羽根突律編:第四話 言葉
水泳部新部長の田所からもう部活に来ないでくれと言われて軽くショックを受けた。
あれ、今俺ってどんな表情してるかな。
「えーと、理由を聞いていいか?」
「あ、これはあくまで建前。そんな泣きそうな顔をしないでよ」
「建前だと? あと、俺はいつだってポーカーフェイスだ」
「割と顔に出てることもあるけど?」
自分じゃ気づかないこともあるもんかもしれん。
「これからも裏じゃばしばし女子水泳部のマネージャーとして働いてもらう予定」
「……どういうこったい」
俺は頭を掻いた。意味が分からない。
「んっとね、女子の誰かが教師に真白が女子水泳部に顔を出していることをちくったみたいでさ。ほら、真白っていまだに勘違いされたままじゃん? 間違った噂のほうを真に受けた先生がいるみたいでそれを問題視しているみたい。女子水泳部のマネージャーだって言ったけど受け入れられなかったっぽくて、七色先生も困っちゃってね」
なるほど、確かにあり得る話だ。あまり運のよくない俺だから、そういったことが起こってもしょうがないかもしれない。
「ま、それも夏休みの間だけかな」
「何か策があるのか」
「あるある。水泳部を統合するんだよ」
少し悪そうな顔をして、新部長は笑っていた。
「ははぁ、水泳部に統合しちまえば男のマネージャーがいても問題ないってか」
「そういうこと。男子水泳部は部員が少ないし、体を鍛えることしか興味がないからあっさりと許可出してくれた。もともと、顧問も七色先生が兼任だし……ただ、このことは正式に学園側から発表があるまでほかには言わないように。相手は真白が気に食わないからちょっかいを出してきた相手かもしれないからね」
確かに漏れてしまうと厄介なことになりそうだ。今も十分厄介だが、それに輪をかけて面倒なことになりそうである。
「俺のことが気に食わないって……」
「あくまで仮定の話」
「……迷惑かけるなぁ」
「迷惑かけると思うのなら、今後もばしばし働いて水泳部に貢献してよ」
器のでかい部長である。さすがは、水泳部一、胸がでかいだけはあるな。
「なぁ、黙っているのは水泳部員に対してもか?」
「うん、連絡とかは取り合ってもいいけどこのことは言わないようにね。引継ぎはとりあえず私にしてもらって、内容的にはまだ泳げない左野にしてもらおうかなぁって思ってる」
「あぁ、左野なら今もやってるし大丈夫だろう」
真面目だからよくやってくれそうだ。
「問題は羽根突なんだよなぁ……」
深いため息をつかれた。
「りっちゃんが? 何か問題でも?」
「あの子ねぇ……あんたにお熱っぽい」
「お熱ねぇ……古いたとえだな」
「うっさい。もとから気に入っているみたいだし」
気に入っている、確かにそうだろう。今日はかなり踏み込まれた気がした。
「それはいいんだけどあの子にも秘密にしておいてほしいんだよね」
「何か懸念でも?」
「信じてはいるんだけど、周りが見えなくなって一人で突っ走りそう。あとさ、場を引っ掻き回すところが少しあるからそれが不安だなぁ……」
深いため息をつかれた田所はすでに部長の顔をしていた。
「でも、こっちの都合で真白と羽根突の仲を変なことにしたくないしうまくいく方法がないかなって考えてるんだけどねぇ……黙っておく以外、私にはいい考えが浮かばない。無理だわー」
お手上げだと苦笑された。
「気にするな、女子水泳部に俺は元から異物だ。田所は部長だろ? 部のことを考えておけよ」
そういって軽く肩を叩いてやった。さすが、前部長から指名されただけはある。
「羽根突がいなかったらわたしが拾ってたのになぁ」
ぶつくさいう部長に俺はイメージアップの話をすることにした。
「夏休み中はそれに参加すると?」
「ああ、そうしておけば不自然じゃないだろ? だから、夏休み中はこっちに来ないようにする」
「おっけ、それでいきましょ」
こうして俺らの話し合いは秘密裏に行われた。
その日の帰り道、左野とりっちゃんと一緒に帰ることになったのだが案の定、何を話していたのか聞かれた。
「イメージアップについてだ」
嘘を突き通す自信はないのでいい具合にはまり込んだ考えを披露する。
「夏休み中はそっちを重点的に頑張るよ。だから、水泳部には顔を出さないことにした」
「んっと、それは本当?」
「ああ」
「あれ、続けるつもりですか」
「まぁな」
「あてつけかなぁと勘繰ります」
「りっちゃんに対してか? ないない、俺の性格をよく知ってるだろ」
「むー、まぁ……」
りっちゃんは唸りながら俺の右手を抱いてくる。
「これは何のつもりだ?」
「私の豊満な身体で動揺させ、本心を探るつもりです」
「うわ、鬱陶しい」
俺が何か話していないことにはもう気づいているのかもしれない。
「でも、私に胸があったら極楽気分になってますよね?」
「……いいやぁ、そんなことはないよ」
「声、裏返ってますよ。でも、なんだかんだで振りほどかない冬治先輩は絶好の鴨ですねぇ」
押し当てられる男側はプラスしかないが(たとえ対弾性能が低そうな薄い胸でも)、女子側も何かプラス要素があるんだろうか。
「あんまり生意気なことを言ってると、その無い乳、揉みしだくぞ、こら」
「望むところです」
そんな俺らのやり取りを見て、左野は首をかしげていた。
「あの、二人って付き合ってるの?」
「付き合ってないな」
事実なのでそう言ったら腕を引かれた。
「なんだ?」
「冬治先輩、好きです。付き合ってください」
「……え、えぇ? リッキー、この場で告白するなんて正気?」
驚いた感じで左野は言っていたが、りっちゃんは表面上はいつもの感じだった。ただ、目の奥には俺に説教した時のような熱いものが見え隠れしている。
「うん、本気。だって、私が真面目くさってラブレターを準備―の、呼び出しーの、告白しーので……先輩、信じますか?」
「ラブレターを見た後、笑ってくちゃくちゃにしてゴミ箱に……へごぉ!」
みぞおちにいいパンチをもらった……後輩女子二人から。
「冗談でも最低」
「本当、乙女の純情もてあそびすぎ」
誰が乙女だというのか、と言う言葉は飲み込んでおいた。次は股間を殴られそうだ。
「あー……りっちゃん。お前さんがエキセントリックな人なのは理解しているがね、そんな簡単に決めていいのか」
「うん、機会を見たら押せ押せ押せぇが私の座右の銘だから」
体育館での一件で踏み込んできて、さらに踏み込みたいらしい。俺みたいな人間にどういった興味を持ったのか、少し不思議ではあるが、俺も彼女に興味を持った。
「そか」
「うん、で、返事は?」
抱かれていた腕を引き抜いて俺はちょっと考えてみた。
「そだなー……さすがにこういうのはきっちりしたい」
俺は立ち止まり、りっちゃんの正面に立った。
「羽根突律さん。俺はあなたの気まぐれなところを治してあげたいと思います」
「えっと……今のは?」
「俺なりの告白」
「お断りします」
断られた。おかしいな、告白されたのに断られるって何がいけなかったんだ。
「残念だな」
「えっと……あれよね、これから再度冬治先輩ががんばる展開よね? それで、二人は紆余曲折を経て、仲良くなる……のよね?」
左野が気の毒そうに見てきたので首を振っておいた。
「ダメなら切り替えて次だ」
「えぇ? 切り替え、早すぎない?」
呆れた左野の見られたが、俺は人差し指を振る。
「いつまでもグズグズしている男なんて見たくないだろ?」
「ま、まぁ、確かにそうだけどさ」
どうせりっちゃんもふざけているようだし、ここはふざけ倒すに限るさ。
「というわけで、左野、俺と付き合わないか?」
「え……」
「はい、ストーップ」
両手を合わせたチョップが俺と左野の間に落ちてきた。そして、そのまま俺の右腕に絡みつく。
「これは私の彼氏だから、左野はちょっかい出してもいいけど一番になっちゃだめだよ」
「あ、あはは、ないって」
「本当かなぁ……」
親友だろう相手にジト目を送って警戒するりっちゃん。
それから数分後に左野と分かれ道で別れることになったが、左野は二人っきりで俺と話したいことがあるらしい。
最近は女子と二人っきりで話し合うとたいていろくでもないことが待っている気がする。
「ははぁ、さては告白だな?」
「……あんたねぇ」
呆れられたが、真面目な話なら怒っていたことだろう。少しは心を軽くして聞くことが出来る。新部長曰く、俺は案外顔に出やすいらしいから、変に後輩女子にその間抜け面をさらすわけにもいかない。
「で、話したいことってなんだ?」
「え、えっと、リッキーのことなんだけど」
「あぁ、やっぱりそのことか」
「うん、少しねじが緩くて気づいたらクラスの人たちからは少し変わった子だって見られているけどね、いい子なんだ」
左野の目は優しげだった。彼女とりっちゃんの間には絆や思い出があるのだろう。
「度を過ぎたいたずらをすることもあるけどね」
「そうか」
途中、いたずらでもされたことを思い出したのか微妙な顔になったが突っ込むのはやめておいた。
「それでも、あたしの親友なんだ。冬治先輩になら任せられるかなって思ってる……」
「うれしいもんだ。短い付き合いの中でそこまで評価してくれるなんてな」
「冬治先輩はいい意味で変わっているから。リッキーのこと、支えてあげて」
支える必要があるかどうかは微妙だが、親友がそういうのなら頑張って支えようと思う。
「任せとけ」
「それとね」
どこかもじもじしている左野だが、俺の目を見据えた。
「えっと、それと友達として、あたしとも仲良くしてくれたら……その、うれしいかなって」
「おいおい、そこは先輩後輩としてじゃないのか?」
尊敬できる先輩は、真白冬治先輩です、みたいな展開があったらうれしい。
「んっと、できれば友達がいい」
「そうか、俺はお前さんがそう願うのならそれでいいさ」
俺の頑張りが足りていないようだ。尊敬できる先輩は、真白冬治先輩ですと言ってくれる後輩女子はいないだろうか。
「これからも改めてよろしくな」
そういって右手を出すと左野も右手を差し出してきた。
「うん」
普段は見せない左野の笑顔に俺はほんの少しだけ心が揺れ動いたりした。
「傾いてないよね?」
「何が?」
りっちゃんとの帰り道、そんなことを突然言われた。
「斜め四十五度程度は傾いてそうで怖い」
「何が怖いんだか、りっちゃんに怖いものがあるとは思えないね」
「饅頭が怖い」
饅頭っていうのはもともと人間の頭の意味があるらしいな。諸葛亮公明ともつながっていて、肉まんもその歴史に関係しているという……まぁ、饅頭が怖いっていう話とはまた別なんだけどさ。
「ねぇ、冬治先輩」
「なんだ」
「部長と本当は何を話してたんですか?」
すべてを見透かしたような眼で俺の目を見てきた。それに対し、俺は相手の心を逆に見透かすようにして見返す。
狐狸の化かしは等しく醜い。
「あぁ、そのことか……」
嘘をつくのは容易だが、相手に見破られるのも早いだろう。
「さっきも言った通り、俺のイメージアップについて話していた」
「ふーん?」
「夏休み中はりっちゃんのスクール水着に欲情できなくなっちまったな、すまんね」
「じゃあ、海に行きましょう」
「なるほど、それはいい考えかもな……まぁ、あいにく今年の夏はボランティア三昧の予定だが」
「えー?」
「そりゃー、当然だろ。りっちゃんの彼氏が女性のパンツを盗む変態だって周りの女子に思われたくないだろ? 変な奴らに文句も言われたくないから、俺は頑張ってイメージアップ作戦を成功させるよ」
「だって、それは効果ないんでしょ?」
「最初はそう思ったが、今はこれが最善なんだよ」
海に行く時間はあるが、念のために行かないほうがいい。別に水着を見るだけなら隣町の遊園地に併設された屋内プールに行けばいいし。ボランティア、彼女と遊ぶ、割と、いや、かなり出された夏休みの宿題に友達と遊ぶとなると過密スケジュールだ。これに水泳部のマネージャー業務が追加されたちょいと面倒なことになる気がする。
「イメージアップが出来ればいいんだよね?」
「そうだな。こういうのは地道な努力も必要だと思うぜ」
努力せずに求めるものが手に入る人生になったらおもしろくないだろう。りっちゃんと今後も仲良くやっていけるような土壌を作ると思えば、悪くない努力だ。
「ま、今日から彼氏としてよろしく……あいにく、夏休みは忙しいがな」
「ちぇー、しょうがないですねぇ」
若干の不満顔をにじませていたことに俺がもう少し気づいてあげておくべきだったかもしれない。




