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北村孝乃編;第五話 気づくのが速かったのか、遅かったのか。手を引くのが速かったのか、遅かったのか。

 カラオケに行った週の金曜日、雨が急に降ってきて帰ろうとしている生徒たちも下駄箱あたりで困ったもんだと足止めを食らっている。

 そんなときに役に立つのが折り畳み傘。ぬかりない俺は廊下で突っ立っている生徒たちの間をぬって下駄箱エリアを抜ける。

「ねぇ、冬治。一緒に帰ろうよ。と言うか、傘入れて」

「七色か。お前さんは傘忘れた感じか」

「うん」

「そっか、そりゃしょうがねぇなぁ」

「ありがとー」

「じゃあな、濡れて帰れよ」

「さっすが、冬治様は話が分かる」

 もう俺の言葉なんて無視して入り込んでくる。それをとがめるわけもなく、二人で歩き出した。折りたたみ傘であるため、二人で入ると少し狭かったが仕方のないことだ。

「あのさ、お願いした立場なんだけど北村先輩だっけ? 見られたらまずくない?」

「別に大丈夫だと思うけど? 困っている人を助けているわけだし、別に、このぐらいであの人は怒ったりしないって」

 それに、ここにいるってわけでもないだろう。今日は一緒に帰る約束をしていないし。

「ちょーっとまったー」

「ん? なんだ、今度は友人か」

「後生だ。俺も入れて」

「は?」

「センキューありがとー」

 さすがに三人も入らねぇよ。そういうよりも先に入り込んできた。

「おい、入ってくるな。狭いだろ」

「肩濡れてるしっ」

「そこのコンビニまで。傘買うからさ。な、いいだろ? それによ、冬治が浮気してるって彼女先輩にちくってもいいんだぜ?」

 お前の弱みは握ったという様子を見せる。やれやれ、こいつも勘違いしているのか。もとより先輩が怒るわけもない。

 俺たちは付き合っているわけではないからな。

 ぎゃいぎゃい騒ぎながらコンビニまで向かう。やはり、三人をカバーするだけの心の広さが傘にあるわけもない。一部が濡れている。まぁ、まだ全身ずぶぬれってレベルじゃないからましだな。

「ちょっと待っててくれよ」

「何かおごってよ、濡れちゃったんだからさ」

「えぇ、傘も買うのに……ちぇ、しょうがねぇ。何がいい?」

「なんだかんだでおごってくれるのな」

「感謝はしてるから」

 何を買ってもらおうかと考えていたら電話が鳴った。相手は北村先輩だ。

 店内で話すわけにもいかず、外へ出て傘を広げる。

「あ、先輩? どうしました?」

「冬治、帰るわよ。どうせ、傘忘れて困ってるでしょ?」

「え? あ……いえ」

「あ、持ってきてたの?」

 意外だという感じの雰囲気が電話の向こうから漂ってくる。

「ま、いいわ。一緒に帰るわよ。どこにいるの?」

「実は今、学園の近くにあるコンビニにいます」

「そ? じゃ、今からそっちに行くわ」

「あ、ちょっ……」

 ぷつっという音とともに北村先輩の声は聞こえなくなった。

「冬治ぃ、何買う?」

「……わり、これから北村先輩がこっち来るみたいだから」

「ふぅん? あ、じゃあ、傘借りて行っていい?」

 七色が傘を指さす。下世話なことを考えているのだろう、嫌な笑みだ。

「いいよ」

「んじゃ、お幸せにー」

 そういって友人に買ってもらったアイスを片手に出ていく。

「なんだ、結局先輩と帰るのかよ」

「ああ」

「北村先輩って割と冬治の世話焼いてるよなぁ。うらやましい」

「そうか? いや、その通りだな。ちょっと照れるが確かにそうだ」

「ま、仲良く帰れよ。変なことで喧嘩するな」

「おー」

 ビニール傘を片手に出ていく友人を見送ると、入れ違いで北村先輩が入ってきた。

「先輩、ここです」

「あんた、さっき友達といたみたいだけど……わざわざあたしを待ってくれてたってわけ?」

「友達を優先したら怒られちゃいそうですから、先輩に」

 言外に独占欲が強そうだとにじませると、伝わったのか首を振られる。

「あのね、あたしはそんな人間じゃないっての。他人とのかかわりって言うのは自分を成長させてくれる糧なのよ? もちろん、利用しているなんて言うつもりはないし、そういう友達との絆って長く続くいいものになるわ」

「……へぇ、先輩ってそういうことも言うんですね。なんというか、年齢の割に落ち着いていますね」

「年下のあんたに言われると微妙ね」

「今、あれです。俺が先輩にストレスを与えて成長を促しているんですよ、はい。ストレスって、過度なものはいけないそうですけど、人間を成長させる一要素らしいっすよ」

「それ、どこ情報よ」

「ネットかニュースで見ました」

「あんた、やっぱり変な感覚してるのね。勉強しなさいよ、勉強」

 色気ゼロの会話をしながら、コンビニの外に出る。

「……あの、北村先輩」

 外に出て、先輩は傘をさして俺を見ていた。こっちとしてはまだ傘に入った状態ではないが、コンビニの軒下にいるので濡れてはいない。

 雨が俺たちの間に立って壁となっている。

「んー? どうしたの?」

「改めて何ですけど、俺が先輩の傘に入っちゃっていいんですかね? 相合傘になりますけど?」

「いまさらでしょ。学園内じゃ、彼氏と彼女、そう振舞っているんだし」

 それがどうかしたのかと言う表情で俺を見てくる。

「それはまぁ、そうです。でも、今、ここには俺と北村先輩しかいません」

「道、生徒たちが歩いているし、コンビニの中には店員さんもいるけど?」

「そういうことを言いたいんじゃないんですよ」

「よくわかんないわね、はっきり言いなさい」

 北村先輩なら言わなくてもすぐに理解してもらえると思ったけどな、まぁ、俺もちゃんと言わないのが悪いか。

「演じるって言うのは、誰かが見ているからでしょう? 雨も降って居ますし、別に俺たちのことを気にする生徒なんていません。気にしているのは俺たちだけでしょうし、役を演じる必要なんてありませんよ。北村先輩が来てくれるっていうからコンビニに残っていましたけどね」

「……そっか、あんたは役として演じないのならあたしの隣にいたくないってこと?」

 どこか、悲し気な表情を見せる北村先輩だが、それも納得しているように見える。

「うーん、そうってわけでもないんです」

「は? あんたが何を言いたいのか全然わからないんだけど?」

 呆れた様子で見てくるので、俺は一度深呼吸した。煮え切らない言葉を出したのも理由がある。

「正直に言っちゃいますけど、このままずっと、北村先輩の近くにいたら俺……北村先輩のこと、好きになっちゃうかもしれません」

 俺の言葉に、北村先輩は固まった。その後、目をそらした。

「そ、そう」

「あ、怒らないんすね?」

「それは……そうでしょう?」

 なぜ、俺は確認されたのだろうか。

「あ、あんた、よくもまぁ、そう、ぽろりと、えっと、あたしたちが今の関係になった理由、忘れたわけじゃないわよね?」

「しっかりと覚えていますよ」

「盗みを働いたのよ、あたしは」

 自ら敢えて悪を強調させる。口が軽くパクパクとなっていので焦っているようだ。

「はい。でも、俺も惚れ薬を女の子に使おうかなって思っていた人間なんで。お相子です」

「そ、それはそうでしょうけども」

「そうなったらですね、俺が北村先輩に対して本気になったらちょいとやばくないですかね」

「え、どうして?」

 本当に理解していないのか、それとも急に俺がこんなことを言い出したからかいつもの北村先輩ならすぐに答えをくれていただろう問題の返事を用意できていない。

「俺、おそらく北村先輩に対して使っちゃいますよ」

「何を?」

「惚れ薬を、です」

「え、えぇ?」

「そんな俺と一緒に相合傘をして帰れますか? 最低野郎ですよ」

「む、むぐぐっ……」

 不謹慎と言うか、他人事に思えるかもしれないが、誰かが、一生懸命な顔をしているというのはいいことだ。先輩はまるで阿修羅の顔を見せて悩んでいたが。

 覚悟を決めたのか、先輩は深呼吸をして、強い目を俺へと向ける。

「……は、入りなさい」

「え、入れてくれるんですか?」

「そんなうれしそうな顔をするな。これまで、そんな表情見せたことないくせにっ」

「うっへっへ、すみません」

「すり寄ってくるなっての。ちっ、あたしは、これでもあんたには多少、感謝しているんだからね。短い付き合いだけど、あんたが悪い奴じゃないってわかったし、霧崎の相手も十分してくれていることだからね」

「……うーん、ここまで割り切れるというか、しっかりしているのにどうして盗みなんてしちゃったんだろこの姉ちゃん……ぐえぇぇ」

 首を絞められる。

「切羽詰まってたし、誰にも相談できないからああなっちゃっただけっ。ほら、帰るわよっ」

「あ、ちょっといきなり歩き出さないでくださいよ。ちょっと濡れちゃいました」

「うっさい、あんたを入れた時点であたしの反対側の肩もちょっと濡れてるっての」

 結局、相合傘用の傘でもないからかなり引っ付かないと肩は濡れる。それに、さっきあんな話をしてしまった以上、引っ付くのは無理だ。これまでの俺らなら、効率や効果を期待して割と引っ付いても問題はなかっただろう。

 俺の言葉で、関係を多少変えてしまったのだ。言っておくが、別に今は北村先輩のことが好きではない。

 ただ、おそらくこのまま一緒に時間を過ごしていたらまず間違いない気がするんだ。

「あ、もうついちゃった……」

 いろいろと考えていたら二人とも話さずに先輩の家までついてしまったらしい。学園からの距離は北村先輩の家のほうが近いから、ここから俺は自分の家まで走って帰らないといけないわけだ。

 どのみち、濡れるのなら別々に帰ればよかったかもしれないな。

「じゃ、また来週」

「……待ちなさい、あんた、このままだと濡れるでしょ。ちょっと家に寄って行きなさいよ」

「俺が言うのもおかしいかもしれませんが、さっきあんなことを言った相手を家に入れるんですか?」

「別に、いきなり襲われるってことはないでしょ?」

「襲いませんよ」

「どうだか。信用ならないところあるから」

 そういってつついと俺の頬を撫でる。

「えぇ? 俺がいつ、先輩の身体を狙う狼的発言しましたっけ? 一度たりとも、セクハラ発言だってしていないと思いますけど」

 意識をしたことはあったけどね。

「それはそれでなんだか引っかかるわね」

「あ、だからと言って無理なお色気はなしですよ?」

「しないわよ、さ、バカやってないでおあがり」

「はい、阻喪しないよう、お邪魔します」

 こんな会話、北村先輩じゃなければ成り立たないだろう。

 案内された廊下を通って、ちゃぶ台のある畳の部屋へと案内された。

「趣がありますね」

「変に取り繕う必要はないから」

「へい、へい。雰囲気的に狸の置物がありそうですけど、ないですね」

「……一年前まではあったわね。邪魔だから捨てちゃったけど」

 それはちょっと見たい気もする。

「売ったんですか?」

「ううん、本物の狸の皮を使っていたとか何とかで、気持ち悪かったから。なんでも、若いころにパパが友達から売ってもらったんだとか。ご利益があるとか言われてね」

 先輩はお茶の準備をしながら答えてくれた。

「なんだか騙されているみたいですね」

「うん、あとで詐欺容疑かなにかで捕まったんだって」

「あらら」

「ま、買ったときは一万円だったそうだけど、売ったときは三万円に化けたって言っていたからいいんじゃないの?」

「へぇ、最近の狸はお金に化けるんですね」

「はい、お茶」

「あ、どうも」

 まるでお寿司屋さんで出てくるような魚編の湯飲みに緑色の液体が注がれている。この時期には不釣り合いな湯気が立ち上っているが、せっかくだからもらっておこう。

「はい、タオル」

「あ、すみません」

 お茶を軽く飲んだ後、先輩がタオルを持ってきてくれたので髪を乾かす。

「ただいまー、あら?」

「こんにちは」

 足音が聞こえてきた後、エコバックからネギをはみ出させた中年の女性が現れた。しわが目立つものの、顔立ちは北村先輩に似てなかなかの美人だ。

「その声、もしかして、孝乃の彼氏君?」

「あ……えーっと」

 つい、北村先輩を見る。

「そうね、あたしの彼氏よ」

 俺が答えるよりも先に北村先輩がこともなげに答えていた。いいんですかと言う俺の視線に対しては無視する形で、お茶をすすっている。

「あらあら、いらっしゃい。困ったわねぇ、まさか、孝乃の彼氏がくるって知っていたのならお菓子を買ってきたんだけど」

「お気遣いなく……たまたま寄っただけなんで」

「これまでは声を聴くことはあったけど、顔を見ようと思っても用事でなかなか……」

 そうか、よく考えたら北村先輩の家まで送っていたからニアミスしていたんだな。

「はじめまして、孝乃の母の、博美です」

「えっと、四ケ所冬治です」

「ふふ、よく孝乃と家の前で話をしているようだから名前は知っているのよ」

 うん、やっぱり話を聞かれていたんだな。変なことは話していないよな、惚れ薬とか、彼氏彼女の役とか。ごっこ遊びみたいなことをしているって両親に知られるのはさすがにまずいだろ。

「ねぇ、いきなりで悪いけれど母親としてどうしても聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

「あ、はい」

「ちょっと、ママ?」

 娘の咎めるような声音を無視して、博美さんは口を開く。

「ぶっちゃけ、娘のどこが気に入って彼氏になったのかしら?」

「うーん、最初はやむに已まれぬ事情から、いてぇ」

 軽く小突かれた。

「でしたけど、まぁ、一緒にいてすごく気の利く女性だなぁと」

「気が強くて困ることはない?」

「いや、全然。すごく頼りになるし、ぐいぐい引っ張ってってもらっています。今日も北村先輩、えっと、孝乃先輩の傘に入れてもらってここまで来ましたから」

「あら、惚気られちゃった。仲良かったのならよかった。結構この子、ひねくれてるところあるから彼氏なんて出来ない、そう思っていたからね。ゆっくりしてね」

 娘の彼氏と話したことで元気が出たのか、別の部屋へ行ってしまった。

「今の回答、彼女からは何点ぐらいもらえますかね?」

「三十点」

「低っ。もうちょっともらえると思ってたのに」

「あのねぇ」

 頭痛でもするのか、こめかみに人差し指を当てて孝乃先輩は考え込んでいる。

「……いつか、あんたとは決着をつけないといけないようね」

「ですね、そうなる日が来ないことを願いたいものです……それじゃ、俺そろそろ帰るんで」

「え、ゆっくりしていくんじゃないの?」

 相手の母親からはそういわれていたが、さすがに今日はいろいろと言ったからな。ちょっと心臓がどきどきしているし、帰っておいた方がいいだろう。

「用事があったらまた来ますんで」

「……そう」

「引き留めてくれないんですねぇ。彼氏からの点数は二十九点ですね。」

「さっさと帰れ」

 孝乃先輩の言葉に俺は首をすくめて立ち上がるのだった。


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