黄金鈴:第十一話 彼の彼女はパラノイド?
後輩のご家族と一緒に過ごす事、一カ月が経った。朝はお手伝いさんに起こされ、夜は一緒にトランプなんかを楽しむ……結構楽しい日々だった。
海さんがやたらと俺の入浴中や就寝中にちょっかいを出してくる以外は本当に快適な日々だ。さすが、お世話をしているだけはあるなぁ……。
「鈴のお母さんの方はいいんですか?」
「ええ、椎様側にもお世話係はいますからね」
なるほど、やはり金持ちのようだな。
しかし、そんな秀吉さん達との生活も長くは続かなかった。
「冬治さんおはようございます」
「ん、おはよう……?」
一カ月が経った時点でこの生活に終わりが来るとは思っていなかったのだ。
いつも起こしに来てくれる海さんの代わりに鈴が立っていた。
「す、鈴? なんでお前が俺の家に?」
リビングにいつもいるはずの住良木兄妹、そして季吉さんの姿が無かった。
ほんのちょっと前に誰かがやってきて抵抗しようとしてやられてしまった…そんな感じに散らかっているだけだ。何者かの犯行……血文字で『椎』と書かれていた。
「達筆だ」
どうやら余程暇があったらしいな。やれやれ、秀吉さんも手負いの状態で頑張る人だ。
「ん?」
落ちてあった紙を拾い上げるとそこにはこれまた血文字で何か書かれている。
「……『私だけやられるのは何だかとても嫌です。冬治君には悪いのですが、私のコレクションをいくつか仕込みました。鈴に刺されてください』……秀吉さんめ……」
結局、この紙を鈴に渡せば意味無いだろうに……俺はため息をついた。
「あ、あのっ」
「何だ?」
顔を洗って意識を完全に覚醒させる。今日は休みだ。
鈴を座らせ、コーヒーをお互いに準備してから話をすることにした。
鈴が此処にいると言う事は、夫婦喧嘩も終わったと言う事か。
「お父様と住良木達がお世話になりました」
「ああ、いいよ。俺もお世話になってたからね」
事実、住良木さん達が来てから俺の生活の質は向上していた。
料理は絶品、今日の気分で履きたいと思っていたズボンが準備されている等、さすがはお手伝いさんだと言いたくなる事が山ほどあった。
ついでに言うなら、海さんと江利奈さんのラッキースケベもあったことだし万万歳だな、うん。
「……何か、とてもいい事がありました? 頬が緩んでますけど」
「え? ああ、いや、料理美味しかったからつい、頬が……な、緩んでしまったんだ」
本当にあれは柔らかかったなぁ……そう考えてしまう。
ぼーっとしていたからか、鈴の言葉を聞き逃す羽目になるんだけどな。
「私もここに住みます」
「ふぁい?」
「私も……冬治さんと一緒に住みます。パパと喧嘩したんです……だから、いいですよね?」
いいですよねとか言っている割にはかなり強気の視線だ。
「あー……さすがにまずいだろ。嫁入り前の女子が男の部屋に住むのはよくないよ」
我ながら完璧な正論である。
海さんと江利奈さんがいると思っただけでドキドキしていた(最初の数日だけだった)りしたのも今となってはいい思い出だ。
鈴なら聞き分けてくれるだろう……それは俺の思い込みだった。
「そんなに、だ、駄目なんですか……」
「え? 何の事だよ」
「だって、海は一緒に冬治さんと寝たと言ってましたよ! ベッドを探してみれば髪の毛が落ちてるって……ほら! こんなに長い髪の毛が!」
「ぶっ……」
あの人何言ってんだよっ。
そりゃあさ、確かに俺のベッドに入りこんだことは何度かあったけど、やましい事はなかったぞ?」
「……」
なかったよな?
動かぬ証拠を突きつけられた俺はとりあえずタオルを渡しておいた。
あれは誤解だ、海さんの冗談だと時間をかけて説得を続ける。ようやく、鈴も泣きやんで何とかなるかなと思って油断していた。
「じゃ、そろそろいい時間だ。秀吉さんや椎さんも心配してるよ。ゆっくり自分の部屋で寝たほうがいい」
「一緒に住むだけでも、駄目なんですか!」
またもや火がついてしまったようだ。
「あ、あー……わかったよ」
再び泣き始めたのでタオルをとってきて顔を拭く。泣く子には勝てないとはよくいったもんだ。
あくびを噛み殺しながら俺は友達の元へと向かった。
鈴とは別の部屋で寝る約束だったのに、鈴ときたら……あろうことか、下着姿で俺のベッドに潜り込んできたのだ。
何とか、耐えきった。しかし、今日も仕掛けてくるに違いない。
「というわけで、抱き枕を貸してくれ!」
潔く頭を下げる俺、隣羽津学園二年生だ。
「はぁ?」
頼んだ相手は七色虹だったりする。この前遊びに行った時、大量の抱き枕を所持していたのを思い出したのだ。
「ガチムキマッチョの抱き枕を貸してくれって……どういうこと?」
何だか白い目で見られている気がする。勘違いされているのは間違いない。
「あのなぁ、勘違いしてもらったらまずいが……俺は後輩を襲わないように抱き枕を狩りに来ただけだ」
「……つまり、後輩と一緒に寝ると? 狼になるの?」
「なるかもしれん」
「お嫁に行く前の娘に向かってなんて相談してるんだ! そういうのは男子にしてよっ!」
頬を叩かれた。
角度、踏み込み、どれをとっても本気の人間が仕掛けてくるような威力だったぜ。
何度か打たれて、ようやく説得に成功した。
「うーん、ま、いいよ。夕方冬治の家に持っていくから待っててね」
「おう、頼んだぜ……出来れば無地がいい」
「はいよー」
この時の俺はこれで大丈夫だと言う気持ちで大きかった。
「ただ今戻りました」
「おかえりー……何だか変な感じだ」
鈴は家事全般を申し出てきた。椎さんから生活費は渡すと電話があって(季吉さんのうめき声が聞こえてきた)お金の心配は要らないらしい。
既に花嫁修業は済んでいるとのことで、存分に使ってほしいと言われてしまった。
「……晩御飯の前に、お話があるんです」
「話?」
神妙な顔つきの鈴に俺は直立不動になった。
「これ、どういう事なんですか」
「これってど……」
「だから、これですっ!」
「ひいっ」
テーブルの上にたたきつけられたのは抱き枕だった。ついでに、鈴の腕が飛んで行って、天井に当たった。
腕が吹き飛ぶぐらいの力で叩きつけたようだな。
「お、おい、腕が取れたぞ?」
「そんなことは今はどうでもいいんですっ!」
目を見開いて俺を見ていた。
こ、こええー……鈴ってやっぱり怒ると恐いんだな。
「七色先輩から冬治さんに渡しておいてほしいと預かったものですよっ」
無地を頼んでも来るわけないと思っていた。七色の事だからちょっとしたおふざけを部っ込んでくるとは思っていたよ?
「何ですか、このお兄ちゃんって!」
まさかさ、きわどい衣装の女の子が切なげな表情で『おにいちゃん』なんて言っている物を渡してくるとは思わなかったぜ。
こういうお約束の時は言っておかねばならないセリフがある。
「これは、違うんだ!」
鈴はじっと、俺の目を見ていた。
「そう、ですよね」
「信じてもらえたか」
しかし、鈴の様子がおかしい。
「あ、あの……冬治さんが望むなら……『お兄ちゃん』って呼びますよ? 私は年下ですから……たとえ、冬治さんの趣味がそういった物だとしてもっ……その、やらせていただきますっ」
三つ指ついてそう言われてしまった。
「や、俺は別に年下に興味はない……わけはないが」
泣きそうな顔をされてしまう。
「こほん、年下大好き。一歳年下とかモロストライクだよ」
何だか二進も三進も行かない状態で変態になりつつある俺……将来が心配だ。
「七色さんから『君を襲いたくないから彼はこんな陳腐なものに手を出したんだ……赦してやってくれないか』とも言われています。これは、私の責任なんです……告白もせずに、既成事実を作って冬治さんをはめようとした私が、お母様や海に唆された鈴が、……悪い子なんです」
やっぱり、既成事実作る気だったんですね。あと、あの二人が黒幕なんですね。
突っ込むべき場所は其処じゃない気もしたけど、まぁ、それはいい。
「私は冬治さんの事が好きですっ……と、心の底から言いたいのですが」
「ですが?」
ここで逆接が入ってくるとは思わなかったな。
「……お母様が『告白は冬治君の方からしてもらいなさい。どうしようもないときだけ、告白するのよ』とも言っていたんです。私、どうすればいいんでしょう! 冬治さんがこんなものに手を出して普通の女性を愛せなくなってしまったら……これってどうしようもない時ですよね? 告白しちゃっても、大丈夫ですよね?」
確実に頼るべき相手を間違っていると思う。
薄々とは感じていたものの、やっぱり本人から想いをぶつけられると対処に困るな。
「け、結構……私としては押してきたつもりです。勇気を出した、つもりなんです。冬治さんは……気付いてくれてなかったのでしょうか?」
此処まで来ても、彼女は俺に華を持たせてくれようとしている。
覚悟もなしに、鈴が俺の所に一人で済みたいなんて言うはずもない。
責任転嫁していいと言うのなら、住良木先生の所為だ。あの先生が、鈴の想いを俺に伝えなければ今頃俺は鈴を押し倒して告白していた事だろう。
「……こ、これまで、必死に隠していた気持ちです。駄目なら駄目と、言ってくれませんか?」
「ごめんな、鈴。俺はお前の気持ちを知ってんたんだよ。いいわけだけどさ、中々言いだせるタイミングが無くて……だから、今度は俺の気持ちを聞いてほしいんだ」
「はい……」
テーブル(お兄ちゃん抱き枕がこっちを見てる!)を挟んで、鈴の前の席に着く。
俺は覚悟を決めた。




