まぬるなONE DAY☆
猫の日から一日ずれてしまいましたが、猫です。
「だって……たまちゃんが、行かないと……!」
フラフラの身体を引きずって出て行こうとするのを、僕とスナコさんが止める。どこにそんな力があったのかと思う程に、小さな身体は僕らを翻弄する。吹き飛ばされて、ちょうど玄関辺りに落下した僕に、スナコさんは目で頼むと告げると、たまちゃんを押さえ込み始めた。
――ごめん、たまちゃん!
僕は心の中で謝ると、家を飛び出した。……どうして、こうなったんだ……。
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「今日はなんか寒いよねー」
まだまだ冬な感じの日に、珍しく春うららで暖かな日に、たまちゃんがそんな事を言い始めた。
「今日はむしろ暖かいけど、たまちゃん厚着してるのに寒いの?」
大学の講義がそろそろ始まりそうな中、たまちゃんはコートも脱がずに、少し震えている。耳もくったりとしているし。――まさか……。
僕が額に無理矢理手を当てると、いつもなら嫌がって振り払うたまちゃんが反撃も無い。そして手のひらに感じるそれは……。
「たまちゃん。これは風邪じゃないかな。熱いよ!」
「ふむ。この間の初売りの時にもらったか、チョコレートの影響か……」
――初売りだと今更だし、チョコレートにまみれた事はないから、僕はよく分からない。それを聞いて、何かが抜けたのか、くたぁと机に溶けるたまちゃんだった。
医務室に運び、スナコ兄に連絡して迎えに来てもらう事にする。配送前に様子見てやって来てくれるそうだ。
「俺たちも一年目は風邪をひいたしな。通過儀礼みたいなものだ。こちらに来て疲れたのだろう」
電話の向こうで、少し笑いながらも心配そうなお兄さんに任せて、僕らは講義に戻った。
「たまが後で分かる様にノートをきちんと書かねばな」
意外と真面目なスナコさんであった。
無事に講義も終えて速やかに帰宅。アパートの二階にある我が家へ急いで向かうと、たまちゃんが扉を無理矢理開けてその場で力尽きて倒れるのが見えた。
「たまちゃん!」
「たま!」
慌てて駆け寄ってベッドに寝かせる。少し汗をかいていたからそれをスナコさんに拭いてもらう。その間に買い置きのスポーツドリンク粉末を、規定量の二倍の量のぬるま湯で溶いて、さらに蜂蜜も入れて飲ませる。
※作者注:非常に効果的に体内に入ります。
少しだけ回復して目を開けたたまちゃんをスナコさんが諭す。
「たまよ。狩人にも休息は必要だ。最大の力で行かねばナキウサギにもやられてしまうだろう?」
【チベット狩り用語】で諭されて少しは効果があった様だ。でも、熱っぽい顔で僕らに訴えるたまちゃん。
「でも……、でも今日はあの人に会わないと……!」
視線の先のカレンダーには、【たま:動物園へ】とか【スナコ:演習】【僕:牛ブラッシング】とかに紛れて【たま:にゃんXでー】と書いてあった。さらによく見ると小さな文字で場所が書いてある。
「たまちゃんが行かないと……」
「駄目だよ。たまちゃんまだ熱が」
「たまよ。私を倒してから行くのだな」
スナコさんなりに止めたんだろうけど、それを聞いていきなり暴れ始めるたまちゃん。
かなりの力で暴れるたまちゃんに、僕は吹き飛ばされて玄関へ。目線でスナコさんと会話すると、僕は一人目的の場所に走る。
「にゃー! いくのぉぉお!」
「落ち着け! たまよ!」
聞こえてくる鳴き声を背景に、僕は目的地へと急いだのだった。
「こんな辺鄙な場所に公園が?」
郊外の川のほとりに、隠れる様に公園があった。遊具もほぼ無いし緑地といってもよさそうな位。と、スーツを着こなしてシルクハットらしき帽子を被った一人の紳士がベンチに座っていた。――この人かな。たまちゃんが今日は来れない事を伝えてあげないと。
「あの、たまちゃんが……」
それを聞いて、シルクハットに隠れていた視線が上がると、鋭い視線が僕を貫く。
「まさか彼女に何かが! 貴様! 何をした!」
問答無用と飛び掛かってくる紳士に、僕は慌てて身体を転がして回避する。僕がいた辺りの背の高い雑草が凪ぎ払われて随分と綺麗に。――まさかこの人も!?
「チベットから日本に向かったと思ったら、ニンゲンに捕まったとあれば、私が救わなければならぬ。同輩としてな!」
ぶわっと殺気と共に、身体の後ろから尻尾が伸びる。――やはり猫関係の方!?
「だったら、ねこじゃらーし!」
「効かぬ!」
あっという間に弾かれた。――猫じゃないのか!? ブラッシングでなだめようにも、動きが速過ぎる。スナコさんを越えているかもしれない。
「さぁ、チェックメイトですよ」
僕は公園に唯一ある遊具に追い詰められた。
「人間が、我々をいい様に弄ぶからいけないのです。さぁ覚悟を!」
爪が頭上から振り下ろされる。――まさか……こんな所で……。ごめんスナコさん……。たまちゃん……。
「だめぇぇぇえ! ルアクさん待ってぇぇえ!」
その声にピタリと止まる気配。目を開けると、離れた場所でスナコさんに背負われたまま、叫んでいるたまちゃんが見えた。
「全く、大変申し訳ない……。紳士を自称しているというのに、この様な……」
土下座せんばかりに、平謝りする紳士――ルアクさんを、たまちゃんがふぅふぅと熱で辛そうながらも怒る。
「あのね、このニンゲンはね、たまちゃんの大事な人なの。だからね! 駄目なんだからね!」
――たまちゃんの口から、そんな事が聞こえてちょっと嬉しい。大分懐いてくれたんだなぁ……。スナコさんが、乾いた瞳で見詰めている気がするけど、なんでだろう。
「せめて、こちらを……」
瓶入りの黒い豆を渡してくる。これは……珈琲だ。
「本当に申し訳ない。今後、もし珈琲が足りないという事であれば出来次第送らせて頂きます」
深々と謝罪を続けるルアクさんと、もう~と、怒り続けるたまちゃんの声は遊具の影が随分と長く伸びる頃まで続いたのだった。
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「何か、すごい目にあった……」
「ごめんねぇ……。悪い人じゃないんだけどねー」
今度は僕の背中に乗ったたまちゃんが、呟くように喋る。
「警戒心が強い様だな。もしあのまま手を下ろしていたら、八つ裂きではすまなかったが」
スナコさんは、さっきから無言だけど、かなりお怒りだったらしい。
「それにしてもこの香りはジャコウネコ珈琲か。素晴らしい物を頂いたな」
ちょっとほくほく顔になって、尻尾をバッサバッサと振りまくるスナコさん。――現金である。
「そんなにいい珈琲なんだ。なんか良かったねー……」
たまちゃんがまた呟くと、スナコさんが大いに頷く。
「ああ、一杯でも場所によっては八千円以上の最高級品だ」
「うぇぇぇ!? すごいね。早速帰ったら飲まなきゃ!」
僕らは夕闇の中、楽しげに帰宅するのであった。
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「そういえば、ねこじゃらしが効かなかったのはなんでだろう」
「ああ、生物学的にはタヌキの仲間らしいぞ」
「む、ジャコウネコ珈琲か。いいものを手に入れたな」
たまちゃんの様子を見に来たお兄さんが、香りを嗅ぐとうっとりしながら耳と尻尾を出して喜ぶ。
「それにしても、ジャコウネコの糞から作られているとはな。中々すごいものだ」
ハッハッハッと笑うチベスナ兄弟の横で、僕は若干身体が固くなる。
――つまり、ルアクさんの……。僕は考えるのを止めてしまい、ベッドで寝ているたまちゃんの呟きは聞き逃したのだった。
「たまちゃんの……大事な……ぶらっしんぐたんとー……むにゃにゃ」
コピ・ルアクは、ホテル等では一杯八千円~。喫茶店では一杯二千円以下だったり、価格は様々です。
野生のジャコウネコが食べて、それを集めた物だけを集めたりするとさらに価格が上がるとか。
独特の素敵な香りと、深い味わいが素晴らしいらしいです。いまだに私も飲んだことが無く、いつか飲める日を夢見ております。尚、しっかりと洗ってあるので、勿論清潔です。豆のまま食べても美味しいとか(焙煎後)
また、像が珈琲豆を食べて糞から採取する「ブラック・アイボリー・コーヒー」や、猿が食べて発酵する「サルコーヒー」等も、中々希少の様です。値段を調べると、耳と尻尾がピーンとします。




