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東風平佳苗編:第四話 知ることは相手に近づくこと

 佳苗が惚れ薬を飲んで数か月が経った。みやっちゃんは手こずっているようで、時折留守電にメッセージを残しているだけで連絡がなく、こちらから連絡してもつながることはない。

 季節は夏に変わっていて、もう期末テストも近い。これを無視するわけにもいかず、目先ばかりを優先する人間にとって邪魔で仕方のない存在である。これをパスしなければ垂涎物の夏休みは手に入らない。

 当然、俺もその一人だ。テスト勉強をしなくていい方法を思いついた俺はそれを実践している。何のことはない、日ごろの授業を真面目に聞いて予習はともかく、復習をしっかりすることだった。努力はしないといけない。

 学園の勉強を家でする時間もあまりなく、そのために放課後は図書館へ一人で向かう日々が続いている……のだが、その前にやらなくてはいけないことがある。

「今日こそ、同居してもらうよー」

「あいにくだが、それは無理だな。今日も俺が勝つからな」

「では、いちについてー」

「よーい」

「どんっです」

 しましま、猫、まちかさんの言葉に俺たち二人はトラックを駆ける。一周走って、早いほうが遅いほうの言う事を聞くというものだ。

 当初は危険だと思っていた惚れ薬だが、扱いに慣れてしまえばどうということはなかった。しかし、薬の力が鳴りを潜めていたと俺は少しだけ舐めていたりもする。

 平穏な日々が続いていると思っていたが、気づけば、俺の両親は向こうの両親と話をしており、許嫁と言う立場になっていた。

 みやっちゃんにメッセージを残してからこっちに答えが返ってきたときに軽く驚いた。なんと、血縁者にも惚れ薬の力が伝播するらしい。佳苗父のほうは俺のことをいたく気に入り、佳苗母のほうはもっと若ければ自分が相手を務めたいぐらいだと言っていたりする。

 俺の両親が何を思っているのかわからないが、佳苗のことは悪くないと言っていたりとこっちにもその薬の効果が来ていないか少し心配だったりもする。

「ね、両親から同居もオーケーされちゃった。一緒に住もう?」

「一緒に相撲か……はっけよーい」

「……つまらない冗談は聞きたくないね」

 赤くなった佳苗に、俺はあわてて条件をだした。

 そう、それは俺と走って佳苗が勝てば言うことを聞くというものだ。それからと言うもの、放課後に一度トラックを走って勝負してきた。結果は僅差で俺の勝利が続いている。

 今日も余裕だと思ったとき、俺はこけた。何のことはない、ゴール手前で右足が左足に引っかかっただけだ。

「冬治君っ」

 先にゴールした佳苗が血相変えて走ってきた。

「おいおい、大げさだな。転んだだけだよ」

 立ち上がって砂を払う。

「大げさじゃないよ。足は?」

 そういって俺の足をいろいろな方向へと向け始める。捻挫していないか確認してくれているらしい。

 しましま、猫、まちかさんも巨乳を揺らしながら走ってきてくれた。いい乳だが、性格に癖がありすぎてちょっかいを出そうとは待ったく思えない。

「大丈夫?」

「ああ」

「怪我はかすり傷だけにゃ?」

「そうだな」

 佳苗にいろいろとされているが痛くもなんともない。

「保健室行きますか?」

「いや、つばつけときゃ治るだろ」

「ダメだよっ」

 佳苗が大声で否定し、俺に肩を貸す。

「大丈夫だって、ぴんぴんしてる……おい、何泣いてるんだ」

「だって……」

 そういえば佳苗はけがをしたんだったな。それを思い出してしまったのかも。まぁ、俺もそれを知っていて全力を出せない佳苗とかけっこしていたんだけどな。案外下衆な人間だよ。

「泣くな、ほら、おんぶしてやる」

「え、あの……怪我をしているのは冬治君だし」

「うっせ、泣き顔さらすな。俺が保健室につくまで泣き止むこった」

「……うん」

 佳苗を背負って、俺は保健室へと向かう。

「え、何あのぶっきらぼうキャラ」

「猫はああいうの好きにゃ」

「私も大好物です」

 三人組の声が聞こえてきたが、今は無視だ。

 保健室について処置してもらい、出るころには佳苗もようやく泣き止んでいた。

「大丈夫か?」

「それ、わたしのセリフだよ」

「安心しろ、俺は丈夫なんだよ」

 ただこけるだけでなくなんて大げさだと思うが、何かあるのかもしれない。

 その日はそのまま帰ると佳苗が言ったため、彼女の家へと向かうことになった。いつもみたいにべたべた引っ付いてこないし、気持ちもどこか下を向いているように思える。

 横顔をじっと見ていても、反応はない。

「今回の勝負はお前さんの勝ちだ。約束通り、同居する」

「……いいの?」

「あぁ、俺は約束を守る人間だから」

 何、心を強く持って生活すればオーケーだ。変に約束を破れば今はしおらしくしているが惚れ薬の効果で超強化され、襲い掛かってくるかもしれない。

 あの後、みやっちゃんからまた留守電のメッセージに残されていたのだが、テレポート、液状変化、感知能力半径10キロメートルと言った具合に人間を超越するそうだ。

 学園の規則としては問題あるが、俺も自分の命が大事だ。もっとうまく言いくるめることも可能かもしれないが、今の佳苗を一人にするのはさすがに腰が引けた。

 佳苗の家にやってきて俺はさっそくソファーに寝転がる。リビングにおいてあるソファーは割と立派なものらしく、柔らかい。

「これはやはりいいものだ」

「今日は焼き魚でいい?」

「おう、任せるわー……」

 そのままソファーで昼寝でもしようかと思ったが、思えば同居するといったものの道具がない。

 俺は立ち上がっていったん家に帰ることにした。

「佳苗、ちょっと家に帰ってくる」

「え?」

「同居するための道具がないだろ」

「大丈夫、準備してるから」

「は? どこに?」

「ここ」

 そういって立ち入ったことのない部屋の扉を開ける。

「わーお……」

「ね?」

 そこには机やら箪笥やらの準備がされた部屋があった。

「歯ブラシとかの準備もしてあるよ」

「用意がいいのねぇ」

「うん、冬治君と付き合い始めて一週間以内に準備してたよ」

 それは知らなかった。俺がこのまま勝ち続けていたらそれらが無駄になっていたと言う事か。

 しばらく考えた末に、それでも無駄になる。何せ、みやっちゃんに惚れ薬の解毒薬を作りに行ってもらっている。これが完成してしまえば、俺は佳苗の前から姿を消すことになるわけだ。

「冬治君? どうしたの、ぼーっとしちゃって」

「……準備の良さに軽く驚いていただけだ。んじゃ、俺は佳苗の尻でも眺めていようかな」

「もー、冬治君ってば」

 少しは元気になってくれたようだ。なんだか知らないが、ほっとした。

 またソファーに寝転がるが、そこまで考えて俺は学生かばんを引っ張る。

「どのみち取ってこないと教科書がないな」

 俺は学園のロッカーや机の中に教科書を収めたいとは思わない。中学にあった話だが、その時は教科書を机の中に突っ込んでいた。友達が勝手に使用したまま忘れてなくなったと勘違いしたことがあったからな。

「あ、それも取りに行かなくて大丈夫だよ」

「そうなのか?」

「うん、もう引っ越し業者さんに連絡済みだから」

「え?」

 チャイムが鳴った。

「あ、来たかも。はーい」

 佳苗の目は淡く青色に染まっている。

 俺の荷物が指定された部屋に持っていかれる間、改めて惚れ薬ってすげぇなと思っていたりするのだった。いつの間に連絡したんだろう。

 その日の晩のこと、俺たち二人は正面から向かい合っていた。テレビを見ながら佳苗の話を聞いていたのだが、生返事が気に障ったらしく割と乱暴にテレビを消され、テーブルにつくよう指示された。

 もし、結婚するようなことがあったら俺は尻に敷かれるかもしれない。

「そんなに怖い顔をしてどうしたんだ」

「ね、一緒にお風呂に入ろう?」

 来た。どうせ来るだろうと思っていたお願いだ。今はまだ彼女の瞳が光っちゃいないが、これも断り方を間違えれば大変なことになる。

「あー……歯止めが利かなくなるからダメだ。俺らは学生、同居は何とか許すが、そういうのは無しだよ……学園側にばれて、同居まで取り消されたらいやだろ?」

「えー……」

 そのあと、十分程度滾々と説得したら何とか頷いてくれた。

「そっか……しょうがないけど冬治君の言う事を聞くね」

「おう、そうしてくれ」

 一時間程度説明しないといけないと思っただけに、意外にもあっさりと引き下がった。無理にでも、力づくでも一緒に入られると大変だ。そもそも、相手は本気を出して来たらテレポートできるらしいからな。佳苗が自分の今の能力に気づいているわけもないので、偶然そうなるってだけが救いだよ。

「じゃあさ、一緒に寝ようよ」

「は?」

「お風呂は、冬治君の言う通り諦めるよ」

 つまるところ、俺の意見を聞いたのだから、こちらの意見も聞いてほしいと言う事か。部屋をあてがわれていたのだからそちらで眠れると思っていたが、よく考えてみればあの部屋にはベッドがなかった。

「寝るって言ったってどんな感じで寝るんだ」

 若干、ピンクな妄想をしつつ佳苗を見る。

「えっと、リビングにお布団を二人分敷いて寝るの」

「それだけ?」

「うん、それだけ。何もしない。隣にいるだけで幸せだから」

 本当にそれだけで済むんだろうか。

 少しばかり気がかりであったが、お風呂の時間が安寧に過ごせるというのであれば素晴らしいことだと思う。

 お風呂の時間に奇襲されるんじゃないかとびくびくしていたが、実に何の問題もなかった。その後は佳苗と話をしたり、テレビを見て時間を過ごしていたが、十時くらいから佳苗は目をこすり始めた。

「あ、佳苗は割と早めに寝るのか?」

「……ん、えっと、十一時前にはもう眠っていることが多いよ」

「そうか」

 そして、十時十五分にはもう駄目になったようで歯磨きをしてきて俺のパジャマの裾を引っ張った。

「ごめん、眠い」

「そうか」

 布団を敷いて、寝転がる。俺もそれに倣った。

「佳苗……」

「すぅ……」

 ドキドキを感じるよりも先に、隣から寝息が聞こえてきた。確認してみると、やはり眠ってしまっているようだ。何をしても、起きる気配がない。

「……はぁ、寝よう」

 俺は自分一人だけ気負っているのが馬鹿らしくなって、そのまま気づけば眠ってしまった。

「うううう……」

 夜中、そんな声で目が覚めた。暗闇の中、周囲を見渡して佳苗が声を出していることに気づく。

 どうやら、うなされているらしい。電気をつけ、汗ばんだ佳苗の肩を抱いて起こすことにした。

「佳苗、佳苗」

「……冬治君?」

 うっすらと目を開けた佳苗は普段の元気さを感じられない憔悴しきったものだった。

「大丈夫か、うなされてたぞ?」

「うん、大丈夫」

 こういう時に大丈夫だという人間はたいてい、大丈夫じゃない。

「大丈夫ならいいけどな……」

 だが、あいにく俺は佳苗とは深い関係にない。二人の間にあるものは惚れ薬で出来た絆だ。佳苗が何故うなされているのかを知る必要はない。

「ごめん、心配かけてる?」

「……そうだと思うのなら、どんな夢を見たのか教えろ。お前さんがうなされていると目が覚める。俺に対して少しでも申し訳ないと思うのなら、絶対に教えてほしい」

 佳苗は少しだけ苦々しい顔をしたりもする。

「冬治君と同居するとこうなるんじゃないかなと思っていたんだけどね」

「それなら負け続けるべきだったな。やっぱり出来ないって言えばよかっただろ?」

「うん、だけど……」

「もうそれはいい。教えてくれ」

「絶対に教えないとダメ?」

「そこまで言いたくないのなら、逆に当ててやろうか?」

 どうせ、佳苗が全力で走れないことに関係していることだ。さすがにこれをうまく解決させるのは骨が折れそうだし、俺が佳苗に対してそうしてやる必要性はない。

 俺は悪人でもなければ善人でもないからな。

 佳苗は結局、ごめんと言ってまた横になってしまった。ただ、また眠るのが怖いのか不安そうな表情のままだ。

「……はぁ」

 一つ、深いため息が出た。

「佳苗、悪いな」

「え?」

 一応、悪いと思いつつ佳苗を起こして抱きしめた。

 ガキの頃、俺が怖い夢を見て震えていた時に母ちゃんがしてくれたことだ。一回しかしてもらえなかったが、思い出の一つとして大切にしている。

「……えっと?」

「何も言うな」

「う、うん……」

「今日から俺はお前さんの隣で寝ているから、怖い夢を見たら起こせ。こうやって抱きしめてやる」

「……いいの?」

「いいさ、変なことをしているわけじゃないからな」

 それから無言のまま、佳苗は俺に引っ付いたままだった。気づけば、俺の胸の中であどけない寝顔をさらしていた。

「やれやれ、このまま眠れるかな」

 佳苗を胸に抱いたまま、俺は壁に背を預けて目を閉じた。

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