、世界を見て回ってくる何かあれば連絡してくれと、黒電話にしか見えない怪しげな機械を置いてどこかへ行ってしまった。色々と謎が多い彼女(?)だ。
「それにしても、妙な町だな」
「まるで常に誰かに見られている様ね」
スナコさんとスナコ兄が何かを感じた様にそんな事を言う中、ギンコさんが重々しく口を開く。
「そういえばなんだけど……。ここの町、極上のチーズを使った絶品デザートがあると聞いたことがあるわ」
それを聞いた一向の目が光り、尻尾がブワッと立つ。
「行かねばならんな」
「腹ごしらえは重要だ」
「すい~つ!」
――やっぱり食い意地だったよ! この狐たち! あと、猫も!
溜息をつくと、とりあえず辺りが暗くなる前に動きがキビキビし始めたみんなと共に宿を探す為に歩くのだった。
◇
こんな町に観光客だろうか。私以外の外部の人間が宿に来た様だ。私の仕事の邪魔になってもらっても困る。私は夕飯を部屋に運んでもらう様に頼むと、早々に部屋へと辞去した。
私がこの街へと来たのは、ある物をここへ探しに来たのだった。異界からの古き者共を退ける「トラヘ……なんとか」という物の在り処がここだという情報を方々で調べあげてついに見付けたのだ。あれなくしては、人間は人類は戦えない。そうあの教会に安置されている聖遺物こそ、間違い無くそれなのだ。
◇
風情があるというか、ただのボロい感じの宿につくと受付でおばあさんが尋ねてきた。
「観光かぇ?」
「うむ。その様なものだ」
スナコさんのその言葉を聞いて、何かを確かめる様におばあさんは頷くと、念を押す様にさらに呟く。
「十字架群を越えちゃなんねぇですぞ……」
「よく分からないが、とりあえず食事をお願いしたい」
あまり聞いていないスナコさんには、重要なのはご飯だった……。
食後に早速街をうろついてその「絶品チーズケーキ」とやらを探すけれど、やたらとよそ者に対して警戒しているのか、話しかけてもみんな対応がおかしい。
「お……俺は何も知らねぇよ……! 知らねぇったら!」
そう言って叫んで逃げて行く人や、
「たたりじゃー。たたりじゃー」
これしか言わない人まで、どうなってるのこの町は。頑張って聞いて回っている僕とスナコさんを置いておいて、スナコ兄とたまちゃんは焼き油揚げに醤油を垂らした物なんかを食べながら悠々と歩いている。――なんでそんなの売ってるの。僕も食べたい。
「炭火で焼くとは……。分かっているな」
「もう一本買えば良かったねー」
それにしても、僕ら以外の町全体のテンションが異常に低い。よそ者だからとか、そういうレベルじゃないみたいだ。そうこうする内に、ようやく目当てのデザートを売っている場所が分かった。何故か販売を行っているのは教会だという。早速僕らは教会へと足を進めたのだった。
「申し訳ございません……。現在材料が入って来なくて……」
そう言って頭を下げるシスターの前で、絶望に膝から崩れるスナコさん。揺すっても口から何かを出しながら灰になりそうだ。――確かにここは教会だけど、蘇生は出来ないから! ダメだよ! ハイになっても!
「失礼。ここにある聖遺物を見せて頂きたいのだが」
そう言って、僕達の後ろから入ってきたスーツ姿の男性がシスターに声をかける。帽子を目深にかぶっていて、顔が全然見えない。そもそも気配が希薄過ぎて、そこにいるのかが声を出すまで分からなかった。――存在感ステルスレベルが高いなぁ。
「あ、あの……。聖遺物というと、あれでしょうか? トラ……」
そうシスターが言いかけた所で、突然の雷が。シスターが何かを喋ろうとする度に雷が鳴っていく。とりあえず吹き込んできた雨のためにも窓を閉め始めるシスターを手伝って、あちこち窓を閉めて回る僕達。まだお昼位なのに、やけに辺りが暗く、さみしげな気配が増してくる。
「たまちゃん、そっち閉めたー?」
「閉めたよー!」
「これはまた骨の折れる仕事だな」
大きな窓は、締めるのも一苦労で、手分けして閉めて回って結構疲れた。スナコさんは、礼拝堂らしき場所で何やら祈りを捧げている。ぶつぶつと「チーズケーキ……。神よ、なんかこう甘いの……」と、ひどい祈りが聞こえてくる。
そしてまた一際雷が大きく鳴り響いた後、ズドーンと地面が揺れた。――近くに落ちた!?
そして、閉めたはずの入口のドアが音を立てて開いて、人が一人入ってくる。
「こんな悪天候の中、ようこそ我が教会へ……ひぃっ!」
シスターが迎え入れる為に近づいたかと思うと、直ぐ様飛び退って離れる。何かと思って近づいた僕らにも理由が分かった。臭いのだ。ひどく生臭い。
「あの……どこかお体の具合でも悪……キャァ!」
「離れなさいシスター!」
ずっと黙っていたさっきの男性が、シスターをかばう様に前に出ると何やら祈りの言葉を放つ。すると目の前の悪臭を放っていた人物が……消えた。
「成仏したか……」
「うわーすごいねー」
「何かしらね。神道系の技とかかしらん」
なんだかやっつけたらしい。冷静に分析したりする人もいるなか、また入口の扉が開いて、さっきの感じのが大量に入ってくる。
「いかん。シスターよ。ここにあるという聖遺物を出して欲しい。あれが無くては、根本的な解決には至らぬ」
「聖遺物って、あのトラ……でいいんですか?」
二人が話している内に、ワラワラと増えていく怪しい人影。しかも一様に何かを飲みながら呟いている。
「あー! あれ最近品薄だった蜂蜜酒! あれが無いとチーズケーキの味が!」
「なんだとぉ!」
復活&一気に燃え上がるスナコさん。そして一団に突っ込んでいくというか、飲み込まれていく。中から、よこせ! わたせ! とスナコさんの声が響いている中、段々とその声が一つの音になっていく。
『いあ! いあ! だすたあ! だすたあ あぶらあげ あぶらげん ふぐのどく すぐにきく あい! あい! だすたあ!』
「いかん! すぐに止めるのだ! 異界の者がやって来るぞ!」
「え!? えー!?」
呆然としていた僕たちが慌てて止めようとした時、雷がまた近くに落ちて地面が揺れる。そして、教会の中が怪しく紫に光ると、何かが出現した。それはミミズでもなく、オケラでもなく、アメンボでもなく、キツネでもなく、もちろんお豆腐でもない。それは翼ある虫の様な、なんだか醜悪なもの。
辺りには、また生臭い空気が漂っていて狐組が顔をしかめる。――なんとなく知ってる臭いな気もする。それは、スナコさんと口に咥えると教会の中から飛んでいこうとする。急いでスナコ兄が抜き撃ちで銃を撃つけど、弾かれるどころか弾が吸い込まれていく。
「なんだと! スナコ!」
ギンコさんも、たまちゃんも、相変わらずどこに持っていたのか分からない射撃武器で攻撃するけれど、全く効いていない。
「だから、異界の者には無効なのだ。シスター早く聖遺物を!」
「ひゃ、ひゃい」
腰が抜けたシスターに肩を貸して、僕と男性が祭壇の奥にある倉庫に辿り着く。
「さっきの地震で中でぐちゃぐちゃに……」
「むぅ……。探すしかあるまい。トラ……なんとかというそうなのだが」
どんな形状なのか、男性も分からないらしく、手当たり次第に探していく。これはトライアングル。これはトラベルグッズ。これはトラの覆面。これはトランプ……。
――なんてこった! トラから始まるものばっかりだ!
そうこうする内に、スナコさんが意識を取り戻したのか、暴れながら怪物の身体を叩く音や、蜂蜜酒を出せ! 甘いのを出せ! というひどい言葉も聞こえてくる。
「どれだ! 一体どれなのだ!」
「もういい。貸せ」
スナコ兄が、急いでこちらにやってきたかと思うと、おもむろに黄金のそれを手に持って怪物の元に走る。――まさかあれが!
「行くぞ。喰らうがいい」
スナコ兄が、おもむろに向けたそれを口元に押し当てる。そう、それは黄金のトランペット。まるで金曜の夜9時位に波止場で夕日が沈むのを見るかの様な。そんな情景が思い浮かぶ様な、そんなそんなファンタジックな音楽が鳴り響く。
「あったぞ! これが聖遺物トラヘドペ……え?」
奥から男性が輝く何かを見つけて戻ってきた時、音楽に酔いしれた怪物はスナコさんを解放すると、キレイな星となって、夜空に消えていった。
**********
「みなさん、色々とありがとうございました」
シスターが頭を下げながら、怪物が置いていった蜂蜜酒で作ったチーズケーキをみんなに振る舞う。
「しかしあれは一体なんだったのか」
「美味い甘い」
「なーんかあの臭い嗅いだ事があったのよねー」
「甘い美味い」
「あれかな。アブリャーゲの人たちの美味しくない油揚げの臭いにそっくりだったよ」
「うまうま」
「油揚げの廃棄場とか近くにあったのかしらね。スナコ、さっきからあんた語彙がないわよ」
「うま」
無言でかぶりついていたたまちゃんと、どんどん糖分を吸収していくスナコさん。色々ひどい。
「そういえばあの男の人、すごいステルス力だったわね。まるでダーリンみたいだったわ。案外親類だったりして」
「うーん。僕のお父さんは世界をあちこち旅しながら、遺跡発掘とかなんかやってた様な。随分と会ってないんだよね」
――いや、でも、まさかね。
◇
現れてしまった異界の者は、聖遺物をい使うまでも無く退散してしまった。シスターに快く譲り受けたこの聖遺物があれば、また新たなものどもにも、きっと勝つことが出来るであろう。
しかし、奇妙な一行であった。とくにあの男の子は、まるで私の息子の様に気配が薄かった。いや、存在感が無かった。しかし息子は妻と一緒にリンゴ農家をやっているはずだ。待てよ。最近たぬきを雇った等と意味よく飲み込めないメールが届いていたな。久しぶりに家に帰るのもいいかもしれない。しかし、私の戦いはまだ終わらないのだ。
開幕の車が停まった時の事。
「あのーすいません。ここって◯◯町ですよね?」
「いあいあ、はすたー!」
「それって◇◇市の?」
「ふるむ郡! ふるむ郡だべさ」
「わかりました。ありがとうございます」
「あー随分と道外れてたわね。こっちだと遠回りよー」
「仕方ない。休んでいくか」




