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地藤鈴蘭編:第九話 カラクリ手帳

 空が帰ったのち、リビングに手帳が落ちていた。

「ったく、鈴蘭のやつめ。日記帳を落としていやがる。大事なもんだろうに」

 大切なものはしっかり仕舞っておけと注意しないとな。

「鈴蘭、ちょっと今いいか?」

 彼女の部屋をノックすると返事がしてすぐに開けられた。

「うん、なにー? あー、もしかして、膝枕っちゃうの?」

 なんだその頭悪そうな動詞は。普段見ない鈴蘭の意地悪そうな顔は空とか千鶴から受け継いでしまったに違いない。野原に咲くような鈴蘭の笑顔は今後、あまりみられることが少なるかもしれない。

「もしもーし、妄想の私を見てないでよー」

「……何の話だか。それより、これ、お前さんのだろ? 俺が間違ってみたらどうするつもりだ」

 鍵付きの日記帳を手渡す。

「うーん? これ、私のじゃないよ」

「俺のでもないが……」

「あ、わかった。お父さんのだー」

 手をたたいて思い出したかのようにうなずいた。

「隼太さんのか」

「うん、ちょっと中身を見てみたらわかるよ」

 四桁のダイアルキーがあるわけだが、娘と言えどわかるものだろうか。

「よいしょっと。これ、やっぱりお父さんのだ。この文字、お父さんの字だもん」

「なんだ、何もしてないのに開けた?」

「ううん、これ鍵ってダミーなの。さかさまにして、ページを開くとロックが開く仕組み。番号忘れちゃう私のためにってお父さんが作ってくれたんだよ」

 本人はさかさまにして開くだけ、他人からしたら番号を調べるか。言われると簡単そうだが、気づくのに結構大変そうだな。

「勝手に見ちゃ悪いだろ」

「そう?」

「そうだ」

「連絡して返しておいたほうがいいよ」

「はい」

 そういって俺に手帳を押し付けてくる。

「俺が返すのか?」

「うん。私が返しちゃうと、中身読んじゃったかもって焦っちゃうよ」

 確かに、仕組みを知っている以上、鈴蘭が渡してしまうと思うか。

「それに、私、ちょっとだけ読んじゃったから。冬治君は見てないよね?」

「ああ」

「お願い」

「いつ返せるかわからんが、今から連絡してみる」

 隼太さんの連絡先は父ちゃんから聞いているのでさっそく電話してみることにした。結果、こっちの近くにあるファミレスに来いと言われた。

「遅いぞ」

「もう来てたんですか」

「当たり前だ」

 それだけ大切な品物なんだろう。

「言っておくが、鈴蘭とおそろいのものだから大切なんだ。中身は単なる手帳だ。もうずっと、書き込んでもいない」

「お守りみたいなものですか」

 皮肉か悪態でも疲れるかと思ったが気難しい顔をして黙るだけだ。辛抱強く待っていると一つため息をつかれる。

「そうだな、そのようなものだな。正直、私が持ち続けるのは危険な代物だ」

「さっき、単なる手帳だとか言いませんでしたか」

「何事も本音と建前が必要なんだよ」

「本音がこの手帳に入っていると?」

「終わったプロジェクト名と、現状続いているものの構想が入っているな。いくら稼げるかわからないぐらいの額になるだろう」

「……やっぱり、俺が持っているのはまずいものじゃないですか」

「そうでもないさ、何せ、エターナル・ハッピー計画はもう始まっているからな」

 恥ずかしげもなく、不思議な計画名を告げられた。

「なんです、それは?」

「気になるか?」

「ええ」

 素直に従っておかねば、機嫌を損ねて帰ってしまうだろう。

「君にもわかるように説明すると、娘の鈴蘭を幸せにする計画だな」

「本当にわかりやすい説明ですね」

 聞いて損した。

「詳しく話そうか?」

 わかりやすく説明した上に、さらに詳細を教えてもらえるらしい。本人がとても話したそうにしているため、俺が帰ろうとしても聞かせてくると思われる。

「教えていただけるのなら、ぜひ」

「君はよくわかっているな。よし、では話そうか。娘の望む許嫁をあてがう、そして友達をたくさん作るんだ。二人は学園を式場に結婚して素晴らしい生活を送る。私がこの手で用意したお金を使ってもらい、幸せな日々を続けるんだよ。どうだい、すごいだろう?」

 なんだか、俺の脳みそに機械をくっつけて強制的に鈴蘭に従わせる計画なのかと思ったら、いたって常識のぎりぎり範囲内だった。

「言っておくが、もう君に拒否権はないぞ?」

「それはいいんですが、その、隼太さんの計画通りに行くと俺が息子になるんですがいいいんですか」

「……鈴蘭が望むのなら仕方ない」

「暗に嫌がってますよね」

「大人の話は黙って続きを聞くものだ。いずれ私は老いて、朽ちる。鈴蘭の行く末を見守りながら記録を残す……それもこのEE計画に含まれるが、それは君が書いてくれればいい」

 そういって鈴蘭のものとよく似た手帳を渡された。

「これは?」

「鈴蘭との記録を残す日記帳みたいなものだ。本来は結婚式の前日にでも渡すつもりだったが……今の君になら渡しても十分だと判断した。私が死んだら墓の前に置いてくれ」

「は、はぁ、目的を教えてください」

「ただただ世の中のつらさの中に鈴蘭を遺し、それがどれだけつらいものかを思う父親の憂いをなくしてほしい。幸せかという問いに対し、その一時ばかりでも幸せだと答えられる余裕を見せてもらいたい」

 これまたいつも通り、はっきりと答えてくれるものではなかった。

「成長すれば立場が変わり、物の見方も変わるものだ。そして年を取るとこうして説教したくなる。が、しかし……今日はこの程度で切り上げる」

 お酒が入るとさらにすごいことになるんだろうな。

「あのー、一つ聞きたいことがあるんですけどいいですか」

「そうだな、たまには君の話を聞いてあげようじゃないか」

 変わらず上から目線で来たなぁ。

「今度、学園で講演会があるとか言ってましたよね」

「ああ」

「もし、そこで鈴蘭が結婚式のリハーサルやりたいって言ったらやめたり……」

「君は鬼か、悪魔だな」

 余計なことを言うのは良くないなぁと思ったときには遅かった。隼太さんはしばらく考えたのちに苦渋の決断をしていたのだ。

「……講演会は欠席しよう」

「正気ですか」

「君が言うのか。だが、かまわぁないがなぁ? ああ? ただしなぁ、言った限りは覚悟をしてもらう。もうリハーサルは無しだ。本番だぞ」

 もう途中から完全に切れていた。いい大人を捕まえていじるのはよくないなと思い知らされる。

「うっ……」

「ただぁ、ここで一度だけ、撤回させて……いいや、君が余計な一言だったと思うのなら謝ってくれれば式は無くそう」

 ここは全面的に俺が悪いのだし、謝っておこう。

「すみません」

「身を滅ぼしかねない。気を付けてくれ」

「……てっきり鈴蘭にはふさわしくないとか言い出すのかと思いました」

「そこまで低く評価はしていないな。あとなぁ、その一言も余計だぞ?」

 この場限りの話でよかったと内心ほっとしていたが、続きがあるようでにやにやとした視線を向けられている。

「あくまで式がなくなっただけで、会では報告させてもらうよ。私の義理の息子としてね。あ、そうそう、決して会には参加しないでくれたまえ。私と比べてしまうとかわいそうだからね」

 これにてお開きとなった。

 家に帰って鈴蘭に渡してきたことを伝えるぽけーっと俺の顔を見ている。

「どうした? 俺の顔が気になるのか?」

「がっかりしてる?」

「がっかり? いいや、うーん、がっかりじゃないんだが少し気を落とすことはあったな。ちょっと隼太さんに言われたんだ。元は俺が悪いんだがさ」

 俺の言葉に何を思ったのか、おなかに顔をうずめるよう抱き着いてきた。背中を撫でてくれているわけだがどういうことだろう。

「ど、どうしたよ」

「泣いちゃうかなって思って」

「おいおい、俺が泣くかよ。その程度の事じゃ、俺は泣かないよ」

「んー、うん。そうかも。だけど、がっかりしているのは泣いているんだよ。そうなったら、私はこうしてほしいな」

「それはお前さんの希望だろうに」

 照れもあるのだが、今は誰にも見られることはない。おろしていた両手で鈴蘭を胸に抱いてみると温かい。

 しばらくそうしていたら鈴蘭から離れたがる。次に目を閉じて口をすぼめた。

「んっ」

 両肩に手を回して触れるだけのキスをした後、鈴蘭は俺の方へともう一度とせがんできたが彼女と口づけはもう交わさなかった。代わりに強く抱きしめる。

「次は俺からしてくれって頼むから、その時になったら……お願いしてもいいか?」

「うん……」

 どこかぼんやりとした感じだったが応じてくれて約束もしてくれる。

「ねぇ、冬治君。私さ」

「おう」

「私さ、人間的に……成長できたかな?」

「成長?」

 これまた難しい言葉を使うもんだなと思ったが、難しい言葉でもないな。ただ、いつもと違うような言い回しというかはっきりしたものじゃない。

「冬治君、どうかな?」

「うーん、成長しているさ。あった時からずっとな」

「そう、かな。わかんないや」

「なんだそりゃ。お前さんがわかんないのか」

「自分だと見えないから」

 人の精神的成長なんてもんはわからない人はずっとわからないだろう。ただ、俺から見たら鈴蘭は間違いなく成長した。俺と一緒にいたから、じゃなくて元から彼女は一人でも成長できるはずだ。俺との出会いはきっかけに過ぎない。

「短い間で十分成長できたろ。お前さんがわからなくたっていいんじゃないか」

「そっか、お尻もおっぱいも、気づかないうちにそんなにおっきくなってたんだ」

「……は?」

 あっけにとられた俺は鈴蘭からはなれ、彼女は両手を広げて軽くジャンプしている。挙句自身の両手を胸に持って行っていた。

「ちっともおっきくなくって、空ちゃんとか他の人達と違うなって。冬治君、そういうの好きだもんね」

「決めつけるなよ」

「聞いたよ、友人君から。冬治君がこれ、借りたんだって」

 ごそごそと鞄からグラビア本を渡してくる。真逆の体型をした女の子がこちらに笑いかけてくれている。

「読んだ?」

「読んだ、気もする」

「ね、ね、私とどっちが好き?」

「鈴蘭だ」

「じゃあ、今度私の本、作ってもらうね? そうしたら冬治君、うれしいかな?」

 おとがめなしで、さらにはそんな本を用意してくれるらしい。

「……俺には、もう、この本があるから」

 鈴蘭の棚から鈴蘭の取扱説明書だといって渡されたような、違うような気もする電話帳の分厚さを誇る辞書を前に出してみた。

「でもこれ、字の方が多いよ?」

「実は、俺、字で楽しむ方なんだ……その証拠にほれ、お前さんのお父さんからこの通り、鈴蘭と似た手帳をもらってきたんだよ」

「わー、本当だ」

 嘘に嘘を積み重ねる行為が罪深いという人は情報を把握しきれていないだけだ。そして、体験せねばならない壁でもある。ただ、相手を侮らず、油断を一切見せなければよい。それを事実にしてしまえば、真実は己の心の中だけで納めることができる。

 人、それを自惚れというのだがやるのなら決めたら徹底的にやらねばならない。

「これ、何を書くの?」

「鈴蘭のことだな」

「じゃあ、私の成長具合を書いていくの? おっぱいが大きくなったとか」

 そんなものを隼太さんの墓の前にお供えしたらあの世から戻ってきそうだな。殺されそう。

「書かない」

「えー」

「えー、じゃない。これには鈴蘭との楽しいことを書くんだ。だから、数字を書いたりはしないんだよ」

 なかなか折れてくれない鈴蘭に手を焼きながら、落としどころとしては具体的な身体検査票を別個に作るという俺の提案にようやくうんと言ってくれた。なかなかどうして、際どさの向こう側に行っている気がする。

「……学園の連中にばれたらやばいな」

「え、何が」

「これは俺と鈴蘭の二人きりの秘密だぞ」

「二人っきりの秘密ってなんだかいいね」

「そうだろうそうだろう。間違っても他の人にしゃべったら、いけないからな?」

 念押ししても鈴蘭相手ではどうだろうか。疑問と違和感、将来への不安も若干入り混じった言葉は彼女の満面の笑みでペイできたと思いたい。



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