湯煙温泉絵巻
かぽーんという音が聞こえてきそうな、ゆるやかな気配。湯気の先には大自然。
「スナコさーん。そっちもくつろいでるー?」
溜め息の様な、吐息の様な、あぁ……という声が聞こえてくる。――最近みんな頑張ってたしなぁ。
バシャバシャと泳いでる音はたまちゃんだろうか。
――どうしてこうなったかというと……。
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「この間、知り合いから〈秘湯〉を教えてもらってね~!」
というギンコさんの言葉に、お兄さんの外国車が7人を満載して発車した。今日はいつもよりも大きめの車だ。
「温泉! 楽しみ温泉!」
「知る人ぞ知る名湯だからね〜。凄いわよー!」
いつの間にかすっかり仲良くなったギンコさんとたまちゃんが二人してはしゃぐ。その横ではキタさんが潰されながら寝ている。――何故起きないんだろう。
「そろそろ私、運転交代する?」
「問題ない」
交互に運転をしてくれる天さんとスナコ兄。アゲレンジャーショーの慰労も兼ねて、お兄さんが連れて来たいと言ったのだ。
「温泉かぁー。ゆっくりしようね、スナコさん」
僕の言葉に、隣に座っていたスナコさんは、ふわりと笑いながらも、いつも通りに「ああ」と答えるのだった。
何故か辺りに何も無い山の中腹の駐車場に車を停め、荷物を下ろす。そして獣道の様な細い道を分け入って行く。
「ギンコさん、これ正しい道なの?」
僕の言葉に大丈夫大丈夫と言いながら、辺りをキョロキョロと見渡すと「あ、これこれ」と、何の変哲も無い樹の【うろ】に向かって何かを呟き始めた。
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……」
長い呪文の様な言葉を噛まずに言い終えて満足げなギンコさん。呆気に取られていると、樹の【うろ】から、いらっしゃいませーと声がして、近くにあった岩がドアの様に開いて入口が出来た。
怪しみながらその中の通路を抜けると、立派なお屋敷が鎮座していた。門の前で、和服姿の狐のお姉さん二人がこちらを見て頭を下げる。
「いらっしゃいませ。ギンコ様とお連れ様の合計7名で伺っております」
白い尻尾の先が少し黒くなった方が声をかけ、逆に尻尾の先だけ白くて他が黒い方が台帳らしきものをめくる。オジロさんとオグロさんという双子の狐さんらしい。
「ねー、隠れた名湯でしょ〜!」
――完全に隠れ里だよギンコさん!
僕の突っ込みが山々にこだました。
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二人に案内され広々とした部屋に荷物を置き、早速露天風呂へ。岩場に囲まれつつも、立派な樹木が見えたりと風光明媚。
「入るときには準備体操を行う」
スナコさんが、謎情報をたまちゃんに教えつつ、二人して体操してる声が聞こえる。ダッシュジャンプして飛び込んだらしいギンコさんが天さんに怒られる声も聞こえた。
――うん、艶やかさとか無かった。
女湯から聞こえてくる声に思わずクスリとしながらも湯に入る為に身体を洗っていると、既に死んだ様に湯に浸かっているキタさんが見えた。――今日ずっとあんな感じだけど大丈夫かな。
「……おぉ……ヤジさんか……」
話し掛けたら目に光が少し戻った。頭の上の耳も少し持ち上がってすぐ落ちる。なんでも、最近はチベットと【きつねむら】とを、常に移動して何やら作業を進めつつ、ギンコさんの撮影のフォローまでやっていると。――疲れ果てる訳だよ!
温泉でゆっくりしてねと言いながら振り返ると壁が。
「どうした」
スナコ兄が立ちはだかっていた。分厚い胸板に背の高さもあってまさに鉄壁。そしてサングラスは外さない。
身体を手早く洗って湯に浸かると、耳と尻尾を出し始めた。かなり緩んでいるらしい。
ようやく僕も湯に入る。ああぁぁとか声が出るのが仕方が無い気持ちよさ。しかし、毎日が目まぐるしく回ってるから温泉はいいなぁ。――硝煙の香りとか、爆発とか無くてもいいのよ。
柵越しにスナコさんへ声をかけると、まったりしてそうな吐息が聞こえる。
改めて湯の中から風景を見ると、樹齢何年かも分からない様な立派な木が生えていたり、大きな岩場に苔が蒸していたり、隣の女湯と繋がっているだろう小さな川からは、たまちゃんが流れてくるし……
――っておぉい!
お兄さんが首根っこつかんで引き揚げると、くたーとしてるたまちゃん。
「ちょっと! たまちゃん大丈夫!?」
と、ギンコさんが慌てて男湯と女湯を隔てている竹の柵から顔を覗かせる。……どころか身体まで覗かせ、僕に気付くと、わざとらしくイヤーンとかやって身体をくねらせる。一応身体は湯煙で隠れてたけど、でもシルエットが! そしてそれを静止しようとしたスナコさん。二人の体重で柵が……倒れた!
――これは! ライトノベルとかである【ラッキースケベ】ってやつですか! 期待しちゃってもいいかな! だって男の子だもん!
湯煙が晴れて、そこに現れたのは……!
「こゃ〜ん」
「コャァ」
銀狐とスナギツネだった。
――知ってたよ! 何かこうなるって僕知ってたよ!
呆然としている僕に、天さんの
「ハレンチです!」
という叫びが聞こえてきたのだった。
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湯当たりでぐったり中のたまちゃんを僕が抱えつつ、大広間でご飯。たまちゃんはオレンジジュースで回復したのか、川魚に御満悦だ。狐組も魚も油揚げも美味い美味いと、大喜び。
お兄さんが天さんのお酌で日本酒を小さな盃で飲んでると、ヤクザと姐さんな雰囲気だ。キタさんがギンコさんに飲まされ撃沈。僕は余りお酒強くないから、スナコさんともっぱら食事に舌鼓。楽しい食事はゆったりと過ぎていった……。
「申し訳ございません!」
部屋に戻ると、オグロさんとオジロさんが土下座していた。布団を用意しようと部屋に入ったら、物盗りの跡があったらしい。
「我々の警備が甘く、この様な事に……」
「かくなる上は腹を切ってお詫びを……」
そう言いながら短刀を出してくるのを止める。未だに酔ってなくて、普通なのは僕とスナコさんだけだ。たまちゃんはお腹一杯で寝てるし。
「とりあえず上の者を出してくれ」
スナコさんが冷静にそう伝えると、慌てて二人が呼びに行く。
「何かお口に合いませんでしたでしょうか……」
と、前掛けをしたお爺さん狐が、頭の上の耳も伏せながら、手をふきふき出てきたと思ったら、スナコさんを見て腰を抜かす。
「す……スナギツネ! あわわわ……」
平謝りし始めるお爺さん狐の頭領に、さらに平伏するオグロさんオジロさん。全員尻尾を丸めて震えている。
僕が止めるまで【命だけはお助けを】と、謝罪は止まらなかった。――スナギツネは狐界隈では一体どんな扱いなんだ……。
無くなった物を調べると、金目の物は無事で、おやつが主だった。しかし、自分の荷物を調べていたスナコさんがすっくと立ち上がると、頭領さんにドスの聞いた声で詰問する。
「この毛に心当たりは無いか」
それを見てガクガクしながら答える頭領曰く、この山のボス猿では無いかと。度々やってきては話かける暇すら無く食い物を漁って消えていくので、ほとほと困っていたらしい。
「そうか。分かった」
それを聞いたスナコさんは、静かに殺気を漂わせ尻尾を思い切り膨らませながら呟くのだった。
「誰に喧嘩を売ったのか分からせてやろう」
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スナコさんは護身用の小型の拳銃を持ち、僕は自分の荷物からとある物を取り出して森の中を分け入る。他の人達を待たないのかと聞いたんだけど【これは私たちの狩りだ】と譲らなかった。
辺りはすっかり暗くなり、月明かりに照らされた道は薄気味悪い。どこかでフクロウが鳴く声がまた、妙な静けさを出している。
スナコさんは時折立ち止まると、目を閉じて臭いに集中し、しばらくすると静かに指を差す。その先へ先へと進み続け、僕らは山の頂上付近に出ていた。
ハンドサインで【伏せろ・ゆっくり来い】を指示され、ゆっくりと伏せたまま近付くと、山頂の岩場に洞窟が見えた。どうやらそこにターゲットがいるらしい。スナコさんが偵察に入り、僕はバックアップで外で見張りをする事に。
「気を付けて」
の僕の声に、当てにしているとばかりに頷くと、スナコさんは音も無く四足歩行で洞窟の闇に溶けていった。
5分……10分……15分は経過し、心配になって来た頃、ちょうど月が雲に隠れ、辺りは暗くなり見えなくなる。気付けば虫の声すらしない静寂。僕は出来るだけ音を立てず、辺りを観察する。
何かがおかしい……と、洞窟の奥から激しい唸り声と銃声と共に、何かが揉みくちゃになって飛び出してくる。
――ぐるぐると回っていたそれはスナコさんと大猿だ!
スナコさんが下になり、首を締められそうになる。その度に必死に身体を左右に振っているのだけど、体格差があるしやられるのも時間の問題だ。僕は、この時のために、持ってきていた荷物を組み立ててある。そして、それを慎重に狙いを定めると、スナコさんに叫ぶ!
「スナコさん、スナギツネモード!」
僕の方を確認する事も無く、いきなり白い煙と共にスナギツネへと変化したスナコさんに、乗り上げている大猿が戸惑いで動きを止める。
――僕はそれを、撃った!
学年が上がる前に、こっそりと狩猟の免許を取っていたのだ。簡易式の組み立て型空気銃だけどかなりの威力がある。動物相手でも、撃つのは初めて。――撃つ事も怖い。だけど……スナコさんがやられるのは……もっとイヤダ。
しかし、顔を掠めただけで弾はハズレた。――焦った! 次の弾を……!
その時だった。
「え!? ちょマジ。スナコって、チベットスナギツネの千部スナコさんっすか!?」
大猿が喋った。――しかも、チャライ。スナコさんが元の人型に戻りながらそうだと答えると、感激のあまりに涙まで流し始めた。
「ちょ! まじっすかぁぁ。俺チョー好きなんすよ【スナギツネは眠らないⅡ】! サイン貰ってもいっすか!?」
スナコさんが、引きつった笑顔でそれに応えていた……。
「どうにか……なったね」
妙な展開になったけれど、大猿さんは今後は宿を襲わない事を約束し、出来る限り物を返してくれた。色々とくたびれてしまったスナコさんを、僕が背負いながら山を降りていく。――スナコさんは相変わらず軽いなぁ。
「いつの間にあんなものを」
「休みの間に頑張ったよ。だって、スナギツネの【つがい】って、二人で狩りをするっていうからさ」
背中でスナコさんが照れた様に笑う。――そういえば、スナコさんのお菓子は僕のリュックにあったのだけど、スナコさんは何を取られたんだろう。
それを聞こうとしたら、珍しく言い淀むスナコさん。ちょっとしてから、消え入りそうな声で話してくれた。
「兎のポーチだ。初めての日本での狩りの証」
そして、つがいになってからの初めての獲物だからな……。
最後の方は、背中に顔が押し当てられて、ほとんど聞こえないけど、なんとなく分かった。そしてスナコさんが、きっと顔を真っ赤にしているだろう事も、背中の熱さで僕には分かった。
狩猟の免許や、空気銃の取扱は細かいので割愛しております。知人はリアルによくイノシシとか倒してます。




