南山葵編:第三話 日本人の九割が知っていること
数学の小テストをぎりぎり乗り越えた俺は、放課後からあの子の護衛となる。
「今日からよろしく、冬治君」
「はい、よろしく南山さん」
「風紀に厳しく、正義の下で、馬車馬のように働いてね」
「はっ、粉骨砕身の精神で南山さんの期待に沿えるよう頑張ります」
「よろしい。野球部が目的地だからついてきて」
そう言って歩き始める南山さんの後ろについていくと、廊下の向こうから女子生徒が数人歩いてきていた。
「あれ? 葵じゃん」
「やっほ、楽しい放課後を満喫中?」
「そそ、これからカラオケ」
「カラオケもいいけど、あまり遅くまでうろつかないようにね」
「あっれれー、カラオケは基本禁止じゃないっけ?」
そういって俺は生徒手帳をぱららと素早くめくる。うざそうな顔で相手が俺を見ていたが、どこ吹く風だ。
「やっている本人に禁止の自覚があるのならいいでしょ。変な締め付けは意味がないし」
「さっすが、よくわかってらっしゃるー」
そういったやり取りをした後、彼女たちは俺を見た。
「で、後ろのうざい男子生徒は?」
「やぁ、初めまして。僕の名前は四カ所冬治って言います。先日、この学園に転校してきました」
俺は持てる程のさわやかゲージを消費して挨拶してみた。
「あ、はい……えっと、さっきまでそんなに爽やかでしたっけ? なんだかさっきは昭和の漫画に出てきそうな眠たそうな顔をしてたけど」
この子は割と軽い感じに見えて案外、いい子なのかもしれない。
「気のせいっす」
「あ、えっと、葵……この人、彼氏?」
「もし、そうだと言ったら?」
「悪くないかも、いい線言ってる」
はい、この子はいい子確定ですね。
さわやかイケメンを演じておいたので好印象らしい。
「だけどさ、逆に怖いよね。こういう人間は何を考えているのかわからないってことがあったりするから」
この子は俺がつついても変に爆発しないと踏んだのか、ちょっかいを出してきた。
「ねー、冬治君、今、何考えてる?」
南山さんにそう言われ、俺は素直に答えることにした。
「普段はチュニジアの場所について考えています。どこらへんだったかなと」
地中海がキーワードだ。
「ほらね?」
「まぁ、確かにそうかも。付き合い考えなおすレベルだけど、まだ爽やか系だからセーフかな」
「あ、やべ、ゲージゼロになった」
「……眠たそうな顔に戻っちゃった」
「チュニジアの場所なんて日本人の九割が知っているからね」
「いや、知らないから」
変わった人だと言う印象を結局受けてしまったので、ゲージが溜まったら今度はそのうちに離れることにしようと思う。
「またね、葵」
「うん、じゃあね」
なんだか物足りない顔で、南山さんは女子数人と別れをかわす。
「あれ、もしかしてあの人たちと一緒にカラオケに行きたかったの?」
俺の言葉に、彼女は思った以上にぎょっとしていた。
「べ、別にあの子と一緒に行きたいわけじゃないから。気にしないでいいよ」
「あ、ちょっと……」
何か彼女の感情に触れたようで、先に歩いてしまう。思ったよりも、怒りっぽいのかもしれない。
下駄箱まで来ると、南山さんが手を止めた。
「手が止まっちゃってどうしたの?」
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
そう言って俺に手紙をちら見せする。どうやらもう、怒っているわけではないらしい。
「ぺろっ……これは間違いなくラブレター」
「当たり。舐めるふりしなくてもわかるでしょ」
「まーね。だけど反応が手慣れてるねぇ?」
「日常茶飯事だから」
「そうなんだ?」
「うん、断ってくる」
「えっと、俺が言う事でもないんだけど……断るんだ?」
少し疑問に思ったことを口にすることにした。何せ、日常茶飯事と言うぐらいだから、割と告白されるわけだ。そして、おそらくその中にはいい人間がいるはずだ。
俺が逆に頻繁に告白されるのなら試しに誰かと付き合ってしまうかもしれない。
「私はさ、イメージと付き合いたいって人間はお断りなんだ。傲慢に思えるけど、付き合った後にイメージと違う、なんて言われたらいやでしょ?」
「まぁ、確かに」
思ったより早かった、短かった、へたくそでがっかりしたというのを女性に言われたら男性、誰しも傷つくこと間違いなし。
「じゃあね、逃げないで待っててよ」
「わかってるよ」
そういって走って行ってしまったので、手持無沙汰になった。
ぼけっと突っ立っていると、さっきの南山さんの友達がいた。
「あ、四ヶ所君だっけ?」
「あぁ、うん」
「爽やかにはならないの?」
そっちをご所望か。
「ゲージが溜まってないから……何か用事?」
「うん、ちょっとね。葵のあの事って聞いてる?」
「あぁ、彼女の誕生日?」
「違う」
ちなみに知らない。
「わかった、五十メートル走のタイム」
「違うよ」
「じゃあ……ごめん、ネタ切れ」
「もうちょっとネタを出すのなら面白い方向性で頑張ってほしかった」
変わっている人の中でも一般人に近い、面白そうと見せかけて実は面白くないタイプの人間だねと言われた。
「思っていた人間よりもネタ切れが早くて、会話が短く、またへたくそだった」
「ぐさつっ……」
言葉のナイフは時に、人の心を簡単にえぐるものだ。
「朝熊ぁ、いつまで待たせるの?」
「ごめんごめん、知らないのならいいんだ」
敢えて気になるようなことを言って去って行ってしまった。ただ、朝熊と言う苗字と言うのはわかった。あと、体つきがよかった。
「なんだったんだ」
「あ、ごめん。名乗ってなかったね。私は朝熊花蓮って言います」
「と、思ったら戻ってきて名乗ってくれた。これはこれはどうもご丁寧に、俺の名前は……」
「じゃあね」
まだ改めて名乗っていないのに去って行ってしまった。後日、あのイケメンは誰だったけ、一回聞いたんだけど、名前をきちんと聞いておけばよかったと後悔することだろう。
「しかし、南山さんは遅いな」
告白って冷静に考えてみたら長いよな。いや、早い人は早いんだろうけどさ。好きになって、気になるあの子に気持ちを伝える準備をして、相対して気持ちを伝える。
呼び出し方にはいろいろあるけど、俺個人としては直接会いに来てくれるパターンがいいな。こっちからならやはり呼び出しか。
「うへへ……呼び出しかぁ」
青春の甘酸っぱいにおいがぷんぷんするぜ。
「うわ、あの人何かにやにやしていて気持ち悪い」
「本当だ、近づかないでおこっと」
「こらこら、そこの変人さん。周りの生徒に気味悪がられているから」
俺が浸っていると、戻ってきた南山さんに声をかけられた。
「おかえりなさい。彼氏が出来た?」
「ううん、独り身」
「あぁ、そうなの」
俺の目の前で幸福的展開にはならなかったな。まぁ、そうなったら相手の男には消えてもらうしかないが。
「それと、もう冬治君は帰っていいよ」
「何故に?」
「告白してきた対象者が今から会う相手だった」
「ほぅ」
「そして、探していたとうじ君だったからね」
とうじ、なんて名前は日本全国を探せば割と該当するだろう。
「という事は怪しい薬も発見されたと?」
「まぁ、ね」
しかしどこか歯切れが悪かった。
「先生には報告した?」
「ううん、しないつもり」
「え? どうして?」
怪しい薬という危なそうな代物を風紀側の人間が見過ごすと言うのか。
「んー、情状酌量の余地はあるし」
まぁ、彼女が見過ごすと言っても俺は見過ごしませんけどね、ええ。建前上、彼女が判断していい問題じゃないと思うからな。
本音を言うと、俺の怪しい薬が見つけられないようにするには他の奴を人身御供として差し出すしかない。使うと気持ち良くなるお薬とか、密告してあげた方が優しさってもんだ。
「えっと、耳」
「耳?」
耳から摂取するタイプだろうか。
「耳、貸して」
「はいはい。今なら二つを一セットとして販売しております……あいたたた」
「……その人が持っていたのは、男性用の、避妊薬だった」
「あらあらまぁまぁ」
しかも、南山さんに告白してきたってことは……なんてやつだ。ぼっこぼこのふるぼっこじゃ足りない気がするぞ。
「……しかも、興味本位で購入した物らしくて」
「なるほどね。興味本位ならしょうがないな」
告白した相手から暴かれたのか。さぞかし、羞恥に染まって苦しみに喘いでいそうだな。むしろ、そう言った気分を悦びに変えるかもしれない。世の中には思った以上に変態が多いからな。
「物品自体は処分してるって」
「ほー」
処分したとはいえ、報告するべきだろうが南山さんはかなり融通が効くタイプらしい。朝熊さんたちとのやり取りを見てもそうだったが、生徒を信頼しているのだろうか。
「話の分かる風紀委員だ」
「……そういうわけでもないんだけどね。本格的に危なそうな人間には容赦しないよ」
「ふーん、観察眼がするどいってわけかね」
もしくは、以前そういう人間だったから、なんて線もありえるかな。
「んじゃ、帰ろうか冬治君」
ま、南山さんの過去がどうであれ、今が大切だな。
「はいはい、帰りましょう」
帰り道、案の定というかいったい何を隠したのか聞かれた。
「屋上で何を隠したの?」
「秘密」
「あまり人には言えない事?」
「さぁね」
「じゃあ、これだけは答えてほしい」
それだけ真剣な質問なのだろう。相手は立ち止まり、俺の手を掴んでいた。
「他人を幸せにするもの? それとも、不幸にするもの?」
俺はこの問いかけに少し考えて、首を振った。
「不幸よりかもね」
惚れ薬。それは自己中心的な極みの道具だからな。
自分の我がままを最後まで貫き通せる人は単純にすごいと思う。他人の意見を潰してまで、それを押し通せるのも一種の才能だ。惚れ薬をもらって悦になっていたが、俺にそんな覚悟があるかどうかって話だな。
そんなことを考えていると、まじまじと顔を見られていた。
「案外……」
「ん?」
「悪くない人間なんだね? もっと悪い人かもって思ってたよ」
南山さんにそう言われて俺は一つため息をついた。どうやら、彼女の中で俺は見過ごせない人間だったらしい。
「さぁね、それは単なる思い込みかもよ」
相手のことを真に理解なんて無理に決まっている。単なるそれは個人の思い込みだろう。




