地藤鈴蘭編:第六話 相互影響環境
鈴蘭が俺の部屋で寝るようになり、一か月が経った。基本的にベッドに入り込んですぐに寝息を立てる。俺が部屋に入るころには両手を広げて寝ているもんだから床に布団を敷いて寝ていることとなった。朝になったら俺の隣にいるぐらいか。
おねしょも怖い夢を見たといっていたその日しかやらかしていないようで、行きたいときは俺を起こすようになったのだ。
おかげでちょいちょい朝寝坊をするようになって、そんなときは鈴蘭が焦げた目玉焼きを焼いてくれる。ひどい味のコーヒーを片手に、ざりざりとした触感のトーストをかじるのも悪くない。
「今日はウィンナーを追加してみたよ」
レンジでチンしまくったであろう裂けたウィンナーはジューシー感がない。
「そうか」
「裂けたここにケチャップつけて食べるとおいしい」
わざとやっていたのか、料理の世界は奥が深いなと考える。
朝飯を片付け、弁当の支度に入ろうとしたらエプロンを付けた鈴蘭が寄ってきた。
「ねー、かわいい?」
「……ああ、似合ってるよ。どうした、それ。持ってなかっただろ?」
調理実習用にひよこのエプロンを持っているのは知っていたが、青色に、植物の鈴蘭が描かれている。
「空ちゃんがね、くれたの。冬治君と一緒にキッチンに立てるようにって」
「ほー、悪くないな」
「でしょ? あ、それとね、これ」
そういってエプロンを渡してきた。トラ柄で、リアルなトラの顔も描かれている。
「……このセンスは千鶴か」
「うん」
あいつ、大阪のおばちゃんみたいに将来はなりそうだな。
「冬治君普段エプロン付けないよね? なんで?」
「つけたり外したりが面倒でな」
学ランをさすがに汚したくないし、そうなってくるとシャツやらが汚れるんだが掃除しに行ったりするからな。買おうとは思っていたが、生活費のことを考えるとどうにも後回しになってしまう。
おかげで服も特に新しく買ってないな。まぁ、鈴蘭はおしゃれにあまり無頓着だから俺の見た目を気にしたことは一度もないようだが。
「このエプロンね、すごいんだよ」
「何がすごいんだ?」
鈴蘭がえへんと胸を張る。なだらかな平原と言える。
「脱いでも着られるんだって、空ちゃんが」
「脱いでも?」
どういうことだろう。エプロン外しちゃったら使い物にならんだろうに。
「寝室で使うんだって」
「……あいつ、一発デコピンしとくか」
俺の後ろでけだるげに転がっているだけだったはずなのに妙に慣れてきやがったな。まぁ、転校してきてそれだけ慣れたんだろうからいいけど。
「えっと、やったことないけど今日の夜、脱いだ方がいい?」
「エプロンはエプロンとして使え、じゃないとだめだ」
「じゃあ、冬治君が脱ぐの?」
「……俺が脱いでも誰も喜ばんだろ」
男が脱いで、裸エプロンしたところでどうしろと言うのだ。それならやっぱり、空のアドバイス通り裸エプロンを……やめておこう。
「あ、そうだ。今日は私が冬治君のお弁当、作ってあげるね。そんでそんで、冬治君は私のお弁当、作ってね?」
にししと笑う鈴蘭に少しばかり不安要素が混じったり、混じらなかったり。
結果、やはり不安の方が大きかった。
「どうしたー、今日も弁当ひどいもんだな。ひでぇな、このウィンナー。裂けちまってる
かわいそうに」
「こっちのこれ、なんだろ。縮み上がった冷凍食品のから揚げかな? 水分ないんじゃないの」
「……これは俺をつくったんじゃねぇ」
「人間の大発明品、電子レンジだろ」
「一人暮らしだとこれをまずおさえとけってアイテムよねー。真っ先に買った記憶あるよ」
「レンチン最高だな」
鈴蘭の方をちらりと見ると、仲良しグループの人たちと一緒に弁当を広げ、今日も安定しておいしそうだねと言われていた。無邪気においしいと言っている鈴蘭が少しばかり恨めしいんだが、これは仕方ないな。誰だって、失敗することはあるし、慣れていないとこうなるだけだ。
「おいしくなる魔法をかけてやろうか?」
「そんな魔法があるのか、千鶴」
「おう、任せとけ。今ならなんと、二倍掛け可能だ」
すごい、ゲームだったらバランス崩壊しそうなうまさになっていそうだ。
「どうやるんだ、教えてくれ。調味料は持ってないぞ」
もうこうなったらアミノ酸をかけてうまいうまいと念じるしかない。
「はい、あーん」
「元アイドルのあーんをどーぞ」
それはおそらく旨さではない気がする。気がするんだが、悪い気はしないな。
二人の誘惑に負けてしまったのは友達の悪ふざけに見えていたからだが、他にはそう見えない人もいる。
飯を食った後の体育というものはかったるいという満場一致の意見も、今ではただ一人、昼休みの光景で天国に羨んで地の底より手を伸ばしてくる男子たち。
その思い、人の願いの化身と名乗ってマスカレードマスクをつけた変人がラケットを持って俺に勝負を挑んできた。
「ああいうのは良くないだろう。おれの立場から、いや、クラスメート男子全ての……学園の男子全てが心の咆哮を見せ、私という復讐者が生まれたのだ」
小気味よい音がコートに響き渡り、鋭い球が俺に襲い掛かる。
「誰しも事情がある。理解はできないだろうが、納得してほしい。俺の立場を考えてくれ」
それを甘めのボレーで返してやる。相手の動きは緩やか、それでいてほぼコートのど真ん中へと向かった。
「甘えじゃないか。立場に逃げ、相手に理解を願うことは幼稚すぎる」
それを渾身のスマッシュで俺の脇を狙ってくる。こいつの狙いは俺を直に仕留めることらしい。
「幼稚を立場で押し通すものが大人さ、坊や」
だが、ずるくなければ真っ向から戦って負けるはずもない。しかし、よくあんなマスクつけてかっこつけたうえ、きれいに打ち返せるものだ。
「減らず口を!」
「いや、終わりだ……」
ネットギリギリまで接近してライン手前にボールを落とし、決着をつける。
「ふふ、やるじゃないか。だがなぁ、たかが一度の勝利では終わらない。我々の痛みはまだ続くぞ? 覚悟しておけ」
マスクの内より瞳を覗かせ、不敵に笑うその姿はなかなかにかっこよかった。俺も今度からあんな路線でやっていこうかな。
そしてその後、俺は今の全力で足をひねったと先生に告げて見学することにした。
「あいつ、ずるっこいぞ」
「待て、勝ちは勝ちだ」
「我々のうっ憤は晴れたということか?」
「うーむ……む、見学席で笑っているだと?」
「勝負には勝った、しかし、これでは負けたも同然……」
やたら騒いでいる人たちみんながマスクをつけている。お前さんら、この短時間でよくもまぁそこまで立派なマスクを買いそろえられたな。
男子はテニス、そして女子は野球をやっている。俺はグラウンドの方を見るとどうやら打席に鈴蘭が立つようだ。もう少し近づいて見学させてもらおう。
「夢川君? あなた、男子でしょう?」
「さっきですね、テニスでやたら動かされて足をひねりまして」
「それにしては結構いい走り方してたけど?」
「ほー、鈴蘭がバッターですか。彼氏として、応援したいのですが」
「……はぁ、まぁ、君は不純な目で見ないでしょうから特別に許可しましょう」
それ自体はいいんだけどな、相手のチーム、ピッチャーは空か。そんで、控えの方で腕組みしている千鶴は監督だろうか。それはいいんだけど、ファースト、セカンド、サード……ほぼソフトボール部とか運動部で占められている。鈴蘭たちのいるチームは負けムード漂っている。
「あ、とーじくーん!」
「もらいっ」
「すっとらぁあいいっかあーな!」
俺に向かって手を挙げたところで鋭い球がキャッチャーに受け止められた。
「わー……」
「うわー」
鈴蘭は目をぱちくりさせ、俺は大人げない空のずるい笑顔を見た。つーか、球審、両手をクロスさせたのちに天高くアッパーして宣言してた。すでに息を切らせており、はぁはぁ言っていた。全力審判系か。
「勝負の世界はどこでも、いつでも、だれが相手でも非常なんだよ。悪いんだけど、手は抜かない」
キャッチャーから球を受け取り、ぎらつく視線を鈴蘭に見せる。ありゃあ、ライオンだ。ライオンがうさぎを狙っておるわい。
「ま、負けないよー」
バットを構えたが重心がずれている。
「ふっ……」
「ひゃっ」
「ぽおおおおおるっ」
わざと球をボールゾーンへ投げ、びっくりした鈴蘭は振らずに済んだ。球審、今のボールって言ったの?
「ふふふふ、うっふっふ……」
「先生、うまいですね、空のやつ」
「ええ、今日初めて投げている姿を見せてもらっているけれど、フォーム、球速、多彩な変化球。撃たせてアウトにしたこともあったわ。一部生徒のお遊び感だったものを、完全にやる気のなさにつなげているわね。それでいて彼女自身は楽しげに相手をいたぶっている気がしてならない。とてもサディスティック」
「先生としてどうなんですか、その発言は」
「でもね、それでもある程度の手加減はしていた。あの子自身がどこかお遊びで投げていたのよ。戦力外通告で監督になった地藤さんが急遽代打で起用されるまでは……ね。地藤チームの参謀は彼女のほんわか具合で、天導時さんが手を抜いてくれることを祈っていたのよ」
どっちのチームも授業の体育レベルじゃねぇな。気を抜いたところで反撃し、点差をつけるつもりだったのか。点数はすでに、七点離れていて経験者と初心者チームじゃもうどうしようもないだろ。
「まぁ、天導時さんも一点ぐらいは見逃してあげようとしたところで、神様はいたずらをしたのよ。君をこっちに寄越した」
「え、俺ですか」
「ふふ、悪い恰好は見せられないもの。あの子のやる気、今日最高潮よ」
ボールカウントは瞬く間に次がなくなり、二つ目のストライクも軽く取られた。
「さぁ……、どうしてくれようかしら。一塁に進ませてあげてもいいんだけどなぁ……」
「え、いいの?」
「どうしようかなー……冬治さぁ、今度の休み、一緒に遊びに行かない?」
「ここで心理戦が? うそでしょ、そこまで天導時さん、君の事、気に入っているわけ?」
「なんでしょう、どこかその言葉に失礼さを感じますが……そらー、だめだー、今度の休みは鈴蘭と遊びに行く」
「その発言は、アウトよ。ストレートに沈めてあげるわ。私の全力、ど真ん中に叩き込んであげる」
宣言に地藤チームは沸いた。
「地藤さーん、真ん中、真ん中に来るよう!」
「打ってー、一矢報いてー」
「あんな性悪アイドル、いてこましてー」
「えぇ……?」
そして迫る勝負の時。
「えーいっ!」
「おおおおおっ!」
まるでそのバットの振り方は砲丸投げのような重心だった。遠心力に望みを託したかのようなそれは目を瞑ってしまった鈴蘭にどうなったのかわからなかっただろう。
ただ、絶望的にタイミングが遅すぎた。
「アウトー!」
「すげぇ普通にアウトコールして終わった」
「曇りなき空に、恋してね?」
ピッチャーマウンドにてそんな微妙な決め台詞やらターンやらして見せる姿は面の皮の厚い人間のそれだが、投げている姿だけは格好良かった。
「もー、冬治君が来ちゃったからアウトになったー」
走って俺の方に文句を言ってくる。
「いや、今のはお前さんも俺も悪くねぇよ。相手が悪いよ」
「うーん……そう?」
「そうだよ。ですよね、先生」
「そうね、地藤さんには無理ね」
「はっきり言いますね」
「できないことはできないものよ。ただ、伸ばせる部分があるのならそっちを伸ばしてあげることも大切。強者の存在を知り、己の未熟さを知る。その次に、努力が生まれる。そして勝つことを考える。運も要素の一つだけれど、勝ちを拾えるようになるのが重要よ」
「そうかもしれませんが」
先生、何の授業をしているんですかね。
「見なさい、あの天導時さんの姿を」
チームのみんなに揉みくちゃにされている、なんと、それは鈴蘭側のチームもそうだった。
「すごーい、強いし、今の動き、何?」
「普段はやる気全然ないけど、能ある鷹は爪を隠すってやつ?」
「あたしも空ちゃんみたいにできる?」
それをどこかうらやまし気に眺める鈴蘭に俺は聞いてみた。
「お前さんがホームラン打ってたら、あんな風にされてただろうな。ちょっと残念か?」
「ううん、空ちゃん怖かったけど私に対して体育で全力出してくれる人いなかったからうれしいな」
まー、鈴蘭相手に全力出したら危なそうだ。それを狙った地藤チームも見事に失敗したわけだからみんな意外だっただろう。
「でも、もしかしたら冬治君がほめてくれるかもしれない」
「普通にほめる要素ないだろ」
「えー、頑張った」
「頑張っただけじゃ弱いな。ですよね、先生」
「そうねー、けど、彼女なら何か気持ちを汲んでほしいところね。男ってそういうところ大事よ?」
「はー……、そうですか」
ふーむ、これまた難しい注文が飛んできたな。
「えー、今回はね、なかなか厳しい立ち上がりを見せてきましたけども、こっちのナインも結構いい仕上がりで挑んだと思います。まだ、シーズン始まって間もないんですが、徐々に温めていって、リーグ制覇、目指して……あー、先生、嘘ですよ。ちょっとした生徒の監督インタビューを挟んだだけです。よく、頑張ったと思います。最後は当たっていれば大きかった」
あいまいなアドバイス受けても返答、難しくないか、難しいよね。
何事においても行動は結果を伴い、そして鈴蘭に気持ちが伝わっていれば良いのだ。うまくいくかと思ったものの、疑惑の判定で表情は推移し、ぽかん-としたものになった。
伝わってねぇようだ。
「ほめられた?」
「ああ、うん」
「そっか」
「そうだよ」
「よかった、冬治君が喜んでくれて」
「振り回してるのって冬治君じゃないのね」
俺たち二人を見て、先生は意外そうな顔をしていた。最初っから最後まで、俺は鈴蘭に振り回されてばっかりですよ。




