天導時空編:最終話 空、+α
夏休み初日、俺は空の家に遊びに来ていた。解禁していいからという意味の分からない言葉と共に引っ張ってこられたのだ。俺はクラスメートから借りたグラビアアイドルのDVDに胸ときめき、心躍っているところだった。正直に言おう、あのまま不健全な夏休み開始になっていたら空から蹴飛ばされていた。
「久しぶりだなー……」
最後に空の部屋に寄ったのは結構前になり、なかなかに空の決心がつかなかったのだろうか。まぁ、みのりさんとの出来事もあったわけだし、あのあと空もみのりさんが旅行に行ったことを知ってむっとした表情になったことはあった。
俺がみのりさんと会ったことを空は知らないし、学園長先生が喋らないようにといった。これは単純に最後に会ったみのりさんが代表としての立場だったから空には関係ないとのことだ。母親としてではないと、ちょっとややこしい。
「あのさ、見てもらいたいものがあるんだ」
視線を俺からそらし、目を閉じて開いてもなお、どこかそっぽを向いている。照れた仕草にいったい何を見せてもらえるのか考える。
「何を見せてくれるんだ?」
「うん、えっと……こっち」
そういって俺の手を引き、向かった先は洗面所。夏も本番、あれか、水着を見せてくれるというのだろうか。
案内された先、あったのは新品の洗面台だ。クモの巣状に割れた鏡なんてなく、そんなものみじんも感じさせないいったいおいくらするのかと聞きたくなるような装飾が施されていた。
「これ、買ったのか?」
「ううん、お母さんが送ってくれたの。元の鏡、もともとはお父さんが買ってくれたものだったんだけどね……」
鏡に指を這わせ、懐かしそうに撫でていた。
「……あのさ、私のお父さんの話したっけ?」
「してないな」
みのりさんから聞いたのは別れた夫の話だった。それにどんな人かも聞いちゃいない。
「実は、お父さんとはたまに電話で話しているんだけどね。お母さんとある日喧嘩してそれからずっと仲が悪くなっていって。原因は私のことで……お母さんが悪かったのは誰が見てもそうなんだけど、今後、お母さんが謝りに来るまでは会う気がないって言っててね……優しくって、他人のことを考えちゃうことの多い人で。お母さんと仲良くしているところを、私はあまり見なかったんだけどそれでも私に対して優しくて、いつかお母さんと仲直りできるのか聞いたら、うんって」
「仲直りできたのか?」
「……うん、これに書いてあった」
一通の手紙には非常に強面の男性とみのりさんが一緒に写っていた。身長は二メートルを超えているぐらいだろうか。屈強且つ、ひげ面で写真に対して笑っているが、恐い。腕につかんだら普通に持ち上げてくれそうだ。
「……ほー、仲良しに戻ってよかったもんだな」
「これ、見てたらさ、私もお母さんたちに手紙を送りたくなって……ついでに、冬治の写真もね」
「まじで?」
「うん、マジで。お父さんの話、直接会ったときにしようかなって思う」
「まじで?」
「楽しみにしててね」
写真を渡してしまったらどこにも逃げられそうになさそうだがなぁ。いや、もうみのりさんからも逃げられそうにないし、学園長先生もいるし、マンションの管理人さんにも住居ばれてるし。
「ま、手紙を送る暇もないかも。今朝、おかあさんからもう少しで帰りますって来てたから」
こりゃあ、夏休み中に帰ってきそうだな。今から逃げないと、逃げられそうにないな。
「そうかぁ……まー、なんだ、今日はその、外で飯でも食わないか」
「うん? いいけどどうしたの?」
問題は一つ、先送りにしようと思う。
「ついでにその写真も撮りたいが、部屋よりどこか景色の良いところがいいんじゃないのか。なんなら、この前の展望台で撮ればいいと思うよ」
「そうしようかな。夏休み中にバイトして、写真を撮るときの服買わないとね」
服を買うぐらいのお金は持ってそうだし、俺が払ってもいいわけだ。
しかしなぁ、夏だし、どうせなら水着を着てほしい。さすがにそれを送るわけにもいかないけどな。
場所をリビングへと移し、俺は無い知恵を寄せ集めてそれとなーく、空に水着を着てもらうように考えてみた。
よし、あれだ、テレビをつけてみて、適当なニュース番組をみていればそのうち水着がちらりとでも映るんじゃないのか。そうすれば偶然を装って海かぁ、行きたいなぁと口にすればいいわけだし、これは波が来ていると思う。
リモコンに手を伸ばそうとしたところで先に空がリモコンを取った。どうしてだか、空も俺も相手の顔を見て驚いていたが、眉を顰める。それを見てちょっとだけ、あ、やばいと思った。
「え、なんでそんなやばそうな顔してるの? やましいことがあるの?」
先手、天導時空。後手、夢川冬治。かなり的確な言葉であったが、俺も奇人っぷりは学園に轟くこと鳥の囀りのごとし。
「うん、きわどい水着を着てもらいたくて」
なかなかの切り替えし、これはごまかしつつきわどさは無理でも適度な水着交渉まで持っていけそう。
「じゃ、じゃあ、その着てもらいたいっていう水着、きわどいって、いう水着をさ、持ってきてよ」
何がじゃあなのか。俺にすべての選択肢を与えてくれるというのか。無制限一本マッチという夢のような展開に心の中で凛々とスズランが咲き誇っていた。
いや、待て。淡い期待を抱くんじゃあない。がっかりするぞ?
現実という悪魔が俺の肩にそっと手を置いた。何、簡単な話で実際は着てもらえないんじゃないのか、キワの極み、それらを提示しても、人として引くわという一言のもと、水着がばっさりと切り落とされるんじゃないのか。そして俺の人間性の低さがポロリするわけだ。
そう考えてしまうは後ろ暗さに仄暗さ。天国から地獄へとは裏口でつながっている。エレベーターと同じで、景色がきれいだと思っていたらいきなり基幹部分へのダメージで脱出不可避の落下待ち、なう。心の下降が悲しいことになる。
だが、な。その一寸の希望はもろく輝く、そしてそれ故に眩き光。心を照らす糧に一縷の望みを託すのは浪漫といえる。それならば、そう、人差し指と親指の隙間に見ゆるちらりの極意を今すぐに手に入れればいい。
「わかった、今から持ってくる!」
受けて立つと宣言してくれた彼女に満面の笑み、見せる。
返事を待たず、部屋を飛び出し廊下をかけて、玄関を乱暴に突破して階段を駆け下りる。
「あら、冬治君」
「こんにちは、管理人さん、でも、すみません、ちょっと急いでいるんですっ」
「そうなの? 今日は早く帰ってきなさいよ」
「はーいっ」
頭の中で向かう先は決めていた。この前一緒に買い物に行ったデパートの中、ちょいと見えた大人っぽさの塊、黒ビキニ。いやまて、その隣にあった鮮やかな蒼のパレオも捨てがたい。そしてその隣に、ちょっと奥まったところにあったあの奥に、あった水着の名前を俺は……知らないっ。
「あれ、冬治じゃん」
「ふっへっへ」
「……目ぇ、あわさんとこ」
悪友を見た気もするが、今はもはやそれどころではないんだ。そう、そんな相手している暇なんてないんじゃい!
夏の風に溶ける。汗を飛ばし、ぎらり、照り返す陽光も気にはならない。ただひたすらに海と、浜辺と、そして空の(水着の)ために俺は走り抜けた。
しかしここで、臆病さが前に出てしまった。夏の水着売り場、そこには女子がいっぱいだ。大人のお姉さんだっている。男ももちろんいるが、全員が彼女持ち。俺にも空がいるんだけれど、あいにくと走り抜けてここまでやってきてしまった。
社会という国に住まう人、恥という文化を嫌う。今現状の姿で水着を持ち上げて妄想すればそれは人、変態とレッテルをはりつけるなり。艶めく妄想がしょんぼりと、心おれるその頂に俺は立っていた。
「……帰ろう」
そして、あきらめよう。今年の夏はきわどい角度、大人っぽさの谷間は(おそらく大してできないが)来年に残し、スクール水着に浮き輪を装着してもらい、一緒にソーメン流しを楽しもうと思う。健全なる夏、すらりと伸びる、美脚の夏。それもまた、一興よな。
「冬治、忘れものよ」
「空!」
「お財布、忘れてちゃ水着を買えないでしょ?」
なんというグッドタイミング。なんというハッピーエンド。俺にはまだ知らない空が、そこにいる。
「来てくれたのか」
「ええ、紐だけの水着を着せられそうだったからね」
「……さすがにその発想はなかった」
「え?」
なぜ、そんな意外な顔をするんだい。
「もし、買ってきていたら着てくれたのかよ」
「そうね、でも、もう、ダメよ」
ここでタイムアップ。妄想の中の空よりも、実際の空の方が一枚上手だ。無情なホイッスルが嘶いた。
「常識の範囲内よ?」
「わかってるよ。ちなみにあれはオッケーか?」
本命、黒のビキニを指さした。
「うん」
「え、じゃあ、蒼色のやつは?」
「かわいいじゃない。上もいいデザイン」
「……隣の赤色のひらひらのやつ」
「オフショル? うん、いいよ」
あれ、オフショルっていうのか。空に似合いそうで可愛いし、あれにしようかな。
腕を組み、買うものを考える。
「え、候補終わり?」
「あ? ああ、終わりだ」
「ああいうのは?」
すらりと細い指の先には布地のえぐいビキニがあった。
「えぇ、俺たちには早すぎるよ」
「……んじゃ、あっちは」
「眼帯タイプだと? 正気か、おい」
「……あんな感じ?」
「あれは紐でしょう? 俺たちは紐じゃなくて水着を買いに来たんだ」
「あんた、ちなみにお財布私が届けに来なかったらどうするつもりだったのよ」
「スクール水着」
お前、ここに何をするために来たんだという視線を向けられる。健全なる夏、美脚の夏。
「ここには売ってなさそうね」
「だな、売ってなさそう」
学園に売っているだろうか。学園長に聞いてみようかと思ったがあらぬ誤解を招きそうだったのでやめておいた。
「よく考えてみたら空が持っている水着、あるんじゃないのか? 俺はそれを見てないからそれでもいい気がする」
「……やーよ、弾けちゃったらどうするのよ」
腕組みし、身をよじったその胸に視線が走った。胸はたいしてない。いや、言いなおそう、そこそこ(身内贔屓だが)ある。
「え? 弾けるほどは大きくないだろ?」
「寄せる技術があるのよ。あんた、後で覚えてなさいよ」
「寄せる? そんなテクが……」
「それより、私のプライドが傷つけられたわ。もう水着選ばせてあげないわよ?」
「すまなかった。俺はな、空の胸なんてどうでもいいんだ。正確に言うと違うんだが、お前の魅力はそこじゃないよと伝えたかった……ここから長くなるけど聞いていくか?」
「今日は帰りましょう、騒ぎすぎたわね」
「……だな」
周りの視線が痛かった。二人で頭を下げて、背を向けて、走りたくなる気持ちを抑えて出口に向かって歩いて行った。
どこかでセミが鳴いている。空の日傘で相合傘をしながらも、俺の半身はがっつり日射を受けている。溶けそう。
「そうだ、ケーキ買って帰ろう?」
その分、水着のランクが下がりそうだとは言えなかった。冗談でもエッチな水着を買ってほしいと言ったらさっきの出来事との合わせ技で日傘による殴打か、目をついてきそう。握り手による背後からの金的という変則技もありうる。
「なんで、身もだえてるのよ?」
「……男って言うのはこうして彼女と歩いている。それが幸せに感じるものなんだよ。わからねぇかな? だろうなぁ、こればっかりは、俺の幸せ。いくら空であろうと、伝えきれない」
「……おおかた、私のご機嫌損ねるようなこと考えて、股間でも殴られるんだろうって思ったんでしょ?」
「俺、ケーキはモンブランがいいな」
「オーケー、それ以外にするから」
ご機嫌を損ねると態度で示してくるから困る。
ダメだと言われてもモンブランぐらい買わせてくれてもいいじゃないかと思ったらケーキ屋さんにそもそも置いてなかった。売り切れ中である。
「もうしわけございません、マスターの限定こだわりモンブラン、先着順ですので先ほどなくなりました」
「あきらめなさい、これが世界の意思よ」
「こちらのシェフの気まぐれケーキはいかがでしょう?」
夏なのに海をかたどったであろうゼリーに、サンタの砂糖菓子が頭から突っ込んでいた。この小さい子供がやりそうな悪戯をここのシェフがやっただと? まて、そもそもシェフだと? コック長の呼び方がシェフじゃなかったか。ここ、ケーキ屋さんだろ。パティシエとかパティスリー的な名前を頭にもってくるんじゃないのか。
悩みに悩み、じゃあ、それを一つと言ったら本当に買うんですかと問いかけられた。驚かれるなんて思ってもみなかった。
「水着の方もどうせ店員さんに勧められたらそれ、買うんでしょ?」
「否定は出来んが、うーん、いや、水着に関しては俺が自分の意思で選ぶ。ちょっと待っててくれ」
「……そうね、期待しておくわよ」
案外空も乗り気だったりして、それがうれしい。
そしてこの後、俺はモンブランを食べることができた。俺の好みをばっちり調べてくれていたみのりさんに感謝しなくてはならない。
それはもう、今後なかなか味わうことのできない気まずさの空気の中、写真でしか見たことのなかった空のお父さんと一緒にお茶を共にしたのである。
今回で天導時空編、終了となります。最初に断っておきますが今回久しぶりなのでだらだらあとがきを書いていきます。どこまで行っても母親と子供というのは地続きだろうと精神的だろうと稀につながっており、わかるようでいて、最後までわからない存在です。そしてちょいちょい怪しいところを残しているのも今後のため。毎度言ってますが、元の話からかなり変わってしまった。そもそもヒロインの空の性格が全く変わってしまいましたがまぁ、なんとなーくはこんな感じの話も考えていたのでオッケーとしましょう。本来なら冬治の永遠の友達である友人も出てきておらず、クラスのお調子者としてちらりと出ているだけです。彼を今回出してしまうと割と面倒な感じになるので転校生編これ以降のヒロインだと登場予定です。想定していた登場人物が割と話数の都合上多くなりすぎるということもあったりとまぁ、仕方ない。話の中でもそうでしたが、空は団体の詳しいことをやっぱり知らされていなかったり、もめるきっかけとなったことに関しても母親からは伝えられていない、誰からも侮られていた故に切り離せたという存在でした。冬治の方を代表が気にしていたのにもきちんと理由があったりしますが、それはおそらく今後に生かします(生かせるだろうか?)。何気に、今後のヒロインの時にも空他多数登場予定だと考えていましたが、次は冬治の許嫁の子だった。なんということでしょう、個人的には全く別のタイプだと思っていただけに、前回あとがきでも転校生の設定を完全に忘れていたりします。が、しかし冬治の親父を登場させられるチャンスですね。もちろん、親父はただものではない予定です。基本的には親と子供の話をしつつ、偶数話のヒロインで冬治の両親を登場させる予定でしたがまさかの想定外(ヒロインを一つ飛ばして考えていた)のために今後を考えなおそう、うん、そうしよう。さらにシリーズ通しての夢川冬治という存在は何なのかを匂わせようとしていましたがそれもまたタイミングを計る必要が。たまに驚異的な身体能力を見せている主人公ですが、今のところ大した敵も出てきていないので無用の長物ですね。最後のシリーズのヒロインまで書き終わって、それからその話をして終わる予定がまだこんなにシリーズの残ってるんか、多い……読み直していませんが、タロットカードの話とか絶対無理だよ。泣き言も言っている場合でもないのでもう先を見るしかない。空編は正直弄り回してもどことなく自己満足できない評価ですが、次回につなげるためにこの程度でよいのだと思いつつ、今回のあとがきの最後とさせていただきます。




