スナコさんダイアリイ
千部家。第一子、男の子であった。
「おぉ、このつぶらな瞳。これは将来美少年になるなぁ!」
「うふふ。たっぷり可愛がりましょうね、あなた」
そして翌年。
「おぉ……母さん頑張ったな!」
喜ぶ顔に、苦しげながらも嬉しそうに答える母。
「えぇ、立派な女の子ですよ」
丁寧にそれを取り上げると、まだ目も開かないそれを見つめ、彼は喜びの声を上げた。
「おぉ……ついに、我が千部家にも女の子が! 今日からお前はスナコ! 千部スナコだ!」
初めて喋った言葉は「こにゃあん」だった。
◇◇◇
たっぷりの愛情に包まれた、兄:スナ彦と、妹:スナコ。しかし、外は危険だからと巣穴の中だけで遊ぶ事が多かった。
「外はまだ危ないからね。お父さんもお母さんもいない時は、子供だけで外に出ちゃ駄目だからね。パパとのお約束だよ」
そう言われても、出てしまうのが子供たちである。
「お兄ちゃん。最近見てないし、私【おそと】出たいよー」
「スナコだめだよ。お父さんもだめだって言ってただろ」
可愛いお目めをクリクリとさせた兄は、ぴょんぴょんと跳ねる妹をそう諭す。しかし、可愛い妹の【お願い】。そして自身も、二人だけで外を見てみたいという誘惑に負け、ついに二人して巣穴から外に出てしまったのであった。
「うーん。今日もいい天気だよ。お兄ちゃん」
「そうだね。今日もチベットの空は高くて綺麗だよ」
遥か遠くまで見渡せる山々の峰から、外界を見下ろし、二人は大自然の素晴らしさに酔いしれる。しかし、その二人を狙う影が。
「こいつは……チベットスナギツネの子供が二匹も。育つ前に倒すべきだな。そうだな。そうしよう」
サングラスをかけた、いかにもガラの悪そうな成獣のアカギツネが二人を脅かす。スナコをかばい、毅然と前に出るスナコ兄。
「誇り高いアカギツネの方。僕らみたいな育ってないキツネを倒しても、なんにもならないですよ」
それをニヤニヤと見つめながら、アカギツネは舌なめずりをする。
「たとえ食わなくても、将来の脅威を払っておくには意味があるからな。悪いなボウズ。妹も後を追わせてやるよ」
「そうか、それがあなたの正義なんですね」
スナコの前にさらに一歩出た兄は、まっすぐにそのつぶらな瞳を相手にぶつける。
「それが貴方の正義か」
「そうだっ! それが野生の掟だ! 弱いやつから死ぬっ!」
その時だった。アカギツネにはスナコ兄がとてつもなく巨大に見えた。そして、気付いたら吹き飛ばされていた。何が起こったか分からないまま、地面に倒れ伏したアカギツネを見下ろすその姿は、キツネ離れした顔の、まごうことなくチベットスナギツネの顔であった。戦慄するアカギツネにぼそりと兄は低い声で告げる。
「臆したな。それがあんたの正義か」
「お兄ちゃん!」
後ろで急に叫び声を上げた妹の声に慌てて兄が振り返ると、空から大型の猛禽類が。
「やべぇ! あいつらには俺達は為す術はねぇ。ボウズ逃げろ!」
「いや、まだだ」
スナコ兄はアカギツネのつけていたサングラスを奪うと、自らに装着し、そしてポケットから栗の皮を取り出すと、逆光の中滑空する猛禽を直視し叫ぶ。
「栗の皮を投げてはいけません」
空気を割いて高速で飛んだその皮は、猛禽の目に直撃し、そいつは落下していった。
「ありえねぇ……これが……スナギツネの力か」
あっけにとられているアカギツネに兄が告げる。
「違うな。これは守る力だ」
そう言って、気が抜けたのか泣き出した妹を優しく抱き締めると、二人は巣穴に帰っていった。
「あ、俺のサングラス……」
戦利品だ、と背中越しに声を投げられ、アカギツネは完敗とばかりに、目を閉じた。
◇◇◇
「うちのが世話になった様だな、チベスナ」
「こちらこそ、〈教育に悪い事〉をしてくれた様だねアカギツネ」
数日後、とある岩場の上で、紺三郎ことスナコ父と、アカギツネのボスこと、【ローテ】が顔を合わせる。お互いに後ろには部下がズラリと並んでいる。スナコ父の後ろには様々なキツネにマヌルネコ等が、ローテの後ろにはアカギツネのみが並んでいるのが対照的だ。
「どうしてくれるのかな。うちのお兄ちゃんがすっかり〈ハードボイルド〉になっちゃったじゃないか!」
そうして、後ろを指すとスナコ兄がサングラスをかけて「うむ」と腕組みをしている。
「あんなに、可愛くパパ~パパ~とついてきたのが、今じゃすっかり一人前のハードボイルドじゃないか! まだ可愛いさかりをぉぉぉ!」
教育問題で叫ぶスナコ父。それに動じる事も無く、スーツのポケットに手を入れて立っていたローテは、顎をしゃくる。出てきたのは先日のアカギツネだ。明らかにスナコ兄がつけた傷では無いもので、全身ズタボロだ。息を飲むスナギツネ組。
「落とし前ならつけた。命もくれてやる。これでいいだろう」
ニコリともせずに、そう告げるローテに。父が兄が、そしてスナコが叫ぶ。
「そんなの、ちっとも良くないよ! どうしてそんなひどいことをするの!」
泣き叫ぶスナコに、酷く冷たい目を向け、ロォテは呟く。
「それが野生の掟だ。そしてこいつは負けた。ならば、後はこうなるしかない」
ヨロヨロと立っているのが精一杯のアカギツネに向けて銃を向けるローテ。
「うちの子達の前で、〈そういうの〉はやめてくれないかな」
気配も音も無く距離を詰めたスナコ父が、ローテのこみかみに銃を合わせる。撃鉄の鳴る音。
「ならば、力づくで止めろスナギツネ」
自身に向いていた銃を下からの蹴り技で跳ね飛ばし、さらに持っていた銃を撃とうとして、目の前にスナコ父がいない事に気づき、無意識に上体を下げる。真後ろから高速で放たれたフックを回避しつつ距離を取るローテ。
「ようやく本気を出したか。一度お前とサシでやってみたかった」
「これ以上〈ふざけた真似〉はやめてもらおう」
スナコ父の姿が一回り小さくなったかの様に見えたかと思うと、一気に膨らみながら突っ込んでくるのを見て、徒手空拳で捌《さば》きながらローテが叫ぶ。
「貴様! それは着膨れか!」
「生憎と〈毛深い〉からねぇ」
スナコ父は、自身の毛のこんもり具合をある程度自在に変える事が出来るのだ! 目の前でそれをされた相手は、距離感を見失ってしまうのだ!
二人の戦いは激しく続き、周りが固唾を飲んで見守る中、フェイントを乱射するローテの技が次々に決まり始める。そして崖の際で戦っていた二人は大風に煽られて、吹き飛ばされる。
「お父さん!」
「ボス!」
その時、スナコは風になった。その速さは兄ですら目で追う事は出来なかったという。崖から落下中の二人を横からタックルし、その勢いで二人を崖上へ。そしてスナコは崖の下へ。
「スナコォォォオ!」
慌てて、皆が崖下を覗くと、崖の中腹で鳥の巣穴にはまっているスナコがいたのだった。
◇◇◇
「父よ。この間テレビクルーが来ていたわ」
「あー、ついに来ちゃったかー。全世界配信されちゃうかー」
「そうだな」
あの事件以来、すっかりしゃべり方が兄と同じ様になってしまった娘を見て、切なくなりながら、思春期とはこういうものかと、スナコ父は感慨にふけっていた。
「しかし、どうせこの辺りを取材するならナキウサギの減少とか、核廃棄物の問題とか、環境にも取り組んで頂きたいねぇ」
チベットの野生がじわじわと荒らされる中、スナギツネ達のグループはあれこれと尽力してきた。しかし、やはり自分達でさらなる回復の手段を学ばなければいけない時が来ているのかもしれない。子供たちを見ながら、父はそんな事を考えるのであった。
◇◇◇
「我々、日本のテレビとしては初めて、あの不思議な動物をカメラに収める事が出来ました! ご覧下さい!」
そこには、スナギツネ状態の兄にまたがり、のしのしと散歩するスナコの姿があった。ポカンとするテレビクルーの前でカメラ目線になると一言告げる。
「すまない。マネージャーを通してくれ」
流暢な日本語に、クルーはただただ頷くしかなかったという。
「父よ。日本語がきちんと通じたぞ」
帰って来たスナコが、父に告げ、部屋の隅の日本語吹き替え付きDVDの群れを見やる。これで覚えた日本語も通じた事で、スナコはかねてからの計画を実行する事を決意する。
「私は日本で大学に通おうと思う」
チベットの土壌の回復から、ナキウサギの個体数の回復。また、自分達の食べる作物も増やせないか……等々。ずっと考えていた事だ。兄は、大豆を今以上に活かせないかという事で、同じく日本に行く事を考えている。
「そうか……。二人ともついに巣立ちの時か。パパは寂しいよ」
だからいつでも連絡してね、ジェットでもヘリでも向かうからねと言う父に、スナコが軽く笑う。
「ほらほら、お父さんが子離れ出来ないと子供たちが困るでしょ。二人共、気を付けて行ってくるのよ」
手をふきふき、台所から出てきた母は、そう言って父をいさめつつ二人を抱き締める。
「ちゃんと食べるのよ。ネズミなんて食べない様に。レーションは定期的に支給するわ。あと、武器は基本的にあっちで入手するのよ」
ああ、うむと、二人が頷き、チベスナの輪に囲まれながら旅立って行った。
「強く育ったなぁ。本当に」
「私たちの子供ですから」
いつかの怪我をしたアカギツネも、横でうんうんと頷く中、千部スナコ・スナ彦は日本へと向かうべく空の旅人となるのであった。
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僕は呆気に取られていた。この間スナコ父から届いたお土産の箱にこっそり入れられていたDVD。
『ニンゲンくんへ、スナコたちがいない時にみてね♪』
とあったので、スナコさん達がお仕事と称して一日いない時に見たんだけど、6時間位あった……。
――スナコパパ、どんだけ二人の事好きなんだよ! そしてスナコ兄、踏み出した一歩目でハードボイルドとか、どうしてこうなった!? スナコさんまでも、影響されてるし!
画面端に大体いつも、たまちゃんが映ってたし、スナギツネやらアカギツネやら他のキツネやらが常に映ってて、きつねむら状態だよ!
何かこう、カルチャーショックというか、逆にいつも通りというか、チベスナさん達は何なんだろう。
「ただいま戻った。今日はいい獲物が手に……」
スナコさんがそう言いながら帰って来て、僕とテレビを見て凄まじい悲鳴を上げる。
「あわわわわ……何故それがここに」
頭の上の耳を伏せ尻尾を丸め、折角取って来たウサギを取り落として顔を真っ赤にしてあわあわしている。――非常に可愛い。
「ねぇ、スナコさん。今でもお兄ちゃんって呼ぶの?」
泣きながら、聞くなーと、ライダーキックを僕に綺麗に決めて来たのは、ご愛嬌である。まる。
ちなみに、ローテさんはあの争いのすぐ後に自分にも娘が生まれた。部下がドン引きする程の溺愛振りを発揮し、スナコ父と、娘自慢で争う事になったという。




