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東風平佳苗編:第五話 なんだかんだ

 佳苗と住み始めて一週間、慣れと言うのは本当に怖いもので気づけば一緒に生活することに何の違和感も持っていなかった。

 朝食は佳苗が作り、俺は食器を洗う。佳苗が部屋の掃除をしているときに俺が風呂掃除をするような流れだ。帰りは一緒に帰り、スーパーによって晩飯の材料を買ったり、タイムセールに間に合うときは俺が荷物持ちをやっている。

「これならいつ結婚しても大丈夫だね」

「何が」

「家事分担」

「はいはい、現実見ようねー。俺たちは単なる健全な学生カップルだ」

「ちぇー、ちょっとぐらいは乗ってくれてもいいじゃん」

「お前さんの冗談に付き合うと調子に乗りそうだから嫌だ」

「そんなことないよ」

 満面の笑みで返されるとつらい。

 本来なら佳苗に付き合ってやる必要は本当になく、飯だけ準備させればいいのはわかっている。

 こんな状況になったのは全部、俺の惚れ薬を飲んだ佳苗が悪いんだ。

 しかし、それは別として普段は明るい佳苗であっても夜になるとどこか不安な表情を見せる。俺が佳苗の部屋で同居し始めたその日の晩にうなされていたが、その後も二回あった。

 なぜだかその姿を見るとどうしても放っておけない。日中、精神的問題を解決させるにはどうしたらいいかと言う本を図書館で探したり、ネットで情報を探したりもした。あとは保健室の先生にも話を聞いたり、しましま、猫、まちかさんにも改めて話を聞かせてもらったりもした。

「ねぇ、冬治君。話聞いてる?」

「あ? 何か言ってたのか?」

「もー、今晩、お父さんが来るっていう話だよ」

「ほー、そうか。佳苗のお父さんが?」

「うん、そうだよ」

 それが俺に何の関係があるんだ。

「……お父さんだと?」

「さっきからそう言ってるよ」

「そうか、それなら今日は俺、家に帰るよ。久しぶりの親子水入らずを楽しめないだろうからな」

 邪魔しちゃ悪いな。

「あのね、話聞いてないよね?」

「だから、佳苗のお父さんが来るんだろ」

「そうだよ」

「邪魔になるだろ」

「ならないよ。むしろ、冬治君がいなくなると来る理由がないよ」

「え、なんで」

「冬治君に会いに来るんだよ」

「……何故に?」

「何故って、そりゃあ……」

 そこで佳苗がくねくねし始めた。周りにいたおばちゃんたちが驚いて俺たちを見ている。

「佳苗、周りに人がいるからそういうことはやめなさい」

「はっ……」

 俺は素早く周囲のおばちゃんをチェックし、マンション近くに住む通りの掃除をしている山口さんを探した。あの人はなんだかんだと俺たちのことを聞いてきたり、筑前煮を作りすぎたとかカレーを作りすぎたと持ってくる人だ。すでに、俺の情報として家族構成やら誕生日、血液型など下手をすると佳苗よりも俺のことを知っている可能性がある。

「冬治君に是非、会いたいんだって」

「理由を聞いてもいいか?」

「えっとね、やっぱり娘がお世話になっているってことで……ね?」

 顔を軽く赤くしてそういわれたって、察することは出来ないし何が言いたいのかさっぱりわからないな。

 正直言って面倒くさいこと間違いないし、それは惚れ薬のせいなんだし、逃げ出したい気持ちがわいてきた。しかし、ここで父親なら佳苗のトラウマについて何か医者から聞いているかもしれない。

 佳苗のトラウマなんざ知ったこっちゃないが、賭けで負けた以上、佳苗と同居しているのだから安眠を求めるため、自分のためだと言い聞かせて俺は佳苗の父親と会うと決めたのだった。

 夜八時、佳苗のお父さんがチャイムを鳴らせてやってきた。

「はーい」

「佳苗、久しぶりだな」

「お父さんもね」

 スーツ姿の初老の男性が部屋の中へと入ってくる。細身で、どこか神経質そうな顔立ちであったが、娘に会えてうれしいのか笑っていた。

「君が冬治君か、初めまして」

 佳苗父は俺を見てから握手を求めてきた。俺もそれに応じ、愛想笑いを返す。

「初めまして、四ヶ所冬治です」

「東風平風太だ」

「お父さん、お茶でいい?」

「ああ、かまわんぞ」

「冬治君もいいよね?」

「うん、それでいい」

 俺の前に腰かけて、佳苗はお茶の準備が終わると俺の右側に座った。佳苗のほうはにこにことしており、お父さんの微笑みは少しだけなりを潜めていた。

「佳苗と将来のことを真剣に考えてくれているらしいね」

「え……」

 どういう事だろうかと思ったが、佳苗のほうが適当に言ったのかもしれない。惚れ薬を飲んでいる相手が言ったことだけに、影響が懸念される。

 下手に否定しようものなら惚れ薬で強化されて非常に怖いことが起こりそうだ。まぁ、みやっちゃんにあとで報告しておいて、どうにかしてもらおう。

「最初は私もどうかと思ったのだが、とても誠実な人間で頼りになると佳苗から聞いているよ。君のご両親とは実は既に会っていてね」

「あ、そうなんですか?」

 俺の両親は忙しいと言って家によりつくことが少ない。海外で仕事をしていると言っていたが、たまにはこっちに帰ってきているのかもしれないな。

「私たちとしては佳苗が幸せであればそれでいいからね。こういっては何だが、私と家内も学生のころから学校側に内緒で同居していたんだ。何かと苦労したものだよ」

 両親がこんなことを許していたのも、惚れ薬の影響だけではないのかもしれない。血縁関係の相手に影響が出るとかなんとかみやっちゃんは言っていたが、どんなものだろうか。

「それを子供のころから家内が佳苗に話すもんだから、佳苗は学生の頃にそういう相手を見つけたいと小さいころから言っていてとても困ったもんだよ」

「本当、そういう相手が見つかってよかったよ」

 それでいて、眉が歯の字になっているが目は笑っていた。愛おしそうに娘を見ており、その娘も照れてはいたが、父親に笑い返していた。

 なんだろう、俺は悪くないはずなのに、胸の奥がチクチク痛むんだ。

 初めてと言う事で、割と表面上な話をした後、俺は佳苗に席を外してくれと頼んだ。

「男同士で話したいことがあるから」

「そう?」

「うん」

 佳苗にお風呂へ入るよう言ったら素直に従ってくれた。

「で、男同士の話とやらは?」

「あの、佳苗のことについてです」

「ほぉ?」

 首を傾げ、それでも俺の話を待っている。

「佳苗が全力で走れないことを知っていますか?」

 まずはこのことからだ。佳苗は割と秘密にするタイプなようで、惚れ薬の対象者である俺に対しても話してくれていない。となると、家族のほうにも佳苗から話していないかもしれない。

「あぁ、知っているよ。それがどうかしたのかい?」

「お医者さんから何か聞いていたりしませんか?」

「……悪いね、冬治君。これは佳苗自身が解決するべきことだと私たちは思っている」

「私たち? 佳苗のお母さんもそう思っているってことですか?」

「そうだ」

「助けないと?」

「そうではないな。佳苗からこの話を聞いたわけではなく、偶然知ってしまったことだからね。佳苗が私たちに助けを求めてこない以上、こちらからは見守るだけにしようと決めたんだ。成長できる、ひとつのイベントだと思っている」

 そういって俺を見てくる。

「俺はそう思いません。佳苗一人で苦しんでいるのなら、手助けしてやるべきだと思います」

「冬治君も教えてもらっていないのだろう?」

「ええ、そうです。佳苗には知らないというていで接しています」

「そうか。君は佳苗のそれをどうにかしてあげたいと思っているのか」

「はい」

「佳苗がそれを嫌っていても、できれば知られたくないと思っていてもかね?」

「ええ、それが原因で佳苗に嫌われたってかまいません」

 そうなってくれたら一番だけどな。佳苗とも別れられるし、あいつも一つ、心の重荷が減るわけだ。そして俺は、何かしてやったと言う自己満足が残る。

「なるほど、それが君の意見か」

 そういうとにこやかに笑われた。どうせ、この人に嫌われようとどう思われようと、いずれ惚れ薬の効果は打ち消すのだから強気に出ても何の問題もない。

「よかった」

「何がですか?」

「今日、実際に出会ってみて、君はとてもじゃないが、佳苗のことを真剣に考えているようには思えなくてね。まるで仕方なく佳苗と一緒にいるように思えたんだ」

「……そうですか」

 どうやら、この人の見る目は確からしい。

「はは、単純に私に会いたくなかっただけかもしれないな」

 当たっているから、怖いものだ。

「だが、佳苗に対しては真摯に向き合ってくれている部分もあるようだ。佳苗のことを、よろしく頼むよ」

「はい」

「じゃあ、また来るが、何かあったら私に連絡してほしい。力になれることもあるかもしれないからね」

「はい、よほどまずくなった時だけは」

「君がいればそうならない、私はそう信じてるよ」

「もう帰ってしまうんですか? まだ、佳苗は出てきてませんよ」

「いいよ、用事が出来たと伝えておいてくれ」

 風太さんはそういって、佳苗がお風呂から出るよりも先に帰ってしまった。

 佳苗がお風呂から出てくると、すでに父親が帰っていることに少し驚いていた。

「あれ、帰っちゃったんだ?」

「ああ、一応引き留めたんだがな」

「ふーん? お父さん、冬治君に対して何か言ってた?」

 冷蔵庫から牛乳を出して飲み始める佳苗に俺は答える。

「佳苗をよろしく頼むってさ」

「ぶーっ」

 佳苗の牛乳が、俺の顔面にかかった。とっさのことに判断できず、白濁液をぶっかけられた。なんだろう、この屈辱にまみれた行為は。

「え、ほ、本当?」

「本当だ。嘘だと思うんなら、あとでお前さんのパパンに聞いてみろよ」

 くそ、牛乳くせぇ。

 話は少し変わるが、雑巾で牛乳を拭くとどうしてあんなに臭くなるんだろうな。ある意味、ミラクルだよ。

「へ、へぇ、お父さんがねぇ……」

「なんだ、人のことをじろじろ見て」

「ううん、何でもない。ところで、男同士の話し合いって何だったの?」

「秘密だ」

 内容的に言えるわけもない。

「えー、教えてよ」

 牛乳臭い俺に引っ付いてきた佳苗を引っぺがすこともなく、俺はタオルを手に取った。このまま風呂に入ってこよう。

「……佳苗が抱えている秘密を話してくれるのなら、俺も話してやるよ」

「えぇ?」

「それが出来ないのなら、教えてやれないな」

「うー……」

 佳苗は少し悩んだ末に、離れた。

「けち」

「けちで結構、お前さんの彼氏はこういう性格だ」

 さっさと牛乳臭さを落としてこよう。

 風呂から出ていつもの時間、佳苗に付き合っていたら似たような時間にあくびが出るようになってきた。

「ふぁーあ。佳苗、そろそろ寝るか」

「……うん」

 いまだテレビを見ている佳苗は眠たそうにしていない。意外なことだと思って声をかける。

「どうした、今日はまだ眠くならないのか?」

「ううん、寝るよ」

「そうか」

 布団を二つ分敷いて、その上に枕を置く。

「佳苗ー、準備で来たぞ」

「ありがとう」

「どういたしまして。おやすみ」

 俺は布団に入り込んで目をつぶる。佳苗も布団の上に座ったが、枕を強く抱きしめるだけだ。

「佳苗、寝ないのか?」

「……寝るけど、冬治君にお願いしたいことがあって」

「なんだ? 変なことはしないぞ?」

「うん、わかってるけど……ごめん、少しだけ甘えていいかな?」

「甘える?」

 普段からよく俺にべっとり引っ付いているのは甘えるに入らないらしいな。あれはスキンシップか。

「えっと、変なことは絶対にしないから……手をつないでいてほしいなって」

 俺は少し考える。そうか、夜が来るとうなされるかもしれないってこいつは考えるのか。そう思うと寝るのが怖くなるかもな。

 これまでは一人暮らしで、あの父親の態度を見る限り、佳苗は両親にもあまり甘えなかったのかもしれない。そうなってくると、甘え方の一つも知らないままここまで成長したのか。父親のほうも成長させるため、みたいなことを言ってたか。

「あ、ごめん。大丈夫。冗談だから」

 明るく、俺にそう言ってくれた。その無理している感が見ていてあほらしかったので、俺は佳苗を正面から抱きしめたのち、布団の上に押し倒した。

「と、冬治君?」

「期間限定で言うことを聞いてやる。いいか? ただじゃないぞ。いつか、倍にして返してもらうからな?」

「う、うん……」

 くそ、絶対に惚れ薬の効果が消えたら佳苗には何かおごってもらうぞ。

「でも、これはさすがに恥ずかしい……かな」

「うるせぇ、こっちのほうが恥ずかしいわい」

「それなら別に……」

「だが、お前さんが怖い夢を見ているときに俺のことを思い出してくれるかもしれないからな。俺が夢の中に出れば頼れるかもしれないだろ」

「え?」

「……なんだ? 怖い夢を見ていると思っていたが、違うのか?」

 一度、佳苗を放して顔を見る。

「う、うん、まぁ……違うかな」

 あれ、てっきり寝るのが怖くて言い始めたのかと思ったら違うのか。

「じゃあ、なんでだ?」

「あ、単純にお父さんから……その、隣で寝ているのに何もされないのかって聞かれたことがあるから、心でつながっているんだーって返したことがあって、せめて、体の一部でもつながって居たら……ごめん、なんでもない」

 途中から顔を真っ赤にして枕に顔をうずめていた。俺はすぐさま佳苗を放して自分の布団に戻る。

「……あほらし」

 俺は深いため息をついた後、佳苗に背を向けて眠るのだった。

「冬治くーん、抱きしめてよ」

「……もう寝てます」

 二人でぎゃあぎゃあ騒ぎながら、その日は眠ることが出来た。その日以降、佳苗はうなされることがあっても、途中から変に気持ち悪い笑みを浮かべるようになった。その後、俺がちょっとした悪夢を見るようになったのは秘密だ。

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