お甘いのがお好き?
全力疾走から少し速度を落としたとはいえ、一体どの位の時間僕たちは走っているのだろう……。でも、ここ最近の狐の皆様との生活で鍛えられたのかそこまで苦しくは無い。そんな事よりも後ろから追ってくるモノが怖すぎて苦しいとか思っている暇が無い。
「ルールその3……。勝手に開けるのはナシだ」
呪詛のように聞えてくる言葉に続けて、容赦しないとさらに念仏の様に声が聞こえてくる。――ハッキリ言ってむちゃくちゃ怖い。元凶の一人でもあるスナコさんは僕と並走しながら、見たことも無い顔だ。無表情なんだけど顔に余裕が無い。多分これ引きつってる。
「歩道橋の先で川を超える」
そう言ってスナコさんは速度を上げる。後ろをちら見すれば、サングラスに革ジャンのガタイのいいマッチョメンがガッショガッショと延々追いかけてくる。何かそういうアイルビーバックな映画見た事あるよ!
――どうしてこうなった!
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「甘い美味い」
バレンタインデーという事もあって街にはお菓子の甘い香りが溢れている。そして僕の家にもその甘い香りは溢れている。何故か女子から大量にお菓子を頂いたスナコさんは、僕と一緒に家に着くと戦利品の山を一心不乱に食べ出した。――女子から人気ってスナコさん凄い。そして僕はゼロ個。そう、ナッシング……。――負けている。勝負にすらなっていない。
ため息をつきながら、スナコさんの分も珈琲を入れて戻ってくると山が一区画減っていた。――お菓子い、じゃなくオカシイ。どんな速度で食べ続けているんだスナコさん!?
僕の座る場所を開けてくれて、半分に出来る物は残してくれている。そして二人でもしゃもしゃと甘味を貪る。これはお菓子だけでお腹いっぱいになりそうだ。これは夕飯は用意しなくていいかなぁ。とか思っていたらスナコさんが部屋の隅のトランクから随分と豪華な箱を出して来た。――それ本命じゃないの!? えっスナコさん!? 思わず見つめる僕。でもスナコさんはその豪華な箱を少し見つめた後、中身を取り出して何事も無く食べ始めた。
これが悲劇の始まりだなんて、僕はこの時知る由も無かったんだ……。
食べ終えて残骸の山を見つめながら満足の吐息をつく。そんなまったりとした時間を過ごしているとスナコ兄がやってきた。そして自分の私物入れにしているトランクを開いて嬉しそうに箱を出してくる。――あれ……さっきスナコさんが取り出した箱じゃないの? あれってまさか……。箱だけ戻したの……? え、それってやばいんじゃ……
お兄さんが喜び勇んで開けたその中は勿論のこと空だった。呆然と箱を見つめるスナコ兄。そして、スナコさんがベッドの上で寝そべって漫画を読みながら顔も向けずに声をかける。
「美味しかったわ」
ピシリと音を立てて固まるスナコ兄。
「何故、開けた」
「いつもそこから豆乳プリンを貰っているわ」
お兄さんのお仕事は豆腐屋さん。終わったら大体毎回豆乳プリンを持って帰って来ている。だけどこれとそれとは話が違うと思う。スナコさんは部屋の空気が変わってきていることに気が付かない。
「誰が食べた」
空気が密度を増して重くなる。呼吸すら苦しくなる中、スナコさんは平然と答える。
「マドレーヌは二人で半分ずつ頂いたわ」
美味しかったわと、相変わらず漫画から目を離さずに続けるスナコさん。――まずい、まずいよ! お兄さんの背中から何かイケナイものが立ち昇ってるよ!
「そうか……覚悟はいいな。スナコよ」
言い終わる前に懐から抜き打ちで発射された銃弾。それをスナコさんは持っていた漫画本で弾く。さらに突然現れた段ボールをお兄さんに被せると、開いていた窓から僕をつかんで飛び降りた。――待ってここ二階! 地面に激突する前にさらに幾つも取り出すとそこへ着地。段ボールが重なっていたおかげでクッションになって衝撃はまるでない。いつの間にか靴も履いていた僕たちはそのまま近所の公園まで走った。
「ここまで来れば大丈夫でしょう」
ほとぼりが覚めるまでのんびりしようとスナコさんは余裕だ。――僕は気が気じゃないんだけど。
と、辺りが突然ガヤガヤと騒がしくなり何やら聞こえてきた。
「さあ本日やってきたこの街で、我々はどんな食事にありつけるのでしょうか」
大きなしゃもじに【突撃隣のまかないご飯】って書いてある。――おや、TVの撮影か。うちの街なんて特に有名な物も無いから撮影は珍しい。その中に、やけに見覚えある姿が。
「はーい。モデルのギンコです。今日はこの街で美味しいご飯を頂こうとやってきた訳ですが……ってダーリン、凄い偶然! 夕飯お邪魔していいかしら!?」
ギンコさんが、カメラ目線で喋っていた。途中から僕らにまでカメラが向く。まさかのTV出演にもじもじしてしまう。――というか、今我が家はまずい。そう言いかけた途端に、僕の耳元を何かが掠め大きなしゃもじに着弾。しゃもじが粉微塵に吹き飛ぶ。
「伏せていろ」
突然の銃撃に慌てもしないのはスナコさんとギンコさんだけ。撮影クルーは大慌てだ。
「さぁ……覚悟しろ」
スーツでは無く皮ジャンを羽織り、怒りで眼が赤く光っているのがサングラス越しにも見て取れる。やばい……お兄さんが追い付いた。そのままダダンダンダダンと距離を詰めてくる。伸びてきた手に捕まる前に、スナコさんが僕を引っ張って走り出す。
「おおっと~! 突然の乱入者に我々の晩御飯はどうなってしまうのか~!」
――レポーター、ノリがいいな……。
僕らの代わりにギンコさんが吹き飛ばされて悲鳴を上げるのが後ろから聞こえてくる中、僕らは走り去った。
「ここまで来れば大丈夫」
歩道橋を抜け、川を渡る手前まで来た。川を越えたら隣街。流石に安全だろうと思っていたらバイクの音が後ろから。まさか……
「……容赦はしない」
――執念のお兄さんだ! バイク相手じゃ勝てない。何か対抗しないと。二人で慌てて赤信号も無視で走り始めると横合いからトラックが突っ込んできた! やばい引かれる!
「死にたいダギャーか!?」
急停止したトラックから聞こえてくる聞き覚えのある訛りを気にもせず、スナコさんが運転手を叩き出してトラックを奪い発進させる。慌てて僕も乗り込む。
「これならば流石に」
バックミラー越しに覗くと、バイクの上から銃を撃ちながら追ってくる。――まずいまずい!
二人で慌てたのがいけなかった。十字路で横合いからタンクローリーが。これは避けきれない!
激しいクラクションの中、辛うじて僕らは避け切った。しかし、お兄さんのバイクはそのままタンクローリーのタンク部分に
激突!
爆発!
炎上!
――えぇぇぇぇ!
辺りには焦げ臭い……いや、やけに甘ったるい香りが。
「チョコレートの輸送だったのね」
ダンクローリーは回避出来たけど電柱に激突してしまってもう動かないトラックを乗り捨てて、十字路に広がる茶色い液体を見つめる僕ら。お兄さんは倒してしまったんだろうか?
見つめる先で、ぬるりとチョコレートの塊が動き、大柄な男性の形になる。チョコ魔神だ! と、いつの間にか集まっていた野次馬が散り散りに逃げ去る。
「俺は……戻ってくるぞ……」
もはや人間じゃないよお兄さん! キツネだけど、なんかもうそれですら無いよ!
さらに僕ら二人が逃げた先は、チョコレートの運ばれる予定だったであろうお菓子工場だった。
スナコさんがガラケーでTVをつけると、さっきの十字路をヘリコプターが上空から撮影していた。どんどん大惨事になっている……。――もう謝罪して許してもらった方がいい気が。
「駄目だ。兄が本気で怒ったら治まるまでは止まらない」
「それにしても、お兄さんがここまで怒り狂うって……まさか! やっぱりあのお菓子は本命からだったんじゃないの」
そういえば最近彼女が出来たとかこっそりと言っていたな……そう呟いて自分の身体を抱き締めて震えるスナコさん。頭の上の耳も伏せている。僕は思わずスナコさんを抱き締めて安心させようとした時、甘い香りが。頭上から……
「俺は……戻って……来たぞ……」
チョコレート魔神ならぬ、スナコ兄がぬるりと降り立った。身体からチョコが垂れ続け、何かもう見た目から酷い。スナコさんが銃を撃とうとした瞬間、距離を瞬時に詰めてそれを弾き飛ばして喉元を掴み持ち上げる。
「ルールにその2。【ありがとうとごめんなさい】はちゃんと言う」
「ぐっ……ごめんな……さい……」
スナコさんの首が締まって顔が赤く染まる。……後チョコまみれ。ようやく謝罪したスナコさんを離すお兄さん。身体についたチョコに嫌そうにしているスナコさん。
「……兄さん。言い忘れていた事がある」
懐から、何故かマドレーヌを取り出すスナコさん。
「実はもう1つ入っていた。後で食べようと思って……」
弾かれた様にお兄さんは手を伸ばす。こういう時焦ったらよくやるんだけど揉み合いの形になり、マドレーヌが空中でこう危なっかしく飛んだり跳ねたりして、それを追った二人はそのまま後ろに倒れ込む。だけどその後ろは壁じゃない! 二人が落ちる!
慌てて手を伸ばすしたけれど、僕の手はチョコでぬるーんと滑る。
「スナコさん! お兄さん!」
天井から垂れ下がっている鎖を掴むことが出来たお兄さんがスナコさんに手を伸ばす。しかしその手もぬるりと滑ってスナコさんは熔鉱炉ならぬ巨大なチョコレート溶かす鍋へと落ちて行く。
「スナコ!」
「兄さん……これを!」
スナコさんが最後の力で投げたマドレーヌをお兄さんが無事にキャッチ。スナコさんは口の端で笑うと、親指を立ててチョコの鍋に沈んでいった……。
**********
「こいつは美味いな」
お兄さんが普段は完全に隠している耳も尻尾も出して嬉しそうにマドレーヌを食べている。僕はお兄さんの為にお高い新茶の紅茶を入れさらに肩を揉んでいる。――僕の方は一日言う通りになるというので許してもらえた。主に雑務だけど。
だけどナコさんの方は……。
「……モギャ……」
ミイラ状態にリボンでラッピングされている。日付変わるまではあの状態だそうだ……。目だけで食わせろと訴えている。――どれだけ食い意地が張ってるんだよ!
しかし、食べ物の恨みもお兄さんの怒りも、バレンタインの魔力の所為かと思うと、微笑ましいと言ってもいいのだろうか。そして、僕は結局一つもチョコレートは貰えなかったのだった……。そう、スナコさんからさえも、一つも貰えなかったのだ……。
「ああああぁ……。ダーリンに渡そうと思っていたお手製チョコレートがぁぁぁ……。スナコ兄! 許すまじ!」
「ギンコさーん。これ、収録どうしましょー」
撮影クルーは、急きょキタさんの家へ向かう事になったのでした。
――END――




