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北村孝乃編:第六話 今度から本気出す

 俺は孝乃先輩のことが気になり始めたが、まぁ、本気で考えるのなら壁が二つある。一つ目は当然、霧崎亜美先輩のことだ。

 本腰入れて対応すればすぐに何とでもなりそうな問題で、みやっちゃんに任せておくと明日に解決するか、それとも数十年後になるかわかりゃしない。薬の効果があったとしても、あの人はどうやら自制が効くので大衆の面前で押し倒してモザイク待ったなしの出来事は起こさないから安心はできる。

 そして二つ目。一つ目よりもハードルが高い。孝乃先輩の想い人、天道寺先輩のことだ。こっちは孝乃先輩の気持ちが向いている以上、俺が孝乃先輩に協力をすればあっちとくっつく……か、どうかも難しいだろうな。何せ、あっちにはすでに霧崎先輩が彼女としているし、別れたとしても控えの女の子が何人かいそうだ。

 惚れ薬に頼る俺とは全然違う。勝手に周りが自分のことを好きになってくれる都合の良いものを使っているわけでもない。魅力的な人間に見える、それは周りに対して努力を怠らず、頑張っている人に違いないさ。

「しょうがない」

 馬鹿らしい話だと自分でも思うが、あの人のことを応援してあげたい。そう思ってしまった。

 気づけば七月に入り、生徒の中には夏休みの計画を妄想し始めるメンツも出始めた。

「俺、今度の夏休みに気になるあの子に告白をして夏を楽しむんだ」

「夏は青春、補修は嫌だ、ビキニ、砂浜、ナンパを目指して期末テストおおおっ」

「我々は勝利を掴む。敵は一人、期末テストのみっ」

「ゆくぞおおおおおっ」

「おおおおおおっ!」

 男子の一部が夏休みを無事に迎えるため、テスト勉強に打ち込んでいたりする。熱血具合がすごいな、このクラス。

「よぉ、冬治も参加するだろ?」

 友人が右手を上げてこっちに挨拶してくる。珍しいこともあるもんだ。

「あー……俺は」

「あ、そうか。彼女先輩と一緒か」

「まぁ、どうだろうなぁ」

「どうだろうなぁって……どうした、なんだか調子悪そうだな」

 茶化してくるかと思えば、こちらの心をまるで読んだような心配顔。ごまかせない顔をしているようで、心配をかけるのはそれはちょっと悪い気もした。

「そういうわけじゃないけどな。待った、俺の調子が悪いだって?」

「おうとも、調子が悪そうだ。失恋でもしたのか?」

「いや……」

 歯切れ悪く返事をしてしまったのはそれだけ困惑したからだ。孝乃先輩を応援しようと考えているのが本当は嫌なんだろうな。

「どうした、大丈夫か? おっぱいでも揉むか?」

「おふん」

 そういって友人は太った男子生徒を俺の前に押し出してくる。そんな馬鹿な姿を見ていると悩むだけ無駄なようだ。

「ちょっと自分が馬鹿だなぁと思ってしまっただけだ。もう大丈夫」

「ほー? よくわからないが、それはいいことだな。自分が愚かである、それを認めなければ人間は成長しづらいからさ」

 友人がそういうと何か悪いセミナーで変な考え方をインストールして来たのかと不安に思ってしまう。優しい目をして俺の肩に手を置く。

「失敗は出来るうちにしておいた方がいい。今の社会人を見てみろ、恋愛をせずに大人になったやつが多いから結婚しなくてもいいかなって言っている奴も多いぞ。こういうのは、若いうちにやっておくべきだ。説明しなくたっていいさ、楽しんで忘れちまえ」

「お前さんより年上の人たちだろ?」

「あぁ、そうだ。別に俺が言っていたんじゃなくて、テレビで言ってた。ナンパに失敗しても、どうせ笑い話で済むからな。部屋の中でボーっとしているよりは健康的だ。で、だ。今のお前には説明できないがもやもやがある、それならどうだい、俺たちと一緒に女性の水着を拝みにいかないか?」

 そうだそうた、それがいいと男子生徒たちがピュアな心で俺を見てきていた。半面、女子たちは屑を見る目で救いなきあほ共を見ていた。

「どう説明したもんだろうなぁ……」

「お、説明してくれるのか」

「出来る範囲でな。本当は一人で対応すべきなんだろうけど……」

 友人相手だし、本当に話せる範囲のほうがいいだろう。抽象的なことにして、惚れ薬やら嘘で付き合っているとか、余計なことは説明する必要もない。

「冬治、あんたに女の子が会いに来てるよー」

「え?」

 説明を考えている途中で七色から声をかけられた。

「あそこ、誰だろ、見たことないけど」

 廊下に立っているのはみやっちゃんだ。この学園の生徒ではないが、制服を着こんでいる。スカートが短いのを気にして抑えているのは可愛い。

「お、なんだか暗い感じだけどすげぇかわいい子じゃん。だれ?」

「あの子はやめとけ……ま、俺の親戚みたいなもんだ。んじゃ、ちょっとあってくる」

「おう、いってら」

「親戚ねぇ」

 全然似てねぇなぁという七色の言葉に俺は首をすくめて、みやっちゃんを迎えに廊下へ出向く。

「準備が出来たと?」

「……うん」

 二言だけで会話は完結したと言ってもいい。みやっちゃんが歩き出し、俺もその隣に並ぶ。

「段取り的にはお薬で?」

「……ううん、実力で効果を消し飛ばす」

 実力で効果を消し飛ばす、ねぇ。不思議なものに対して物理で解除は意外だった。いや、実力と言っていたから不可思議な能力かもしれないが。どうしても腕力で殴る姿を想像してしまった。断っておくが、目の前の少女は非力そうな根暗系女子だ。

「……放課後には効果、消しておくから」

「お願いします」

「……薬を盗んだ不届き者にも一発、喰らわせておこうか?」

 怪しく光る彼女の瞳に俺は首を振っておいた。

「そっちは大丈夫。俺が何とかしておくから」

「……冬治が言うのなら」

「おっけ、それじゃ」

 曲がり角を曲がったみやっちゃんは俺の隣を歩いていたはずなのに、消えてしまう。かわらず、不思議な娘だ。やると言ってくれた以上、わざわざ追いかけていく必要はないだろう。

「ちょっと、冬治?」

「あれ、孝乃先輩じゃないっすか」

 意外なことに、俺のほうが孝乃先輩に追いかけられていたらしい。

「今の子、誰? すごく親しそうだったけど?」

 何やら感情を押し殺した様子で俺へと視線を向ける。珍しく怒っているらしい。つい、そらしてしまった。

「まるで彼女面しますね」

「……何よ、それ」

 自分が質問に答えず、つい、そらした言葉を投げたことに気が付いた。先輩の声は一瞬で元気のないものになってしまう。

 反射的に相手の手を掴んだ。驚いた表情で先輩が俺を見てくる。このままだと蹴られて逃げられそうだったから掴んでみたのだが、失敗だっただろうか。

「あ、その……すみません。今の子は俺の親戚です」

「親戚ぃ?」

 すぐさま私、あなたのことを疑っていますという声音が飛んできた。が、ここで逃がしてしまうとすべてが終わる。そんな胸騒ぎしかしなかった。

 俺の心根など、先輩が知る由もない。ちょっと悩み事があって打ち明けられず、孝乃先輩の言い方についむしゃくしゃしてしまった。俺が言ったような言葉は相手をカチンとさせてしまう。

「ええ、嘘じゃありません」

「それ、本当?」

「本当ですよ」

「ふーん」

 素直に答えていれば孝乃先輩は疑ったりしなかっただろうな。いつもの通り、軽く流せばよかったんだ。

 どうも、孝乃先輩を応援することを考えると調子が悪い。目を通して心の中をのぞき込もうとしてくる先輩の綺麗な目を眺めながらぼんやりとそんなことを考えてしまった。

「あんたさ、元気ないけどどうかしたの?」

 嘘をついているかどうかよりも、そっちが興味を引いたらしい。

「えぇと、頷きたくはないですけど、たぶん、そうです」

 答えたくはないが、答えるしかない。無言でいれば俺の手を払って行ってしまうだろう。

「でも、その、自分でもちょっと悩んでるんです。形づけられていなくって、うまく説明できません」

「……曖昧ねぇ」

「自分でも今一つ気づいていなかったんですけどね。友達に言われたりして気づきました」

「ふぅん? あんたでも他人に言われて気づくこと、あるんだ?」

 それがなんだかおかしかった。

「はは、俺をなんだと思っているんですか」

「人を取って食ったような性格してるくせに」

「それはあくまで先輩に対してだけだと思います」

「自覚はあるのね、悪い性格してる。で、何のことで悩んでるの?」

 まっすぐ見られては答えないというわけにもいかないだろう。ごまかしも今の表情をしている彼女には通用しそうになかった。

 とても深いため息をつくしかない。

「……そうですねぇ、孝乃先輩のことで。あの、一生のお願いがあるんですけど、聞いてもらっていいですか?」

「うん? 何よ? しょうがないわねぇ、そんな弱った顔されるとこっちの調子も悪くなるから聞いてあげるわよ」

 なんだかんだで優しい人だ。ただまぁ、手癖が悪いのは玉に瑕だが。

「これから俺がやること、怒らないでください」

「え? なにそれ」

「今から抱き着きます。嫌なら逃げてください」

「は、はぁ、あんたどういうことよ?」

 孝乃先輩が言い終わる直前で相手を抱きしめた。俺より慎重の低い孝乃先輩を抱きしめるのは少し上半身を落とす必要があったりする。

「えっ、と……」

 俺の奇行に大変驚いたようで、先輩は固まってしまった。それでも、孝乃先輩の匂いや体の柔らかさは俺の胸の中にすっぽりと覆われた。髪の匂いまでつい、軽く吸ってしまう。

 時間にして数秒程度。俺は名残惜しさを微塵も出さずに孝乃先輩から離れる。つかんでしまっていたても、

「堪能しました、すみません」

「あ、あ、あんた、学園でこんなことを……」

 そこまで言って、俺の顔を見て目を見開いている。

「え、なんで今度は泣きそうになってるのよ。情緒不安定?」

「うれし涙っす」

「嘘つき。あのね、あんたがあたしのことを見なくなったとしても、あたしはあんたのことを見てるのよ。嘘ついているのぐらい、すぐにわかるから」

 手を掴まれた。おそらく、逃げられないようにだ。

「それ、なんだかストーカーみたいですね」

「さっきはあんたがそうしたでしょ」

 お見通しだったようだ。

「よく聞いて。一人で考え込まないで話を聞かせて。一体、何があったの?」

 心底心配そうな孝乃先輩の顔を見ていて、俺は深くため息をついた。

「わかりました、ついてきてください」

「うん」

 満足そうであったが、俺の手は決して放してくれなかった。

 逃げるタイミングを失って、俺は屋上へとたどり着く。

「で、何があったの?」

「えーと、まぁ、あれです。霧崎先輩の薬の効果、おそらく今日中には打ち消せますね」

「あ、なんだ、別にあんたが泣く様な事じゃないでしょ?」

「まー、そうですね」

 少しだけ能天気そうに答えて見せる。

「……俺、孝乃先輩の恋を応援しようと思って」

「……え?」

 理解に一瞬、時間がかかったらしく、なぜか赤くなった後、俺の顔を見て少し固まった。

「あんた、それは……余計なことでしょ」

「余計、ですか」

「ええ、そう。頑張れなんて無責任な言葉だけを投げるつもりじゃないでしょ、あんた。絶対に行動に移しそうだし」

 裏で何かするつもりでしょうとにらまれる。

「まぁ、はい」

「それにね、よく、考え直すこともあるから。冬治、あなたはあたしの彼氏なんだから勝手に離れて行っちゃだめよ?」

「はい……はい?」

 以前の先輩から少し想像できないような自信に満ち溢れた顔をしていた。ちょっとそれが意外だ。

「あたしもね、あんたに話すことがあるの。大切な話、けじめの話ね」

「けじめ? 今、脳内でドスとチャカが交錯する血なまぐさくも惹きつける映像が流れました」

 なめくさっておってからにぃ、仁義じゃあ、そんな声もセットメニューだろう。

「あのねぇ……ふざけ、てはないわね、この状況でどんな想像してるのよ」

 心底呆れた表情を向けられてしまった。

「すみません」

「いいわ、別に。あんたとあたしで辛気臭い青春なんて似合わないから。あたしね、時雨君に正々堂々告白する」

「……えぇ?」

 急展開である。俺の手伝いなんて勢いを出したこの人には必要ないものだった。

「と言っても、あなたの彼女にしてくださいって言うわけじゃないから。あこがれていた存在だったから、ああいう人にあたし、なりたかったのよ」

 虚空を見上げ、彼女は思い出に浸っているようだ。

「なんだろ、輝いている人に近づきたいって人間、思うでしょ? そんな人の近くにいたら自分もそんな風になっているって思ったのよ。錯覚ね」

 悪く言えばその人ではなく、その人自体に価値を見出し、他の人から自分より優れていると思われる手っ取り早い方法ってことか。金魚の糞とはまた違うが、おこぼれにあずかろうとしているある意味したたかな考え。利用価値がある、メリットがある、言い方はいくらでもあるかもな。

「先輩に一つ聞きたいことがあるんですが、いいですかね」

「なに、もし告白が成功したら、僕どうしたらいいのっていう質問?」

 小ばかにしたような調子に俺は首を振る。

「いや、あの、どうしてそんな考えに至る人が惚れ薬を使おうとしたんですかね」

「楽をしたかったからよ。いまのあたしと、あの時のあたしはたぶん、考え方がずれちゃったの」

 あっさりと答えられて俺は唸った。

「ま、あんたのおかげでもあるんだけどね」

「俺のですか?」

「ええ、そうよ」

「そこ、もっと詳しく聞いても?」

「答えるわけないじゃない。そういうのは自分で考えないとだめよ。あたしがそうであったようにね」

 人差し指を俺の鼻に押し付け、先輩はいたずらっぽく笑った。考えたってわからないものだってあるからもしかしたら最後まで分からないかもしれない。


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