暗闇で光る眼
畑の朝は早い。そうそれは農大生の僕たちでも同じなんだ。少しずつ明るくなってくる空を見ながら畑の雑草を丁寧に抜いていく。
「おーそろそろ朝飯にするぞー。みんな集まれー」
その声に額の汗を拭うと、僕は曲がっていた腰を伸ばしてみんなの所に向かった。
スナコさんとお兄さんは仕事で海外に出かけている。――お兄さんも、実はああ見えて大学生なんだよね。あんまり誰も信じていないけど。
スナコさんが不在の僕は、まるで普通の大学生みたいな日々を送っている。そんな中、サークルの部長の発案で急遽お泊まり合宿が決行された。
大学の敷地内には他からちょっと離れたところにお泊まり棟がある。キッチンもあればお風呂もあるし、布団も完備と合宿にはうってつけ。難点は敷地がかなり広い大学内の外れの方だから、買い物なんかが大変なことくらい。専用の自転車とかあるしね。
とりあえず朝は早くに起き出してサークル用の畑を耕し、昼間にはブートなキャンプ的なトレーニング。そして陽が暮れる頃には夕飯にバーベキューを予定していて、これから各自買い出しに行こうとした時だった。
育って来た植物の間に小さな女の子の姿が見える。薄暗くなって来た中でそれはおぼろげな気配。――まるで人では無い様な。そんな事を思って見つめていると女の子は僕に目線をちらりとやって消えた。瞬きもする間も無くそこからいなくなったんだ。
――えっ幽霊とかじゃないよね……?
ちょうど部長から点呼がかかったので、僕は調べる事も無くその場を離れた。それがあの惨劇の始まりだったなんて……知る由も無かったんだ……。
「はい、じゃあみんな夕方の作業を終えたね。この後の分担なんだけど……」
それぞれに分かれて買い出しへ。僕もお肉を買いにいかないと。その時、また視界の端に影が。毛足の長い何かをまとった女の子? その直後に悲鳴。慌てて駆けつけると、サークルメンバーの荷物だけがあって人の気配は無くなっていた。――ついさっきまでそこにいたのに。
荷物だけ置いてちょっとどこかに行ったのかもしれないと、とりあえずその荷物を持ったまま一度校内の敷地から出てお肉屋さんへ僕は向かう。――お肉は5キロ位でいいかな。野菜も朝取りした畑のやつだし楽しみだな。でも、さっきの彼はどこに行ったんだろう。荷物運び一人はきついなぁ。
そうやってお肉を運んで大学の敷地内へと戻ると、サークルメンバーの何人かが門の所で不安そうに待っていた。
「人がね……いなくなっていくの……」
何でも、よそ見をした隙だったり、木々の陰に入った時なんかに、気が付くとメンバーが減っているのだそうだ。買い出しを終えた部長も戻ってきたので、その事を話して人数を数えてみる。するといつの間にか半分くらいまで減っている。これは異常だ。それぞれに連絡もつかない。ようやく一人電話が繋がったと思ったら……
「……フシャァ」
謎の声がした後に、ブツン……と音を立てて通話が切れた。僕たちはようやく気持ちを切り替えた。
この時間では既に大学は、僕らのサークルで貸し切り状態。救援は当てに出来ない。僕らは【僕ら】で守るのだ。
「行くぞ」
「応!」
男女関係なくスナコさんに鍛え上げられた戦闘モードになる。持っているのは武器ではなく買い出しの荷物だけど、さっきまでの大学生らしい空気から、一気に隙が消える。それぞれお互いが見える範囲で動きつつ慎重に進む。左に何か陰がザザッと走る。部長がそれをハンドサインで伝え先行部隊が鶏小屋へ逃げ込む。――あっ! 一人こけた。
鶏小屋の中から外へ向かって手を伸ばすも、倒れた彼はそのまま悲鳴を上げながら何かに引きずられて闇に消えていった。
連れ去られた彼女を今は諦め、中に入ると鍵を締める。ひとまず少し休憩しようかと、それぞれが腰をおろしかけた時だった。鶏が一斉に騒ぎ始める。
「あ、あそこ!」
メンバーの女子が悲鳴を上げながら指差すと、窓の隙間から見開いた眼がこちらを見ていた。思わずみんなが悲鳴をあげる。そして消える電気。暗闇。悲鳴。
灯りが点いた時、叫んでいた彼女は消え僕の真横にいたのは、カーペットの様な毛足の長い物をマントのようにまとった何か。それが僕を見ると、眼を見開いて唇を片方だけ吊り上げニヤリと音も無く笑う。
「うわぁぁあ!」
慌ててその場から匍匐前進で逃げる。また電気が一瞬消えたかと思うと、点いた時にはさらに二人消えていた。
その後に逃げ込んだ温室でも四人消えてとうとう僕と部長だけに。僕たちはいつでも走れる様に、上体を落としながら進む。お泊り棟に入ればどうにかなるだろう。そう思って鍵をドアに差し込んだ瞬間。
シュピンッ!
玄関のドアの隙間から何か爪の様な物が伸びる。咄嗟に手を引いた瞬間に扉が内側から開き、隙間から何かが飛び出すと部長を掴んで闇に消えた。一瞬見えたあれは……あれは!
慌てて玄関から自分の荷物へ走る。肉を置いて自分の鞄を手に持った時にはもうどこからか追いかけてくる気配。それから逃げるように屋上へ向かう。屋上は星明りだけの暗闇の中、スマートフォンの明かりを使ってバタバタと風に煽られながら、僕は必死に鞄に入っていた情報誌「ちべっとのどうぶつとせいたい」を読む。――それらしき生物は……これだ! おそらく僕の予想の通りだ。そして僕は鞄から必勝アイテムを取り出す。
ガタリ……
屋上のドアが開くと、そこだけ照らしている照明でようやくそれの姿が見える。
風になぶられながら現れた姿。マントの様に長い毛足の物を巻きつけ、三角の耳は頭の後ろ側に。ダランとした尻尾に縞模様。先端が黒。そして威嚇の為に眼を大きく見開き口を大きく開けて舌を出して睨みつけてくるその小柄な姿は!
――スナギツネと並ぶ、チベットの狩人。【マヌルネコ】だ!
この子も人間の女の子になっている上に、とても幼く見える。そして何故僕達を襲ったのか。分からないけれど、これを乗り越えなければ僕に明日は無い。
「ニンゲン……ミツケタァァァ!」
そういって、短めの爪で飛びかかって来るのを鞄で受け流して、僕は僕の武器を構える。さぁ喰らえ!
――ふわさぁ~
「オォウ……」
目に見えて殺気が減っていく。そうだ。このクリスマスにもらった動物用ブラシ(豚の毛。超高級品)でブラッシングされた動物は、野生の力を殺気を無くして……弱くなる!
「そして! 正体がわかれば! 君の動きは……スナコさんより遅い!」
見慣れたスナコさんの動きはこんなもんじゃない。逃げ場所も隠れ場所もない屋上に出てきた時点で僕の勝利は確実なんだ! 追撃、さらに追撃! 僕のブラッシングテクニックは確実に相手の殺気を、野生を解きほぐしまるで飼い猫レベルにまで落ち着かせる。そして僕の怒涛の連続ブラッシング(スナコ談あれは極楽)で、すっかり大人しくなったマヌルネコは、僕の膝の上で屈すると安らかに寝息を立て始めたのであった。
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あれから何故かヘリで帰還したスナコさんが、そのままお泊り棟に着陸し僕らに合流した。このマヌルネコは【たま】ちゃんといい実はスナコさん達の幼なじみだったらしい。チベットから連絡が入り急遽ヘリで乗り付けたそうだ。
「毛並みが整ってる。流石のテクニックだ……」
「毎日スナコさんで鍛えられてるからね」
寝ている【たま】ちゃんを抱っこしながら褒めるスナコさん。どうやら留学生として大学に来る予定だったらしいのだが、連絡の行き違い等がいっぱいあって、何故かこんな事態になったみたい。その後スナコ兄が倉庫に詰め込まれたサークルメンバー達を助け出して一件落着となった。
「何で襲いかかってきたり、さらったりしたんだろう」
僕は改めて再開したバーベキューの串をひっくり返しながらスナコさんに聞く。もちろんスナコさんはやばい位に頬張っている。口の中が落ち着くとようやく返事をしてくれる。
「初めての日本で緊張して興奮してたらしい」
え!? あれ緊張してたの!? ――僕としてはホラー映画の気分だっただけど! どうしてこうなったんだ……!?
後日、改めてみんなの前に現れた【たま】ちゃんは、とても素敵な笑顔を振りまいていた。みんなは何事もなく受け入れて可愛がっている。……これが! 猫を被るという事なのか……! 僕は恐怖を覚えたのだった。




