南山葵編:第九話 惚れ薬の使い道
まず、失敗したときに必要なのは状況を顧みることだ。
「葵に惚れ薬を見られてしまい、それまでは雰囲気がよかったのに最悪になった」
「……焦ってる焦ってる」
「みやっちゃーん、惚れ薬とられちゃった」
場所は駅前にあるファミレスだ。惚れ薬をとられたその日の夕方、渡してくれた相手に一応報告することにした。彼女はどうするわけでもなく、俺の話を愉快そうに聞くだけだったりする。
「……どうするつもり?」
「えっと、とりあえず明日学園で会ってみようかなって」
「……先手は打たないの?」
「俺が先手を打つとあまりいい結果にならない気がしてね」
ただのいいわけだよねと言われたらそれまでだからな。
「それにね、葵のことだから……たぶん、今日中に連絡があると思う」
「……どうしてそう、思うの?」
「んー、勘?」
なんとなく、そんな気がするってだけだ。どうしてなのかとこれ以上突っ込まれても、うまく答えることは出来ない。
「……そう」
短いやり取りではあったが、みやっちゃんはまた何か連絡してくれと言って出て行った。いよいよやばくなったら助けてくれる……かもしれない。
俺もそろそろ帰ろうかなと思ったら、携帯に着信があった。
相手は、葵だ。
「えっと、もしもし?」
「あぁ、冬治くぅん?」
どこか、テンションのおかしな声が聞こえてくる。
「これから来てほしいところがあるんだけど。と言うか、絶対に来るよね?」
「……どこにだって行くよ」
迂闊な発言をしてしまったが、今の俺にはそういうしか道が残っていない。葵のことをほっぽり出す。そんな選択肢もあるにはある。しかし、もっと葵と話をしたい。
「そうだよねぇ、絶対に来るしかないよねぇ」
つい、のどまでごめんと言う謝罪がでかかったが飲み込んだ。謝るとしても電話越しではなく、きちんと相手と会ってからのほうがいい。
変に刺激すると、今の葵は何をするのかわからない。そんな気がしてならなかった。
「ねぇ、冬治くぅん。うれしかったよ……」
耳から入って脳内で粘りつくような声音。普段の葵とは、真逆の質だ。
「え?」
「部屋でさぁ、私に対していってくれた言葉だよぉ……もぉ、忘れちゃった?」
「いや、もちろん、覚えてるよ」
「だよねぇ、そうだよねぇ……」
忘れてたら私……まるで闇の中に引きずり込んでそうな感じだった。
「ひどいよねぇ……人に近づくだけ近づいて、こんなことするんだもの」
「……」
「だからさぁ、ちゃんと来てほしいんだ」
そういって、場所を告げた。ここから近く、そこは以前朝熊さんに引っ張られていった喫茶店だ。
「わかった……」
「裏切らないでよ? 裏切っちゃったら……あは、あははははは……」
そこで、唐突に電話は切れた。切れたはずなのだが、俺の脳内には葵の高笑いが響き渡っている。
俺は一度背もたれに倒れこみ、深く息を吸い込んだ。
「罠だな」
種をまき、芽を育てたのは当然俺だ。罠だという言葉も、責任逃れかもしれない。
会計を済ませ、ファミレスを後にする。俺は口がうまくないから、ここから先、余計こじらせてしまうかもしれない。
「すー……はー……」
店の入り口で立って、俺は深く深呼吸をした。後ろを歩く通行人が、あの店ってあんなに気合を入れないと入れないお店だっけと勝手に話している。
ここはもう、魔王城のようなもんだ。
「い、いらっしゃいませぇ」
軽くひきつった笑顔でウェイトレスに迎えられる。周囲を見渡す必要もなく、お店の一角には禍々しいオーラを放つ魔王が俺のことを待っている。
「えぇと……失礼ですが四ケ所冬治様でしょうか」
「あ、はい」
「……お待ちの方がいらっしゃいます」
「わかりました」
「どうぞ、こちらへ」
席に座るよりも先に、俺と葵は視線をかわす。ウェイトレスはそそくさと逃げて行った。
「逃げずに来たんだ?」
「そりゃあな。俺は葵に呼び出されたらどこでもいくさ」
惚れ薬を握られて、葵には惚れ薬と言う代物を持っていることがばれている以上、逃げることはできない。
「だよねぇ」
それは向こうもわかっているようで、不敵に微笑んでいる。
「それってさ、惚れ薬が大事だから来てくれたのかな? それとも、私が大事だから?」
「葵だ」
惚れ薬は人が使うには手に余るものかもしれない。
「あ、り、が、と、う……」
口をいびつにゆがめて笑う。そして、俺に座るよう促した。
真正面に向かい合い、まるで俺たちは命のやり取りでもしているような感じだった。
「じゃあさ、それ、飲めるよね?」
俺の前にはすでにコーヒーがおかれている。
葵の前にもコーヒーを置いてあったが、彼女は右手でよく見る小瓶を手で弄んでいた。
気のせいだろうか、中に入っている錠剤の数が一粒減っているように見える。
「あぁ、ブラックじゃ、飲めないのなら砂糖でも何でも入れて、どうぞ」
「ブラックで大丈夫だ」
「飲んでよ、早く」
「……これを?」
「できるよねぇ? もうすでに飲んでいるんだろうし」
まるで芝居がかったように髪をかき上げ、俺のことを見下していた。しかし、葵の言葉が脳内で意味を成した時、疑問がわいた。
「……え?」
「え?」
葵のほうも首をかしげていた。何か、私はおかしなことを言ったのかと言った具合だ。
「葵、悪いんだけど……さっきの聞き取れなかったからもう一度言ってくれるかな?」
「しょうがないな……こほん、できるよね……」
そういって葵は髪をかき上げた。
「あ、ごめん、仕草はいいから言葉だけでいい」
「……こほん、できるよねぇ? もうすでに飲んでいるだろうし」
いたって事務的な口調で言ってくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「あのさ、飲んでいるだろうし、の部分がわからないんだけど」
鏡を見たら今の俺はきょとんとしているはずだ。それは相手にも伝わっているらしく、俺が嘘ではなく悩んでいることに気づいたようだ。
「あ、だから、私のことをもう一度、好きになるため、冬治君はもう惚れ薬を飲んでいるんじゃないのかなって」
よく説明してもらったのだが、なおのこと意味が分からなくなった。
「あー……?」
そして、葵にどういう説明をしてもらったらうまく伝わるかわからないので天井を見上げてしまう。
「えーっと……どこら辺がしっくりこない?」
「いろいろとしっくりこないところがあるんだけど」
「じゃあ、思っている疑問を言ってくれたらその都度答えていくよ」
こういう状況であるが、葵は葵であった。勉強会をやったときも、葵は付きっ切りで疑問に答えてくれたのだ。
「私のことをもう一度、好きになる、のところかな」
「そこはあれだよ。デートの予定を立てていた時、昨日の時点の冬治君はおそらく私のことが好きだった……でしょ?」
「それは……」
これを認めてしまうとまた別のややこしい問題になりそうなんだが。
「真面目に答えてくれないと、話が進まないから。冬治君の疑問点が曖昧のままになっちゃうよ?」
俺誤魔化そうと考えているのは手に取るようにわかるらしい。出会って一年もたっていないが、割と一緒にいる時間は長かったので、相手にはお見通しのようだ。
「あー……うー……はい、そうです」
「よろしい」
満足したのか、葵は頷いた。結局、俺は葵のことが好きなんだ。
「それで、冬治君は朝の私のジャージの格好に幻滅して、一度好きと言う感情がなくなった。しかし、優しいから無理にふざけたことに付き合ってくれようとした。だから、レンタルショップあたりで水無し一錠ですーっとしたんでしょ?」
惚れ薬を飲んだらすーっとするのかわからないが、これ、水無しでいける代物なのだろうか。
「いや、葵のあの姿を見ただけで幻滅するわけないし。そもそも、俺はジャージを着るなら赤がいいという意見を言ったぞ? それに、惚れ薬は飲んでない。まず、葵が思うほど俺はお人よしじゃないと思うがね」
葵の思っていることは何となく理解できたものの、納得はできなかった。俺がそこまで相手に合わせるわけがない。
「惚れ薬は葵に飲ませるために持ってるもんだろ」
「……え?」
「そりゃそうだろ。相手を自分に惚れさせるための薬だろ?」
「私は、相手のことをより好きになるために飲むものだと思ってたよ」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
「葵はそうかもしれないが、俺は他人に飲ませるもんだと思っていたよ」
「ん? あれ、じゃあ……私の勘違い?」
「……まぁ、そうなるな」
「あわわ……」
口をパクパクし始めた。顔が真っ青である。
「……その点については葵の勘違いだろうが、俺が惚れ薬を持っていること、一緒にDVDを見ていて寝ていたのは事実だ」
「だ、だよねぇ」
どうして俺は自分のことを悪いと相手に再認識させているんだろうか。だが、焦っている葵の顔は気の毒だ。
「あれだろ、俺が寝返りを打った時にでも惚れ薬が落ちて、葵はそれを見ちまったんだな?」
「……うん?」
なぜか間が空いて疑問符がついていそうな返事をされた。俺とは一切目を合わせようとしていない。
「ははぁ、さては俺が寝ているときにいたずらをしようとして、その時に見つけたのか」
「……違うよ? 軽く、ズボンを下げようなんてしてないからね?」
違うって否定されたので、やはり寝返りを打った時に落としたんだな。
まぁ、なんだか電話を受けたときよりも事態は好転したようだし、このままうまく終わらせそうだ。
「じゃあ、葵、その小瓶を……」
「う、うふふ……はははっ……」
突如、葵が笑いだした。
「終わりだ、破滅だ……いや、待って。私にはこれがある……」
その手には惚れ薬が固く握られていた。これが毒薬だったら、勢いで葵は飲んでいたかもしれない。
「やっぱり、飲んでよ」
「え?」
「だって、こんな勘違いしていて私のことを好きでいてくれるって自信がないもん」
「……今も好きだぞ?」
こういう時は、素直に心を伝えるに限る。変に言葉で言い繕うより、シンプルな言葉のほうが相手の心にしっかりと届くはずだ。
ありったけの誠意をもって、相手の目を見て伝えてやった。
「嘘だ」
くそ、まったく届いてなかった。
「なぁ、葵、いったん落ち着こうぜ」
「落ち着く?」
「あぁ、深呼吸だ」
「すぅ……」
「はい、吐く」
「ふー……」
何度か繰り返らせて相手はほんの少しだけ落ち着いたようだ。深呼吸は偉大だ。
「落ち着いたか?」
「えぇ、多少は」
学園で見せるような頭の切れそうな風紀委員長顔になった。
「えっと、冬治君。まず聞きたいことがあるんだけど」
「はい、なんでしょう」
冷静になって恥ずかしくなったのか、頬を軽く染めて、口元がにやけていた。
「さっきさ、なんて言ったっけ?」
「え? あぁ、深呼吸だ」
「違います。私が、嘘だって言ったひとつ前の言葉についてね」
「……今も好きだよ」
「申し訳ないんだけど、事務的に言われてもね。もうちょっと心を込めて言ってほしい。そういうのって、誠意が大切だと思うから」
注文がつけられた。誠意をもってして伝えたつもりなのだが間髪入れずに一言で切り捨てられたんだよなぁ。
「今も、好きだよ」
「……へ、へぇ、そうなんだ」
うれしいのだろうか、人差し指でテーブルに何か文字を書いている。
「じゃ、じゃあさ、追加で聞きたいことがあるんだけど……」
「なんざましょう?」
ここは素直に聞き入れておかないと、また情緒不安定になりそうだ。
「い、いつから私のことを好きに……なったんでしょうか?」
つっかえつっかえながら、よほど聞きたいのか言い切った。肩をすぼめて、上目遣いで俺を見てくる。
そんな仕草が非常に可愛らしく見えたが、返答を間違えればまたおかしくなるかもしれない。天国と地獄が両方手招きしているように見える。
「……正直に言うと、わからない」
「え?」
なぜかわからないが、この世の絶望でも見てきたのか顔色が悪くなっている。
「あ、違う。最初はイメージで葵のことをいいと思っていたかもしれないけど、二人三脚から割と一緒にいる時間が増えただろ? 気づいたら、好きになってた。きっかけは葵が嫌っているイメージかもしれない。ま、葵に惚れ薬を使ってやろうと思っていたら割と手ごわくて、あきらめたんだけどな」
「……そっか」
「お、お前さんを満足させられる答えなのかはわからないが、これ以上、うまくは言えない」
言っていて恥ずかしくなってきた。
「俺は葵のことを好きなんだけど……葵は俺のこと、どう思ってるんだ」
「好きだよ」
微笑んで答えられた。その場で小躍りしたかった。
だから、つい、気がゆるんでしまったのかもしれない。
「はは、演技が葵はうまいからなぁ、俺、だまされてるのかも……」
「……へぇ、そんなことを言うんだ」
「ひっ……」
「私のこと、信じられないんだ……」
一気に温度が下がった。葵は俺を睨んだ後、その手にあった小瓶の蓋をまわし、ひょい、ぱくぅの勢いで摂取したのだった。
「うっふっふ、あっはっは……」
よくもまぁ、お外でそんなに笑えるものだと突っ込みなんて入れている場合じゃない。あっけに取られた俺は口を金魚のようにするしかなかった。
「お、おい、葵……」
彼女の勢いに完全にのまれてしまった。
「これで、これで私は冬治君のものだよねぇ? 私は本気、あなたに対して本気だよ? 冬治君。私のことが好きならさ、そのコーヒー……飲めるよねぇ?」
「……い、いいだろう。俺が本気だってことを見せてやるよ」
俺は目の前のコーヒーを一気に飲んだ。それは確かに苦いが、他の味は全くしない。
「うぐっ……」
多少、飲んだ後に胸がうずいたが、一度きりだ。もとから相手に惚れていたためか、惚れ薬の効果は出ていないように感じる。
「これで、冬治君は私だけのものだよね?」
「……だろうな」
「冬治君は私に本気だったと」
「ああ、そうだよ」
葵の思うままにやってやろうじゃないか。
「目が曇っちゃったね。本当に私のことが好きなんだ?」
「……どういう意味だ?」
「たぶん、転校してきた……正確には屋上で何かを隠した冬治君だったらもうちょっと慎重だったかもって」
そういって葵はぺろりと舌を見せる。そのピンク色の舌の上には錠剤が一粒のっている。
「俺はまんまとだまされたってわけかい」
葵は狂っちゃいなかった。演技だったか。
よかった、正直びびってたよ。ひぃ、怖いってウェイトレスさんに泣きつくところだった。
「ねぇ、冬治君。まだ聞きたいことがあるんだ」
「まだあるのか?」
惚れ薬を飲んだ状態で相手に聞きたくないことを聞かれたらどうなるのだろうか。相手についつい、話してしまうのだろうか。
「うん、これからが本番かなって。それさ、ほかの人にも使用する予定はあるの?」
「いや、ない。葵以外には使わないつもりだったよ」
「今後も?」
それはどうだろうな。惚れ薬を使われてしまった以上、葵以外に惚れることはないだろう。
「ああ。もう要らないな」
「これ、買ったの?」
「もらいもの」
「じゃ、これから一緒に返しに行こうよ」
「え? 一緒に?」
「だって、返してきたーって言って悪用するかもしれないじゃん」
惚れ薬は元から悪用するものだと思ったが、口には出さないでおいた。
その後、みやっちゃんを呼び出すとすぐに来てくれた。小瓶を確かに返すと、彼女は俺の顔を見てくる。
「……目的は達成できたの?」
「まぁ、たぶん」
「……じゃあ、これは危険なものでもあるからこちらで処分しておくから」
「よろしく頼む、ありがとな」
「……いや、冬治が目的達成できたのならそれでいいよ」
俺が飲まされたほうだけどさ。
みやっちゃんは何も言わず、俺らから離れていった。
「やっぱり冬治君って、鈍ったね?」
「は?」
「ただのコーヒーが、惚れ薬なわけないじゃん」
俺はその言葉の意味を考えた。さすがに、少しだけかちんときた。
「また、だまし……んぷっ……」
葵の唇が俺を黙らせ、さらには舌で何かを押しやってくる。それをつい、飲み込んでしまった。
「ぷはぁ……」
「けほ……お、おいぃ、何を飲ませた?」
「私の舌の上にのせてた、惚れ薬の半分」
「え、えぇ?」
葵の意図が全く読めなくなってしまった。
「なんでそうする必要が?」
「惚れ薬を飲んだと勘違いした冬治君は私の質問に正直に答えてくれた」
俺は葵以外には使用するつもりがないと言った。それが葵にとってプラスの答えだったんだろう。
「別に、それぐらい聞かれたら答えてたさ」
「嘘をつくかもしれないじゃん」
「……まぁ、否定はしないが」
「そして、惚れ薬自体、もう冬治君の手元にはない」
今後、使用することは出来ないと言う事だ。
「やられた……なぁ、葵」
「ん?」
「完全に俺の敗北でいいんだけどさ、半分を俺に飲ませたんだよな? 残り半分はどうしたんだ?」
「逆に聞くけど、どうしたと思う?」
俺は少しだけ考えて、答えた。
「半分出して、俺が浮気した時のために残しておく。これだ、これに違いない」
「ふふ、冬治君は甘いね」
そういって葵は俺の頬にキスするのだった。




