天導時空編:第九話 もう一つの問題
空と共に彼女の問題を解決した、というよりも掌で踊り続ける日々にさよならし、俺たちは朝に挨拶をかわし、ともに授業を受け、平和な日々を送り始めていた。
「ふぁー……体育だりー」
「なー、それなー」
「お前さんはどうして女子の体育に参加してないんだ」
「男子もだいぶさぼって女子のバスケを見てるだろ」
男子だけなんでバレーボールなんだ。さっきからバレーボール中心の運動部と肉体系文化部ハードカバー立ち読み読書部員が接戦を繰り広げている。飛び散る汗が筋肉に弾け、ぴっちぴちの体操服がえげつない。もう、しかもこいつらどんどん脱いでいくし、上タンクトップだったり、触ると踊りだしそうな筋肉贅沢盛だ。お前ら、本当に俺と同年齢かよ。
男のケツなんて見ていたって仕方ない、たいして筋肉もない連中は当然女子の運動を一生懸命に体育座りで観戦している。
「お前らさ、すっげぇ気持ち悪い笑顔で見てるのな」
「どうとでも言うがよいさ、俺たちは今、青春を謳歌している」
「ああ、大人になったらクラスメート女子の運動している姿は見られないからな」
「きめぇわ……って、言いたいけど好きなだけ私を見るといい」
「……はー、ないわ」
「気分がすげぇ下がる」
「んだと、こらー」
ぎゃいぎゃい騒ぐ男子と千鶴をしり目に俺も空の活躍を見ていた。彼女は運動神経がよい。何より、一緒にちょこちょこ動いているクラスメートの圧巻の胸に目が行く。彼氏的観点から空の躍動感あふれる動きは完璧といえる、だが、そっちに視線が行く。そんなに揺れるのか。
「うおー、すげー……って、うおおおおおおっ!」
体育座りからの真横に強引に一回転。俺のおめめがあったところに躊躇ない勢いのバスケットボールが通過していったのを見て肝を冷やした。後ろに倒れつつ、跳ね上がって立ち上がり、そのままバレーボールの中央ラインを通過。審判をしていた先生の背後に逃げ込む。
「いきなりどうした夢川っ」
「ちょっとびっくりしただけです」
「こっちのほうがびっくりしたぞ」
先生の言うことも確かなんだけどさ、殺気を孕んだ空の視線から逃げたかったんです。壁が一枚、いや、できたらもっと欲しい。
「せんせー、不純な視線で運動を見るくず野郎がいます」
俺を指さして非難がましく空が言ってきた。おい、授業を停滞させるな。あとで俺が学園長先生から叱られるだろう。
「なにー?」
そして先生、俺の方へ眉を顰める。いや、本当に違うんですよ。
「違うんです、ただただ、バスケが楽しそうだったので」
「嘘だ、あの目はミ・ユーナの胸ばっか見てたでしょ」
誰だよ、っていうかあの子そんな名前でしたか。というか、クラスメートの名前を憶えていない俺も悪いんだけどそれ、フルネームなのかな。ニックネームだよね。
「……見てないよ?」
「じゃあ、まずはこっち見てよ。私と目を合わせてよ」
左から一瞬だけ空を見たのち、右を見る。
「ほら、これが嘘を言っている人の目かね?」
「このーっ」
「こら、手を出さない」
「ふはは、先生の後ろにいる俺に当てられるわけないじゃないか」
こんなことをしていたらどうなるかというと、たとえ空につかまろうとせずとも満場一致で俺が悪いという視線が飛んでくる。
「おめぇ、それはずるいんじゃないのか」
「何がずるいんだ、言ってみろ」
「空ちゃんというものがありながら、ほかの女子をガン見? ないわー」
そうだそうだというみんな言葉に空も腰に手を当てて責めていた。
「あれは……空も見ていたんだ」
「……本当?」
「うん」
嘘はついてないよ。
「一回だけ、信じてあげるから。裏切ったら許さないわよ?」
「うん、うん」
見逃してやった、そんな感じで言われたわけだが、事実なんだから仕方ないな。
そしてその後、学園長室にやってきていた。さっきの授業のこともあるが、報告が主である。
「……と、言うわけで無事に解決することができました。紹介状をかいてもらって、ありがとうございます」
「よかったわ」
報告なんて誰かがしているだろうと思っていたが、こういうことはやはり自分で足を運んでおくべきだろう。
「夢川君はみのりさんと結局二人で話はしていないのよね?」
「ええ、俺は一階に降りてしまって、受付のお姉さんと話をしているだけでした」
これが割と結構かわいいタイプの子であった。ハッキリ言おう、俺の彼女と同等、もしくはその上だろうか。受け答えもかなりしっかりしていたがおそらく俺たちと同年代だ。話した感じ、隣町の学園に通っているといっていたし、また会う日がくるかもしれない。
「あぁ、その子ね。その昔、空ちゃんと一緒にちょっとした広報のお仕事をしていた子よ。ばたばたしていたし、そのころと見た目もかわっちゃっていたから空ちゃん、もしかしたら気づけなかったかもね」
「あの日はおそらくそれどころじゃありませんでしたから」
彼女はエレベーターの方ばかりを気にしていたからな。かわいい受付嬢と話をしていた俺だって昇る前は気が気じゃなかった。
「私からもお礼を言うわ。空ちゃんを導いてくれてありがとう」
そして深々と頭を下げられた。
「いや、頭を上げてください。俺は別にやりたいようにやっただけです。空も将来的には子供とかかわる仕事をしたいそうで、みのりさんから施設をもらうとかなんとか。冗談でしょうけど、俺も付き人にするとかなんとか」
「そうなの? みのり様からは団体の代表をやめるっていう話がきていたけれど?」
「え?」
「聞いていないのね。その様子だと、あの人空ちゃんにもまだ言っていないのでしょう」
こちらに背を向け窓の外を眺める学園長は何を考えているのだろう。
「あのみのりさんが団体の代表をやめる……」
業突く張りだし、正直もっと団体を私物化していそうだが、どうしてやめる気になったのだろうか。
「本人がいないところであれこれと好き勝手行ってしまうのもよくないですね。羽柴さん、空ちゃんのマンションの大家さんね。あの人のところに連絡しておきましょう。夢川君にはまだ働いてもらう必要がありそうね」
「え、何をするんですか?」
「おせっかい、ではないけれどみのり様が空ちゃんと一緒にいられるようにしてあげたいのよ。それこそ余所様のご家庭の問題に口を出す必要はないんだけれどね」
そういって電話をかけ、何やら話をしている。そしてすぐさま別の場所に連絡をしていた。
「車を回して頂戴。大至急ね」
そして俺の方を見た。
「とても申し訳ないお願いなんだけどね、お昼からの授業、キャンセルしてもらえるかしら? もちろん、後日授業の時間をとらせてもらうわ」
「えっと、説明はしてもらえるんですかね?」
「車の中で、ね」
乗用車に二人で乗り込み、後部座席で向かい合った。
「急用で?」
「ええ、ただ安全運転で結構よ」
「かしこまりました」
初老の男性が運転席から返答し、学園長先生は口を開く。
「みのり様はこれから特急に乗って移動するそうよ」
「船に? どうしてまた」
「さぁ、それは直接本人に聞いた方がよさそうね。夢川君になら話してくれるでしょう」
どうして俺ならオッケーなのか。本来、来るべきもう一人もいないのに。
「空を連れてこなくてよかったんですか?」
「そうね、空ちゃんを連れてきたいところだったけれどそうすると会ってくれても話をしてくれるか難しいわ。みのり様がそうなってしまうと逃げてしまうもの」
「空の前からいなくなるってことですか?」
「いいえ、少しの間、旅行するんだと思うわ。ただ、直接顔を会わせることは難しくなるでしょう……」
それなら俺は何をする必要があるのか。別に空とみのりさんがこれから別れてそれっきりというわけではないのに。ちょっとした旅行なんだし、別に俺が追いかけなくてもいいだろう。
「俺はみのりさんとあって何をすれば?」
「あなたのききたいことを、知りたいことを聞けばいいわ」
追いかける理由も意味も、また旅行に行って帰ってくるのならその時に聞けばいいんじゃないのか。しかしもう、今更無理して戻る必要もなく、俺の頭の中でぐるぐると回ってはぬぐえない疑問は自分の中で解決することなく、タイムアップとなった。
駅に着き、改札手前のベンチにみのりさんが座っているのを見つけた。ファミレス、団体での姿とは打って違って旅行中の貴婦人のそれだ。つばの広い帽子に豪奢なブローチを胸元にあしらっている。
「あら、驚いた。見送りに来てくれたの? お久しぶりね」
言葉とは裏腹に、まったく驚いている節がなく、逆に来るのをわかっている感じだ。
「ええ、直接会うのは久しいですね」
「元気かしら?」
「おかげさまで」
学園長が深々と頭を下げ、懐かしそうにみのりさんが目を細めた。そして次に俺の方へと視線を向ける。
「冬治君も来てくれたのね?」
「はい。あの、どうして団体の代表をやめたんですか」
「必要がなくなったからよ。安心して頂戴、あくまで代表を退いただけで影響力ある立場にはいるから、あなたがその気になったらきちんと推薦してあげるわ」
「そうじゃないんですよ。代表をやめること、空は知っているんですか?」
「空には関係ないことだもの」
視線を俺から外し、目をつむる。
「正しい言い方をするのであれば、空の夢を実現させるにはあの団体ではもうだめよ。あくまで、あの子は団体を追放された身ですからね」
「じゃあ、どうしてこの前会ってくれたんですか。団体の施設で会うこと自体、追放になっていないんじゃ?」
「喧嘩別れをした母親と娘として、会ったのよ。あの団体はね、自身の子供を守るため、そしてその成長を見守るために作ってきたの。もちろん、追放した人間を施設に入れることに難色を示した人もいた。だから、私は団体の代表をやめたのよ」
「責任を取った形だと?」
「ええ」
「代表をやめた理由の一つはこの前の出来事ってことですか?」
「そうね、追放を決定した人間がその相手を入れたのですもの。何かしらの責任を取る必要はある。ただ、空に言うと悲しんでしまうわ。まだ秘密にしておいてちょうだい。きちんといつか、私の口から説明するわ」
だから、この場所に空がいないということか。団体の代表として空を追放し、今度は自身のわがままで空を迎え入れた。代表としてのけじめをつけた。
「もとより、空が成長してしまえばあの団体に私が固執する必要ないの。あの子は立派に成長をし、良い人も見つけられた。それをみんなの前で証明することもできた。私があのまま代表を続けていたとしても目的を見失い、手段を間違えてしまうわ。もう、育てる必要の子供はいないから」
どこか寂しげであったが、それもまたよかったという表情をして見せる。
「本来ならもう少し早く発表をするべきだったわ。ただ、空と一緒にいるあなたを見た日から準備はしてきたつもりよ。もちろん、団体の今後のことも冬治君が心配する必要もなく後継者も選んでいるから」
「どうして俺が団体の心配をする必要あるんですか? みのりさんのことは心配ですが」
「あらあら、こんなおばさんを心配してくれるの?」
いざとなったら煙に巻こうとするのだから質が悪い。もうこの話について言及しても答えてくれなさそう。
「それで、これからどこに行くんですか?」
「別れた夫を探しに行きます。空は立派に成長したし、いずれ私も寂しくなるでしょうから」
「……戻ってきてくれるんですよね?」
「当然よ。こちらから空には連絡をするし、手紙も送るわ。あの子を心配させる必要は何一つないものね。ああ、そうそう、私の連絡先、冬治君にも改めて渡しておくわ」
そういって名刺を渡される。そこには冬の空代表、天導時みのりと書かれていた。
「冬の空?」
「良い名前でしょう? これからは孫の世話を目的とした団体を作るの。そのための土台を改めて確認する予定でもあるのよ」
眩いばかりの目をこちらに向けて、どこか懐かし気な学園長の視線に気づいたのかこほんと一つ咳をした。
「名前を一文字借りたわ。今後作る団体の願掛け。とても良い子に育ったあなたにあやかりたいのよ……そろそろ、時間ね」
みのりさんは俺に背を向けて歩き出した。
「冬治君」
「はい」
「これから先も迷惑をかけると思うわ。もちろん、時には空とけんかをするかもしれない。ただ、あなた一人で解決が難しいことがあったとしてもどうかその時は私や、あなたのご両親を頼って頂戴。相談をするだけでも十分なの。それで意見が違うのなら離れるのももちろん選択肢として存在するわ。もっと、他のことも忠告してうるさく感じるかもしれない。ただ、けんか別れだけはお辞めなさい。これは、人生の先輩として、一度失敗した人間からの言葉よ。覚えておかないと損するから」
「……肝に銘じておきます」
「では、また今度」
最後に俺の方を見た表情は誰かの母親としてではなく、どこか冷酷な感じを受ける代表の顔であった。
「あの顔、あの方は変わらないわ」
「学園長先生とは全然タイプが違うんですけど、過去、一緒に仕事されてたんですよね?」
「ふふ、そうね。とても冷たいんだけれども娘の空ちゃんの前ではずっと優しい顔をしていたのよ」
「冷たいところは否定しないんですね」
「厳しさは必要な要素。判断をするのに必要なものよ。もっとも、得手不得手があるものだからあなたには理解が難しいことかもしれない。余裕がなくなってしまうと人は判断を見誤るわ。一時的には悪いことかもしれないけれど、突破できれば成長のきっかけになる。苦しまなければたどり着けないこともあるの。みのり様と、今の空ちゃんのようにね」
喧嘩をせずに仲良くできているのなら俺はそれが一番だと思ったが、学園長先生やみのりさんは俺の意見に賛同してくれなさそうだ。
ただまぁ、意見が違う人がいるっていうのは納得できる。せいぜい、人生の先輩方の意見を空との関係性や、ほかの人との付き合いに生かしていこうと考えた。




