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東風平佳苗編:第六話 原点の忘れ物

 期末テストも気づけばすぐそこに来ている。

 放課後、俺は図書館で勉強をする日々が続いている。佳苗の部活が終わったら合流し、その後はスーパーへ晩飯を買いに行くという流れが出来上がっていた。

 その日は珍しく、佳苗のほうが俺を迎えにやってきていた。

「ねー、冬治君」

「なんだ」

「宿題で出されていた数学の問題がわからないんだけど……」

 様子を窺うようにして、教科書で顔を半分だけ隠しながら佳苗がこっちを見ていた。あ、かわいい……じゃなくてだ。

「どれだよ」

「これ、なんだけど……」

「この程度なら大丈夫。教えてやれるぞ」

「本当? やった」

 そんな俺たちの様子を見ている三人組がいた。

「ねぇ、冬治くぅん」

 佳苗役が猫らしい。

「なんだい、佳苗?」

 そして、俺役がしましまか。

「このぉ、数学の問題がぁ、わかんなぁい。おしえてぇん」

 完全に馬鹿にした表情で猫が体を震わせる。おかげで立派な胸も揺れていた。本来なら、この時点でけりを食らわせてやるところだが、その巨乳に免じて許してやろう。

「どれ、僕に任せろ。彼女をいじめる悪い問題はこうだ」

 右手を動かす真似をして、問題を解いたらしい。

「すっごーい。濡れちゃう」

「ははは、よせよ。みんなが見てるから」

「じゃあ、本棚のあっちで続きを……」

 そういっていなくなった。

 まちかさんは普通にこっちにやってきてほかの問題を指さす。

「あの、冬治さん。こっちはどうやって解いたらいいんですか?」

「ここはこうして……」

「あ、なるほど」

「まちかさんって勉強できるかと思ってたけど?」

「ちかはこう見えて勉強苦手だって」

「そうなんですよ」

 後頭部を掻きながら、困った風に笑っている。

「勉強しているときにいろいろと設定考えちゃったりして。ペリーさんが乗ってきた黒船を擬人化させてショートショートを書いちゃったり、紀貫之が現代にいたらネカマになるのか、それとも男の娘になるのかで悩んじゃったり……」

「それで覚えられるのなら面白そうだけどね」

「あはは、そうですね」

 俺も似たような妄想をするけど、広げられないからなぁ。ある意味、うらやましいよ。

「ちょっとー、寸劇やったんだから見に来てよ」

「しましまとの激しい絡みが最高だったのににゃ」

「ご苦労、帰っていいぞ」

「ひどーい」

「おひねりくれにゃ」

 この二人はどうにからないんだろうか。

「二人も勉強苦手なんだから、テスト、頑張ったほうがいいんじゃないの? 赤点三つ取ったら補講だよ?」

「そういうかなだって勉強が苦手だにゃ」

「そうだそうだ」

 しましまと猫が結託しているが、佳苗はどこ吹く風だ。おかしいな、三人組ぐらいいれば頭脳明晰キャラがいてもおかしくないだろ。なんで全員勉強が苦手なんだよ。

「へへーん、こっちは冬治君に毎晩勉強教えてもらってるから基礎はオッケー。赤点は楽々回避だもんね」

 佳苗の自信満々加減を見て、しましまと猫が固まった。

「え、マジで?」

「マジで、だよ」

「ど、どうせ、保健体育だにゃ。そうだにゃ?」

「冬治さん、ここって覚えづらいですけど……」

「ああ、ここは……」

「無視するなんてひどいにゃ!」

 新鮮な突っ込みが欲しいにゃと言われたので鼻をつまんでおいた。

「うっし、それなら勉強会をしよう」

「は?」

 しましまが突然真顔でそんなことを言い始めた。

「勉強会?」

「そう、勉強会」

「待て、しましま。お前さんは頭がよさそうに見えるぞ」

「眼鏡がみんな頭よさそうに見えるのは幻想だ」

 そんなことを言ってきた。今のご時世、下手するとクラスの三分の一ぐらいが眼鏡かけてるからなぁ。

「俺の個人的な感想なんだけどさ」

「うん」

「三人組、ないしは四人組のメンバーって必ず頭いいやつがいるだろ」

「それは冬治の理想だにゃ。猫たちはあほの集まりにゃ」

 まぁ、見た目に関しては小顔でかわいい子ばかりだし、胸も大きい子が多数だしな。男子生徒に効いたら割と有名らしいが、付き合うと面倒そうだという意見ばかりだった。

「と言うわけで、今日からテストが終わるまで、佳苗の部屋に集合ね。佳苗、いいよね?」

「うん、いいよ」

 佳苗のほうはあっさりとしたもので簡単に返事していた。

「よぉし、場所は確保」

「……佳苗、大変だな。俺、今日から自分の家に戻るよ。勉強会の邪魔しちゃ悪いし」

 今日は久しぶりに家でゆっくり勉強しよう。

「なぁにを言っているにゃ」

「そうです、あほが四人あつまっても悲惨なことにしかなりませんよ」

 猫とまちかさんに両腕を掴まれた。割と抱き着くような感じなので、制服越しとはいえ、魅惑の巨乳に抱き着かれていることとなる。

 本当、こいつらの誰かが惚れ薬を飲んでくれればよかったのに……いやぁ、それでも結局人間じゃない動きで迫ってくるから怖いな。

「冬治君が教えてくれないで、誰が教えてくれるの? ね、教えてよ」

 しましまには正面から人差し指で鼻をつつかれた。こういうのも悪くないな。

「ちょっと、冬治君? 鼻の下が伸びてない?」

「俺はいつもだらしなくしてるぞ。道行く女の人ばかりを見ているから、今現在、鼻の下を伸ばしていても何の問題もない」

「嘘だ、わたしの冬治君はもっと格好いいもん。ほら、離れてよ」

 しっしと猫とまちかさんを追い払い、俺の腕に佳苗が抱きつく。

「ほぉら、冬治君の顔が渋くて格好よくなった」

「……世の中には悲しみが満ち溢れているぜ」

 今度、胸が大きくなる方法を探しておこうかな。みやっちゃんに頼んだらお薬もらえるかも。

 俺がボケッとしている間に決まってしまったようで、その日から佳苗の家で勉強会が始まった。

「ここが二人の愛の巣かにゃ」

「ほら、さっさと入れ」

「にゃっ、お尻を叩くにゃっ」

「まるで家主のような態度……さすが冬治さんです」

「はい、まちかさんも入ろうか」

「はーい」

「買ってきた材料はかなが料理する感じ?」

「そだね、わたしは夜に冬治君から見てもらえるし」

「……一体俺は、いつ勉強すればいいんですかね」

 夕方は問題児が三人で、夜は彼女の勉強を見るのか。こりゃ、休み時間と昼休みに効率よく勉強しないといけないか。

 人が多いと言う事で使用していなかった畳の部屋でテーブルを広げ、勉強を始める。

「ねー、冬治君。勉強教えてよ」

「あぁ?」

「あ、ずるいにゃ。まずは猫に教えるにゃ」

「はぁ?」

「何を言っているんですか。この中で一番頭の良いあたしに教えてください」

「へぇ?」

 佳苗は夜に教えてもらえると思っているようで、何も言わず問題を解いていた。

「あー、わかった。じゃあ、俺の言う通りにやってくれよ」

 俺が指示を出していいようになり、これじゃ俺の思っている友達との勉強会と違うと思ったりする。

「はい、まずは数学からな。教科書は持ってきてるか?」

「これでしょ」

「ないにゃ」

「あります」

「あるよ、冬治君」

 猫以外はちゃんと持っているようで、教科書を出してきた。俺は教科書を借りて、その間に四人組には現代文の問題を解いてもらうことにした。

「いいか、現代文は子供のころから本読んでいれば漢字を勉強するだけでいいからちょろいぞ」

「えー」

「本、嫌いにゃ」

「得意分野です」

「んー、作者の気持ちってわかんないなぁ、他人だし」

「ま、たとえわかんなくてもコツを掴めば簡単だ」

 出る範囲の漢字をまずは覚えてもらい、そうしている間に数学の教科書から抜き出してきた問題を解いてもらうことにした。

 教科書を預かったのはずるをする恐れがあったからだ。

「はい、これをまずは三十分で解いてみてくれ」

「えー」

「はい、スタート」

 猫が反対していたが、他は静かにスタートを切ったのでぶーたれながらも筆を進めている。

 三十分後、数学で赤点を取りそうなのは猫だけだと言う事が判明した。その後もちょっとした小テストを繰り返し、一日目は終了となる。

 佳苗に関しては全面的に苦手が多いとわかったが、しましまは努力を嫌う元の能力は高いタイプ、猫はわからないとすぐに投げ出すタイプ、まちかさんは本人も言っていたが脱線のおおいタイプだとわかってきた。

「んー、思ったよりも勉強出来たにゃ」

 体を伸ばす猫に俺は手を叩いた。

「おう、猫はよく集中できたな、すげぇぞ」

「んっふっふ、もっと褒めていいにゃ」

 猫がそういうものの、今日したことは小テストと休憩だけだ。猫の場合はこの空間が本人にとって嫌なものではないと思わせるところから始めないといけない。

「わたしの今日の評価は?」

「しましまはやっぱり赤点取らないだろ」

「……さぁ、どうだかね」

 はぐらかしたが、周りに合わせているのかもしれない。少なくとも、勉強会でしましまを教える必要はなさそうだ。

「あたしはどうでした?」

「まちかさんは悪くはないんだけど、時間が余ったら見直しをしたほうがいいね。テストの端っこに絵をかいたりしないように」

「はーい」

 途中から佳苗は料理をするために抜けていたので、飯食って三人を帰らせ、お風呂から上がったら二人で勉強だな。

 帰りは暗くなったのである程度までは見送ることになった。佳苗には家に残っておくよう伝え、俺は三人と一緒に暗い夜道を歩く。

「なぁ、三人とも。佳苗が全力で走るためには何が必要だろうか」

「愛、かな」

「愛にゃ」

「愛ですね」

 三人ともそんな言葉を投げてきた。

「愛だぁ?」

 ふざけているのかと思ったが、割と真面目な顔でこっちを見ていた。

「走ることを愛しているからこそ、全力でかなは走ってきたんだと私は思うよ。だから、かながまた全力で走るにはあの子がどうして走るようになったのかを思い出させてあげればいいのかなって」

「愛するきっかけをってことか?」

「うん、猫もそう思うにゃ。猫はお魚のことが好きだけど、それは子供のころにパパとママが水族館に連れて行ってくれたからにゃ」

「そんなものか」

「はい、そうですよ。かなさんのことを最も深く知っていそうな冬治さんなら愛を取り戻せます」

 猫が火炎放射器でも持ったように振り回し、しましまはバイクに乗ったまねをしてひゃっはーと言っていた。

 あぁ、こいつらやっぱりあほの一派だ。

「お前さんらは知らないのか?」

「残念ながら、ね」

「そうか。走ることが好きで陸上部に入ったんだよな?」

「ちょろそうだからにゃ」

「右に同じく」

「左に同じく、です」

 俺は後頭部を掻いて三人組を見る。

「なぁ、お願いがあるんだが」

「何?」

「佳苗をまた全力で走らせてやりたいんだ。よければ協力してほしい」

「今さらだにゃ」

「いてっ」

 猫に尻を叩かれた。

「当たり前ですよ」

 まちかさんに肩を叩かれる。

「私たちは友達から、協力するのは当然でしょ」

 しましまが最後に俺の鼻をつついてきた。

「……友達?」

「そうそう、今までなんだと思ってたにゃ」

「都合のいい女友達」

「なんだかやらしい響きですね」

「え、えぇ? 冬治はそういう目で猫のことを見ていたのかにゃ」

 うまく冗談が伝わらないと面倒なことになりそうだ。

「ともかく、私たち三人は冬治君に協力するよ。かなの親友だからね」

「おう、頼むわ」

 三人と別れ、俺は家へと戻ってきた。

「ただいま」

「お帰り」

 佳苗がエプロン姿で出迎えてくれた。

 同居するまでは返事のないただいまを続けていたが、今は二人でただいまと言っている状況だ。こうやってお帰りと返してくれるのはうれしいものなのか。

「どうかしたの? すごく……さみしそうな顔をしてるよ?」

「……はぁ? 俺が? ないない」

「もー、素直じゃないなぁ」

「俺が素直になったら気持ち悪いだろ」

「ううん、うれしいよ?」

「うれしい?」

 俺は玄関で馬鹿みたいに立ったまま、佳苗に聞いた。

「うん、冬治君って最近はそうでもないけど頑なにわたしのことを避けてるみたいだったし」

「……そうか?」

 傍から見てギリギリ彼氏と彼女と言う体を装っていたが、案外違うとわかるものなのか。

「うん、えっと、でも、今はその……」

 そういって佳苗は俺に体を預けてきた。

「おっと、どうした、立ち眩みか?」

「こんな風に、甘えても……受け止めてくれるし」

 それは夜中に佳苗が苦しんでいる姿を見たからだろう。明るいだけの女の子かと思ったら、みんなの知らないところで苦しんでいたからかもしれない。

 ひまわりにはいつだって輝いていてほしいからな。下を向いている姿はあまり見たくない。そうなるのなら、支えてやったりもしたくなるさ。

「そんな冬治君をわたしも支えてあげたい」

「そうかい」

「うん」

 ひとしきり、俺の胸に顔をうずめて、離れる。

「相手のことを知るには近づかないといけないもんかねぇ……」

 一人でボヤいた後、俺は佳苗に声をかける。

「佳苗、風呂に入って話がある」

「うん、いいよ」

 それだけ言って、俺は浴室へと向かうのだった。

 風呂から出た後、俺たちは向かい合った。

「佳苗、俺はお前さんのことを知りたい」

「いいけど、何が知りたいの?」

 小首をかしげ、おずおずと言った感じで佳苗は口を開く。

「スリー……サイズ?」

「別にそれはその気になれば測れるからいい」

「え?」

「おかしなこと言ったか?

「あ、う、ううん。それで、話って?」

「俺は帰宅部なんだが、佳苗は陸上部だよな?」

「うん、そうだよ。それがどうかしたの?」

「走るのが好きなのか」

「まぁ、そうだね」

「どうして好きになったんだ? そのきっかけを教えてほしい」

「……」

 佳苗は少し考えるような仕草を見せたが、黙り込んだ。そういうことを考えたことはなかったのかもしれない。

 深い沈黙を守ったまま、数十分が経過している。俺は辛抱強く佳苗がしゃべるのを待つことにした。

「えっと……一番、自分の中の力を出し切れるから、かな。全力を出した後の疲労感が好きなんだ」

「そうか……」

 佳苗はまた黙り込んで何事かを考えているようだった。

「そっか、わたしは……だから走っていたのか」

「どうかしたのか?」

「ううん、ところで冬治君はどんなことが好きなの?」

「俺か? 俺は……そうだな、特別何が好きってことはないが、今はやりたいことがある」

「ちぇー、ここは佳苗のことが好きだっていうチャンスだよー」

「……そうかもな」

「え?」

「いや、何でもない。今の俺は他のことに時間を割いている場合じゃないんでね」

 佳苗の原点はなんとなくわかった気がした。

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