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東風平佳苗編:第二話 非情になれない三枚目

 元気印のひまわりに、両手両足が生えたような人間、東風平佳苗。そのあほが勝手に俺の惚れ薬に口をつけてくれたおかげで面倒なことになった。

 そのあほが惚れ薬を飲んだ晩、俺は夕飯をふるまうという東風平の部屋に案内されていた。ラッキーなことに、一人暮らしだ。これが実家暮らしなら両親が見ず知らずの男の腕を組んで引っ張ってきたらさぞ驚いていたことだろう。

 対してない胸を押し当てられ、俺は室内へと案内された。ちょっとしかうれしくないよ。

「さ、どうぞ」

「あぁ、お邪魔します」

 部屋に案内されて、割と大きいことに気づく。一人暮らしで3LDKもあるなんて珍しい。

 リビングに案内され、軽く室内を見渡す。非常にきれいに掃除されていて、テーブルの上には一輪挿しがあった。一輪挿しはよく見ると造花で、これを作った人は相当な腕前だろう。ぱっと見では本物と変わらない。

「すごく綺麗だな」

「ありがとう。掃除するのは好きだからね。ダーリンは結婚後も家事は全部わたしに任せてくれていいよ」

「あ、あはは……そうか」

「うん。あ、お茶の準備するね。ダーリンは紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「じゃあ、コーヒーで」

 お湯を沸かし始めた東風平の背中を見て、俺はふと、どの程度惚れ薬の効果が強いのか試したくなった。

「なぁ、東風平」

「佳苗だよー」

「あぁ、悪い。なれなくてな」

 東風平って苗字のほうも慣れてないんだけどな。今日会ったばかりだし。

「ううん、全然いいよ」

「佳苗、ちょっと四つん這いになってくれないか」

「えー? ここで?」

「そう、ここで」

 少し恥ずかしがりながらも、佳苗は四つん這いになってこちらにお尻を向けている。

「……ごめん、もういい」

「なんだ、てっきりするのかと」

「何のことやら。僕ちん、全然わからないな……ちょっと動物ごっこしようかって思っただけだし、うん」

 俺は想像以上に自分が持っていた惚れ薬がすごかったことを知った。

 やらしい妄想なんていくらでもできる。妄想しなくたって、目の前には俺に強制的に惚れることになったあほがいるわけだが、同時にそれは危険もはらんでいる。

 みやっちゃんも言っていた通り、目の前の人物は扱いを間違えれば通気口を行き来できる程度の運動能力を持ったアサシンへと変貌する。

 さすがに俺も、こんな奴に四六時中狙われ続けていたら精神がすり減っていくこと間違いなしだ。敵意を示されるのならともかく、好意を示してくる。そんな相手をノックアウトはさすがにできない。

 いっそのこと、自業自得のこいつを手足のように使ってみるのも一つの手だ。だが、残念なことに俺はそこまで悪い人間じゃなかった。勝手に飲んだ佳苗が悪いのだが、もうちょっと気を付けておけばよかったかなぁと思ってしまうあたり、俺は悪人になれそうもなかった。

「はい、どうぞー」

 一人で悩んでいたら目の前にコーヒーがおかれていた。インスタントだが、いい舌を持っていない俺にはあまり関係はない。

「ありがとう」

「どういたしましてー」

 そういって、俺の隣に座る。

「こういう時は前に座るんじゃないのか」

「んー、どうだろ。わたしはダーリンの隣がいい。こうしていられるから」

 そういって俺の腕を抱いてくる。二の腕に、佳苗の胸が押し付けられた。

「……」

「えへへ、うれしいでしょ?」

「そうだな……」

 佳苗には悪いが、パソコンのマウスぐらいのふくらみしかないので物足りない。トップとアンダーの差はどのぐらいだ、こいつ。

「あれ? 冬治君泣いてるの?」

「……世の中って不公平だよな。あまりにお前さんが不憫だけどけなげで……」

 畜生、どうせなら巨乳の子が間違って飲んでくれればよかったんだ。脳内で悪魔俺が愚痴をこぼすが、逆側から天使が励ましてくる。

 逆に考えるのです、冬治よ。相手がナイチチであるからこそ、お前さんは欲情しない。みやっちゃんが助けてくれるまで大丈夫です。

 そう、大丈夫だ。

 コーヒーを飲んだ後、特に話もしなかったがそろそろ帰ろうかと立ち上がる。

「んじゃ、帰るわ」

「え、今日から一緒に住むんだよ?」

「はは、何言ってんだよ」

 冗談かと思って相手を見たら、目の色が淡く青色に代わっていた。

 え、嘘だろ。

「冗談も休み休みに……」

 なんだろう、淡い青色の光は黄色に変貌し、次は赤くなった。ゆらりとまるで幽霊のように立ち上がると壊れかけのおもちゃのように流し台のほうへ。

 あら、向かう先にはよく切れそうな包丁があるじゃないのよ。

「あー、なんだ、いったん落ち着こう……な?」

「え……、うん。わたしは冷静だよ」

「よかった」

 そういって佳苗は少し腰を落として、流し台下の開き戸内側にあった包丁入れから出刃包丁を取り出す。

 その出刃包丁はよく研がれており、血を求めているかのように銀光で俺の目を照らし、刃をこちらに見せる。刃にはひきっつた俺の顔を映らせていた。

「ね、ごめん、さっきの返事、もう一度聞かせて。今日から一緒に住めるよね?」

「……ダメだ」

「どーしてぇ?」

 一瞬、相手の首がぐりぃんと百八十度回転したかのように見えた。あくまで見えただけで、薄い胸もこちらにちゃんと向いている。刃先ももちろん、こちらをしっかりロックオンしちゃっている。

 一途な刃先に一瞬たりとも目を離せない。今の俺はこれから始まるかもしれない愛の輪舞の準備に大忙し。

「まず、鞄と制服しかない。服を取ってこないといけない。生活用品がないとダメだろ」

「確かに」

「な、だろ?」

 佳苗の危ない瞳は少しだけなりを潜めた。危ない状況とはいえ、打開策は見つかったように思えた。理性的に考えて納得できるものに関しては大丈夫なようだ。

 逆を言えば、俺が言いよどんだりすれば恋する刃先は俺のハートとがっちり合体、もう君を離さないと言葉もいらないラフプレイ。もしくは、何度も激しく愛をささやいて、俺の心は焦点絶頂間違いなしっ。

「そういったものの準備をしたりするには今日一日ではここに住むのが無理だ。せめて、明日からにしてほしいな」

「……んー、そっか」

「あぁ、そうだよ。ちょっとトイレに行ってくる」

 そういって俺はトイレに逃げ込んだ。みやっちゃんがもしかしたら明日中に解毒薬を準備してくれるかもしれない。

 試しにみやっちゃんへトイレの中で連絡してみたが、つながらなかった。

「おかけになった電話番号は、現在、おつなぎできません。異世界に行っておられるか、電源を切られた状態にあります」

「むー……」

 トイレを済まして、外へ出ようとすると、ドアに何かがぶつかった。

「あ痛っ……」

「あん?」

 扉の前にいたのは佳苗だった。

「あ、ごめん」

「何してるんだ?」

「えっと、冬治君が窓から逃げないかなって」

「え、逃げる?」

「そう、逃げる」

 彼女の瞳は淡く、赤く光っていた。なんだろう、ちょっとうすら寒い。

 背後霊でも立っているのかと後ろを見てみたが、そこには当然誰もいない。この場にいるのは俺と彼女だけだ。

 ただ、その目を見ていると幻覚を見る気がする。あたりには薄い霧が立ち込めているようだ。

「はは、窓から逃げられるわけないだろ。逃げたらおそらく落ちるし」

「じゃあ、わたしを抱きしめて? 出来るよね」

「流れが全く理解できないけど、もちろんだ」

 そういって俺は佳苗を抱きしめる。相手は、しっかりと俺を抱きしめて離さない。包丁がなくてよかったー。

 その状態が数分近く続き、相手がようやく離れる。

「ね、もう一回」

 その際、彼女の瞳は淡く黄色に光っていた。俺はもしやと思ってそのまま相手の要求を続ける。

「おう」

 少しだけ強く抱きしめると相手も応じてきた。少しして離れる。相手の目をのぞき込もうとすると、そっぽを向かれた。

「もー、そんなに見ないで、恥ずかしいよ」

「悪いな」

 彼女の瞳は淡く青色に輝いたのち、元の目の色に戻った。

「信号かよ」

「え?」

「いや、何でもない」

 青はやばいけどまだ大丈夫、黄色は注意が必要。赤は多分、間違えたらアウトっぽいな。

 っぽいだけだ。しかし、アウトかどうか試した結果、体に穴をあけたくはない。これがゲームなら間違えた場合を試したかもしれないが、その場合ワンモアはないだろう。

 人生のゲームオーバーはリセットしてやり直しではないからな。

「ね、冬治君」

「なんだ?」

 去り際、玄関まで見送りに来てくれた佳苗は目をつぶっていた。

「ほっぺでいいからキスしてよ」

「ダメだ」

 目は開かれて、黄色に光る。軽くビビる俺。しかし、ここが踏ん張りどころだ。相手のご機嫌を損ねるからと言って、イエスマンではいられない。

「……ほ、ほら、俺はそういうのを割と大切にしたいんだ。思い出がこういうのじゃなくてだな、もうちょっと高ぶったときがいいんだ」

「ふーん? 案外、ロマンチストなんだね?」

「あと、ついでに初心で、根性無しの、ヘタレ野郎だ」

 恋愛に奥手だということをここぞとばかりに叩き込んでおこう。

「あんまり俺を高ぶらせると鼻血出して空を飛ぶぞ。ほっぺでも、女の子の柔肌にちゅっちゅしたら全身から鼻血出すに違いないね」

「それ、鼻血じゃないよ」

「とりあえず、ほっぺはダメだ」

「……ちぇー、それならどこならいいの? おへそ?」

「それは逆にやらしくないか?」

「そうかなぁ」

「そうだろ」

 考えてもみろ、恥ずかしがるであろう佳苗に見下ろされながらおへそにキスをするんだぞ。絶対お腹を引くつかせるだろ。しかも、そのことが何らかの手違いで噂が広がってもみろ、俺、お外を歩けなくなるよ。

「じゃあな」

 そういって俺は帰ろうとしたが、あっさりと右手を掴まれる。

「待ってよ、おでこ。おでこならいいでしょ?」

「おでこぉ?」

「おでこも……ダメなの? もしかして、冬治君はわたしのことを好きじゃなくて、あしらいたいだけなんじゃ……」

 一気にレッドラインへと変貌。瞳のハイライトがなくなり、暗く澱んだ何かがこんにちは。なんだろう、一瞬にして俺と佳苗だけほかの世界に連れていかれたような気持になった。

「佳苗、おでこを出せ。しっかりとしたキス痕を残してやるからな?」

「え、うんっ」

 そういって俺におでこを出してきた。

「おら、目をつぶれや」

「はい、どうぞ」

 俺は身体を震えさせながら佳苗に近づいて、触れる程度で唇を放した。

「……ぷっ、顔が真っ赤だー」

「う、うるせぇ、女の子のおでこにキスするなんて生まれて初めてだからしょうがないだろ」

「よかった、わたしにキスするのが嫌じゃなかったんだ。照れてなかったらどう処理しようかなって思ってたところだった」

「た、単純に経験がないだけだよ」

 あるわけないだろ、そんなこと。そういう経験出来る奴はな、おそらく惚れ薬なんて方法に走ったりしないよ。あとさ、いちいちセリフが怖いよ。

 佳苗の瞳はいつも通り。逆に俺が顔を真っ赤にしながら、佳苗の部屋から逃げ出すように家へと帰るのだった。

 その日の晩、俺は恐ろしい夢を見た。乳首が四本生えた四つん這いの牛の化け物が臨月の腹から蛇腹ホースを引きずらせて追いかけてくるのだ。俺のメンタルも大したことがない。

 次の日の朝、ものすごくいい匂いのする枕に顔を突っ込んだ状態で目を覚ました。

「うげっ……」

 夢見は最悪だったが、寝起きは悪くなかった。しかし、完全に目が覚めて気分は墜落。

「……すー……」

 隣には制服姿の佳苗が寝ていた。俺は佳苗の胸に顔を押し当てて眠っていたのだ。俺がものすごくいい匂いだと思っていたのは佳苗の匂いってことになる。

 あわてて昨日のことを思い出すが、いつも通り一人で寝た。あいにく、両親は海外に仕事に行っているために家にはおらず、もしも侵入してきたのなら俺以外に気づく人物はいない。

 警備会社に契約を申し込んだほうがいいかと考えていると、佳苗が目を開けた。

「え、なんで冬治君が?」

「それはこっちのセリフなんだが……」

 そしてあたりを見渡す。

「あれ、ここどこ?」

「ここは俺の部屋だよ」

「おかしいな……朝ご飯を作ろうとしていてそういえば冬治君の家を教えてもらってないなーって思って……」

「思って……どうしたんだ?」

 まさか、においをかいでここまでやってきたっていうのかよ。犬かよ。

 改めて惚れ薬の怖さを実感しそうになったりする。

「……強く会いたいなって思ったらここにいたみたい」

 いや、来たんじゃなくて手レポートしてきたっていうのか。もはやそれは身体能力うんぬんじゃありませんよね、みやっちゃん。

 会いたいという気持ちが場所を超越するって何それ、やりすぎ。二人の間に物理的な壁は意味がないのか。遠距離なんて私たちの間には関係ないよねって痛いカップルみたいなことを考えて惚れ薬を作ったというのか。

「ま、いっか。ねぇ、ダーリンにお願いがあるんだ」

 もしかして、寝覚めのちゅーをくれと言うのか。それはダメだ。起きたときはちゃんと歯磨きをしないといけない。

「な、なんだ。一応聞いてやるから言ってみろ」

 目の色が、黒から青色へと変わる。これはおそらく判定時期。佳苗の中での正気を保っていられるかどうかのチェックが行われるってわけだ。

 要求がそれなりに通れば、佳苗の機嫌は元通り。だが、地雷を踏めば黄色へ、それから赤に変わって終いにゃ鋭くもぎらつく恋に俺の心がずっきゅんされちゃうわけだ。

「朝食、作ってあげたいからキッチン使っていいかな?」

「……なんだ、そんなことかよ。いいぞ」

「ありがと」

 その間に着替えてねと言われ、俺は軽く返事をする。

 朝から嫌な汗をかいたと思い、パジャマを脱ぐ。ふと、視線を感じるとリビングへ通じる扉がかすかにあいていて、目が見えたので枕を投げつけておいた。

「覗きは禁止だ、引っ込みな」

「ちぇー」

 覗き魔を撃退したのち、俺は制服に着替えるのだった。

 佳苗特性の朝食(おかずは味噌汁だけだが)を食べ終えたのち、ニュースをぼーっとみる。佳苗はキッチンでまだ何かをやっていた。

「でーきた」

「何してんだ?」

「お弁当。はいこれ、冬治君の分ね」

「悪いな、そんなことまでしてくれたのか」

「そんなことだなんて……いいよ、気にしないで。好きな人にお弁当作ってあげたいじゃん」

 弁当の包みを渡され、俺は何となく目頭が熱くなった。両親が子供のころから忙しかったので、普段は自分で作るか購買で買うかだからな。最初は購買のものを買っていたんだが、食っているうちにルーチンが決まって、飽きてしまった。

 母ちゃんが読んでいたであろう料理の本を読んだのちに切り傷を増やしながら料理を覚えていったっけ。今はある程度のものが作れるようになったが、他人に料理を作ってもらうのがこんなにうれしいなんてな。

 本来なら、味噌汁の時に感謝を感じるべきなんだが、味噌汁の時は余裕がなかったらしい。

「あれ、冬治君泣いてる?」

「……いや、泣いてないよ。その、なんだ、今回のことに関しては素直に礼を言う。ありがとうな」

 感謝を述べたのち、俺は顔を洗ってきた。

 その後、登校時間になったので二人して家を出る。それまで佳苗は俺の右腕を抱いたままだった。

「へー、ここが冬治君の家なんだ」

「今、きわめておかしなことが起こってるな」

 基本的には外装を見てから内装を見るはずなんだがな。佳苗は内装を見てから外装を見ている。

「あ、そうだ。学園内じゃあんまりべたべたするなよ」

 弁当のことはありがたいと思ったが、それとこれとは別だ。俺は相手のことを利用する最低野郎になろうと思う。情には絶対に流されないつもりだからな。

「えっと、それは……どの程度で?」

「どの程度ってレベルでもないな。俺の前に現れるな、俺のことを考えるな、俺とは他人でいるようにしてくれ」

「……それは本気で言ってるの?」

 てっきり、青色から赤色に一気に変化して威圧するかと思ったらそんなことはなかった。目に涙をためている。

 ものすごく悪いことをしている気がしてならない。この子は、俺にお弁当を作ってくれたんだぞ……だが、ここで甘やかしてはダメだ。ここは心を鬼にするほかない。こいつは俺に心から惚れているんじゃない、惚れ薬の力で惚れているだけだ。

 俺はきりりとおめめに力を入れて相手を見たが、涙目の佳苗と目が合って陥落した。

「……節度ある、健全な学生カップルと周りに認知されるよう、頑張って日々を過ごしましょう。ただれている、なんて言われたら俺たちを引きはがそうとする教師もいるかもしれない……そうだろう?」

「うんっ、わかった」

 そういってさっそく俺の右手に抱き着いてくる。

 この初志貫徹できない弱い心の中途半端さがどうなるか、見ものだなぁ、おい……。

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