天導時空編:第二話 二歩も三歩も進む
初対面というのは人のコミュニケーションを維持するうえでもっとも大切なものだ。とはいっても、やっぱり普段のおこないが重要である。
転校初日に人の膝の上にお邪魔したのが運の尽きであり、クラスにおいての俺の立ち位置は危ない人予備軍。そんな危ない人予備軍はクラスのカーストの上位に食い込むことなんて到底できず、食い込んだところで学生のやることは勉強だ、運動だ、そんな感じだ。実は誰かの為でしたよ、なんて意味があったとしてもそれは特に何の価値もないといえる。
「なー、冬治、なー、腕相撲しようやー」
「えー」
不良少女の見た目である山野千鶴。彼女の相手を押し付けられた感がある。隣人である彼女は見た目通り授業があまり好きではないらしく、さぼることはないがねりけしを使ってアートを送ってくる。いや、言いなおそう、さぼりだ。
「はー」
そういって俺の背中をつついてくる後ろの人もいる。そう、元アイドルの天導時空だ。彼女は基本的に無気力。眼鏡はかけたり、かけなかったり。みつあみをしていたのも最初だけ。元アイドルという印象を受けた人で何かを期待してやってきた人たちはあまりの差異にだんだん話しかけるのをやめていき、無事に今の位置に落ち着いた。今では特段人払いをするような塩対応でもなく、話をしていると俺を、会話に加えようとするのだ。鼻つまみものが入ってきたとあらば微妙な顔を浮かべるものもいるわけで、まぁ、転校生同士仲がいいよねぇなどといってお茶を濁し、去っていく。
ただ、実力を隠しつつも本気を出していないというポジショニングをキープするつもりがあるのは授業での態度、運動神経の抜群の良さを毎度見せつけるのだからから想像に難くない。
一部信じられないことにあの転校生という扱いを受けた俺のためにあえてそうしている。そんな噂も聞けた。優しい人だなという人もいる。彼女の株はひそかに爆上げだ。
そんなこんなで三人でいることも多く、勉強に関しては俺たち二人が千鶴を補佐し、飯を共にし、放課後は少し喋ってから自由解散が多い。クラス評論家を自称している他の組のやつがなかなかの配置だという意見を残した。
空に気に入られているのは確かにそうだ。放課後、初日に買い物に行ってからここ三週間大体週に二度三度、買い物に行くことが多い。初対面では俺も少しだけ特殊な立ち位置の子なんだろうと思って溝があった気もするが気づけばなくなっていた。
「あのさ。今日部屋に来てくれない?」
本日、買い物中にそんなことを不意に言われた。好きな食べ物は何かと聞かれて、うーん、カレーとかオムライスとかハンバーグとかエビフライ、あとはそうだなぁ、オムレツとかも好きだな。そんでまぁ、といったところで遮られる形だ。一瞬、お前どんだけ好きなものを挙げているんだ空気読めよという瞳の色を見せたのは見逃さなかったが、まさか誘われるとは想像していなかった。
思春期真っ盛りの男子、心の中で紙飛行機をテイクオフするのだ。どきどきも追加しよう。
だから、次の一言を見逃した。
「家具、組み立てるの手伝って」
期待がなかなかの弾道を見せてくれたわけだが、腹痛の油断時に差し込まれる急転直下。不安定な軌道を見せて墜落と相成った。この間、およそ十秒。飯の話はどこに行ったんだ。
「あ、うん」
ほぼこれに関しての返事は反射的。いや、俺そんなん思ってないですよという対応。もう相手から見たらしめたものだろう。本当、飯の話はどこへ消えた。
「そう、よかった」
にっこりと返されてはジワリとにじむはずの毒気も消え、俺にやるべきことは家具を作ることだ。
場所を彼女の部屋へと移すため、途中で電動ドライバーを購入。
「ドライバーある? え、ない? オッケー、じゃあ電動ドライバーをできたら買ってくれ」
これを買わなければ俺は家具を付属の組み立てキットで作らなければならず、そうなると指にまめができていたことだろう。
一人暮らしの女の子の部屋に入ったさいに驚いたのは広いということと、電動ドライバーもお店にあった高い奴をポンと購入したことだ。こいつ、超金持ち。
「じゃ、お願い」
「……おっけ」
工具を買ってもらったという出来事があった以上はなぜだか嫌だといえないわけで、この工具もそもそも空のものなんだがなぁというボヤキは届かなかった。
彼女の部屋といっても、普通に高そうなマンションの一室であり、大家族もそこそこうれしそうな顔をするリビングの広さ。玄関から廊下からの長さはそこまでないがそれでも幅があって別室、他もちらりと見え、おそらく脱衣所、そして浴室へと続く引き戸があった。
地上四階から見える広さは十分で、夕暮れ時となった町を見通すと学園も見える。足りないものといえばやはり家具類だろう。今あるものは段ボールばかりであり、さすがに大きくないものの、え、まさかこれを俺一人で組み立てるのか、あれ、そもそも手伝ってという言葉は一緒に何かを作るんじゃないのかという状態。黙っていても誰かが手伝ってくれるわけないので、カッターを探すこととした。
「……ねぇか」
引っ越してきたばっかりの、というところで家具はテレビと小洒落たサイドテーブルと大きめの強化ガラスでできたテーブルだけ。その前にはソファーの段ボールが置かれており、棚もおそらくここに配置してくれという場所に置かれている。
四苦八苦しつつも段ボールからまずは一番大きなソファーを作ろう、電動ドライバーもあるだしと思ったらソファーは箱の中に完成品で入っていた。
なんだかなぁとため息をついて棚も実はできているんじゃないかと思ったらちゃんとバラバラなわけで、説明書を見つつ組み立てる。
一つできて達成感を味わっているといい匂いがしてきた。
「ご飯できたよ」
あぁ、晩飯作りに引っ込んでたんだなと思ったところで時計を見ると結構いい時間だ。買い物もしてきたし、それなりに早くできたと思ったがやはり遅い時間だ。集中していたら瞬く間に時が過ぎていた。
「組み立ててもらったお礼だから、遠慮なく食べてよ」
なかなかの見た目をした料理がテーブルに置かれていた。ドリアだ。ほう、勉強もできて運動もできる。天は才能ある人が好きなんだな、こいつ、顔も可愛いし胸はそこそこ、足で勝負するタイプだという俗物めいた意見を俺の中の悪魔がつぶやいたところで天使が冷静に言った。
この安定した旨そうな匂いは、おそらくあの冷凍食品会社のものであると。
「……んじゃ、ありがたくいただくとするか」
しかし、下手にご機嫌を損ねそうな言葉を選んでいう必要もない。達成感が落ち着いたところで空腹なんだ。わざわざ食べられなくなりそうな事態を招かなくてもいいだろう。
キッチンにはちょっと入りづらかったので、トイレのある方向へ。俺は取り合えず手を洗いに脱衣所にあるであろう洗面台へと移動する。
「おっと?」
そこで見たものはひび割れたガラスだった。クモの巣状のひび割れはあまたの驚いた俺を映し出し、そして外周の大きいガラスにはこちらを見やる空のすがた。彼女はしまったという顔をしていた。
中央にはちょうど人の拳で一発いれたような感じで、そうなるとこの鏡の持ち主がやったんじゃないかという疑念が浮かんだ。
「そ、そういうデザイン、なんだよね」
「ははぁ、壁パンチか……ちょっと失礼」
恥も外聞もない俺は、空の手をつかむ。つい、さっきパンチしたわけでもないのに気になったからだ。手の甲を持ち上げて指を見たが、いたってきれいで華奢なものだ。
「けがは、してないか……おっと」
腕を振り払われてすぐさま左手が俺の顔面へと向かってきたわけで、手首をつかんで難なくガードできたが今度は右ひざを急上昇、金的を狙ってくるというおまけつき。太ももで受けたが、もし当たっていたらお股の付け根にビックバンが起きていた。
「あんた……何者なの?」
驚愕の表情を浮かべられたが、それを言いたいのはこちらだ。
「お前さんこそ何者なんだ。物騒だろ」
左手のパンチはブラフ、こいつ、最初から俺のち〇こをつぶすつもりだった。しかもとっさに、俺が手をつかんだからか無意識なのか知らんが普通そんなことできない。
「うふふ……あっはっは」
肩を震わせ、笑い始めたために俺はそれとなーく距離をとった。その笑い方がこの世の終わりといった具合だった。
「あんたに気を許したのが運の尽きだったわ」
目つきが鋭くなった。
「いや、待て。落ち着け」
「は?」
右手の平を見せて俺は言った。
「気を許しただって? 好きになったっていうことか? まさか転校してきてすぐさま追い転校生という元アイドルが一か月程度で俺のことを好きになるなんて、待て、まじか」
「今はそこじゃねぇっつの」
「あいた」
右パンチが顔面に突き刺さっていったん休戦とし、俺たち二人は晩飯を食うことにした。ドリアは普通に旨く、おいしいといって、はっ、この程度の味でおいしいといえるなんて幸せだねと言われるかもしれないと思ってしばらく考えて味の感想をのべた。
「上品なこくが……おいしい!」
「そう、そりゃよかった」
不良少女の千鶴のような声音にちょっと考えつつもまぁ、また一つの個性だなと考えた。メンチがすごい。
飯を食べ終えてゴミ箱にごみを捨てに行った後、戻ってきたら大の字に寝ていた。いったい何のつもりだろうか。
「え、何それ」
「……私の事、好きにしていいよ」
え、嘘、まじでという考えに至るのはヤバイ。相手のホームグラウンドであり、ほいほい手を出せばどうなるか容易に想像がつく。だからといってスカートから延びるあんよの付け根に視線が食い込むこと、食い込むこと。いやらしいことこの上ないと来た。
「えっち」
そして視線をちゃっかり見ていたわけで、それからの耳朶を打つ一言はなかなかの得点をたたき出してくる。
しかし、しかしだ。それでもなお彼女の姿勢はゆるぎなく、触れればあっさり受け入れられそうな感じだ。制服上からでもきっちり浮かび上がっている上げ下げ具合が男の夢を加速させていく。さっきあんなことがあったのに、これは一体どういうことだ。
「くうっ、俺には……できない」
結局、大の字で寝ている彼女の隣で膝をついて呆れられた。彼女の大胆さの前に俺は最初から最後まで終始圧倒され、スコア差は歴然。歴史的敗北として語り継がれていくことだろう。
そろそろ解散の流れになるのかなと思ったらそうでもなく、俺にはもう一個作ってほしいものがあるらしい。
「作ってほしいもの? 何だよ」
「それはね、思い出」
「俺、帰るよ」
「待ちなさいよ、さっきの事喋らないって誓わないと、ただじゃ返さないわよ」
今更純情ぶっても仕方のないことで、女子に夢を見たい男子としては追いすがる手を再度ステップで躱してわきの下を抜け、背後に回り込んで相手をビビらせてみせた。
「あ、あんたいったい何者なのよ」
「……そうだなぁ、俺の話は長くなるけどそれでもいいのなら。ぜひ話しておこうと思う。あ、そうそう、俺は別に誰に話すつもりでもないからそこらへんは安心しておいてくれ。んじゃ、そろそろ俺がいったい何者なのか話をしようか……していいのか?」
「帰っていいよ」
背中をとんとん押されてあっさりめに家から出された。しかし、すぐさま顔を出してくる。
「あ」
「え、何々?」
行ってきますのちゅうをしてくれるのかと思えばそんな幻想はどこにもなく、鞄を忘れてるといわれて奥の部屋へと戻っていった。
しかしそこから待たされたもので、ケータイをいじりつつ数分待った。部屋の中に入ろうかと思ったものの、さすがに今日来たばかりで馴れ馴れしいか。いや、あっちの方が態度的に馴れ馴れしいんじゃないのかと思いつつも、せめて一声かければいいだろう。その考えに至ったところでようやくあちらさんが鞄を手に戻ってきた。
「ごめんごめん、はい、鞄」
何かドッキリでも仕掛けてくるかと待っていたが、差し出された鞄におかしなところはなく、訝し気な俺を見てすぐさま鞄を顔面に押し付けてこようとする。
「早く取りなさいよ」
「確かに今のは俺が悪かったけども、早くない? 怒るの」
怒られたのは仕方ない話で、鞄を受け取ろうとしたが、相手は話してくれなかった。
「……あとさ」
「え?」
「今日のこと、本当に……二人だけの秘密だからね」
彼女がどんな顔をして俺に告げたのか結局わからなかった。何せ、受け取ったカバンをどかして顔を見ようとしたらそっぽを向いていたからだ。顔が赤いのは絶対に言わないほうがよさそうだ。
これを見てしまった以上、よくわからないが本気で俺に興味を持ったらしい、それが良いとか悪いとか別としてだと決定づけた。からかわれているんだろうという考えは捨て、とりあえず彼女ともう少し接してみようと考えを持ってみる。
「ああ、約束するよ」
「……またね」
「おう」
余計なことを考えていただけに、今日のことがいったいどの事だったのか、帰り道にじっくり考えてなお、答えは出せなかった。家に呼んでくれたことなのか、家具を作らせたことなのか、はたまた俺に気を許した素振り……最後に鏡を特殊なアートに仕立て上げたことなどなど。
ふと、マンションからの通りを歩いていると視線を感じて上を見る。空がベランダから手を振っている。ただそれだけなんだが、彼女は思いのほか、楽しそうな顔をこっちに見せてきていた。正面切って笑うのもなんだか少し恥ずかしかったので俺は背中を見せて、左手を上げておいた。今日からきざな男を目指してみようと思う。
「おっと」
そんな俺の態度を快く思っていなかったのか、はたまた最初っから隙をうかがっていたのかわからない。段ボールをくしゃくしゃにしたものを投げつけてきた。
なかなかのコントールを見せたわけで、親指と人差し指でキャッチできた。狙って投げたのならかなりの腕前だ。
今度、暇があったらキャッチボールにでも誘ってみようと思う。




